人生の名言・迷言 83 銀行の頭取になりたい者もいれば、銀行強盗をしたいと思う者もいる

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リチャード・フォード

リチャード・フォード(1944年~)は現代アメリカの作家です。

短編作家としてエスクワイアやニューヨーカーなどの雑誌に作品を発表し、長編四部作の第二作目『インデペンデンス・デイ』でピューリッツァー賞(フィクション部門)とフォークナー賞を史上初めてダブル受賞した米文壇の重鎮でもあります。

とはいうものの、日本での人気はいまいちですね。

この言葉は2012年に発表された長編小説『カナダ』(邦訳なし)の一節です。

この小説では、のっけから「まず、両親がやった銀行強盗の話をしよう。それから、その後に起こった殺人についても」という主人公の回想からはじまり、事件後、一家の友人の世話で施設送りをまぬがれた少年のカナダでの生活が描かれます。

両親が銀行強盗をやって逮捕され、双子の姉は失踪し、家族でただ一人取り残された少年が主人公の物語です。

十五歳にして犯罪者の家族という境遇に置かれた少年の追憶と、異国の地での生活と成長、家族の絆、、、

作者がこの作品を構想してから完成までに二十年かかったそうです。作品に対する評価も高いのですが、日本ではまだ邦訳は出ていません。

人生の名言・迷言:82 医術の道は長く、人生は短い ヒポクラテス

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ヒポクラテス

ヒポクラテス(紀元前460年~370年頃)は古代ギリシャの医師で、医学の父とも呼ばれる存在です。

医の倫理を説いた「ヒポクラテスの誓い」は医学生でなくても広く知られていますが、現代化されて世界医師会のジュネーブ宣言(1948年)にも反映されています。

看護学校で行われる戴帽式のナイチンゲール誓詞も、医師向けのピポクラテスの誓いを元にした看護師の心得になっています。

原文はラテン語で “ars longa, vita brevis” です。

この言葉は、そのまま、夏目漱石の『心』の表紙裏に朱印として押されています。

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人生の名言・迷言 81 この種の女性は、相手の男が自分を愛していると確信すると、もうその男には何の用もなくなる

バートランド・ラッセル

 

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イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872年~1970年)の幸福論の一節です。

この種の女性というのは「金持ちの社交界の女性」です。

日本では社交界の存在は想像しにくいので、現代でいうと、芸能界で成功している女優さんやモデルさんでしょうか。

この一節は、「何が人々を不幸にするのか」の章の、そうした原因の一つとしてナルシシズムを論じたくだりで、ナルシシズムは人間にとって自然なことだが、「度がすぎると愛情を感じる能力が枯渇(こかつ)して」不幸になる、と説いています。

似た傾向は男にもあるとも述べています。

こうしたことは、ナルシシズムや恋愛に限らず、程度の差はあれ、実生活では誰にでもありがちですね。

たとえば、ほしいと熱望していたものが手に入ったとたんに興味がなくなるということは、子供のオモチャから大人のコレクションや略奪愛にいたるまで、ごく普通にあります。

虚栄心や誇大妄想なども人間には自然なものですが、ラッセルはそれが「度をこす」と純粋に楽しめなくなり、無気力と退屈を生じさせる──それが人生の唯一の目的になってしまうと内的な災いをもたらす……つまり、不幸になると述べています。

では、どうすればそうした不幸から逃れられるのでしょうか?

恐怖、ねたみ、罪の意識、自己憐憫など、意識や欲望が自分自身に集中していることが原因なので、興味の対象を外界に向けることにより、自分ではない外的なものに対する本物の客観的な興味がわいてくる──それにつれて不幸ではなくなっていく……というのですが、はたしてどうでしょうか。

よい友人、よい本、そして少し寝とぼけた良心: これが理想の生活だ

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よい友人、よい本、そして少し寝とぼけた良心: これが理想の生活だ

マーク・トウェイン

『トム・ソーヤの冒険』などの作品で知られるマーク・トウェイン(1835年~1910年)は、現代アメリカ文学の父ともいうべき存在です。

ウィリアム・フォークナーはマーク・トウェインを「最初の真のアメリカ人作家」と述べ、同じくアーネスト・ヘミングウェイは「アメリカの現代文学はマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』にはじまる」とも述べています。両者ともノーベル文学賞を受賞したアメリカを代表する作家です。

マーク・トウェインは父親が負債を残して死亡したため、兄の新聞事業を手伝った後、印刷工やミシシッピ川を航行する蒸気船の水先人見習、水先人、南北戦争従軍、複数の新聞の記者などを経て作家になりました。

ちなみに、マーク・トウェインという筆名は、蒸気船が航行可能な水深を示す二尋(ふたひろ、「バイ・ザ・マーク、トウェイン」、約3.6m)から来ています。

ベストセラーを連発する売れっ子作家でありながら、浪費や投資の失敗、株式投機などで破産しましたが、また借金返済のため講演旅行で世界中を飛びまわって全額を返済したりと、行き当たりばったりで、ほらを吹き、ユーモアにあふれている一方で、意固地で人の悪口を言い出したら止まらないという、なんとも小さな枠には入りきれない複雑な人物です。

そういうことを背景に考えると「少し寝とぼけた良心」は腑(ふ)に落ちますね。

ちなみにマーク・トウェインと『あしながおじさん』の作者ジーン・ウェブスターとは親戚同士(姪の娘)です。

人生の名言・迷言 78: 今日好きだったものを明日は憎むようになり、今日さがし求めていたものを明日は避けようになる。今日望んだことは明日の恐怖となる。

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ロビンソン・クルーソー/ダニエル・デフォー

無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが、住むところを確保し食用となる植物を育て、無人島でも十分生きていけると自信を持ち始めたところで、砂浜に人の足跡を見つけて驚愕(きょうがく)し、それまでの生活が一変する──という場面の心の動きです。

それまでの生活が、ある出来事をきっかけにして、価値観を含めて一変してしまう──今風にいうと、パラダイム・シフトでしょうか──こういうことは、個人にとっても社会にとっても、いつどこで起きるのか、それにどう対処するかについて判断がむずかしいものの一つですね。

現在の新型コロナウイルスの世界的なまん延もそれに近いものかもしれません。

ところで、ロビンソン・クルーソーの無人島漂流譚(ひょうりゅうたん)は、セルカークという実在する船乗りの救助と帰国のニュースを耳にしたダニエル・デフォーが、ノンフィクションの手記という体裁をとりつつ匿名で発表したものだということは広く知られています。

セルカークはスコットランドの船乗りで、南米チリの沖合数百キロの南太平洋にあるファン・フェルナンデス諸島に置き去りにされた後、四年四カ月後に水の補給のため立ち寄った船に救助されました。

それがロビンソン・クルーソーのモデルというわけですが、この話は古くから知られていて、今から百年以上前に限りなく廃船に近い漁船をもらって自力でヨットに改造したスプレー号で史上初の単独世界一周をなしとげたジョシュア・スローカムも、ロビンソン・クルーソーに敬意を表して、世界一周の途中でファン・フェルナンデス島に寄港しています。

また、チリ政府は1966年、ファン・フェルナンデス諸島でセルカークが暮らしていた一番大きな島をロビンソン・クルーソー島とし、その近くの小島をセルカーク島と命名(改名)しています。

そうした事実は「知る人ぞ知る」状態でしたが、日本で広く一般的になったのは、探検家(?)の高橋大輔さんがロビンソン・クルーソー島で住居跡を探した経緯がテレビ放送されたり、関係本(『ロビンソン・クルーソーを探して』)が出版されたりしたことからでしょうか。

とはいえ、現在では、セルカークとロビンソン・クルーソーを同一視する風潮に対し、文学の何たるかを理解していないという批判的な見方が一般的となっているのも事実です。

というのは、文学作品とモデルとされる実在の人物との関係はなかなかに微妙で奥が深く、そう単純に割り切れない「古くて新しい問題」でもあるからです。

ロビンソン・クルーソーとセルカークについて言えば、具体的には、外面的な違いとして、セルカークが無人島で暮らしたのは四年四カ月にすぎませんが、ロビンソン・クルーソーは二十八年の長きにわたります。

しかもこの無人島は南太平洋にあるのですが、南米大陸の反対側の、オリノコ川河口(大西洋側)へと移されています。

これは、フライデーや「食人種」が大陸からたびたび島を訪れていたという物語後半の山場となる設定が大陸から七百キロも離れた絶海の島では無理だったためでしょうね。

さらに、内面的なものとして、そもそもの無人島漂着のきっかけが乗っていた船の難破(ロビンソン・クルーソー)と、私掠船(しりゃくせん、国家公認の海賊)における内輪もめによる置き去り(セルカーク)というように、原因がまったく異なるのに加えて、ロビンソン・クルーソーは刊行された十八世紀当時の、市民階級の勃興を背景にした、作者デフォーの人生観や世界観が色濃く反映した物語でもあるからです。

つまり、実在の「人妻の自殺」に想を得て書かれた名作『ボヴァリー夫人』が風紀紊乱(ふうきびんらん)の嫌疑で裁判にかけられたとき、著者のフローベルがボヴァリー夫人は私だ」と言ったとされるのと同じで、登場人物には作者自身の想いや感情が投影されているためでもあります。

ちなみに、ロビンソン・クルーソーの原題は「船が難破して自分以外の全員が犠牲となったものの自分は岸辺に投げ出され、アメリカ大陸の浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後に奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な驚くべき冒険」です。

人生の名言・迷言 77 一日が充実していればぐっすり眠れるように、人生が充実していれば納得して死ねる レオナルド・ダ・ヴィンチ

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一日が充実していればぐっすり眠れるように、人生が充実していれば納得して死ねる。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)は、いうまでもなく、ルネサンス期の万能の天才です。

フィレンツェ郊外のヴィンチ村出身のレオナルドは、日本でいえば室町時代、応仁の乱の頃に活躍した画家・芸術家です。

『モナリザ』や『最後の晩餐』などの名画を描く一方、膨大な手稿も残しており、飛行装置や戦車の設計を考えたり、解剖学や土木工学でも最先端の知識や設計技術を持っていたことでも知られています。

フランス国王だったフランソワ一世は、ダ・ヴィンチの死後、「かつてこの世にレオナルドほど優れた人物がいただろうか。絵画、彫刻、建築のみならず、この上なく傑出した哲学者でもあった」と語ったそうです。

七十年たらずの生涯に普通の人間が一生かかっても達成できない業績を数多くの分野でなしとげたレオナルド・ダ・ヴィンチの真似はできないとしても、世間の評価とは別に、自分なりに充実した毎日を送るよう心がけることで、後ろ髪をひかれるような後悔のタネが少なくなっていくことは間違いないでしょうね。

人生の名言・迷言 76 人生は10パーセントは自分で作るが、90パーセントはそれをどう受けとめるかだ。

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人生は10パーセントは自分で作るが、90パーセントはそれをどう受け止めるかだ。

アーヴィン・バーリン

アーヴィン・バーリン(1888年~1989年)はアメリカの作曲家であり、作詞もしています。

ラプソディ・イン・ブルーなどで知られるガーシュインが「アメリカのシューベルト」と呼んだほど人気と実力に恵まれ、第二の国家とも呼ばれることがある「ゴッド・ブレス・アメリカ」や名曲「ホワイトクリスマス」、「ショーほどすてきな商売はない」などのヒット曲をはじめ、クラシックからジャズやポップミュージックまで多彩な曲をてがけています。

ロシア帝国時代のベラルーシ生まれで、五歳のときにアメリカに家族と共に移住し、新聞配達や靴磨きなどをしながら独学で音楽を学びました。

自分で歌うための作曲から、ミュージカルや映画音楽の作曲まで、幅広く手がけています。

アーヴィン・バーリンは正式な音楽教育を受けていなかったため、楽譜の読み書きができず、自分でピアノで弾いたメロディーを専門家に採譜してもらっていたそうです。

彼はこうも述べています。

われわれの考え方が自分の人生をコントロールしている。よかれあしかれ、その人の考え方が一日二十四時間休まず働いているする秘められたパワーになる。この偉大な力をどう生かし、どうコントロールするかが最も重要だ。

人生の名言・迷言 75: 善人はこの世で多くの害をなすが、その最大のものは、人間を善人と悪人にわけることだ

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善人はこの世で多くの害をなすが、その最大のものは、人間を善人と悪人に分けることだ。

オスカー・ワイルド

オスカー・ワイルド(1854年〜1900年)はアイルランド・ダブリン出身の詩人、作家、劇作家です。

フランス語で執筆した戯曲『サロメ』や、若さや美と人間の業や老醜とを極限まで突き詰めた長編小説『ドリアン・グレイの肖像』などの作品があります。

オックスフォード大学在学中に詩を発表し、首席で卒業した後、芸術家きどりの派手な言動と何かと物議をかもす恋愛沙汰で、ある意味、スキャンダルまみれの時代の寵児ともなりましたが、四十そこそこで猥褻(わいせつ)罪で投獄された挙句(あげく)に破産しました。

服役して出所して以降、世間からは忘れ去られた存在で、妻の死に目にも会えず、放浪中のパリで性病(梅毒)による脳髄膜炎により、四十六歳の若すぎる生涯を閉じました。

オスカー・ワイルドといえば耽美主義の化身のような生き方をした人で、谷崎潤一郎など日本の作家にも大きな影響を与えましたが、晩年は完全に世間から見放されていました。

善悪で人を分類することに対する反発は、こうした実体験に裏付けられているのでしょう。

この言葉には続きがあり、「人間なんて、魅力があるか退屈なやつかのいずれかだ」と述べています。

人間を魅力的か退屈な凡人かに分類するとすれば、本人は自分は当然に前者だと思っていたはずです。

人生の名言・迷言 74:現状に満足するな、人の目を気にするな。スティーブ・ジョブズ

現状に満足するな。人の目を気にするな。

スティーブ・ジョブズ

スティーブ・ジョブズ(1955年~2011年)は、言わずと知れたアップル社の生みの親です。

マックもアイフォーンもアイパッドも、ジョブズがいなければ生まれていませんでした。

IT起業家として大成功をおさめたスティーブ・ジョブズですが、生まれた直後に養子に出され、やっと入学した小さな大学は中退し、ゼロから創業して成功したアップル社からは追放され、新たに創業した企業が成功してアップル社のトップに復帰したと思ったら、余命数ヶ月のガンを宣告され、奇跡的に手術に成功、、、と、

その人生は誰もがうらやましがる経済的成功を実現する一方、浮き沈みも多く、ある意味、波乱万丈ともいえる生涯でした。

ガン宣告をくぐりぬけた後の2005年、名門スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチは、現代で最も印象的なスピーチの一つとされています。

その最後で卒業生に向けていった言葉が “Stay hungry. Stay foolish.”なのです。

全地球カタログという、スティーブ・ジョブズが若いころのカウンターカルチャー雑誌に掲載されていた言葉で、スティーブ・ジョブズはこれを座右の銘にしていたそうです。

直訳すると「ずっとハングリーでいろ」「ずっと愚か者でいろ」となります。

「なんのこっちゃ?」ですね。

これはかつて東大総長が卒業式で言ったとされる「太ったブタより、やせたソクラテスになれ」と共通する言葉でもあります。

この東大総長の言葉は、十九世紀イギリスの哲学者で経済思想家のジョン・スチュアート・ミルの「功利主義論」の一節をもじったものです。

ミルは「満足したブタより不満足な人間である方がよい。満足した愚か者より不満足なソクラテスの方がよい」と述べて、その後に「なぜなら、ブタや愚か者は自分の側の立場からしか見ないからだ」と続きます。

そういうことを前提に、自分のおかれた状況に満足して小さくまとまるのではなく、ハングリー精神を持ち、「現状に満足するな」、人に愚かだと思われるようなことでも自分が本当にやりたければ「人の目を気にせず」にやってみろという意味に訳してみました。

スティーブ・ジョブズのスピーチは動画サイトにいくつもアップされていますが、ここでは正式な登録チャンネルの英語字幕付きのものを紹介しておきます。

日本語訳は「スティーブ・ジョブズ」「スタンフォード」で検索すれば、たくさん出てきます。
出版に関係する者としては著作権の有無を確認できないものは紹介できませんので、自分で調べてください。