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私は古い人間で、ガソリンの時代より前に育った。その結果、古い流儀がしみついてしまっている。モーターボートよりヨットの方が好きだし、セーリングする方がエンジンで走るより美しくもあり難しくもあり、揺るぎない技術が必要とされると信じている。ガソリンエンジンは誰でも扱える。サルでもエンジンで走れると言えば言い過ぎになるだろうが、エンジンは誰にだって動かせる、というのは正しい。ヨットを帆走させるとなると、そうはいかない。技術も知性ももっと必要だし、途方もない訓練も必要になる。少年や若者や大人にとって、これほどすばらしい訓練の場はない。子供が小さければ、小さくて快適な小舟を与えればよい。あとは自分でなんとかするものだ。教えてやる必要はない。すぐに三角の帆を張り、オール一本で舵を取れるようになる。それから、キールやセンターボードについて語りだし、毛布を持ち出して船に泊まりたくなるだろう。 だからといって心配することはない。危険をおかすだろうし事故に遭うかもしれないが、忘れてもらってはこまる、海の上と同じように託児所でも事故は起きるのだということを。大小の船で死ぬより温室育ちのために死んでしまう子供が増えているが、子供は芝生でクロケットをしたりダンス教室に通ったりするよりも、ヨットでの帆走を経験した方が強くて信頼できる大人になるだろう。 それに、一度ヨットのなんたるかを身につけてしまえば、生涯ヨット乗りでいられるのだ。潮気が薄れることはない。ヨット乗りは年をとらず、あえて風や波と格闘することもいとわない。私はそのことを自分で体験し身にしみて知っている。いまは牧場を経営し、海が見えない場所に住んでいるのだが、牧場にいて海から長く離れていると、そう数ヵ月も経つと、何かしら落ち着かなくなるのだ。前回の航海での出来事について白日夢を見たり、ウィンゴ・スラウの川ではもうシマスズキが泳ぎまわっているだろうかと案じたり、カモの最初の北帰行のレポートに熱心に目を通したりしているのだ。そのうち不意に思い立って大急ぎでスーツケースに荷物を詰めこみ、道具類の点検修理をすませてヴァレーホに向けて出かけていくのだ。そこには小さなローマー号が係留され、私を待ってくれている。そう、主人の足舟が寄って来るのを、ギャレーのストーブに点火されるのを、そうして帆を固縛しているロープがとかれ、メインセールが風に揺れ、リーフポイントがカタカタ音をたて、ちょっと停船し、風を受けてまた動きだし、舵輪がまわされ、湾内を突き進んでいくのを、いつも待ってくれているのだ。 ソノマ・クリークのローマー号船上にて 一九一一年四月十五日
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