スナーク号の航海(42) - ジャック・ロンドン著

すべきことは一つだけだ──北東貿易風の南側に抜けて、変向風のところまでいく、それだけだ。ブルース船長がこの海域で風が変化する場所を見つけられなかったのも、「右舷から風を受けても左舷から風を受けても東には行けなかった」のも本当だ。一定方向の風しか吹かない貿易風帯のようなところではなく、風向が変わりやすいエリアに遭遇できるか否か、ぼくらはブルース船長より運に恵まれるよう祈った。変向風は貿易風と赤道無風帯の間にあるとされるが、赤道無風帯で温められて上昇する大気の動きに影響される。高層では貿易風と反対方向に流れていて、それが海面まで降りてくると、変向風として認識されるわけだ。この風は貿易風と赤道無風帯の間にくさび状に入りこんでいて、その風の吹くエリアでは、日によっても季節によっても風向が変化するのだ。

ぼくらはこの変向風を北緯十一度で見つけ、北緯十一度から離れないよう慎重に進んだ。それより南は赤道無風帯になっている。これより北には北東貿易風がある。来る日も来る日もスナーク号はずっと北緯十一度のラインと平行に進んだ。変向風が観察されるエリアでは、本当に風が変化した。真向いから軽風が吹いてくると思っていたら、風がなくなり、凪(なぎ)の海で丸二日も漂ったりした。そうしているうちに、また真正面から風が吹いてきて、それが三時間も続くと、また丸二日間は無風になる、といった調子だ。そうして──ついに!──西から風が吹き出した。強い。かなり強く、スナーク号はしぶきをあげて飛ぶように走り、後方には長い航跡が一直線にのびていった。風下帆走用の巨大なスピンネーカーを揚げる準備をしていると、半時間もしないうちに、風は息切れし、消えてしまった。またも無風だ。ぼくらは五分もいい風が吹くと、そのつど楽観的になるのだが、すべて裏切られた。どの風も同じように消えてしまうのだ。

だが、例外もあった。定常的な風が吹かない場所でずっと待っていると、何かが起きるのだ。ぼくらは食糧も水もたっぷり積んでいたので、じっくり待つことができた。十月二十六日には実際に東に百三海里も進めたのだが、それについては数日後に話をして確認した。ぼくらは南からの強風をつかまえたのだが、その風は八時間吹き続けてくれたので、その日の二十四時間で東に七十一海里も進むことができた。風がなくなったと思ったら、今度は真逆の北の方向から吹いてきて、さらに東に進むことができたのだ。

長い間、このコースを選択しようとした帆船はなかった。そのため、太平洋のこの地域では、ぼくら以外の船には出会わなかった。ぼくらは六十日間もこのコースを帆走したのだが、水平線上に他の帆影や蒸気船の煙は見なかった。この見捨てられた世界では、動けなくなった船がどれほど長く漂流していても、救助の手がさしのべられることはないだろう。救助の手がのびてくる唯一の機会があるとすれば、それはスナーク号のような船からだろう。ぼくらは水路誌をろくに読みもしないでコースを決めていたので、こんな行き当たりばったりの船と偶然に出会うようなことでもなければチャンスはない、というわけだ。人が甲板に立って水平線を眺めたとすれば、見える範囲は自分の目から水平線まで、直線距離にして三海里半になる*1。つまり、自分を中心にして直径七海里の円の範囲の海である。ぼくらはその円の中心にいて、たえずある方向に移動しているため、それだけ多くの円を見渡したことになるのだが、すべての円は同じように見えた。樹木の生い茂った小島もなければ、灰色の岬が見えてくることもなく、はてしなく広がる丸い水平線の向こうに陽光をあびて光っている白い帆も見えなかった。この広大な円の縁から雲がわき出ては、上昇し、流れ、通りすぎ、反対側の縁の下に消えていった。

何週間も経つうちに、世界は色あせていった。ついには、七人の魂を乗せて広大な海面を漂っているスナーク号という小さな世界以外の他の世界の意味が薄れていった。世界についてのぼくらの記憶、あの偉大な世界は、ぼくらがスナーク号の船上で誕生する前に生きていた以前の生命体としてみた夢のようなものになった。新鮮な果物がなくなった後、ぼくらは父親が自分の少年時代の消えたリンゴについて話すのを聞いたように、あの世界のことを話したりした。人間は習慣の生き物であり、スナーク号船上のぼくらはスナーク号という習慣になっていった。当然のことながら、船と船上生活すべてが重大なものとなり、それが破られるといらいらし攻撃的になったりした。

あの偉大な世界が復活してくる気配はなかった。ベルは時間を告げるが、訪問者はなかった。食事のゲストもなかったし、電報もなければ、耳ざわりな電話が私生活に割りこんでくることもなかった。ぼくらには守るべき約束もなく、乗るべき汽車もなく、朝刊もないので、自分以外の五十億もの人間に起きている出来事を知ろうとして時間を無駄にすることもなかった。

とはいえ、退屈ではなかった。ぼくらのささやかな世界の出来事は規律に従ったものでなければならなかったし、あの偉大な世界とは違って、ぼくらの世界はそれ自体が広大な空間を旅していかねばならなかった。また、混乱しとまどうような出来事もあったが、この大きな地球に影響するほどの摩擦はなく、無風の空間を進んでいった。ときには、次に何が起きるのかわからないこともあった。刺激も変化も十二分にあった。いまは午前四時だが、ぼくは舵を握っているハーマンに交代を告げる。

「東北東」と、やつはぼくに方角を告げた。「方向が八ポイントずれてるが、舵もきかない」

小さなおどろき。こんな無風状態で舵のきく船など存在しない。

「ちょっと前まで風があった──たぶん、また吹いてくるだろう」と、ハーマンは希望的観測を述べると、寝床のある船室に向かった。

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これがジョーズだ

[訳注]
*1 海の真ん中では見渡す限り365度、水平線が広がっているが、その水平線までの距離は、目標物の標高と観察者の目の高さによって変わってくる。その距離を光達距離という。
 灯台の設計で光がどこまで届くかは重要な問題で、理想的な条件下で光が見える距離を光学的光達距離という。
 現実には、眼高(観察者の目の海面からの高さ)と灯高(海面から灯台のライトまでの高さ)で簡易に計算できる地理的光達距離が用いられる。

 眼高(h 単位:メートル)と灯高(H 単位:メートル)の平方根の和に、係数2.083をかけると地理的光達距離が計算できる(出てきた数値の単位は「海里」)。

2.083(√h + √H)

 水平線を高さゼロ(H=0)とし、スナーク号から見える範囲が本文のとおり直径7海里として、この式から逆算すると、スナーク号の眼高は約2.8mになる。
 海面から甲板までが1m前後、身長を1.7~8mとすれば、ジャック・ロンドンの計算はほぼ正確だとわかる(文系の作家があてずっぽうで書いているのではなく、ちゃんと航海法を勉強したということがわかる)。
 この計算式を応用すれば、海をわたって目指す島のてっぺんが見えたときに、その島までの距離を計算できる。島の標高が1000mで、眼高がスナーク号と同じだとすれば、島までの距離は約67海里になる。
 航海記でよくある「島が見えたぞ」という感動的な陸地初認は、毎日天測で位置をだしている航海士や船長には、少なくとも前日に天測で現在の位置を出した時点で、いまの針路と速度を維持すれば翌日の何時ごろに見えてくるか、ほぼ正確に予測できているはずだ。

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