人生の書 - 考える力(2) ジェームズ・アレン著

心が自分を取り巻く状況に及ぼす効果

人の心は庭にたとえられる。知的に耕すこともできるし、荒れるにまかせておくこともできる。だが、耕すにしろ放置するにしろ、それによって必然的に果実が生じてくる。有益な種子をまかなければ、無用な雑草の種子が落ち、はびこり続けることになる。

庭師が土地を耕し、雑草が生えないようにして必要な花を咲かせ果実を実らせるように、人は自分の心という庭に気を配り、誤った無益でよこしまな考えをすべて排除し、正しく有益で純粋な思考という花や果実を実現させるために耕すのである。そうしていくことで、人は遅かれ早かれ自分が自分の心の主人であること、自分の人生を導く者であることを発見するのだ。また、心の中で思考の法則について知り、心がいかに力を持ち、精神的要素がいかに自分の人格や状況、運命の形成に作用しているかを正確に理解するようになる。

心と人格は一体のものであり、人格は環境や状況を通してのみ明確に自己実現され発見できるようになる。それによって、人の人生をとりまく外的条件は常にその人の内なる心の状態と調和した関係にあることがわかるだろう。このことは、どんなときでも人を取り巻く状況がその人の人格全体を示しているという意味ではなく、そのような自己を取り巻く状況はその時点において、その人の発展に必要不可欠な自分自身の心の動きと密接に関連しているということなのである。

人はすべて、自分という存在の法則に従ったところにいる。すなわち、自分の人格を作り上げている心そのものが人をその場所に導いたのであり、人の人生において偶然の要素はなく、すべて誤ることのない法則の結果である。このことは、自分を取り巻く状況に満足している者と同じく、自分が周囲と「調和していない」と感じる者にとっても当てはまる。

進歩し発展する存在として、人は自分が学び成長できる場所にいる。そうやって自分を取り巻く状況から精神的な教訓を得ていくにつれて、取り巻く状況自体も次々に過ぎ去っては変化していくのである。

自分の外にある世界に左右されると信じている限り、人は自分を取り巻く状況に振りまわされるが、自分には創造する力があり、自分の内に隠れた魂や種に対して自分を取り巻く状況から脱して成長するよう命じることができると悟ったとき、人は本来の自分自身の主人となる。

自分を管理し自浄化することを実践してきた者はすべて、自分を取り巻く状況は自分の考えから出ていると知っている。というのも、人は、自分を取り巻く状況は、自分の精神状態が変化するにつれて変化する、ということにいずれ気づくことになるからだ。だから、人が本気で自分の悪い性格を変えようと思い、それを実行し進んでいくにつれて、自分を取り巻く状況もすぐに変化していく。これは本当だ。

魂は、自分が人知れず心に抱き、愛し、恐れているものを引きつける。人は熱望している高みにまで到達することもあれば、抑えられない欲望のレベルにまで落ちていくこともある――自分を取り巻く状況とは、その人の魂が自分自身を知る手段なのである。

まかれた思考の種や、心の中に入りこみ根を張るのを認められた考えはすべて、遅かれ早かれ、自己実現し現実の行為となって花を咲かせることになるし、好機や自分を取り巻く状況という形で結実するのだ。よい考えはよい果実を実らせ、悪しき考えは悪しき果実をもたらす。

自分を取り巻く状況という外的世界は、思考という内なる世界に対して自分自身が具体化されたものであり、外部の楽しいことも不快なことも、その個人の究極の目標を作り出す要素なのだ。人は、自分で種をまいた結果としての収穫物を刈り取る者として、苦しみと喜びの両方を学ぶのである。

自分が自分を支配することを認めた心の奥にある欲望や願望、思考に従った結果として(不純な想像で人を惑わす欲望を追求し、あるいは気高く熱心に努力するという王道を確固として歩いていくことで)人は最終的に自分の人生という外的条件において自分の果実を結実させ成就させることになる。この成長と調整の法則はいたるところで起きている。

人は過酷な運命や外的状況のせいで救貧院や刑務所にやって来るのではない。卑屈な考えや根っこにある欲望という通路を通って、そこに至るのである。心のきれいな者がいきなり単なる外的な力のために犯罪に走ることはない。よからぬ考えが心の中で長い間隠れていて、機会が訪れたとき、それまでに結集していた力が露呈されたにすぎない。自分を取り巻く状況が人を創るのではない。自分を取り巻く状況は、その人がどういう人であるかを自分自身に対して明確にしてくれるだけなのだ。悪習とそれに付随する苦しみは、悪しき心と別に存在するのではないし、美徳やけがれのない幸福感は、高潔な志を引き続き耕していくことと切り離してはありえない。従って、人は、自分の思考の領主であり主人たる存在として、自分自身を創造し環境を形成し生みだしていくものなのである。出生時から人の魂は自分自身にやどり、この地上での長い旅を一歩ずつ歩んで行くことで、自分自身を明らかにするさまざまな条件を引き寄せるのだが、その自分自身というものは、その人の純粋さと不純さ、強さと弱さを反映したものなのである。

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