スナーク号の航海(78) - ジャック・ロンドン著

ソロモン諸島ではよくあることだが、船上でのジョニーの仕事は、たばこと交換で、上陸用ボートの帆柱やメインスル、ジブを取り戻すことだった。その日も遅くなって、村長(むらおさ)のビリーが船にやってきて、マストとブームを返し、たばこを受け取った。こうした道具はヤンセン船長がミノタ号での前の航海で取り戻したボートの備品だった。この上陸用ボートはイザベル島のメリンゲ農園の所有物だった。十一人の契約労働者とマライタ島の男たち、森の住人たちが農園からの逃走をはかった時に盗んだものだ。連中は森の民だったので、海についても海に浮かぶボートについても何も知らなかった。それで海の民であるサン・クリストバルの出身者二人を誘い、一緒に逃げようと説得したのだ。サン・クリストバルの住人にとっても渡りに船だった。とはいえ、彼らはもっとよく知っておくべきだった。盗んだボートを無事にマライタまで導いてやったところで、用済みになった二人は殺された。ヤンセン船長が取り戻したボートと道具が、そのときのものなのだ。

ソロモン諸島まではるばる航海してきたというのに、いろんな問題があった。ついに、チャーミアンの誇り高き精神も失墜し、ほこりにまみれてしまった。それは、ランガランガの人工島の、家も見えない浜辺で起きた。ここで、ぼくらは何百人もの物怖じしない裸の男女や子供たちに囲まれていた。あちらこちらと歩きまわり、いろんな景色を眺めた。ぼくらは銃を携帯し、いつでも出発できるよう船尾を浜に着け、オールをこぐばかりにした状態で、完全武装の乗組員をボートに待機させていた。とはいえ、問題を起こしたらどうなるかという教訓を軍艦が示していった直後だったので、トラブルは生じなかった。ぼくらはいろんなところを歩きまわり、何でも見てまわったが、最後に浅い河口を渡る橋の役目をしている、大木の切り株のところに出た。黒人たちはぼくらの前で壁を作り、通行を阻止した。ぼくらは制止される理由を知ろうとした。黒人たちは、ぼくらには渡ってよいと言った。そこに誤解があったのだが、ぼくらはその通りに進んだ。すると、事情が明白になった。ヤンセン船長とぼくは男なので進んでもよいが、メアリーがその橋を渡ることは認められない、というのだ。「メアリー」はピジン英語で女性を指す。メアリーとはチャーミアンのことだった。女は橋にとってのタンボ、つまり現地の言葉でタブーとされていた。ぼくはむかついた! ついに、ぼくが自分の男らしさを証明するときがきたのだと思ったほどだ。とはいえ、ぼくは優遇される側にいるので文句は言えない。チャーミアンは歩きまわることは認められたものの、橋を渡るのを許されたのはぼくら男だけで、彼女はボートに戻るしかなかった。

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海の民が作りあげたランガランガの人工島

その後に起きたことについても、あえて言っておくと、ショックのあまり熱が出るというのは、ソロモン諸島ではよくあることで、チャーミアンは通行を拒否されてから半時間もたたないうちに発熱してミノタ号へと大急ぎで運ばれたのだった。毛布にくるまり、キニーネを処方された。ワダとナカタがどういうショックで発熱を引き起こしたのかは知らないが、彼らも熱でダウンしていた。ソロモン諸島がもっと健康的な場所になるよう祈るばかりだ。

さらに、この発熱のさなかに、チャーミアンはソロモン痛にも襲われた*1。通行拒否は、すでに限界に達していた彼女を倒した最後のワラ、最後の一撃だったのだ。スナーク号では、彼女をのぞいて皆がこの病気にかかっていた。ぼくは潰瘍がひどくて、くるぶしのところから足を切らなきゃならないのではないかと思っていたほどだ。ヘンリーとタイヘイイ、それにタヒチの船乗りたちも、その多くがひどい潰瘍に悩んでいた。ワダは自分にできた潰瘍の数を二十個単位で数えることができた。ナカタの数は少なかったが、大きさが三インチもあった。マーチンは潰瘍の根が伸びていって脛骨が壊死しはじめていると思いこんでいた。だが、チャーミアンは、そういうものと無縁だったのだ。彼女はずっと無事だったので、ぼくらの間ではむしろ小馬鹿にされていたくらいだった。ある日、彼女は、やっぱり根が純粋無垢だと病気もよりつかないのねと、ぼくにささやいたものだ。ぼくらは彼女をのぞいて全員が病気にかかっていて、彼女だけがそうではなかったのだが――ともかくも、その彼女も罹患した。潰瘍は一ドル銀貨ほどの大きさだったが、純粋無垢な血液のおかげか、数週間の苦しみをへて治癒した。彼女は昇汞(しょうこう)*2が効くと信じていた。マーチンはヨードホルムだと言い張った。ヘンリーは薄めていないライムジュースを使った。ぼくはといえば、昇汞がなかなか効いてこないときには、包帯を過酸化水素水に浸して代用した。ホウ酸をくれたソロモン諸島の白人もいたし、ライゾールという消毒剤がいいという者もいた。万能薬と称するものも持っていたが、あまり効き目はなかった。効くのはカリフォルニアでの話だ。ぼくは、ソロモン諸島のこの病気にカリフォルニアでかかってみろよと言いたい。効くわけないんだから。

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人工島

脚注
*1: 症状からすると、いわゆる「風土性トレポネーマ症」(イチゴ腫)という細菌感染症かもしれない。

*2: 昇汞(しょうこう)は塩化第二水銀または塩化水銀(II)とも呼ばれ、殺菌力があるものの毒性も強いため、現在は使用されていない。

スナーク号の航海(77) - ジャック・ロンドン著

スウでは成果がないまま三日がすぎた。ミノタ号から呼びかけた求人に応じる者はなく、ミノタ号の乗組員で森の連中の犠牲になる者もなかった。本当のことを言うと、一人だけ犠牲になっといえるかもしれない。ワダが熱で寝こんでしまったのだ。ぼくらはボートに乗ってランガランガの海岸に沿って進んでみた。ここは海辺の大きな村で、礁湖に作られた――文字通り途方もない努力によって作り上げられた砂州、好戦的な連中から逃れるために作られた人工島なのだ。ミノタ号が半年前にこの礁湖の海岸で襲撃され、当時の船長が野蛮な連中に殺されていた。狭い入口から進入すると、一隻のカヌーがやってきて、軍艦が三つの村を焼き払い、ブタを三十匹ほど殺し、赤ん坊一人を溺れさせ、この日の朝、立ち去ったばかりだと知らせた。ルイス艦長が指揮をとるカンブリアン号だった。艦長とは日露戦争のときに朝鮮で会ったことがある。それ以来、ぼくらは何度かすれ違ってはいるのだが、実際に会う機会はなかった。スナーク号でフィジーのスバに入港したとき、カンブリアン号は入れ替わりに出港していくところだったし、ニューヘブリディーズ諸島のヴィラでは、一日違いで行き違いになった。サント島の沖では夜間にすれちがった。カンブリアン号がツラギ島に到着した日、ぼくらは十二マイル離れたペンデュフリンを出たところだった。そして、このランガランガでも数時間差ですれ違ったわけだ。

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ウル島――人工の島――マライタ

カンブリアン号はミノタ号の船長殺害の容疑者を処罰するために来たのだったが、目的を達したか否かは、後で伝道者のアボット氏がぼくらのボートにやって来たときにわかった。村々は焼き払われ、ブタが殺されたが、村人は逃げて無事だった。ミノタ号から奪われた旗や道具は取り戻せたものの、殺した連中は捕まらなかった。赤ん坊の溺死は誤解から生じたものだった。ビヌのジョニー村長は軍の上陸部隊を森の連中のところに案内するのを断わり、村人に道案内させることもしなかった。ルイス艦長は当然のごとく立腹し、ジョニー村長に、拒否すれば村を焼き払う、それだけの罪に値すると言った。ジョニーのピジン英語*1に「値する」という語彙は含まれていなかった。村長は、道案内すれば焼き払われずにすむとは思わず、いずれにしても村が焼かれてしまうと思いこんでしまったのだ。住民たちが大慌てで逃げ出したため、赤ん坊が海に落ちてしまった。一方、ジョニー村長はアボット氏のところへ駆けつけた。伝道師にソブリン金貨十四枚を握らせ、カンブリア号に行ってルイス艦長をその金で説得してほしいと頼んだのだ。ジョニー村長の村は焼かれなかったし、ルイス艦長がソブリン金貨を受けとることもなかった。というのは、村長は後になってミノタ号に乗船してきたのだが、ぼくは村長がその金貨をちゃんと持っているのを目にしたからだ。ジョニー村長は、上陸部隊を案内しなかったのは大きな腫れ物ができていたからだと釈明しつつ、それを見せてくれた。だが、当人は認めようとはしなかったが、本当の理由は、森の野蛮な連中の仕返しを恐れたのだ。村長でも村人でも案内してしまえば、カンブリアン号が抜錨したとたん、すぐに血なまぐさい報復を受けると思ったのだ。

 

脚注
*1:ピジン英語(pidgin English)は、南太平洋の西側一帯で話される現地語なまりの英語全般を指す。
地域ごとに呼び方が違っていて、ここでは beche-de-mer というフランス語(ナマコという意味)が使われている。ナマコ漁が行われているニューギニア周辺のピジン英語は特にこう呼ばれる。
「値する(deserve to)」という英語の意味がわからなかったために悲劇が起きたという話は、二十一世紀になった現在でもまだ記憶に新しい事件、一九九二年に米留学中の日本の高校生がハロウィンでパーティ会場を間違えて民家の敷地に入ってしまい、「動くな (freeze、フリーズ)」をプリーズ(どうぞ、いらっしゃい)と聞き違えて射殺された悲劇を想起させる。

スナーク号の航海(76) - ジャック・ロンドン著

最初に入港したのはマライタ島の西岸にあるスウーだった。ソロモン諸島は縁海(えんかい)*1で、島々や環礁に囲まれた閉ざされた海域にある。暗い夜には灯火もなく、暗礁が牙をむく。潮流も複雑に変化する海峡を航海していくのは非常にむずかしい。ソロモン諸島の北西端から南東端までの海岸線は一千マイルもあるのに、灯台が一つもない。その上、海図に描かれている陸地が正確ではないのだ。スウーがその例だ。マライタ島の海図では、この地点の海岸はまっすぐの連続した線として描かれている。だが、ミノタ号はこの連続した直線を超えて進み、深さ二十尋(ひろ)の湾に浮かんでいる。陸地があるとされたところは深い入り江になっていた。ここまで帆走してきて、丸い鏡のような湾に投錨したのだった。マングローブが近くまで迫っている。ヤンセン船長はこの泊地が好きではなかった。彼が初めてここに来たころ、スウーは危険な場所として悪名をはせていた。攻撃されて逃げようとしても、風がなければどうしようもないし、上陸用のボートで沖に漕ぎ出そうとしても奇襲されてしまう。ひと悶着あれば、罠(わな)にかかったも同然だ。

この地図でマライタ島の下(南西)側中央の幅が広くなっているところのすぐ下(南)がスウーの港。

「ミノタ号で上陸するとして──どうしますか」と、ぼくは聞いてみた。
「上陸なんかしないよ」というのが、ヤンセン船長の答えだった。
「だけど、万一そうなったら?」と、ぼくも簡単にはあきらめない。
彼はしばらく考えてから、視線を拳銃を腰につけようとしている航海士から上陸用ボートに乗りこもうとしているクルーに移した。それぞれライフルを所持している。
「ボートに乗り移って、とっとと逃げ出すさ」と、船長はたっぷり時間をかけてから答えた。
しまいに、いざというときにマライタ島出身のクルーは信用しきれないのだと説明した。ここの連中は船が難破でもしたら自分の財産になると思ってるし、連中はスナイダーのライフルも持っている。おまけに、ミノタ号にはスウーに「帰省する」一ダースもの少年たちが乗っているのだ。攻撃を受けたら、彼らが故郷の友人や親戚に味方するのは間違いない、と。

上陸用ボートの最初の仕事は、帰省客と交易品を詰めた箱を海岸まで運ぶことだった。これで危険要素の一つが取りのぞかれるはずだ。この作業中に一隻のカヌーがやってきた。三人の裸の男が乗っている。裸と言ったが、事実そのままだ。服らしきものは何も身に着けていない。鼻の輪や耳飾り、貝殻の腕輪を服として数えなければ、だが。カヌーに乗っているボスは高齢の村長(むらおさ)で隻眼(せきがん)だった。友好的という噂だが、とても汚くて、船底の付着物を落とすために使うスクレーパーでこすっても、その垢(あか)を削り落とすことはできないだろう。彼が何をしに来たかというと、船長に対し、誰も上陸させるなと警告するためだった。この老人は夜にもまた同じ警告を繰り返した。

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ソロモン諸島のイケメン二人

働き手を募集するため、ボートが浜との間を往復したが、成果はなかった。森には武装した現地人がたくさんいて、求人担当の者と話をしたそうにしていたが、年俸六ポンドでプランテーションの三年間の労働に応じる者はいなかった。島の連中はぼくらが上陸するのではないかということを懸念していた。二日目には、湾の先端の浜で火をたいて煙を立ちのぼらせた。これは慣例となった求人の合図で、そのためにボートが派遣された。だが、徒労に終わった。浜には誰もやってこなかったし、こっちの船の者も誰も上陸しなかった。その少し後で、ぼくらは大勢の現地人が浜辺をうろついているのを目撃した。

こうやって姿を見せている連中の他に、森の中にどれだけの人間が隠れているのかはわからない。原始の姿をとどめている密林の奥まで見通すことはできないからだ。午後になると、ヤンセン船長、チャーミアンとぼくは、ダイナマイトを使う漁*2に出かけた。ボートに乗った者はそれぞれリー・エンフィールド銃*3を持っていた。求人担当の現地人の「ジョニー」は一斉攻撃に備えてウィンチェスターライフルも所持していた。ぼくらはボートを漕ぎ、無人に見える海岸に向かった。手前で向きを変え、船尾を先にして近づく。万一の攻撃に備えて、すぐに陸から遠ざかれるようにするためだ。マライタ島に滞在している間、ぼくはボートが船首から上陸するのを一度も見なかった。実際問題として、求人で寄港する船の場合、ボートを二隻積載し、上陸するのはそのうちの一隻だけだ。むろん武装して、だ。もう一隻は数十メートル離れたところにいて、一隻目を「援護」するのだ。とはいえ、ミノタ号は小さかったので、上陸用ボートは一隻しかなかった。

ぼくらは浜に近づいた。さらに船尾から接近したとき、魚の群れが見えた。ダイナマイトに火をつけて投げ入れる。爆発が起き、大量の魚が海面から飛び出してきた。同時に、森も方もさわがしくなった。現地の裸の連中が二十人ほども、弓矢や槍(やり)、スナイドル銃*4を抱えて飛び出してきた。同時に、ぼくらのボートの乗組員もライフルを構えた。こうして両者がにらみあった状態で対峙し、ぼくらの側の手のすいた少年たちが魚を取ろうと海に飛びこんだ。

脚注
*1:縁海(えんかい):大陸の周辺にあり、島などで不完全に閉ざされた海域。日本海などもそれにあたる。ちなみに大陸だけに囲まれている海域は地中海と呼ばれる。固有名詞化しているヨーロッパとアフリカにはさまれた海以外に、カリブ海や北極海も「地中海」に分類される。地球の海は、地理学的には、太平洋/大西洋/インド洋の三大洋と、縁海と地中海を合わせた付属海からなる。

*2:ダイナマイトを使う漁 - かつて日本を含む世界各地で実際に行われていた。現在は環境保護、生態系破壊防止のため、日本はもちろん世界のほとんどの地域で禁止されている。

*3:リー・エンフィールド銃 - 十九世紀末に英国で開発された軍用小銃。

*4:スナイドル銃 - 十九世紀後半に英国軍で採用された銃で、リー・エンフィールド銃より古いタイプ。明治時代の日本陸軍でも使用されていた時期がある。

ジャック・ロンドンの処女作 「日本の沖での台風の話」

年の初めということで、ジャック・ロンドンの幻の処女作(初めて活字になった作品)をご紹介します。

『野生の呼び声』や『海の狼』など数多くのベストセラーを書いたアメリカの作家ジャック・ロンドンは、複雑な家庭環境で育ち、家も貧しかったため、小学校は出たものの進学することはできず、缶詰工場で働いたりカキの密漁を行ったりしたあげく、北太平洋でアザラシ漁に従事する遠洋漁船に乗り組みました。このとき、日本の土も踏んでいます。
そのときの体験をエッセイにまとめ、サンフランシスコ・モーニングコール紙のコンテストに応募したのがこの作品で、みごと一等になりました。十七歳のときです。
これが後に時代の寵児ともてはやされることになる作家の、初めて活字になり金を稼いだ作品です。小説ではありませんが、言葉の本当の意味での処女作といってよいでしょう。
ゴールドラッシュの波に乗ってアラスカまで出かけて行ったものの辛酸をなめた経験をもとに描いた『野生の呼び声』がベストセラーになるのは、それから十年後ですが、過酷な自然と人間とのかかわりを描いたもので、将来の人気作家の片鱗を十分に感じさせてくれます。

日本の沖での台風の話

ジャック・ロンドン著
明瀬和弘訳

朝直の四点鍾だから午前六時だった。ちょうど朝食を終えたころ、甲板で当直していた者には停船の準備、他の者は全員、実際に漁猟を行うボートのそばで待機せよという命令があった。

「取り舵! 取り舵いっぱい!」と、航海士が叫んだ。「トップスル、展開! フライングジブ、取りこみ! ジブは風上で裏帆。フォアスル、下ろせ!」 ぼくらの乗ったスクーナー型帆船*1のソフィーサザランド号は日本の北海道・襟裳岬の沖でヒーブツー(停船)した。一八九三年四月十日のことだ。

それから喧噪と混乱があった。六隻のボートに対して十八人の男たちが配置されていた。ボートを吊り下げるためのフックをかける者もいれば、固縛してあるロープをほどく者もいた。操舵手は方位磁石と波よけを持ってきた。漕ぎ手は弁当箱を手にしている。射手は二、三丁の散弾銃、一丁のライフル、それに重い弾薬箱をかつぎ、足元がふらついていた。そうした荷物はすべてすぐにオイルスキン*2や手袋と一緒にボートに収納された。

航海士が最後の号令を発し、ぼくらは出発した。いい猟場を確保するため、三人で三対のオールを漕いで進んだ。ぼくらのボートは風上側にいたので、他のボートより長い距離を漕がなければならなかった。まもなく風下側から順に一番目、二番目、三番目のボートが帆を上げ、追い風を受けて南下するか、横風を受けて西に向かった。母船のスクーナーは散っていくボートの風下へと移動する。万一のトラブルに備えて、ボートが風を受けて母船に戻れるようにするためだ。

美しい朝だったが、ぼくらのボートの操舵手は昇ってくる太陽を眺め、不吉なものを目にしたように頭を振り、予言するようにつぶやいた。「朝焼けか。こりゃ荒れてくるな」 太陽は怒っているように見えたし、斜め後方の明るい「縮れっ毛」のような雲も赤く染まって不気味だった。が、それも間もなく消えた。

ずっと北の方には、襟裳岬が深海から立ち上がった巨大な怪物の恐ろしい頭のように黒い影となって見えていた。まだ溶けきっていない冬の雪が、陽光をあびて白くきらきら輝き、そこから軽風が海の方に向かって吹きおろしてくる。巨大なカモメが羽ばたきしながら海面をバタバタと半マイルほども走り、風を受けてゆっくり上昇していった。バタバタする足音が聞こえなくなるとすぐに、キョウジョシギの群れが飛び立った。ヒューヒューと風切り音を鳴らして風上方向へと飛び去った。そっちの方向ではクジラの大きな群れが遊んでいた。潮を吹く音が蒸気機関の煙を吐く音のように伝わってくる。ツノメドリの鋭く切り裂くような鳴き声が耳をつんざく。ぼくらの前方にいた半ダースほどのアザラシの群れにとってはそれが警告になった。ブリーチングで完全に海面から宙に飛び出したりしながら、アザラシたちは遠ざかっていった。ぼくらの頭上を一羽のカモメがゆっくり大きな円を描いて飛んでいた。母船の船首楼では、故郷の家を思い出させるように、イエスズメが屋根にとまり、おびえたりもせず、頭を一方にかしげて楽しそうにさえずっていた。漁猟用のボートはやがてアザラシの群れに侵入した。バン! バン! 風下の方から銃声が聞こえてくる。

風は少しずつ強くなってきた。午後三時までに、ぼくらのボートは半ダースのアザラシを捕まえた。まだ続けるか戻るか相談していると、本船に戻れという合図の旗がスクーナーのミズンマスト*3に揚がった。風が強くなって気圧も下がり、航海士はボートの安全を懸念したのだろう。

ぼくらはワンポイントリーフ(一段だけ縮帆)し、追い風を受けて戻った。操舵手は歯を食いしばり、舵柄を両手でしっかり握っていた。目には警戒の色が浮かんでいる──波の頂点まで上がると前方にスクーナーが見えた。別の波のときはメインシートが見えた。ぼくらの後方の海面は波立って黒っぽくなっていた。突風かボートを転覆させるような大きな崩れ波が迫っているのだ。波はお祭り騒ぎのようにはしゃいだり踊ったりしながらも高さを維持して次々に迫ってきた。あちらでもこちらでも、いたるところ延々と大きな波が続いていた。緑の海面が脈打つように盛り上がっては、牛乳をこぼしたように白濁した波しぶきをあげて崩れ、他は見えなくなる。だが、それも一瞬のことで、すぐに次の波が出現する。波は太陽から伸びた光の道をたどり、見渡す限り大きい波や小さい波が立ち、溶けた銀のような飛沫やしぶきが飛び散った。濃い緑色だった海は色を失い、まぶしいほどの銀色の洪水となり何も見えなくなった。大しけだ。前方の暗い海面が盛り上がっては砕け落ち、また押し寄せてくる。差しこんでいたきらめく銀の光は太陽とともに姿を消した。西や北西の方からすごい勢いでわき上がった黒雲にさえぎられてしまったのだ。嵐の前ぶれだった。

ぼくらはまもなく母船のスクーナーまでたどり着いた。船に戻ったのは、ぼくらが最後だった。大急ぎでアザラシの皮をはぎ、ボートと甲板を洗い流し、船首楼の船室に降りていって暖をとった。体を拭(ふ)き、服を着替えた。熱い夕食がたっぷり用意されていた。スクーナーは帆を張りっぱなしでアザラシの群れを追い、朝までに七十五海里*4ほども南下していたので、この二日間の狩りで自分たちの居場所もよくわからなくなっていた。

船では午後八時から真夜中までが最初の見張り当番だ。まもなく風はゲール*5ほどにも強くなってきた。航海士は船尾甲板で行きつ戻りつしながら今夜はろくに眠れないだろうと予想していた。トップスルはすぐに下ろして固縛した。フライングジブも下ろしてぐるぐる巻きにした。そのころまでには、うねりもさらに大きくなって、ときどき甲板に波が崩れ落ちては積載したボートに激しくぶつかった。六点鍾(午後十一時)には、全員起きて荒天対策をするよう号令が出た。この作業に八点鍾(深夜十二時)までかかった。深夜当直と交代し、役目から解放された。下の船室に戻ったのはぼくが一番遅かった。スパンカーを巻きとっていたからだ。下の船室では新米の「レンガ積みくん」を除いて全員寝ていた。この新米くんは肺の病気で死にかけていた。海がひどく荒れ、船首楼でもランプの淡い光がちらついたり揺れ動いたりして、黄色のオイルスキンについた水滴に光が当たると黄金のはちみつのように見えた。いたるところで黒い影が駆けまわっていた。船の上方では、棺桶のような船橋のかなたから降下してきた影が甲板から甲板へと走りまわり、洞窟の入口で待ち伏せしているドラゴンのようにも見えた。エレボス*6のような闇だった。たまに一瞬さっと光が差し、スクーナーがいつもよりひどく傾斜しているのが照らしだされたりもした。その光が消えると、それまでよりもっと闇が濃くなり漆黒となった。策具を通り抜ける風がうなりをあげ、列車が鉄橋を渡るときの轟音のようでもあり、浜に寄せる波のようでもあった。波が船首右舷に大きな音をたてて激突し、梁を引き裂かんばかりの勢いで砕け散った。船首楼では木の柱や厚板がバラバラになるんじゃないかと思うほどだった。柱や支柱、隔壁がギーギーときしみ、ミシミシと音を立て、揺れ動く寝床で死にかけている男のうめき声をかき消した。フォアマストが動くたびにマストと甲板ビームがこすれて木の粉が降り注ぎ、その音が荒れ狂う嵐の音に混じって聞こえてくる。海水がちょっとした滝のように船橋や船首楼から流れ落ち、濡れたオイルスキンの継ぎ目から入ってきては床に流れ落ち、船尾の排水口に消えていった。

深夜当直の二点鍾、陸の言葉で言えば午前一時に、船首楼に命令が響いた。「総員甲板に集合。縮帆せよ!」

寝ぼけ眼の船乗り連中は寝床から転がり出て服を着、オイルスキンをはおり、長靴をはいて甲板に出た。こんな命令が出るのは寒くて荒れ狂った嵐の夜だと決まっている。ぼくは顔をゆがめて自分に文句を言う。「ジャックよ、農場を売って船乗りになるなんて狂気の沙汰だったろ?」

風の力を痛感させられるのは甲板にいるときだ。とくに船首楼から出てきた後は身にしみてそれがわかる。風が壁のように立ちふさがり、揺れ動く甲板では動くこともできず、突風に息をすることすらままならない。スクーナーはジブとフォアスル、メインスルだけを張って停船し、漂泊していた。ぼくらは前に進んでフォアスルを下ろし、しっかり縛りつけた。闇夜で、きつい作業だった。嵐の分厚い黒雲が空を覆っているので星も月も見えなかったが、自然の慈悲とでもいうのか、海面の動きに合わせて柔らかい光が発せられていた。強大な波それぞれがすべて、無数の微小生物の発する燐光で輝き、その炎の大洪水にぼくらは圧倒された。波の頂きはますます高く、ますます薄くなり、曲線を描いて高くそびえると、やがて崩れていく。轟音とともに舷墻(げんしょう)*7に落ちてくだけ、柔らかな光の塊と何トンもの海水が船乗りたちをあらゆる方向に押し流し、くぼんだ場所などに残ったものは割れた光の小さな点となって揺れ動いているが、また次の波で押し流され、新しいものと入れ替わっていく。ときどき、いくつかの波が次々に音を立てて船に崩れ落ちてきて舷墻まで水浸しになったが、やがて風下側の排水口から流れ出ていった。

メインスルを縮帆するため、ぼくらは一段リーフしたジブで強風を受けて風下に走らざるを得なかった。その時までには海はとんでもない大荒れになっていたので、もはやヒーブツーすらできる状態ではなかった。ぼくらはゴミや水しぶきの集中砲火をあびながら飛ぶように走った。風は左右に振れ、船尾からの巨大な波に横倒しになりかけたりした。夜が明けてくると、ジブを取りこみ、帆は一枚残らず巻き取った。船はかなり速く流れていたが、船首が波の背に突っこむことはなかった。が、船体中央部では波がくだけて荒れ狂っていた。雨について言えば、降雨はほとんどなかったものの、風が強くて大気には水しぶきが充満し、飛沫が交差した道路を突っ走るように、ナイフで顔を切り裂くように飛び交っているため、百ヤード先も見えなかった。海は暗い鉛色で、長くゆっくりした壮大な巻き波となり、風によって泡が積み重なってできた流体の山のようになった。スクーナーの動きは吐き気をもよおすほど激しかった。山にでも登るように波に当たると船はほとんど行き足を止め、巨大なうねりの頂点に達すると、そこからいきなり左右に傾くのだ。息をのみ、口を開けている断崖におびえたように、一瞬、動きをとめる。それから、いきなり雪崩のように前方に滑り落ちていく。波の背で千個もの破壊槌で打ち砕かれるような衝撃を受け、船首の揚錨架は白濁した泡の海に突っこみ、海水が錨鎖孔を通ったり手すりを乗りこえたりして、あらゆる方向から──前方からも後方からも、右からも左からも甲板に流れこんでくる。

風が落ち始めた。十時までには、船をまたヒーブツーに戻そうかというまでになった。一隻の汽船、二隻のスクーナー、最小限の帆だけ張った四本マストのバーケンティン型帆船*8とすれ違い、十一時には、スパンカーとジブを揚げてヒーブツーした。さらに一時間もすると、はるか西のアザラシの猟場に戻るため、全帆を展開し、風上へと向かった。

甲板下の船室では、二人の男が「レンガ積みくん」の体を布で包んで縫っていた。水葬の準備である。嵐とともに「レンガ積みくん」の魂も消え去った。

<了>

脚注

*1:スクーナー型帆船 - 二本以上のマストを持ち、後方のマストが前側のマストと同じかそれより高いタイプの縦帆を持つ帆船。
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これは漁船ではないが、カナダの50セント切手に描かれたスクーナー(ブルーノーズ号)。

*2:オイルスキン - いわゆるカッパのこと。布地に油を塗って防水性を高めたことから、特に海で使われるカッパはいまでもこう呼ばれることがある。

*3:ミズンマスト - メインマストの後ろ側にあるマスト。

*4:七十五海里 - 約140キロメートル(1海里は1,852m)。

*5:ゲール - 風力は風速に応じて階級化されており、現在でも、約二百年前に提唱されたビューフォート風力階級がほぼそのまま使われている(気象庁の風力階級も同じ)。ゲール(疾強風)は風速17.2m~20.7m。むろん、この作品ではそれほど厳密な意味で使われてはいないが、気象庁の台風の基準が風速17mなので、どれくらいの風なのかを知る目安にはなる。

*6:エレボス - ギリシャ神話の地下の闇を意味する原初の神。

*7:舷墻 - ブルワーク。舷側の波よけ/転落防止用の低い柵のようなもの。

*8:バーケンティン型帆船 - マストが三本以上の大型帆船で、フォアマストに横帆を落ち、他のマストには縦帆を持つ。横帆はごく単純化すると日本の千石船のような横向きの帆桁をつけた四角形の帆で、縦帆はいわゆるヨットの三角形の帆のように前縁を固定したもの。

帆船用語について

点鍾は船の当直(ワッチ)で時間を知らせるために鳴らされる鐘。時代や地域によって異なる場合があるが、一般には、一回の当直が四時間続き、鐘は三十分毎に鳴らされる。
この鐘(時鐘、タイムベル)は、一点鍾(カーン)、二点鍾(カンカーン)から八点鍾(カンカーンを四回)まであり、四時間ごとに繰り返される。
ファーストワッチ(初夜直、午後八時~午後十二時)、ミドルワッチ(夜半直、零時~午後四時)、モーニングワッチ(朝直、午前四時~午前八時)、、、と続いていくので、単に四点鍾というだけでは、前後の文脈がわからないと午後十時なのか、午前二時なのか、午前六時なのかは決まらない。

ヒーブツーとは船を止めることを意味するが、帆船やヨットの荒天対策としては最も確実で一般的な方法でもある。
具体的には、マストより前の帆(ジブ)を風上側に張って(裏帆にして)前進する力を止める。船は風に対して斜め前を向いた格好で停船し、ゆっくり風下に流れていく。
ヨットではちょうどタッキングでジブを返すのが早すぎて失敗し船足が止まった状態で、メインセールから風を抜き、舵を風下側に切っておく。風上に向かっているときはすぐにその状態に入れるが、帆船ではマストや帆の数も多く、艤装も多岐にわたるため、縮帆や荒天対策の手順や方法もバリエーションが多い。
風力がさらに強くなると、ヒーブツーでは対処できなくなる。
その段階になると、すべての帆を下ろして漂泊するか、マストなどに当たる風だけか、小さな帆だけを揚げて風下に走ることになる。

時代背景

ゼニガタアザラシのウォッチングが北海道の観光資源になっているくらいで、襟裳岬はこの海域では有数のアザラシの生息地として知られる。
二十一世紀の現代では、捕鯨やアザラシ漁は資源保護や動物保護の観点から批判されることが多いが、当時はアメリカやカナダの重要な産業の一つでもあった。

スナーク号の航海(75) - ジャック・ロンドン著

第十五章

ソロモン諸島の航海

「一緒に来ないか」と、ヤンセン船長がガダルカナル島*1のペンドュフリンで、ぼくらを誘ってくれた。

チャーミアンとぼくは互いに顔を見合わせ、三十秒ほど無言で話し合った。それから二人同時にうなづいた。これが、ぼくらが物事を決めるやり方だ。最後のコンデンスミルクの缶をひっくり返したときに泣かずにすむ、うまい方法だと思っている(ぼくらはこのところ缶詰ばかり食べている。心は物質に左右されるというが、ぼくらは当然いろんな缶詰に左右されている。

「拳銃一丁とライフル二丁も持ってきたほうがいいぜ」とヤンセン船長が言った。「俺は船に五丁のライフルを積んでいる。モーゼル銃一丁には弾が入れてないけどな。予備はあるかい?」

ぼくらも船にはライフルを積んでいた。モーゼル銃の薬包もだ。スナーク号でコックと給仕をしてくれているワダとナカタもそれぞれ持っている。ワダとナカタはちょっとおじけづいている。控えめに言っても乗り気ではなく、ナカタは臆病風に吹かれているのが顔色にも見てとれた。ソロモン諸島で彼らはきつい洗礼を受けていたのだった。最初の地ではソロモン病とでもいうべき痛みに苦しめられた。ぼくらも苦しんだのだが、この二人の日本人の場合はとくにひどかった。二人には昇汞(しょうこう)*2で手当てをしたが、この痛みはやっかいだった。ひどい潰瘍になってしまうのだ。蚊に刺されただけだが、傷口や掻(か)いたところに毒がたまり、ふくれてくる。この潰瘍はすぐに拡大する。すごい早さで皮膚や筋肉をむしばんでいく。一日目は針の先ほどだった傷が二日目には十セント硬貨ほどになり、一週間後には一ドル硬貨でも隠せないほどの大きさになった。

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ソロモン諸島でよく見かける海岸風景

この痛みよりひどいのは、この二人の日本人が熱帯性マラリアにかかったことだ。それぞれ何度も倒れたし、身体も衰弱した。多少は回復してくると、スナーク号の端の方で身を寄せ合い、はるかかなたの日本の方角を望郷の念をこめて眺めていた。

とはいえ、最悪なのは、彼らが今は、マライタ島の原始の海岸沿いに人を運ぶミノタ号の船上にいるということだった。二人のうちでもワダの方がおじけづいていたが、自分は二度と日本を見ることはできないと思いこみ、暗く希望のない目をして、ぼくらのライフルと弾薬がミノタ号に積みこまれるのを見ていた。彼はミノタ号とマライタ島への航海がどんなものなのか知っていたのだ。この船が六ヵ月前にマライタ島の海岸で捕らえられたこと、船長が斧で切り殺されたこと、を。そのすてきな未開の島では、それ以前にも二人の船長が犠牲になったこと、ペンデュフリン農園で働いていたマライタ島の少年が赤痢で死んだこと、さらにペンドュフリンでは別の船長もマライタ島で犠牲になったことについても、彼は知っていた。しかも、ぼくらの荷物は狭い船長室にしまいこんであったのだが、意気揚々と乗りこんできた野蛮な連中が武器の斧でドアにつけた傷跡も彼は見てしまった。最後につけ加えると、調理室のコンロには配管すらなかった。略奪されたのだ。

ミノタ号はチーク材で作られたオーストラリアのヨットだった。二本マストの後ろのマストが低いケッチで、長く細身で、深いフィンキールを持ち、未開の地を航海するというよりは港内でレースをするのに適した設計だった。チャーミアンとぼくが乗船すると、船には人があふれていた。船の乗組員は代理を含めて十五人。それに二十人以上の「帰省する」少年たちがいた。農園で働いていて自分の村に戻るのだ。見た目からすると、連中は確かに首狩り族だった。鉛筆ほどの大きさの骨と木製の千枚通しのようなもので鼻に穴を開けていた。多くは鼻柱に穴を開け、亀の甲羅や固い針金に通したビーズを吊していた。さらに唇から鼻にかけての曲線に沿って穴をいくつも開けた者までいた。連中の耳には、それぞれ二つから一ダースほどの穴が開いていた。直径三インチの木栓でも通るくらいの大きさがあり、土で作ったパイプやそれに類するものをつけている。実際に穴が多すぎて、飾りの数が不足していた。翌日、マライタ島に接近すると、ぼくらはライフルを取り出し、ちゃんと使えるか確かめたのだが、空になった薬莢(やっきょう)をめぐる争奪戦が展開され、こうした乗客の耳の穴の飾りになった。

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ガダルカナル島マラボボの海岸

ライフルを実際に使うような場面に備えて、ぼくらは有刺鉄線の柵を設置した。ミノタ号は甲板はドッグハウス*3がなく平らで、外周を六インチの高さの手すりで囲ってあるので、乗りこみにくくなっている。その手すりの上に真鍮製の支柱をねじ止めし、二列の鉄条網を船尾からぐるっと一周させて船尾まで張り巡らせた。野蛮な連中から保護するという点では非常にうまくいったが、船に乗っている側の立場としては、およそ快適とはいえなかった。航海中にミノタ号が波の上下に合わせて大きく揺れるからだ。有刺鉄線を張った風下側の手すりまで滑り落ちるのは好きになれないし、滑り落ちたくないと風上側の手すりにつかまろうとしても、そっちにも有刺鉄線があるのだ。どっちも嫌だし、船の傾きもさまざまで、滑りやすい平らな甲板上にいるときに船が四十五度傾いたりするのだ。ソロモン諸島の航海の楽しさがわかってもらえるだろうか。おまけに、有刺鉄線まですべり落ちることで受ける罰は、単なるひっかき傷ではすまないということも忘れてはならない。そうした傷は必ずやひどい潰瘍になってしまう。注意していても有刺鉄線からは逃れられないということの証拠がある。ある晴れた朝、ぼくらは斜め後ろからの風を受けてマライタ島の海岸沿いに進んでいた。風はやや強く、海は安定していたが波が立ちはじめた。一人の黒人の少年が舵をとっていた。ヤンセン船長とヤコブセン航海士、チャーミアンとぼくは甲板で朝食をとっていた。三つの異常に大きい波がおそってきた。舵を握っていた少年は頭が真っ白になってしまった。その三度とも、ミノタ号の甲板は波に洗われた。ぼくらの朝食は風下側の手すりを乗りこえて流れ去った。ナイフやフォークも排水口に消えた。船尾にいた少年の一人が落水し、引き上げられた。ぼくらの勇猛な艇長は有刺鉄線にはさまれ、体の半分が船外に落ちかけていた。その後の航海では、ぼくらは原始共産制よろしく、残っていた食器を使いまわした。ユージニー号ではもっとひどい目にあった。というのも、ぼくら四人にスプーンが一つしかなかったからだ──とはいえ、ユージニー号については別の機会に譲ろう。

脚注
*1: ガダルカナル島はソロモン諸島で最大の島。第二次大戦中に日本軍と連合国軍の激戦の舞台だったことでも知られる。

*2: 昇汞(しょうこう)は、塩化第二水銀ともいう。かつては消毒液などとしても使用されたが、毒性が強いので、現在は治療には使用されていない。

*3: ドッグハウスは、甲板下の船室の高さを確保するため甲板に突き出た部分。犬小屋に見立ててこう呼ぶ。

スナーク号の航海(74) - ジャック・ロンドン著

それから、南にはアトナム島が海から突き出し、北にはアニワ島、正面にはタンナ島があった。タンナ島を見誤る可能性はなかった。火山の煙が空高く立ち上っていたからだ。四十海里離れていたが、ずっと六ノットの速度を維持していたので、午後にはさらに接近した。山ばかりで、もやもかかっていたし、海岸線に進入できそうな開口部があるとは思えなかった。ぼくはポート・レゾリューションを探した。港として機能しなくなったとは聞いていたが、泊地にできればと準備をしていたのだ。火山性の地震のため、過去四十年間で海底が隆起し、かつて大型船が錨泊していたあたりは、最近の報告では、スナーク号くらいの船でやっと停泊できるくらいの広さと水深しかないという。最後の報告以降に、港が完全に封鎖されてしまうような天変地異でもあったのだろうか。

海岸に切れ目はない。接近してみると、貿易風を受けて押し寄せた波が岩場に砕け散っていた。双眼鏡で遠くまで調べてみたが、進入口は見つからない。ぼくはフトゥナ島とアニワ島の方位をとって海図に記入した。二本の方位を示す線の交わるところがスナーク号の位置になる。そこから、平行定規*1を使い、スナーク号の位置からポート・レゾリューションまでを結ぶ線を引いてみた。この線の方位角を偏差と自差で補正して甲板へ出た。が、その針路が示す方向に目をやっても、海岸に打ち寄せる波はどこまでも続いていて、切れ目は見えなかった。船を海岸から二百メートルまで近づけたので、ラパ島出身のクルーが不安がっている。

「ここに港はないよ」と、彼は頭を振りながら言った。

しかし、ぼくはコースを変え、海岸と平行に走らせた。舵はチャーミアンが握っている。マーティンはエンジンのところで、いつでも始動できるよう待機していた。いきなり狭い開口部が見えた。双眼鏡で調べると、そこにだけ波が入りこんでいる。ラパ島出身のヘンリーは当惑しているようだった。タハア出身のタイヘイイも同様だ。

「通路なんてないよ」と、ヘンリーが言った。「あそこまで行ったら座礁するよ、必ず」

白状すると、ぼくもそう思った。だが、進入口のところで白波が切れていないか探しながら、そのまま走らせた。すると、そこにあった。狭いが、そこだけ海面が平らだった。チャーミアンは舵を切り、進入口に向けた。マーティンはエンジンを始動させた。他の全員で帆をとりこんだ。

湾曲部に一軒の交易商人の家が見えた。百ヤードほど離れた海岸では間欠泉が海水を噴き出している。小さな岬をまわると、左手に伝道所が見えてきた。

「三尋(ひろ)」*3と、測鉛線で水深を測っていたワダが言った。

「三尋」「二尋」と、すぐに続いた。

チャーミアンが舵を切り、マーチンはエンジンを止め、スナーク号は投錨した。錨はがらがら音を立てて三尋の海底に落ちた。ほっとするまもなく、大勢の黒人が姿を見せ、船に乗りこんできた。ニコニコした野性味丸出しの連中で、髪は縮れ、困惑したような目をし、切り込みを入れた耳にはピンや粘土の輪をつけている。それ以外は素っ裸だ。その夜、全員が寝ているときに、ぼくはそっと甲板に出た。そして静かな風景を満足して眺めた──そう、満足して、だ──自分の航海術に。

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大挙して乗りこんできた連中
脚注
*1:平行定規は海図に引いた線を、角度を維持したまま平行移動させるためのもの。日本では大きな三角定規を二枚使って平行線を引くことが多い。
parallel-ruler

*2:尋は水深の測定単位で六フィート(大人が両手を広げた長さ)。尋は英語のfathomの訳として使われるが、どちらも人体の部位に基づく単位なので、語源は違うのに結果として長さがほぼ等しくなるのが面白いところ。似た例として、船の大きさ(長さ)を示す単位の尺とフィート、さらに寸とインチも手指や足の大きさに由来し、洋の東西を問わず、ほぼ同じ長さになっている(国や時代によって正確な長さは変化してはいる)。

*3:測鉛線は長いヒモの先端に錘をつけたもので、長さの目印として途中に色をつけたり布片を結んだりしてある。これを海中に投じて水深を測る。錘の先端に凹みがつけてあり、ラードなどの獣脂を詰めておくと、海底の様子(砂か泥かなど)がわかる。
hand-lead-line

 

スナーク号の航海 (73) - ジャック・ロンドン著

しかし、まだ問題はある。六月十日水曜日の夕方、正午に観測した位置と、その後の実際の速度と針路から午後八時の位置を推定した。その上で、スナーク号をニューヘブリディーズ諸島の最東端にあるフトゥナ島に向けた。この島は円錐型の火山で深海から標高二千フィートまで隆起している。この島から十キロほど北を通過するよう針路を変更したのだ。それから毎朝四時から六時まで操舵を担当するコックのワダに声をかけた。

「ワダさん、明朝のワッチは、しっかり見張っててよ。風上側に陸が見えるはずだから」

それからぼくは寝床に入った。賽(さい)は投げられたのだ。ぼくの航海士としての信用は危険にさらされていた。想像してほしい、夜明けに陸なんか見えなかったときのことを。そのとき、航海士としてのぼくの立場はどうなる? ぼくらはどこにいることになるのだろう? どうやって自分の位置を見つければいい? どうやって島を見つければいい? スナーク号が幽霊のような姿で、島を探して何もない大海原を何ヶ月も放浪している様子が目に浮かんだ。食料は食いつくし、ぼくらはげっそりとやせ衰え、その顔には互いに相手を食いたいという願望が浮かんでいるのだ。

ぼくは自分の眠りが「…ひばりの鳴き声が聞こえてくる、夏の空のように」と、詩にうたわれているようなものではなかったことを告白しておく。

というより「無言の闇に目を覚まし」て、バルクヘッドがきしむ音やスナーク号が時速六ノットで着実に進んでいく波きり音を聞いていた。ぼくはミスをしなかったか計算を何度もやり直したが、しまいには頭がぼうっとしてきて、なにもかもミスだらけに思えてきた。自分の天文観測がすべて間違っていて、フトゥナ島まで六十海里ではなく、わずか六海里しかなかったらどうなるだろう? どっちの場合でも針路が違っているかもしれないし、スナーク号はまっすぐフトゥナ島そのものに向かっているかもしれない。スナーク号はいまにもフトゥナ島に激突するんじゃなかろうか。そう思うと、いてもたってもいられず飛び起きたい衝動にかられる。が、かろうじて我慢した。いまにもぶつかるんじゃないかと、その瞬間を、今か今かとどきどきしながら待つしかなかった。

ひどい悪夢で目がさめた。地震の方がよほどましなくらいで、請求書を持った男が一晩中ぼくを追いかけまわすのだ。しかも相手は攻撃的で、チャーミアンは相手にするなと絶えずぼくを抑えていた。しかし、仕舞いには、しつこい借金取りの夢からチャーミアンの姿がなくなった。チャンスだ。堂々と立ち向かおう。歩道や通りを勇んで歩いていると、相手はもう結構と叫んだ。ぼくは「あの請求書はどうなったんだ?」と聞いた。自信を取り戻し、全額を払ってやるつもりだった。すると、その男はぼくを見て「ぜんぶ間違いだった」と、うめくように言ったのだ。「請求書は隣の家のだった」と。

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サモアの警官

借金取りの問題はそれで解決した。もう夢には現れなかった。ぼくの方はといえば、目がさめて寝床に座ったまま、この夢を思い返し、心底ほっとした。午前三時だった。甲板に出てみた。ラパ島出身のヘンリーが舵を持っていた。航海日誌に目を通した。四十二海里走破していた。スナーク号の六ノットという速度は落ちていなかったし、フトゥナ島に衝突してもいなかった。五時半すぎに、また甲板に出てみた。舵を握っていたのはワダで、まだ島影は見えないと言った。ぼくはコクピットの縁に腰かけて、十五分ほど疑心暗鬼にかられていた。そのうちに陸が見えてきた。小さな山頂だけだったが、予測した場所に予測した時間通りに舳先(へさき)の風上方向の海面に出現したのだ。六時には、フトゥナ島の美しい円錐形をした火山がはっきり見えてきた。八時、島は正横にきた。六分儀で距離を測った*1。九・三海里離れていた。どうやら十海里という試験には合格したようだ!
脚注
*1: 六分儀は水平線からの天体の高度を測るものだが、測量でも用いられているように、標高のわかっている島(山)の高さを測定すると、簡単な三角関数の計算でそこまでの距離もわかる。

島までの距離を x 、測定した角度をθ、島の高さをhとすると
Tanθ= h / x  だから x = h / tanθ

また、その応用として、灯台の光がどこまで届くか(どれくらい近づいたら灯台の光が見えるようになるか)を示す光達距離という概念がある。

これも覚えておくと便利。

地球は球形で海面は平面ではないため、光の屈折率など自然条件に左右されるので、光学的光達距離、名目的光達距離、地理的光達距離とあるが、現実には地理的光達距離を用いる。

灯台(あるいは島)の高さをH(m)、観測する者の眼高をh(m)とすると、
距離は、それぞれの平方の和に係数 2.083をかけたものになる。

灯台(あるいは島)までの距離(海里)= 2.083(√h + √H)

(高さの単位はメートル、距離の単位は海里)

スナーク号の航海 (72) - ジャック・ロンドン著

それ以外にもトラブルや疑問がぼくを待ち構えていた。たとえば、こういう問題だ。南半球で、太陽が北の方向にあるとき、クロノメーターを使った天測を早朝に行うことができる。ぼくは午前八時に観測した。この観測で必要な要素の一つは緯度だ。正午に子午線南中時を観測すれば緯度がわかるのだが、午前八時に観測で位置を出すには午前八時の緯度が必要になるのは言うまでもない。むろん、スナーク号が時速六ノットで真西に進んでいるのであれば、四時間後も緯度は変化しない。真南に進んでいれば、緯度は二十四海里の距離分だけ変化する。この場合は十二時の緯度から簡単な足し算か引き算で午前八時の緯度が得られる。だが、スナーク号が南西に航海しているとしたらどうだろう。そこでトラバース表の出番になる*1。

具体的な話をしよう。午前八時、ぼくは観測を行った。同時に、航海記録に書いてある帆走距離もメモした。正午の十二時に太陽を観測して緯度を求めた。ここでも航海記録のデータをメモした。それによれば、スナーク号は八時の地点からは二十四海里進んでいた。針路は西四分の三南である。ぼくは四分の三ポイントのコースを記載したページの距離欄の表Iで、航海距離を示す二十四のところを見た。表の反対側の二つの欄では、スナーク号が南に三・五海里進み、西には二十三・七海里進んだことになっている。これがわかれば、午前八時の自分の居場所を知るのは簡単だ。緯度については正午の緯度から三・五海里を引けばよい。要素はすべて出そろったので、ぼくは経度にとりかかった。

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黒いダイアモンド:サモア諸島サバイイ島の娘たち(上の中央はロンドン夫人のチャーミアン)

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求めるのは午前八時の経度だ。八時から正午まで二十三・七海里西に進んだことになっている。とすれば、正午の経度はどうなるのか? ぼくは所定の手順に従ってトラバース表のIIを見た。手順に従って表を見ていくと、四時間の経度の差を距離に換算すると二十五海里になるとわかった。またもやがく然となってしまう。机に向かって決められた手順で何度調べても測定した経度の差は二十五海里になってしまうのだ。お手上げだ。後は寛容なる読者の手にゆだねよう。もし君が二十四海里の距離を航海し、緯度の計算で(南北に)三・五海里進んだとする。そのとき、どうすれば経度で(東西に)二十五海里も進むことができるのだろうか? 仮に緯度は変化させずに真西に二十四海里進んだとしても、いったいどうすれば東西方向に二十五海里も進めるというのだろうか? 人間が論理的に考える存在である限り、帆走した総距離プラス一海里もの経度を進むことが、どうすれば可能になるのだろう?

使ったトラバース表は定評のあるもので、ほかならぬバウディッチの本だ。(航海術の規則がそうであるように)計算に使うルールは単純だった。ぼくが間違ったということではない。この問題で一時間も悩んでしまった。進んだ距離は二十四海里のはずなのに、どうしても緯度で三・五海里、経度で二十五海里も進んだ計算になるのだ。最悪なのは、誰も助けてくれる者がいないということだ。チャーミアンもマーティンも、航海術の知識はぼくとどっこいどっこいだ。しかも、その間もスナーク号はずっとニューへブリディーズ諸島のタナ島に向かって進んでいるのだ。何とかしなければならなかった。

その思いつきがどうやって浮かんできたのかわからないのだが、インスピレーションとでもいうのだろうか。ふとひらめいた。南に向かうことが緯度をかせぐことになるのであれば、西に向かうことは経度をかせぐことになるはずではないか? 西に進むのをいちいち経度に変換しなければならない理由は何だろう? すると、ぐっと視界が開けてきた。赤道では経度一度は距離にして六十海里である。極地では一点に集まっている。とすれば、ぼくが北極に到達するまでに経度百八十度を航海する必要があり、グリニッジの天文学者が経度ゼロを北極点までそのまま北上したとすれば、ぼくらが数千海里離れていたとしても互いに北極に向かって出発し握手をすることができるはずだ。話を元に戻すと、経度一度の幅は赤道で六十海里の距離になるのだが、同じ経度一度でも、北極ではそんな幅は存在しない。となれば、北極と赤道の間のどこかに幅が半海里のところや一海里のところがあるだろうし、十海里や三十海里、六十海里のところもあるはずだ。

[写真]
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村の娘たち(サモア諸島のサバイイ島)

すべてがまた明白になった。スナーク号は南緯十九度にいた。この場所の地球は赤道ほど大きくないのだ。だから、南緯十九度で西進すると、一海里ごとに経度で一分を超えてしまう。経度一度は六十海里で、一度は六十分だが、この六十分は赤道付近においてのみ六十海里の距離になる。ジョージ・フランシス・トレイン*2はジュール・ベルヌの記録を破った。しかし、ジョージ・フランシス・トレインの記録を破りたい者がいれば、誰にでも可能だ。高速蒸気船に乗ってホーン岬と同じ緯度をそのまま真東に進むだけでいい。高緯度では地球の経線間の距離はぐっと縮まっているし、避けなければならない陸地もない。その蒸気船が十六ノットを維持していれば、わずか四十日で地球一周できるだろう。

 

[脚注]
*1: トラバース表 - 航海で針路と緯度がわかれば目的地までの距離がわかるようにした表。二点間の距離は簡単な三角関数で計算できるが、その計算結果を一覧表形式にまとめたもの。

*2: ジョージ・フランシス・トレイン(1829年~1904年) - 高速のクリッパー型帆船による外洋航路や大陸横断鉄道の開発を行ったアメリカの実業家。ジュール・ベルヌの『八十日間世界一周』は彼の世界旅行にヒントを得て、主人公のフィリアス・フォッグのモデルはトレインだとされる。なお、時系列で整理すると、ベルヌの本の出版はトレインの旅行が話題になった数年後なので、ジョージ・フランシス・トレインが八十日間世界一周という本の記録を破ったというのは、航海記の執筆から四十年ほど前の話で著者の記憶違いかもしれない。

スナーク号の航海(71) - ジャック・ロンドン著

こうした激しい自問自答が続いて頭はくらくらするし、ぼくは今日がいつなのかもわからなくなった。

スバのハーバーマスターが別れ際に言った忠告を思い出した。「東経では航海暦*1から前日の値をとるんだよ」

新しい考えが浮かんだ。ぼくは日曜と土曜の均時差を修正した。二つを別々に計算して結果を比べると、なんと○・四秒の差しかなかった。ぼくは生まれ変わった。堂々巡りの袋小路から抜け出す道を見つけたのだ。スナーク号はぼくの体や経験をかろうじて支えるほどの大きさしかない。〇・四秒を距離に換算すると一海里の十分の一にすぎず、わずか二百メートルほどではないか!*2

それから十分間ほどは幸せだった。偶然に航海士のための次のような箴言を知るまでは。

グリニッジ時の方が遅ければ
東経
グリニッジ時の方が早ければ
西経*3

ふむふむ! スナーク号の時間はグリニッジ時より遅くなっている。グリニッジで八時二十五分のとき、スナーク号の船上ではまだ八時九分だった。「グリニッジ時の方が早ければ西経」なのだ。西経にいることは間違いない。

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サモア諸島のサバイイ島の村娘

「ばっかじゃねえの!」と、ぼくの頭の固い方が叫んだ。「あんたは午前八時九分で、グリニッジは午後八時二十五分だろ」

「むろんそうだ」と、ぼくの理性が答える。「正確に言うと、午後八時二十五分は二十時二十五分だ。つまり、八時九分よりは確かに早い。議論の余地はない。西経にいるんだ」

すると、ぼくの頭の固い方が勝ち誇る。

「ぼくらはフィジーのスバから出帆したんじゃなかったっけ?」と。理性が同意する。「スバは東経だったろ?」 またも理性がうなづく。「そこからぼくらは西に向かったんだろ(つまり東経側の半球を進んだ)? とすれば、東経から出ているはずがない。ぼくらは東経にいるんだ」

「グリニッジ時の方が早ければ西経」と、ぼくの理性が繰り返す。「二十時二十五分は八時九分より進んでるわけだ」

「わかったわかった」と、ぼくは口論に割り込む。「まず太陽を観測しよう。話はそれからだ」

それから作業をすませ、割り出した経度は西経一八四度だった。

「ほらね」と、理性が鼻で笑う。

ぼくはあぜんとした。頭の固い方も同じで、しばらくは呆然としていた。そうしてやっと宣言した。

「西経一八四度なんてありえない、そんなの東経にもない。経度は一八〇度までだって知ってるだろ」

こうなると、頭の固い方は緊張に耐えきれずに倒れ、理性は間抜け同然に沈黙した。ぼくはといえば、希望を失い、目はうつろで、中国の海岸に向かって航海しているのか、それともパナマのダリエン湾に向かっているのだろうかと思い惑って歩きまわるしかなかった。

やがて自分の意識のどこからともなく、こう言うかすかな声が聞こえた。

「経度はぐるっとまわって三六〇度だ。三六〇度から西経一八四度を引くと、東経一七六度になるんじゃないか」

「単純すぎるだろ」と、頭が固く融通のきかない方が異議をとなえる。論理にたけた理性も抗議する。「そんなルールはない」

「ルールなんてくそ食らえだ!」と、ぼくは叫ぶ。「ぼくはここにいるじゃないか」

「自明のことさ」と、ぼくは後を継いだ。「西経一八四度は東経と四度だけ重複してるってことなんだ。それにぼくらはずっと東経にいたんだ。フィジーから出発したが、フィジーは東経だ。海図に現在位置を入れて、推測航法で証明してみせるさ」

脚注
*1: 航海暦(Nautical Almanac)については、日本では天文暦と呼ぶことが多い。天文略歴は日本近海用の簡略版。

*2: 一海里は1852メートル。ただし、○・四秒が1/10海里というのは、いろんな計算をしても合わないので、計算違いの可能性はある。ちなみに、子午線(経度)間の距離は赤道上が最大で、緯度が高くなるほど短くなるので、単に時差だけで距離は計算できない。

*3: 今はこういう言い方はあまりせず、西経か東経かは、グリニッジ時に対して単純にプラスかマイナスか(足すか引くか)と考えるのが一般的。規準は、自分のいるところではなく、あくまでもグリニッジにあるということを大前提にして計算すると迷わない。
日付の問題や東経か西経かということで悩むのは、経度がグリニッジを〇度にして東回りに東経、西回りに西経として目盛りをつけ、地球の反対側で東経一八〇度=西経一八〇度=日付変更線になっているため。
これが一方向に○度から三六○度とし、日付変更線=○度としておけば、話はぐっと簡単になる。

スナーク号の航海(70) - ジャック・ロンドン著

方位磁石は油断がならない。北以外のあらゆる方向を指して船乗りをだまそうとするのだ。だから空の方角や太陽の方向を知ろうとしても、所定の時間に所定の場所にあるべきものがなかったりする。これが太陽となると大問題で――少なくとも、ぼくの場合は問題になってしまった。自分が地球上のどこにいるのかを知ろうとすると、まず、きっかり同じ時間に太陽がどこにあるのかを知らなければならない。いわば太陽は人間にとってのタイムキーパーなのだが、これが時間通りに動いてくれないのだ。それを知ったとき、ぼくは呆然となり、宇宙は疑問だらけになってしまった。万有引力やエネルギー保存のような不変の法則すら信用できなくなり、妙ちくりんなことを目撃しても驚かないよう心づもりまでした。たとえば、方位磁石が間違った方向を指すと、太陽の軌道も定まらなくなってしまい、互いの関係が失われて意味がなくなってしまう。永久運動だって可能になるし、ぼくははじめてスナーク号に乗船したやり手の代理人から永久機関と評判のキーリーという発明家のモーターを買おうかなという気になったくらいだ。日の出と日の入りは年に三百六十五回ずつだが、地球は本当は一年に三百六十六回自転していると知ったときには、ぼくは自分が何者であるかすら疑ってかかるようになってしまった。

これが太陽の流儀なのだ。とても不規則で、人間が太陽の時間を記録する時計を考案するなど無理な話だ。太陽は加速したり減速したりするので、それに応じた時計を作ることはできない。太陽の運行は予定より早くなることもあれば遅くなることもある。天空を移動するときに、あるはずの位置にいようとして加速して速度制限を破ることもある。早くなりすぎても速度を落として調整したりはしないので、その結果として、やはり位置がずれてしまう。実際、太陽が偶然にも所定の位置にあるというのは、一年のうち四日だけだ。残りの三百六十一日は予定より早かったり遅かったりしている。太陽にくらべれば人間はきちんとしていて、正確な時を刻むための時計を作った。さらに、太陽が予定よりもどれくらい早いのか、あるいは遅れているのかまで計算した。誇り高い太陽の実際の位置と、控えめに言っても太陽が本来あるべき位置との差については、均時差*1と呼ばれている。海上で自船の位置を割り出そうとする航海士は、まずクロノメーターを見て太陽があるはずの場所をグリニッジ標準時に基づいて確認する。それから、その場所に均時差を適用し、太陽があるべきだがない場所を割り出す。この後者の位置を、他のいくつかの位置と合わせれば、海のないカンザス州出身の男でも現在地を知ることは可能になる。

スナーク号は六月六日土曜日にフィジーを出帆し、翌日の日曜には大海原に出て陸は見えなくなった。ぼくはクロノメーターで時間を調べて経度を計算し、子午線観測で太陽の高度から緯度を求めた。午前中にクロノメーターで時間を調べて太陽の位置を確認したが、この午前の天測では、太陽の高度は水平線から二十一度だった。天測暦を見て六月七日当日の太陽が一分二十六秒遅れていることと、一時間に十四・六七秒の割で遅れを取り戻しつつあるのを知った。つまり、クロノメーターでは、太陽の高度を測定した正確な時間はグリニッジで八時二十五分過ぎだったのだが、この日付から均時差を補正するのは小学生でもできる計算だ。だが、残念ながら、ぼくは小学生ですらなかった。正午にグリニッジで太陽が一分二十六秒遅れているのは明白だ。測定時間が午前十一時だったとすれば、太陽はそれから一分二十六秒プラス十四・六七秒遅れだったことになる。午前十時だとすれば、十四・六七秒の二倍を加えればよい。で、実際には午前八時二十五分だったので、三と二分の一かける十四・六七秒を加えなければならない。これははっきりしているのだが、仮に午前八時二十五分ではなく午後八時二十五分だったとすると、八と二分の一かける十四・六七秒を、今度は足すのではなく引かなければならない。また、正午であれば、太陽は予定の時間より一分二十六秒遅れていて、一時間に十四・六七秒ずつ挽回していくのであれば、午後八時二十五分には正午のときよりも本来の時間に近くなってくる。

ここまでは問題ない。が、クロノメーターの八時二十五分というのは午前なのか、それとも午後なのか? ぼくはスナーク号の時計を見た。八時九分を指していた。朝食を終えたばかりで午前のはずだ。だからスナーク号の船上では午前八時だった。クロノメーターの八時はグリニッジの時間に設定してあるので、スナーク号の八時とは別の八時のはずである。となると、どういう八時なのだろう? 今朝の八時ではありえないと、ぼくは論理的に考えた。となれば今日の夕方の八時か昨夜の八時にちがいない。

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スナーク号のボートに乗った南太平洋の美女たち

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南太平洋の住民
自分の頭が底なし沼に入りこんで混乱するのはこの時だ。ぼくらは東経にいる、とぼくは理性的に考える。だからグリニッジより時間は進んでいるはずだ。もしぼくらがグリニッジより遅れているのであれば、今日は昨日ということになる。グリニッジより早いのであれば、昨日が今日であり、昨日が今日ならば、いまの昼間は今日なのだろうか! ──それとも明日なのだろうか? そんなバカな! だが、これで正確なはずだ。ぼくは午前八時二十五分に太陽高度を測定した。グリニッジにいれば昨夜の夕食を終えたところのはずだ。

「では昨日に対して均時差を補正しよう」と、ぼくの論理脳が言った。
「だけど、今日は今日だぜ」と、ぼくの融通のきかない頭が主張する。「昨日じゃなくて今日に対して太陽を補正しなきゃ」
「だけど、今日は昨日なんだ」と、ぼくの論理脳が言い張る。
「わかってるさ、そんなこと」と、ぼくの固い頭が語を継ぐ。「もしぼくがグリニッジにいるのであれば、ぼくは昨日にいる。グリニッジでは奇妙なことが起こるんだ。だが、ぼくは自分が今ここにいるということを知っている。で、今日は六月七日だし、ぼくはここで太陽を補正しなければならない。今、今日、六月七日でね」
「ばかなことを!」と、ぼくの論理脳が反論した。「レッキーによれば──」
「レッキーの言うことなんか気にするなよ」と、ぼくの現実的な頭がさえぎる。「天測暦になんて書いてあるか見てみよう。天測暦は、今日六月七日には、太陽は一分二十六秒遅れており、一時間に十四・六七秒の割で追いついてくる。昨日の六月六日には太陽は一分三十六秒遅れで、一時間に十五・六六秒の割で追いあげていく。わかっただろ、今日の太陽を昨日の時間表で補正しようとするのはバカのすることだって」
「愚か者め!」
「間抜けめ!」
[脚注]

*1: 均時差-真太陽時(目に見える実際の太陽)と平均した計算上の太陽の時間との差。