今週の名言・迷言 22

船は港にいる限り安全だが、そのために建造されたのではない。

グレース・マレー・ホッパー

グレース M ホッパー(1906年~1992年)は米国の数学者(女性)で、コンピュータのプログラミング言語の専門家。大学で数学を教えていたとき第二次世界大戦が勃発したため海軍に入り(退役時の最終階位は准将)、平行してハーバード大でコンピュータ用プログラムの開発に従事しました。

コンピュータのプログラムのエラーをバグ(虫)と呼びますが、ハーバードで開発していたコンピュータのリレー部分に実際に蛾がはさまったために故障したとき、その蛾を作業日誌に貼りつけ「バグが見つかった最初の実例」とメモしたというユーモアあふれるエピソードでも知られています。この日誌はスミソニアン博物館に収蔵されているそうです。

スナーク号の航海 (67) - ジャック・ロンドン著

現地人の牧師が釣りがうまくいくよう祈りをはじめると、皆、かぶりものをとった。次に漁労長とでもいう立場のリーダーがカヌーを割り当てて場所を指示する。皆、カヌーに乗りこんで出発した。とはいえ、女たちは、ビハウラとチャーミアンを除けば、誰もカヌーには乗らなかった。かつて女たちも刺青を入れていたものだったが、この漁では女たちは後に残り、水中に並んで足で魚をとめる柵になる役割だ。

浜には大型のダブルカヌーが残されていた。ぼくらは自分たちの舟に乗った。カヌーの半分は風下の方へ漕いでいった。ぼくらは残りの半分と共に一マイルほど風上へ向かい、そこで岩礁に達した。両者の中央にリーダーのカヌーがあった。リーダーが立ち上がる。体格のいい老人で、手に旗を持っている。カヌーの位置を指示し、ホラ貝が吹きならされ、その合図で、二手に分かれたカヌーが整列した。準備が整うと、彼は旗を右に振った。そっち側のカヌーすべてで石が投げられ、一斉に水しぶきがあがった。投げた石をたぐりよせる。石が水面下に沈むか沈まないかのうちに、間髪を入れず、旗が左に振られた。すると左側の海面で、すべての石が一斉に海面を打った。それが繰り返される。投げては引き上げ、右で投げては左で投げる。旗が振られるたびに、礁湖の海面に長く白いしぶきの線が描かれていく。同時にパドルを漕いでカヌーを前へ進める。こっちでやっているのと同じことが、一マイル以上離れた反対側でも行われていた。

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漁師の一人

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囚人たちに漕がせているボラボラ島の憲兵

ぼくの乗った舟の舳先では、タイハイイがリーダーを凝視しつつ他の連中と調子をあわせて石を操っていた。一度、石がロープから外れて落ちた。その瞬間、タイハイイはそれを追って海に飛びこんだ。石が海底に達するかしないかのうちに拾い上げ、舟の横の海面に浮き上がった。近くのカヌーでも同じようなことが何度か起きるのを目撃したが、いずれも投げ手自身が石を追いかけて飛びこみ、すぐに回収して戻ってきた。

岩礁の端に近いラインの両側でカヌーのスピードが増した。それに対して、浜に近い方では速度を出していない。二手に分かれていたカヌーの列は少しずつ円形になっていく。すべては、油断なく目を光らせているリーダーの監督下で行われていた。そうしてできたカヌーの輪が縮まりはじめる。かわいそうに、驚いた魚たちは海面をざわつかせながら猛スピードで浜の方へ向かった。ゾウだって、同じような方法で、丈の高い草むらにしゃがんだり木の背後に隠れたりしているちっぽけな人間がたてる奇妙な物音に驚かされてジャングルから駆りてられるのだ。人が並んでつくった足の柵はすでにできあがっていた。礁湖の穏やかな海面に、女たちの頭が長い線を描いているのが見えた。浜辺の近くに残っている者もいたが、それは例外で、背の高い女ほど沖側に出る形で、ほとんど全員が首まで海中につかっていた。

カヌーの輪はさらに狭められ、カヌー同士が触れあうほどになった。そこで一呼吸あった。長いカヌーが浜から飛び出してきて、輪に沿って進んだ。懸命に漕いでいる。船尾で、一人の男がココナツの葉を編んだ長く連続した幕のようなものを投げ入れていく。カヌーはもう不要になったので、男たちも海に飛びこみ、魚が逃げないように足で柵をつくった。幕は幕であって網ではないので、魚は逃げようとすれば逃げられるはずだ。だからこそ足で幕を激しく動かし、両手では海面をたたいて白濁させ、奇声を上げる必要がある。輪が縮められていくにつれて、魚は大混乱に陥るのだ。

とはいえ、今回は海面上に飛び出したり足にぶつかってくる魚はいなかった。しまいに漁労長自身が輪の内側に飛びこみ、あちこちを探って歩いた。が、一匹の魚も浮いてはこず、飛び上がって砂浜に落ちるのもいなかった。一匹のイワシもいないし、小魚もいなければ、オタマジャクシのようなものすらいなかった。あの大漁祈願に何か不都合があったに違いない。あるいは誰かがぶつぶつ文句を言っていたように、風がいつものように斜め後ろから吹いてなかったので、魚はどこか別のところにいたのだろう。いずれにしても、追い立てるべき魚の姿がまったくないのだ。

「こんな失敗も五回に一回はあるよ」と、アリコットがぼくらをなぐさめた。

そう、ぼくらがボラボラ島までやってきたのは、この石の漁のためだったし、その五回のうちの一回に遭遇したというのが、ぼくらの運だったわけだ。事前福引のようなものだったら逆になっていたはずだ。悲観論を言っているのではないし、世の中はこうしたものだという開き直りでもない。これは、ただ単に一日努力して徒労に終わったときに多くの漁師が抱く感情にすぎない。

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ぼくらには、こういう魚は捕らえられなかった

スナーク号の航海(39) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは火口壁を登り、ちょっと無理かなと思われるところまで馬を乗り入れた。岩を落下させたり、野生のヤギを撃ったりした。ぼくはヤギは狙わなかった。しょっちゅう岩を落下させていたからだ。ある場所のことは今でも忘れない。そこでは、馬ほどの大きさの岩を落下させてしまったのだ。ぐらぐらしていて簡単に転がりだしたが、途中でとまりそうになった。と、岩は二百フィート(約六十メートル)も宙を舞った。火山礫の斜面にぶつかり、くだけたり割れたりしながら小さくなっていく。驚いたジャックラビットが猛ダッシュで黄色の砂塵をまきあげながら逃げていくようだった。だれかが岩がとまったと言ったのだが、割れて小さくなっただけだった。つまり、岩は転がりながら割れていき、上からは見えないほど小さくなってしまったのだ。それほど遠くまで転がって行ってしまったというわけだった。とはいえ、まだ転がっているのが見えると言う者もいた──ぼくだ。あの岩はいまもまだ転がりつづけていると、ぼくは信じている。

クレーターですごした最後の日、ウキウキウが強くなった。ナウルを押し返し、太陽の家を雲でおおいつくしたので、ぼくらも雲に飲みこまれてしまった。ぼくらの雨量計は、テントの小さな穴の下に置いた半リットルほどの容量のカップった。この嵐の夜に雨水でカップが一杯になり、毛布の上にまでこぼれてきたので、それ以上は降雨を測定できなかった。雨量計は使えなくなったし、もうここにとどまっている理由もない、というわけで、ぼくらは夜明けの湿っぽい薄暗がりのなかでキャンプを撤収し、溶岩が流れた跡を東にあるカウポ・ギャップへと向かった。火口縁にできた巨大な割れ目から雲がわいているところだ。東マウイは、はるかな昔、カウポ・ギャップを流れて落ちていった膨大な溶岩流そのものでできていた。この溶岩流の上を進んだのだが、海抜六千五百フィート(約二千メートル)の高地から、あるかないかの道をたどりながら、ゆっくり降りていく。これは馬にとっても一日仕事だった。危険な場所で安全を確保するため、急がず、あわてず歩をすすめ、そうやって平坦地に出ると、馬は駆けだす。道がまた悪くなって駆けられなくなるまで、馬をとめようとしても無駄だったし、いつとまるかは馬自身が判断した。馬たちはそうやって来る日も来る日もきつい労働をしてきたのだ。ぼくらが眠っている夜に草を探して食べていた。そうやって苦労しながら、その日は二十八マイルも進み、仔馬の群れのようにハナに駆けこんだ。ハレアカラ火山の風下側の乾いた土地で育った馬も何頭かいて、蹄鉄をつけたことのない馬も含まれていた。一日中ずっと、蹄鉄をつけず、背中には人間という余計な重量物を乗せて、ぎざぎざした溶岩の上を進んだのだったが、そういう馬のひづめは蹄鉄をつけた馬のひづめよりも状態がよかった。

カウポ・ギャップと呼ばれる山塊の割れ目が海に落ちこんでいるヴィエイラスとハナとの間を通過するのに半日かかった。が、そこの景色は一週間、いや一カ月かける価値があるほどすばらしかった。荒々しく美しい。とはいえ、ハナとホノマヌ渓谷の間にあるゴム園の向こうに広がっている不思議な世界に比べれば、色は淡く、規模も小さい。そのすばらしい土地はハレアカラ火山の風上側にあるのだが、そこを踏破するのに二日もかかった。地元の人々は「ディッチ・カントリー(水路の国)」と呼んでいる。あまり魅力的な名前とは言えないが、その呼び方しかないのだ。観光でここまで来た人はだれもいないし、ぼくら以外にそれについて知っているよそ者もいない。仕事でやってくる一握りの男たちを別にすれば、だれもマウイのこのディッチ・カントリーのことは聞いたことがないのだ。とはいえ、水路は水路であるし、泥だらけだし、ここを横切るのは面白くもなく、景色も単調だろうと思われるのだが、どうして、このナヒク・ディッチはそんじょそこらの用水路とは違うのだ。ハレアカラ火山の風上側は切り立った断崖になっていて、そうした断崖から無数の水流が奔流となって海まで流れ落ちている。海までの間に大小無数の滝ができていた。ここの降水量は世界のどこよりも多く、一九〇四年の降水量は四百二十インチ(約一万ミリ)だった。水といえばサトウキビの栽培に不可欠だが、それでできる砂糖がハワイの屋台骨を支えているのだ。ナヒク・ディッチと呼ばれる水路は単なる一本の用水路ではなく、水路網になっていた。水は地下を流れ、山峡を飛びこえるときだけ出現する。目もくらむような峡谷の上を空高く放出されて対岸の山肌に飛びこんでいく。このすばらしい水路が「ディッチ」と呼ばれているのだが、これはクレオパトラの金色に輝く豪華船を貨車と呼ぶようなもので、その真の魅力を示してはいない。

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底なしの穴へと続く道を進む

この水路の国では馬車の通れるような道はない。ディッチが造られる前、あるいは掘削される前には、馬が通れる道もなかったのだ。肥沃な土壌にふりそそぐ年間何百インチもの降水と熱帯の日差しを受けて、植物が流れに沿って生い茂るジャングルを作り出しているのだ。徒歩でここを切り開きながら進むとすれば一日に一マイルくらいは進めるだろうが、一週間もすれば疲労困憊してしまう。自分が切り開いてきた道が植物に覆い隠されてしまう前に戻りたいと思えば、はってでも急いで戻らなければならないだろう。オーショネッシーはこのジャングルと渓谷を征服した勇気ある技師だったが、この水路と馬の通れる道を造ってくれた。コンクリートと石で、世界的にも注目に値する灌水施設を造り上げたのだ。小川や水の流れるところから地下水路で水が主水路まで運ばれる。降水量が非常に多いときには、余分な水は無数の放水路から海へと流れこんでいく。

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幅一マイル半もある割れ目にクサビ状になって進入してくる雲。その向こうに見えているのは正真正銘の海だ。

スナーク号の航海-番外編1 艤装

実際に海に出るにつれて航海の専門用語が増えてきました。
番外編1として、簡単に整理しておきましょう。

スナーク号は水線長45フィートのヨットですが、現代のヨットと少し違っているところがあります。下の図をご覧ください(図をクリックすると拡大します)。

 

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現代の一本マストの一般的なヨット(スループ)は、マストの前と後ろ側に一枚ずつセールがあります。それぞれジブ(前帆)とメインセール(主帆)と呼ばれています。

メインセールは定規の直角三角形のような形で、前縁と下縁がそれぞれマストとブームに固定されています(このタイプをマルコーニリグとかバミューダリグ)と呼びます。

スナーク号は船尾に低いところに二本目のマスト(ミズンマスト)を持つヨール型のヨットです。

前帆は二枚以上あり、一番前がフライングジブになります。
メインマストの形状は三角定規ではなく、上縁にも帆桁(ガフ)を持つ四角形です。

ストームトライスルは荒天用の小さくて頑丈な特別な帆で、通常は使用しません。

セールの数が多いと、風を受けるセールエリア(帆面積)を変えずに一枚一枚のセールの大きさを小さくできるので、取り扱いが楽になりますが、それぞれのバランスをとって上手に帆走させるには経験が必要になってきます。

現代のマルコーニリグのメインセールは高さがどんどん高くなる傾向がありますが、これは、一般にセールの縦横の比率(アスペクト比)が大きいほど風上への切りあがり性能がよくなるためです。

レース艇では、同じ前帆でも大きくて軽いジェノアやジェネカー、風船のような追い風用のスピンネーカーなども使用されますが、煩雑になるので、ここでは割愛します。

次に、荒天対策としてのヒーブツーについて。

ヒーブツーとは要するに停船させることですが、ヨットでは荒天対策としてよく用いられます。デイセーリングなどで、ちょっと一休みというときにも便利です。

heave-to

図のように、ジブを裏帆にして、メインセールはシバーしない程度に出しておきます。舵は風上側に上る位置に(ティラーの場合は風下側に固定、ラットの場合は風上側に回して固定)しておくと、船首が風を斜め前から受ける形で停船します。

船のタイプによって癖があり反応が違ってくるので、最初のうちは試行錯誤が必要でしょうが、うまく安定すれば、急に風が弱くなったように感じられて、船は波が来るたびにゆっくり上下するだけになります。