スナーク号の航海(39) - ジャック・ロンドン著

ぼくらは火口壁を登り、ちょっと無理かなと思われるところまで馬を乗り入れた。岩を落下させたり、野生のヤギを撃ったりした。ぼくはヤギは狙わなかった。しょっちゅう岩を落下させていたからだ。ある場所のことは今でも忘れない。そこでは、馬ほどの大きさの岩を落下させてしまったのだ。ぐらぐらしていて簡単に転がりだしたが、途中でとまりそうになった。と、岩は二百フィート(約六十メートル)も宙を舞った。火山礫の斜面にぶつかり、くだけたり割れたりしながら小さくなっていく。驚いたジャックラビットが猛ダッシュで黄色の砂塵をまきあげながら逃げていくようだった。だれかが岩がとまったと言ったのだが、割れて小さくなっただけだった。つまり、岩は転がりながら割れていき、上からは見えないほど小さくなってしまったのだ。それほど遠くまで転がって行ってしまったというわけだった。とはいえ、まだ転がっているのが見えると言う者もいた──ぼくだ。あの岩はいまもまだ転がりつづけていると、ぼくは信じている。

クレーターですごした最後の日、ウキウキウが強くなった。ナウルを押し返し、太陽の家を雲でおおいつくしたので、ぼくらも雲に飲みこまれてしまった。ぼくらの雨量計は、テントの小さな穴の下に置いた半リットルほどの容量のカップった。この嵐の夜に雨水でカップが一杯になり、毛布の上にまでこぼれてきたので、それ以上は降雨を測定できなかった。雨量計は使えなくなったし、もうここにとどまっている理由もない、というわけで、ぼくらは夜明けの湿っぽい薄暗がりのなかでキャンプを撤収し、溶岩が流れた跡を東にあるカウポ・ギャップへと向かった。火口縁にできた巨大な割れ目から雲がわいているところだ。東マウイは、はるかな昔、カウポ・ギャップを流れて落ちていった膨大な溶岩流そのものでできていた。この溶岩流の上を進んだのだが、海抜六千五百フィート(約二千メートル)の高地から、あるかないかの道をたどりながら、ゆっくり降りていく。これは馬にとっても一日仕事だった。危険な場所で安全を確保するため、急がず、あわてず歩をすすめ、そうやって平坦地に出ると、馬は駆けだす。道がまた悪くなって駆けられなくなるまで、馬をとめようとしても無駄だったし、いつとまるかは馬自身が判断した。馬たちはそうやって来る日も来る日もきつい労働をしてきたのだ。ぼくらが眠っている夜に草を探して食べていた。そうやって苦労しながら、その日は二十八マイルも進み、仔馬の群れのようにハナに駆けこんだ。ハレアカラ火山の風下側の乾いた土地で育った馬も何頭かいて、蹄鉄をつけたことのない馬も含まれていた。一日中ずっと、蹄鉄をつけず、背中には人間という余計な重量物を乗せて、ぎざぎざした溶岩の上を進んだのだったが、そういう馬のひづめは蹄鉄をつけた馬のひづめよりも状態がよかった。

カウポ・ギャップと呼ばれる山塊の割れ目が海に落ちこんでいるヴィエイラスとハナとの間を通過するのに半日かかった。が、そこの景色は一週間、いや一カ月かける価値があるほどすばらしかった。荒々しく美しい。とはいえ、ハナとホノマヌ渓谷の間にあるゴム園の向こうに広がっている不思議な世界に比べれば、色は淡く、規模も小さい。そのすばらしい土地はハレアカラ火山の風上側にあるのだが、そこを踏破するのに二日もかかった。地元の人々は「ディッチ・カントリー(水路の国)」と呼んでいる。あまり魅力的な名前とは言えないが、その呼び方しかないのだ。観光でここまで来た人はだれもいないし、ぼくら以外にそれについて知っているよそ者もいない。仕事でやってくる一握りの男たちを別にすれば、だれもマウイのこのディッチ・カントリーのことは聞いたことがないのだ。とはいえ、水路は水路であるし、泥だらけだし、ここを横切るのは面白くもなく、景色も単調だろうと思われるのだが、どうして、このナヒク・ディッチはそんじょそこらの用水路とは違うのだ。ハレアカラ火山の風上側は切り立った断崖になっていて、そうした断崖から無数の水流が奔流となって海まで流れ落ちている。海までの間に大小無数の滝ができていた。ここの降水量は世界のどこよりも多く、一九〇四年の降水量は四百二十インチ(約一万ミリ)だった。水といえばサトウキビの栽培に不可欠だが、それでできる砂糖がハワイの屋台骨を支えているのだ。ナヒク・ディッチと呼ばれる水路は単なる一本の用水路ではなく、水路網になっていた。水は地下を流れ、山峡を飛びこえるときだけ出現する。目もくらむような峡谷の上を空高く放出されて対岸の山肌に飛びこんでいく。このすばらしい水路が「ディッチ」と呼ばれているのだが、これはクレオパトラの金色に輝く豪華船を貨車と呼ぶようなもので、その真の魅力を示してはいない。

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底なしの穴へと続く道を進む

この水路の国では馬車の通れるような道はない。ディッチが造られる前、あるいは掘削される前には、馬が通れる道もなかったのだ。肥沃な土壌にふりそそぐ年間何百インチもの降水と熱帯の日差しを受けて、植物が流れに沿って生い茂るジャングルを作り出しているのだ。徒歩でここを切り開きながら進むとすれば一日に一マイルくらいは進めるだろうが、一週間もすれば疲労困憊してしまう。自分が切り開いてきた道が植物に覆い隠されてしまう前に戻りたいと思えば、はってでも急いで戻らなければならないだろう。オーショネッシーはこのジャングルと渓谷を征服した勇気ある技師だったが、この水路と馬の通れる道を造ってくれた。コンクリートと石で、世界的にも注目に値する灌水施設を造り上げたのだ。小川や水の流れるところから地下水路で水が主水路まで運ばれる。降水量が非常に多いときには、余分な水は無数の放水路から海へと流れこんでいく。

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幅一マイル半もある割れ目にクサビ状になって進入してくる雲。その向こうに見えているのは正真正銘の海だ。

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