スナーク号の航海 (87) - ジャック・ロンドン著

第十七章

しろうと医師

スナーク号に乗ってサンフランシスコから出帆したとき、ぼくは病気については山国スイスに海軍があるとしてその司令長官が海について知っているのと同じくらいの知識しかなかった。というわけで、ここで、これから熱帯地方に出かけようと思っている人に助言させてほしい。一流の薬局――なんでも知っている専門家を雇っている薬局に行って、事情を説明するのだ。相手の言うことを注意深くメモし、お勧めのものの一覧表を書いてもらい、代価全額分の小切手を切って渡す、だ。

ぼくは自分もそうすべきだったと痛感している。ぼくはもっと賢明であるべきだったし、いまとなっては、小型船の船長がよく使う、できあいの、自分で処置できる、誰でも使える救急箱を買っておけばよかったとつくづく思う。そういう救急箱に入っているビンにはそれぞれ番号が振ってあって、救急箱のふたの内側には簡単な指示が書いてある。整理番号と歯痛、天然痘、胃痛、コレラ、リウマチといった具合に、病気のリストに応じた薬がそろえてあるのだ。そうなれば、尊敬すべき船長がするように、ぼくもそれを使うことができたかもしれない。3番が空になったら1番や2番をまぜるとか、7番がすべてなくなったら、乗組員には4番と3番を処方し、3番がなくなったら5番と2番を使うといった具合にだ。

これまでは、昇こう(塩化第二水銀。これは外科手術での消毒薬としておすすめできるが、まだその目的で使ったことはない)を例外として、実際に持参した薬箱は役に立たなかった。役に立たないどころか、もっと悪かった。というのは場所だけはとるからだ。

手術器具があれば話は別だ。まだ本格的に使ったことはないが、場所を占めるからといって後悔なんかしない。それがあると思うだけで安心する。生命保険みたいなもので、生きるか死ぬかという土壇場では役に立つ。むろん医療器具があっても、ぼくは使い方を知らないし、外科手術についても無知なので、直りそうな症例でも一ダースものインチキ療法を行ったりもすることになるだろう。だが、悪魔が来ているときにはそうせざるを得ないし、陸から千海里も離れていて、一番近い港まで二十日もかかるところまで悪魔がやって来たとしても、スナーク号のぼくらはそれについて誰かから警告を受けることもないのだ。

ぼくは歯の処置については何も知らなかったが、友人が鉗子(かんし)や似たような道具を持たせてくれた。ホノルルでは、歯科の本も手に入れた。また、この亜熱帯の島で、頭を押さえておいて痛みを生じさせずにすばやく抜歯したこともある。こうした備えがあったので、ぼくは自分から望んでということはないものの、自分なりのやり方で歯の問題に取り組む用意はできていた。あれはマルケサス諸島のヌクヒバでのことだった。ぼくが最初に治療したのは、小柄な中国人の老人だった。ぼくは武者ぶるいに震えた。ベテランのふりをしようとしたが、心臓はどきどきするし、腕も震えた。そうなって当然ではあった。中国人の老人はぼくの嘘にだまされなかった。彼もぼくと同じくらい驚いていて、震えはもっとひどかった。彼の恐怖がぼくに伝染し、忘れていた畏怖の念というものを思い出させた。だが、老人が逃げだそうとしたら、落ち着きと理性が戻ってくるまで彼を押さえつけただろう。

ぼくは彼の歯を抜こうとしていた。また、マーチンもぼくが抜歯するところを写真に撮りたがっていた。同様に、チャーミアンもカメラを持っていた。それでぼくらは連れだって歩きだした。ぼくらはスティーヴンソンがカスコ号でマルケサスに来たときのクラブハウスだったところで止まった。彼が何時間も過ごしていたベランダは、光線の具合があまりよくなかった。写真撮影には、という意味だ。ぼくは庭に入りこんだ。片手に椅子を持ち、もう片手にはいろんな鉗子を携えて。みっともないが、膝はがたがた震えていた。かわいそうな中国人の老人もついてきた。彼も震えていた。チャーミアンとマーティンはぼくらの背後で、コダックのカメラを構えている。ココヤシの間を縫って進み、アボカドの木の下までやってきた。マーティンによれば、写真の撮影にはうってつけの場所ということだった。

ぼくは老人の歯を診て、自分が五ヶ月前に引っこ抜いた歯について何も覚えていないことを再認識した。歯根は一本だっけ? 二本、あるいは三本だったっけ? ひどく傷んでいるように見えるほうに残っているのを何と言うんだっけ? 歯ぐきの奥深くまで歯をがっちりはさまなければならないということだけは覚えていたので、歯には歯根がいくつあるのかを知っておく必要があった。ぼくは建物に戻って本で歯のことを調べた。中国人の犯罪者がひざまづいて首をはねられるのを待っている写真を見たことがあるが、このかわいそうな年老いた犠牲者も同じように見えた。

「逃げないよう押さえてろよ」と、ぼくはマーティンに言った。「この歯を抜きたいんだ」
「わかってるさ」と、彼はカメラを抱えたまま自信ありげに答えた。「オレもその写真を撮りたいんだ」

ここにきて、ぼくはこの中国人が気の毒になった。本に抜歯方法は載っていなかったが、あるページにすべての歯を示した図があり、それには歯根やアゴにどう並んでいるかが描かれていた。鉗子が手渡された。七対あった。が、どれを使えばよいのかわからない。ぼくはミスはしたくなかった。鉗子をひっくりかえすときガチャガチャ鳴った。哀れな犠牲者から力が抜け、ぼんやりと峡谷が黄緑色になるのを眺めている。老人は太陽について苦情を言った。しかし、写真を撮影するには必要だし、それくらいは我慢してもらわなければならない。ぼくは鉗子を歯に当てた。患者はガタガタ震え、気力もなえたようだった。


最初の抜歯

脚注
*1: ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894年):『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの著作で知られる一九世紀英国の作家。自身の健康問題などもあり、四十歳で家族とともに南太平洋のサモア諸島に移り住み、その四年後に同地で没した。

スナーク号の航海 (86) - ジャック・ロンドン著

「ワッツネイム(名前は?)」は、ピジン語で最もやっかいだ。意味はすべて、言い方で変わってくる。「何の商売?」の場合もあれば、「こんな無礼なことをして、どういうつもりだ?」となることもある。何がほしいんだ? 何を探してるんだ? ちゃんと見張ってろ、説明してくれ、など数百通りもある。夜中に原住民を家の外に呼び出すと、相手は「ワッツネイム、ユーシングアウト、アロングミー?(なんでそんな大声でオレを呼ぶんだ?)」と詰問することだろう。

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グラッドストン(オーストラリア)に行ったことがあるという男

ブーゲンビル島の農園にいるドイツ人たちは苦労しているらしい。現地の労働者を働かせるためにピジン英語を学ばざるをえないのだが、ドイツ人にとって、ピジン語は非科学的である上に、数カ国語が混在しているし、勉強しようにも教科書なんて存在しないのだ。他の白人農園主や交易商人にとっては、きまじめなドイツ人たちが、まわりくどくて文法や辞書もない言語の習得に真剣に取り組んでいる様子はおかしくもある。

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ベラ・ラベラ島の老婦人

数年前、ソロモン諸島の非常に多くの住民がクイーンズランドの砂糖農園での労働に雇われたことがある。宣教師はキリスト教に改宗した労働者の一人に、立ち上がって、到着したばかりのソロモン諸島人たちに教えを垂れるよう勧めた。すると、その男は話のテーマとして人類の堕落を取り上げたのだが、その講話はいまでは南太平洋の島々で古典となっている。こんな感じだ。

「きみたちソロモン諸島人たち、白人ではないきみたち、わたしの仲間たちよ、これから白人について話をしよう。
「はるかな昔、白人には住むところがなかった。ボスである神様も白人で、その人が白人をつくりだしたんだ。このボスの神様は、大きな楽園をつくった。とてもいいことをした。その楽園では、たくさんのヤムイモがとれた。たくさんのココナツ、たくさんのタロイモ、たくさんのクマラ(サツマイモ)。どれもこれもとてもおいしい。
「このボスの神様は白人で、仲間の男を一人つくり、自分の楽園にすまわせた。その男をアダムと呼ぶと、その名前になった。そのアダムを楽園につれていって、こう言った。「この楽園はおまえのものだ」と。そうして、この男アダムが歩きまわるのを見ていた。その男アダムはずっと同じ病気にかかっていた。何も食べないのだ。ただ歩きまわるばかりなので、ボスの神様にはわけがわからなかった。偉大なボスは白人で、頭をかき、こう言った。「なんだ? この男アダムが何をしたいのか、さっぱりわからない」

「そうして神様は頭をかきむしり、また言った。「わかったぞ。こいつはメアリーがほしいんだ」と。それで、神様はアダムを眠らせておいて骨を一本とり、それからメアリーをつくった。その人間メアリーをイブと呼んだ。イブをアダムのところに連れて行き、「仲よくしなさい。この楽園はきみたち二人のものだ」と言った。この木はきみたちには悪さをするから避けなさい。この木にはリンゴがなるんだ」

「アダムとイブの二人は楽園でくらした。とても楽しくすごしていた。ところが、ある日、イブがアダムのところに来て、こう言った。「ねえ、二人でこのリンゴを食べましょうよ」 アダムは言った。「だめだ」 するとイブは「あんた、なんであたしにいじわるするのよ?」と言った。アダムは「おれ、おまえは大好きだけど、神様はこわいよ」 すると、イブが言った。「嘘ばっかり! それがどうしたってのさ? 神様だって、いつもあたしたちを見張ってるわけじゃない、神様はあんたをだましたんだ」 だが、アダムは言った。「いやだ」 だけど、イブは語り続けた――このメアリーはこのクイーンズランドの男にずっと話しかけ、彼をこまらせた。アダムはもううんざりだった。それで「わかったよ」と答えた。そうして、この二人はリンゴを食べた。食べ終わると、なんとまあ、おそろしい地獄が出現し、二人は森に隠れた。

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メアリーたち

「すると、神様が楽園にやってきて「アダム!」と呼んだ。アダムは返事をしなかった。ひどくこわかった。すると、なんと! 神様は「アダム!」と怒鳴った。アダムは言った。「お呼びですか?」 神様は言った。「何度も呼んだんだぞ」 アダムは言った。「ぐっすり寝こんでたので」 すると、神様は言った。「おまえ、このリンゴを食べただろ」 アダムは言った。「いいえ、めっそうもない」 神様は言った。「なぜ私に嘘をつく? おまえは食べたんだ」 すると、アダムは言った。「はい、食べました」

「すると、ボスの神様は、アダムとイブの二人をひどく叱って、こう言った。「お前たち二人はもう私とは縁がきれた。このボッキス(箱)を持って森へ行き地獄に落ちろ」

「それで、アダムとイブの二人は森に入っていった。神様は楽園をぐるっと取りかこむ柵をこしらえた。その柵を仲間の一人にゆだねて、マスケット銃を与えて、こう言った。「この二人、アダムとイブを見つけたら、ぶっぱなしてやれ」

スナーク号の航海 (85) - ジャック・ロンドン著

ところで、ツーマッチは、元の英語と異なり、ピジン語では何か過剰なことを示すのではない。単に一番上だということを指す。ある村までの距離を原住民にたずねると、答えは「近い(クローズアップ)」「ちょっと遠い(ロングウェイ、リトルビット)」「だいぶ遠い(ロングウェイ、ビッグ」か「とても遠い(ロングウェイ、ツーマッチ)のどれかとなる。とても遠いは、村まで歩いては行けないというのではなく、村が「かなり遠い」場合よりもさらに歩かなければならない、という意味になる。

ガモンは嘘をつく、誇張する、冗談を言うという意味だ。メアリーは女性。女性はメアリー。女性はすべてメアリーという風に。このメアリーについてはっきりしているのは、かつてやってきた最初の白人の冒険者が現地の女性を気まぐれにメアリーと呼んだことによる。ピジン語には、似たような成り立ちを持つ語句は他にもたくさんある。白人の男たちはみな船乗りだったため、転覆(キャプサイズ)や叫ぶ(シングアウト)という言葉がもたらされた。メラネシア人のコックに食器を洗った後の水を捨てろと言っても通じない。そういう場合は、食器を転覆させろと言えばよい。シングアウトは叫ぶ、大声で呼ぶ、単に話すことを指す。原住民のキリスト教信者は神がエデンの園でアダムを呼んだのではなく、神はアダムに怒鳴ったのだ、となる。


フィン・ボリから――マライタ島

サヴイ(わかる)やキャッチイ(つかまえる)は、ピジン英語がそのまま持ちこまれた唯一の言葉だ。人々は色黒なのでピカニニイ(黒人の子供)という言葉もあるが、変わった使い方をする。カヌーに乗った原住民からニワトリを買おうとすると、その原住民はぼくに「ピカニニイ、仲間といるの、やめてほしいのか」と聞いてきた。そうして、ひとつかみの卵を見せてくれたのでやっと、ぼくにはその意味がわかった。マイワード(おやまあ)は、とても大事だということを示す感嘆の言葉として英本国から来たのだろう。パドル、櫂、オールはウォッシーと呼ばれる。ウォッシーも動詞として使う。


マライタ島の美女

ここに、サンタアンナで現地人の交易商人のピーターが口述した、雇用主宛の手紙がある。スクーナーの船長のハリーがその手紙を書いてやったのだが、ピーターは二文目が終わったところでやめさせた。手紙のそれから後は、ピーター自身の言う通りに筆記された。というのは、ピーターはハリーがひどいでたらめを書いているのではないかと疑い、自分が本社に行く必要性について率直に語ろうとしたのだ。

サンタアナにて
「交易業者のピーターは御社のために十二ヶ月間働いていますが、まだ支払いを受けておりません。彼は十二ポンドほしいと言っています」(ここで、ピーターの口述を筆記したものに変わる)。「ハリーはいつもでたらめをいう、ひどく。わたし、ほしい、ビスケット六缶、米四袋、ブラマカウ二十四缶。わたし、好き、ライフル二丁も。わたし、ボートで見張ってる。行く場所で悪いやつに会う。そいつは食べようとする、わたしを」
ピータ

ブラマカウは牛肉の缶詰だ。この言葉は、交易業者がメラネシアからもちこんだ英語をサモア流にくずしたものだ。クック船長や初期の航海者たちは種や植物、家畜を原住民にもたらした。そういう航海者の一人が雄牛と雌牛を上陸させたのがサモアだった。「これが雄牛(ブル)アンド雌牛(カウ)だ」と、彼はサモア人に言った。彼らは動物の種類を言ったのだろうと誤解し、それから現在まで、生きた肉牛や缶詰の牛肉はブルアマカウと呼ばれている。

ソロモン島民はフェンスと発音できない。それで、ピジン語ではフェニスとなる。ストアはシットアで、ボックスはボッキスだ。衣装箱もボックスで、ベルが取りつけられていて、開けると警戒音が鳴るものがある。そういう仕組みの箱は単なるボックスではなく、ボッキス・ビロング・ベル(ベルのついた箱)と呼ばれる。


彼は白檀の交易商人もナマコ猟師も知っていた

「フライト(恐怖)は、ピジン語でこわいだ。原住民がびくびくしているので、どうしたんだと聞くと、こういう返事が戻ってくる。「ミー、フライト、アロングユー、ツーマッチ(わたし、こわい、あなた、とても)」 嵐や原野、幽霊の出る場所をこわがることもある。クロスは、あらゆる形の怒りになる。男は不機嫌なときクロスとなる。また、君の頭を切り落とし、食っちまおうと狙っているときもクロスだ。プランテーションで三年も働いた出稼ぎ男が、マライタ島の自分の村にもどることになった。彼はあらゆる種類の派手でピカピカした服を着ていた。頭にはシルクハットをのせている。更紗やビーズ、ネズミイルカの歯、たばこを詰めた衣装箱も持っていた、投錨後すぐに村人たちが乗船してきた。この農園帰りの男は、不安げに親戚たちを探した。が、誰もいなかった。原住民の一人が彼の口からパイプを抜き取った。もう一人はビーズの首かざりを奪った。三人目は派手な腰巻きをはぎ取り、四人目はシルクハットを自分の頭にのせたまま返さなかった。最後に、連中の一人が三年間の労働の報酬である彼の衣装箱を抱え上げて、船に横づけしていたカヌーに放り投げた。「あいつはお前の仲間なのか?」と、船長が略奪している連中を指さし、出稼ぎ男にたずねた。「いや、ちがう」という返事。「じゃあ、なんでこんなところであの箱を下ろさせるんだ?」と、船長は憤然として言った。出稼ぎ男は「わたし、あいつに話しかけ、ボッキスをとるなというと、あいつ、わたしに怒る」と言った。つまり、そんなことをしたら、もう一人の男が自分を殺す、というのだ。クロスは、洪水を発生させた神は人間に対してクロスして(怒って)いた、という風に使う。

スナーク号の航海 (84) - ジャック・ロンドン著

第十六章

ピジン語*1

白人の交易商人の数が多いこととエリアが広いこと、原住民の言語や方言が二十以上もあるということになれば、交易商人たちは、まったく新しい、科学的とはいえないものの、完全に実用に適した言葉を作り出す。そうやって実際に作り出された言葉の例が、ブリティッシュ・コロンビアやアラスカ、北米のノースウェスト地域で使われているチヌーク語だ。アフリカのクルメン族の言葉や極東のピジン英語、南太平洋西部のピジン語もそれに該当する。このピジン語というやつ、広い意味でピジン英語と呼ばれることが多いが、いわゆるピジン英語とははっきり違っている。どれくらい違っているかについては、中国語で伝統的な数に関係してピーシーを使うことがないという事実を指摘すれば十分だろう。

たとえば船長が現地人のボスを船室に呼ぶ必要があり、そのボスが甲板にいるとする。船長は中国人の接客係には、こう指示する。「ヘイ、ボーイ、ユー、ゴウトゥ、トップサイド、キャッチー、ワン・ピーシー・キング(おい、君、上まで行って大将をつかまえてきてくれ)」 接客係がニューヘブリディーズ諸島かソロモン諸島出身だったら、その指示はこうなる。「ヘイ、ユーフェラ、ボーイ、ゴウ、ルックン、アイ、ビロンギューアロングデッキ、ブリングン、ミーフェラ、ワン、ビッグフェラ、マースター、ビロング、ブラックマン(おい、そこの君、甲板まで探しに行って、この私のところに黒人の大将を連れてきてくれ)」

初期の開拓者たちの後にメラネシアを航海した最初の白人たち、ナマコ漁の漁師や白檀の売買商人、真珠取り、労働者を集めてまわる者たちがピジン語を発明したのだ。たとえば、ソロモン諸島では、二十もの言語や方言が話されている。交易商人たちがそうした方言を覚えようとしても無理である。というのも、行く先々で言葉が違うし、それが二十もあるのだ。共通の言語が必要だ――子供でもおぼえられる、単純で、実際に使う現地の連中のオツムの程度に合わせて語彙も制限された言語が。交易商人たちは理詰めでそういうものを案出したのではない。ピジン語は条件と状況の産物である。機能が組織に先行している。ピジン語が誕生する前から、まず統一されたメラネシアの言語の必要性があったのだ。ピジン語はまったく偶然の産物だった。しかも、言語は必要性から生まれるという事実に裏づけされたピジン語の由来は、エスペラント*2の信奉者にとっても大いに参考になるだろう。

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マライタ島の男

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マライタ島の美女

語彙が限定されるため、一つ一つの言葉には多くの意味が割り当てられることになる。ピジン語でフェラ(やつ)は、一人を指す場合もあるし、可能なあらゆる結びつきで使用されることもある。よく使われるもう一つの言葉は「ビロング(属する)」である。単独では使わない。すべて関係性において使用される。ほしいものは、別のものとの関係で示される。未発達の語彙では表現も素朴になる。雨が降り続くことは、レイン、ヒー、ストップ(雨、やめ)と表現される。サン、ヒー、カムアップ(日が昇る)は誤解の余地がないが、語句の構造自体は変えず、一万通りもの異なる意味を伝えられる。たとえば現地の人が君に、海に魚がいるのを知らせようとする場合、「フィッシュ、ヒー、ストップ(魚、いる)」と言うのだ。イザベル島での取引の最中に、ぼくはこの用法の利便性を悟った。ぼくはペアの大きな(三フィートもある)クラムシェルを二つ三つほしかったのだが、内部の肉は別にいらなかった。もっと小さいクラムの肉でクラムチャウダーを作りたかった。それで、ぼくの原住民への頼は最終的にはこうなった。「ユーフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ノーストップ、ヒーウォークアバウト。ユーフェラ、ブリング、ミーフェラ、スモールフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ストップ(君、クラム――食べ物、いらない、肉はよそに行く。君、持ってくる、ぼくに、小さいクラム――食べるやつ、いる)」

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ベラ・ラベラの男

カイカイとは、食い物、肉、食事を指すポリネシア語だ。だが、この言葉は白檀の交易商人によってメラネシアに持ちこまれたのか、ポリネシア人が西に流されて伝わったのかは、よくわからない。ウォークアバウト(歩きまわる)という表現は、ちょっと変わった使い方をされる。ソロモン諸島の船乗りにブームを扱うよう命じると、彼は「ザッツフェラ、ブーム、ヒー、ウォークアバウト、ツーマッチ(あいつ、ブーム、うごきまわる、ひどく)」と言うのだ。そしてその船乗りが海岸での自由を求めた場合、ウォークアバウトするのは自分だと述べるのだ。その船乗りが船酔いすると、彼は自分の状態について「ベリー、ビロング、ミー、ウォークアバウト、ツーマッチ(胃、オレの、むかむか、とても)」と説明するだろう。

訳注
*1: ピジン語(Bêche de Mer English)。Bêche de Merはフランス語でナマコを指す。ソロモン諸島付近はナマコの産地でもあるので、そう呼ばれる。
英語は世界のいたるところで話されているが、現地の言葉と組み合わされ、独特の方言として定着したものも多い。東南アジアから南太平洋にかけてのそれは特にピジン英語と呼ばれる。これは一説には中国語の business がなまってピジンと聞こえるためともされる。
たとえば、日本のテレビドラマで日本語のできる中国人という設定の登場人物が、語尾に「~あるね」という独特の表現を使ったりするが、こういう日本語はいわば「ピジン日本語」になる。その英語版がピジン英語だ。

*2: エスペラント。ポーランドの眼科医で言語学者のL.L.ザメンホフが世界共通の言語をめざして作った人工の言葉。文法は単純明快で、スナーク号の航海の二十年ほど前に発表されたばかりだった。二十一世紀の現代から見ると、なぜ当初予想されたように普及しなかったのかのヒントがここにあるかもしれない。つまり頭脳明晰な人が考え出した論理的で合理的な言語が必ずしも人間にとって現実に必要な言葉になるとは限らない、ということだ。