立ち読み:『ヨーロッパをカヌーで旅する』ジョン・マクレガー著
『ヨーロッパをカヌーで旅する』
ジョン・マクレガー著/明瀬和弘訳
刊行日:2024年10月05日
ISBN:978-4-908086-20-5
電子書籍版(定価500円)
紙書籍(定価2,420円、四六版、320ページ)
ヨーロッパをカヌーで旅する
ジョン・マクレガー著
明瀬和弘訳
マクレガーの川旅のコースについて
ジョン・マクレガーの今回の航海はライン川とドナウ川、スイスの湖が中心になっています。
この両大河にはおびただしい数の支流がそそぎこみ、また、それらをつなぐ運河も数多くあります。鉄道や荷馬車で移動した地域もあり、出発地のイギリス・テムズ川や終着点のフランス・セーヌ川を含めて、とても小さな地図には表現しきれません。
詳しいルートについては本文でお確かめください。
はじめに
ジョン・マクレガー(一八二五年~一八九二年)は、旅をする手段としてのカヌー/カヤック*の価値を認めて世に広めた、現代のツーリングカヌーの生みの親ともいうべき人物です。
彼の使用したカヌーはロブロイ・カヌーと呼ばれ、帆走も可能でした。
彼自身が設計し提唱した、当時としてはまったく斬新な乗り物で、しかもそれを使って実際に自分で母国の英国のみならず、広くヨーロッパや中東の川を旅して耐候性や実用性を証明しています。
ロブロイ・カヌーは驚くほど完成度が高く、二十一世紀の現代のカヌー/カヤックと比べても、素材が木からプラスチックやFRPに変わっただけで、ほぼ同等の基本性能を備えています**。
彼はカヌーで旅をしながら、スケッチをし、カヌーの運搬をめぐって鉄道会社との駆け引きに興じ、それを率直に航海日誌につづり、さらに地元の新聞の取材を受けたり、現地の人々と交流したりしています。
カヌーによる川下りを日本で広めた最大の功労者はいうまでもなく野田知佑(のだともすけ)(一九三八年~二〇二二年)ですが、古典となった名著『日本の川を旅する』をはじめとして、彼の著作に影響されてアウトドアやカヤッキングにのめり込んだ若者や中高年も日本には多いですね。ジョン・マクレガーはヨーロッパにおけるそういう存在、その元祖ともいうべき人物だったわけです。
ライン川のような大河は複数の国をまたいで流れ、無数といえるほどの支流があります。日本最長の信濃川(しなのがわ)が上流域(長野県)では千曲川(ちくまがわ)と呼ばれ、さらに同じ水系でありながら犀川(さいかわ)や梓川(あずさがわ)とも呼ばれるように、それぞれに異なる名前がついていたりします。
ヨーロッパでは川と川をつなぐ運河も発達し、ロックと呼ばれる仕組みを利用した水運・水路網も発達しています。平野から山岳地帯に高度をあげて向かうことが可能だったりもします。
ジョン・マクレガーのカヌーによる航海記は、イギリスのみならず広く欧米を含むベストセラーとなり、自分で操船するカヌーという、まったく新しい旅の方法に欧米の若者たちは熱狂し、それに追随する者が続出しました。
後年に『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの世界的ベストセラー作家となる若き日のスティーヴンソンもその一人で、無名の作家志望だった二十代の頃にロブロイ・カヌーを手に入れて、実際にヨーロッパの川を旅しているほどです***。
ジョン・マクレガーは、ドナウ川の源流からの川下りをめざすなど、未知のルートを探る開拓者であり、冒険者、旅行作家でもあり、コミカルだったり自虐的(じぎやくてき)だったりするスケッチを描くイラストレーターであったりもしました。
今なら、アクションカメラを帽子に取りつけて激流を下り、その様子を撮影した動画をSNSで配信していたかもしれません。
ロブロイ・カヌーは、動物の皮を利用した北米原住民(イヌイット)の狩りのためのカヤックを参考にしつつも、カヌー競技などとはまったく異なる、自分の手と足を使って旅をする醍醐味(だいごみ)や冒険の壮快さを教えてくれる旅、その手段となる乗り物だといえます。
* * * * * *
著者のジョン・マクレガーは自設計のカヌーによる航海を行う一方、ロンドンの法廷弁護士として活動し、キリスト教に基づく貧者救済のフィランソロピスト(社会奉仕活動家)としての側面も持っていました。
当時のベストセラーとなったロブロイ・カヌーによる航海記の印税は難破船の海員協会と王立救命艇協会に寄付されています。
*カヌーとカヤックの違い 一般に、カナディアンカヌーのようなオープンデッキでシングルパドルで漕(こ)ぐものをカヌー、上面がデッキで覆(おお)われていて中央の穴から上体だけ出してダブルパドルで漕(こ)ぐものをカヤックと呼びます。 とはいえ、オリンピックの競技カヌーはデッキがありダブルパドルで漕(こ)ぐのにカヌーと呼ばれているように、進行方向に背を向ける手こぎのボートと区別し、前を向いて漕(こ)ぐ小さなボートの総称として(広義の)カヌーという言葉が使われたりもしています。
**ジョン・マクレガーが実際に使用したロブロイ・カヌーについては、現物が現存しており、英国のカヌー&ローイング・ミュージアムに保存されています(巻末にURLを掲載)。
***若きスティーヴンソンのカヌーによる旅 『旅は驢馬(ろば)をつれて 他一篇』(吉田健一訳の岩波文庫に「内地の船旅」と題して所収 現在絶版)。新訳として『スティーヴンソンの欧州カヌー紀行』(明瀬和弘訳、エイティエル出版)がある。
第一章
カヌーイスト――他の方法――ロブロイ――ハンドブック――ヒント――服装――役割
ある日のこと、ぼくは列車の事故で客車の座席の下に投げ出され、ちぎれた電信線にからまってしまった。そのためライフル射撃(しやげき)をやろうとすると手が震(ふる)えるようになった。遠く離れたところにいる雄牛の目を狙(ねら)うのは無理になったわけだ。
で、ぼくとしては、また少年の頃のように水辺の生活に戻ろうと、ベッドでカヌーを使った新しい航海を夢みたり、どういうタイプのカヌーにしようかとわくわくしながら計画を練(ね)ったりしたのだった。
川を利用する内陸の旅で、手こぎボートが役に立たないのははっきりしている。
なぜか?
舟旅に絶好の川でも、自然の河川というものはオールで漕(こ)ぐには川幅が狭すぎたり、逆に、川幅は十分に広いものの水深が浅すぎたりするからだ。
まがりくねっていたり、岩や瀬があったりするし、水草や水没した木、水車用の堰(せき)や障害物も存在している。倒木や急流もあれば、渦(うず)をまいているところもある。山間部を縫(ぬ)ってくねくねと流れている川には、必ずといっていいくらい滝があったりもする。
そういう場所は野性味たっぷりで、とても手こぎボートで近づけるようなところではない。また三角波で水びたしになったり、肉眼で見てもわからない水面下に隠れている岩でひっくり返ることもある。
ところが、オールを使った手こぎボートを悩ますこうした状況そのものが、逆にカヌーに乗った旅人(たびびと)にとってはうれしい刺激になってくれるのだ。
カヌーでは、漕(こ)ぎ手は後ろではなく前方を見ている。自分がたどるコースや両岸の景色もすべて目に入る。障害物があっても、パドルをひとかきすれば脇をすり抜けていくことができる。狭い場所でもこまかく位置を調整できるし、アシや水草が生い茂っていたり木の枝や草がたれ下がっていても楽に通り抜けることができる。
体を動かさず、帆を張って進むことだってできる*。
*ジョン・マクレガーのカヌーはロブロイと命名された木製のカヤックで、マストを立てれば帆走も可能なセーリング仕様にもなっていた。
川底につかえたとしても、パドルで押しながら進めるし、あぶないところでは用心してカヌーから降りたっていい。浅瀬ではカヌーを引きながら徒渉(としよう)し、草原や生け垣、堤(つつみ)や障害物や壁があっても、乾いた土の上を引きずって進むことだってできる。ハシゴや階段では、手で押し上げればよい。高い山々や広大な平原では、カヌーを荷車にのせて自分で引いたり馬や牛に引かせたりして乗りこえることも可能だ。
こうしたことすべてに加えて、船の甲板のように上面をおおうデッキもついているので、デッキ自体がない無蓋(むがい)の手こぎボートなどよりはるかに耐航性がある。
深くよどんだ場所でも、水門でも、水車用の水路でも、平気で乗り入れることができる。大海原の激しく寄せる磯波や川の急流でも、水はデッキの上を流れていき、カヌーの内側はいつも乾いている。
また、カヌーは座る位置が低く、体を移動させるためにオールから手を離す必要もないので、手こぎボートよりも安全だ。
何日も、あるいは何週間もの間ずっと自力で漕(こ)いで移動し続けるということについても、それが長時間になっても、カヌーには背もたれがあるので問題はない。
パドルを膝(ひざ)にのせたまま肘(ひじ)かけイスに座っているようにくつろぐことができる。
そうやって流れや風に身をまかせながら周囲を見まわしたり、読書や食事をしたり、スケッチしたり、土手からこっちを眺(なが)めている人たちとおしゃべりしたりすることだってできてしまう。それでいて、とっさのときには両手でパドルを握ればすぐに対応できるのだ。
最後に、帆を日よけや雨よけ代わりに用いてカヌー内部で足をのばして横になることもできる。
夜はデッキをおおっているカバーの下で眠れる。ベッドの代わりとしても、偉大なウェリントン公*も満足するくらいのスペースはある。しばらく水辺はいいやという気分になったときは、カヌーから離れて宿屋に泊まればよいし、そうすれば、馬のように「下を向いて食べる」こともない。また、カヌーを自宅に送り返したり売り払ったりして旅を続け、一等車の快適なクッションにもたれて世界を見てまわることだってできる。
*ウェエリントン公 イギリスの公爵。フランスとのナポレオン戦争における英雄。
とはいえ、こんな風にカヌーの旅を礼賛(らいさん)していると、当然ながら「それって、別の方法で旅をした上での話なのか?」「いろんな楽しみがあっていいんじゃないか?」「氷河や火山に登ったことはあるのか?」「洞穴(ほらあな)や地下の墓地に入ったことはあるのか?」「ノルウェーで幌(ほろ)のない馬車に乗ったり、アラブで馬に乗ってのんびり散歩したり、ロシアの平原を疾駆(しつく)したりした経験はあるのか?」「ナイル川の船旅やトリニティ・カレッジでのボート競争、アメリカの蒸気船、エーゲ海の帆船、そり滑りやヨットでのセーリング、ラントン型*の自転車――そういうのを自分で経験した上でそう言っているのか?」と疑問があびせられるだろう。
*ラントン型自転車 前輪が小さく、大きな後輪が2個ついている三輪自転車。一八六三年にイギリスで発明された。明治維新(一八六八年)の頃には早くも日本に輸入されたという記録がある。
なお、現代の自転車の前身としてよくイメージされるペダル付きの巨大な前輪と小さな後輪というタイプのものはミショー型と呼ばれ、フランスで発明された。
そうした質問に対する返事はすべて「イエス」だ。
実際に速かったり遅かったりする他のいろんな移動手段を十二分に経験し楽しんだ上で、あえてそう言っているのだよ、ぼくは。
ヨーロッパやアジア、アフリカ、アメリカでカヌーを実際に使ってみて、やっぱりパドルを漕(こ)いで旅をするのが、すべてにおいて最高だとわかったからね。
カヌーの旅には前述したような長所があり、今回の川旅は天気や健康にも恵まれていたので、本当に楽しかった。
本書で紹介するのは、そういったカヌーを使った旅の最初のものだが、ぼくの他にも多くの人々がすでにカヌーを体験している。ロイヤル・カヌー・クラブが刊行している「カヌーイスト」誌には、そういう人々のリストが掲載されている。このクラブの会長は英国皇太子で、世界中に六百名もの会員がいるんだ!
ぼくが名づけたロブロイ・カヌー*はオーク材で作ってあるが、デッキ部分にはヒマラヤスギを使った。大きさはドイツの鉄道の貨物車に搭載できるサイズに抑えた。つまり、全長十五フィート(約四・五メートル)、幅二十八インチ(約七十一センチ)、高さ九インチ(約二十三センチ)で、重さは八十ポンド(約三十六キロ)だ。
*ロブロイはロバート・ロイの略称。ジョン・マクレガー自身が故郷スコットランドの英雄ロバート・ロイ・マグレガー(こちらはマグレガーとにごる)にちなんで名づけたとされる。
今回の旅は三カ月ほどかかったが、それに必要な荷物は、縦横三十センチで深さ十五センチの黒い袋一個にまとめた。
パドルは長さ七フィート(約二・一メートル)で、両端に水をかくブレードがついている。帆走用の帆は四角形の縦帆(ラグセイル)と三角形の前帆(ジブ)の二枚。装飾といえるのは、絹製のきれいなブルーの英国国旗だけだ。
この小さなカヌー1を手に入れた後も、これでどこへ行けるのか、どの川を漕(こ)ぐことができるのか、景色がきれいなところはどこなのかを調べたのだが、けっこう大変だった。
というのも、ロンドンでヨーロッパ大陸の川について調べてまわったのだが、ろくな成果はなかったからだ。
[原注1] 今回の航海を終えた後、筆者はもっと短くて幅も狭いロブロイ・カヌーの改良型を作った(名称は同じくロブロイ)。そのカヌーでスウェーデンやノルウェー、デンマーク、ドイツのホルシュタイン地方や各地の河川を航海した。
その旅の記録は『バルト海をカヌーで旅する(“The Rob Roy on the Baltic”)』(未訳)にまとめてある。
こうしたカヌーの改良点についても、木版画の挿絵(さしえ)とあわせて、その本で説明しておいた。
三隻目のカヌーでは、六カ月間の航海中、カヌーの内側にもぐりこんで眠れるようにしたが、それについての詳しい説明は『ヨルダン、ナイル、紅海、ゲネサレをカヌーで旅する(“The Rob Roy on the Jordan, Nile, Red Sea, and Gennesareth”)』(未訳)に書いた。
これはパレスチナやエジプト、さらにダマスカスの河川や海でカヌーを漕(こ)いだ旅の記録だ。
四隻目のカヌーは、オランダのゾイデル海や周辺の島々、フリースラントの海岸で使用した。一番新しいロブロイ・カヌー(七隻目)は、スコットランドの北にあるシェットランド諸島やオークニー諸島、それにスコットランドの湖で漕(こ)いでみた。
パリのボート・クラブでさえ、自分の国、つまりフランスの川のことについては何も知らなかった。むろん連中はライン川のことは知っている。が、それはそこがドイツとの国境だというだけのことで、ライン川から先のこととなると、まるでわからなかった。ぼくの旅は未知の発見をする航海になるはずだ。
だから、この旅が休暇をカヌーに乗ってすごそうという多くの人々にとってのよい刺激になればと思うのと同時に、似たようなカヌーの旅をする人が遭遇するであろうトラブルを減らすことにつながれば、とも願っている2。
[原注2] ドイツやオーストリアの最良の地図にも誤りがあった。川ぞいにあるとされた村を、ぼくは一マイルも離れた森の中で見つけたりした。自分のボートから離れて遠くへ行くことはしないと決意した者には(つまり、ぼくのことだ。立派な決心だろ?)役に立たなかった。
とはいえ、何も川下りの「ハンドブック」を作ろうってわけじゃない。
楽しいことをしようという意欲に満ちあふれている人には、ちゃんと地図に載(の)っている川や水路図誌が整備された運河だけを旅する――というようなありきたりのことからは、いずれ足が遠のくんじゃないだろうか。
たとえば、夏の過酷(かこく)な荒野(こうや)でも快適にすごせる装備を持った自由きままな旅人が『モーゼル川上流域案内図』みたいな、こと細かにびっしり書きこまれた案内書に黙々(もくもく)と従う様子を想像できるかい? 実際に、あるガイドブックを引用してみよう。
《一、右に曲がり、小川を渡り、幅が広く急な森の小道をアルバースバッハの集落まで登る(約四〇分)。集落は緑濃い草原にある。五分もすると十字路に着く。そこからは「○○」に通じる道を進むこと。一○分で低地にある「○○」に着く。そこに製粉工場がある。さらに一○分進み、「○○」へのゲートを抜けると、三分で「○○」に至(いた)る踏(ふ)み分(わ)け道になる。それはガシュペルの庭に通じている。十五分もすると、森へと続く砂利道は登りになる。》
(ライン川の某ガイドブック、九四ページより)
むろん、この手のガイドブックをバカにして笑うつもりはない。旅人(たびびと)にとってしっかりした道案内として有益だし、旅行記を書くような人の役に立つこともあるだろう。
旅をはじめたばかりのころは、すべてを支障(ししよう)なく楽に行いたいと思うはずだ。
荷物を蒸気船(じようきせん)や汽車(きしや)で運搬(うんぱん)し、母国イギリスからの客が多いホテルに宿泊し、馬に乗ったり歩いたり、自分が何を食べたいか何を見たいか何をしたいのかをよく知っている人々と一緒に団体で旅行しようとすれば、こういった種類のガイドブックは必須(ひつす)だし、すごく親切でもある。
長い間ずっと観光地から観光地へという団体旅行を繰り返し、それだけで十分に楽しいという人がいるのは否定しない。それはそれでよいと思う。
もう一歩踏みこんだ旅がしたいと思う人々は、ブラッドショー版の複雑な鉄道時刻表を眺(なが)めながら旅のプランを練(ね)り、大型スーツケースやバッグに帽子を入れる箱やステッキを持参し、お仕着(しき)せではない旅を楽しむだろう。
とはいえ、海外で夜汽車(よぎしや)で到着となると、あれこれ手配する必要がある。知らない町で、どのバスに乗るかも決めなければならない。ほっとできるのはホテルの寝室にたどり着いたときで、ため息まじりに「やれやれ、どうやら無事に着いたぞ!」と叫ぶことになる。
山々や洞窟(どうくつ)、教会や美術館、廃墟(はいきよ)や戦場をたっぷり見てまわり、経験を重ね、いろんなことを学んでくると、旅では、楽しみよりも心配が先に立つようになる。また、以前に駆け足でながめてまわった国々の自然の景観やその地の人々の生活をもっと知りたいと思ったりするようにもなる。
ヨーロッパ大陸の大小の河川は、イギリスの旅行者にはほとんど知られていない。その美しさや流域の生活すべてをきちんと見てまわった人もいない。
ガイドブックをなぞって町から町へと移動する旅で、旅行者は多くの河川を渡り、水辺の景色に感嘆したりもしているが、それきり忘れてしまう。
また蒸気船(じようきせん)に乗って夕方まで堂々とした大河を下ったり、川沿いに走っている鉄道に揺られ、汽笛(きてき)を聴きながらトンネルとトンネルの間で愛らしい川をちらっと眺(なが)めたりすることもある。が、そういうものはすぐに通りすぎてしまう。
豊かで美しい風景は、旅行者とは関係なく、そこに存在している。新鮮で宝石のような生活や人々が、訪れてくれる人々を待っている。
だが、そういうところは地図に描かれていない。ラベルもなければ、ハンドブックにも掲載(けいさい)されていない。そういう宝と出会う喜びは、そのためにエネルギーをついやす勇気を持つ旅行者のみに与えられるのだ。
ぼくは、そうした旅人として、荷物をまとめ、この新しい水辺の世界を旅することにした。この三つすべてがそろってはじめて「人間とその苦闘の物語」*になるはずだから。
*人間とその苦闘の物語 ローマ時代のラテン語の詩人ウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』の一節をもじったもの
ところで、服装について説明しておこう。
今回の旅でのぼくの服装といえば、カヌーに乗っているときは、灰色のフランネル地のスーツを着ていた。また、それとは別に買い物や日曜の外出に着られるような普通の軽装の服も持っていった。
フランネル地のノーフォーク・ジャケットというのは、ブラウスのようなゆったりとしたフロックコートで、肩にトレンチコートのような耐久性を高める当て布のヨーク、腰にはベルトがついていて、ポケットが六個もある3。
[原注3] 二度目、三度目、四度目の航海にも、これと同じ服装で出かけたが、ボタンがとれることすら一度もなかった。
このすばらしい新流行のコートのポケットそれぞれに何か品物を入れ、ケンブリッジの麦わら帽子、キャンバス生地の渡渉靴(としようぐつ)、青い眼鏡(めがね)、防水のオーバーコートを用意した。加えて、日よけの代用にもなる予備の前帆(ジブ)があれば、雨でも晴れでも、深みでも浅瀬でも、空腹でも退屈していても、きっと旅の一日を存分に楽しむことができるだろう。
一日のイメージとしては、まず四時間ほど漕(こ)ぎ、休憩したり流れにまかせて漂(ただよ)ったり、本を読んだり帆走したりする。その後でまた三時間まじめに漕(こ)ぐ。それから、川で泳いだり宿屋で入浴して着替えたり、散歩を楽しむ。そうやって夕方にはまた気分を一新し、うまい食事に舌鼓(したつづみ)をうちながらバカ話で盛り上がったり、本を読んだり、絵を描いたり、手紙を書いたりしてから寝る。
イギリスが選挙で盛り上がり、国会議員が座席を奪い合い、弁護士が忙しそうに駆(か)けずりまわり、ウインブルドンで最後の議席が決まる七月末には、旅の用意はすべて整(ととの)い、気温も十分に高くなっていた。さあ、ロブロイ・カヌーで旅に出るときだ。
第二章以下へ続く
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