スナーク号の航海 (84) - ジャック・ロンドン著

第十六章

ピジン語*1

白人の交易商人の数が多いこととエリアが広いこと、原住民の言語や方言が二十以上もあるということになれば、交易商人たちは、まったく新しい、科学的とはいえないものの、完全に実用に適した言葉を作り出す。そうやって実際に作り出された言葉の例が、ブリティッシュ・コロンビアやアラスカ、北米のノースウェスト地域で使われているチヌーク語だ。アフリカのクルメン族の言葉や極東のピジン英語、南太平洋西部のピジン語もそれに該当する。このピジン語というやつ、広い意味でピジン英語と呼ばれることが多いが、いわゆるピジン英語とははっきり違っている。どれくらい違っているかについては、中国語で伝統的な数に関係してピーシーを使うことがないという事実を指摘すれば十分だろう。

たとえば船長が現地人のボスを船室に呼ぶ必要があり、そのボスが甲板にいるとする。船長は中国人の接客係には、こう指示する。「ヘイ、ボーイ、ユー、ゴウトゥ、トップサイド、キャッチー、ワン・ピーシー・キング(おい、君、上まで行って大将をつかまえてきてくれ)」 接客係がニューヘブリディーズ諸島かソロモン諸島出身だったら、その指示はこうなる。「ヘイ、ユーフェラ、ボーイ、ゴウ、ルックン、アイ、ビロンギューアロングデッキ、ブリングン、ミーフェラ、ワン、ビッグフェラ、マースター、ビロング、ブラックマン(おい、そこの君、甲板まで探しに行って、この私のところに黒人の大将を連れてきてくれ)」

初期の開拓者たちの後にメラネシアを航海した最初の白人たち、ナマコ漁の漁師や白檀の売買商人、真珠取り、労働者を集めてまわる者たちがピジン語を発明したのだ。たとえば、ソロモン諸島では、二十もの言語や方言が話されている。交易商人たちがそうした方言を覚えようとしても無理である。というのも、行く先々で言葉が違うし、それが二十もあるのだ。共通の言語が必要だ――子供でもおぼえられる、単純で、実際に使う現地の連中のオツムの程度に合わせて語彙も制限された言語が。交易商人たちは理詰めでそういうものを案出したのではない。ピジン語は条件と状況の産物である。機能が組織に先行している。ピジン語が誕生する前から、まず統一されたメラネシアの言語の必要性があったのだ。ピジン語はまったく偶然の産物だった。しかも、言語は必要性から生まれるという事実に裏づけされたピジン語の由来は、エスペラント*2の信奉者にとっても大いに参考になるだろう。

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マライタ島の男

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マライタ島の美女

語彙が限定されるため、一つ一つの言葉には多くの意味が割り当てられることになる。ピジン語でフェラ(やつ)は、一人を指す場合もあるし、可能なあらゆる結びつきで使用されることもある。よく使われるもう一つの言葉は「ビロング(属する)」である。単独では使わない。すべて関係性において使用される。ほしいものは、別のものとの関係で示される。未発達の語彙では表現も素朴になる。雨が降り続くことは、レイン、ヒー、ストップ(雨、やめ)と表現される。サン、ヒー、カムアップ(日が昇る)は誤解の余地がないが、語句の構造自体は変えず、一万通りもの異なる意味を伝えられる。たとえば現地の人が君に、海に魚がいるのを知らせようとする場合、「フィッシュ、ヒー、ストップ(魚、いる)」と言うのだ。イザベル島での取引の最中に、ぼくはこの用法の利便性を悟った。ぼくはペアの大きな(三フィートもある)クラムシェルを二つ三つほしかったのだが、内部の肉は別にいらなかった。もっと小さいクラムの肉でクラムチャウダーを作りたかった。それで、ぼくの原住民への頼は最終的にはこうなった。「ユーフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ノーストップ、ヒーウォークアバウト。ユーフェラ、ブリング、ミーフェラ、スモールフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ストップ(君、クラム――食べ物、いらない、肉はよそに行く。君、持ってくる、ぼくに、小さいクラム――食べるやつ、いる)」

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ベラ・ラベラの男

カイカイとは、食い物、肉、食事を指すポリネシア語だ。だが、この言葉は白檀の交易商人によってメラネシアに持ちこまれたのか、ポリネシア人が西に流されて伝わったのかは、よくわからない。ウォークアバウト(歩きまわる)という表現は、ちょっと変わった使い方をされる。ソロモン諸島の船乗りにブームを扱うよう命じると、彼は「ザッツフェラ、ブーム、ヒー、ウォークアバウト、ツーマッチ(あいつ、ブーム、うごきまわる、ひどく)」と言うのだ。そしてその船乗りが海岸での自由を求めた場合、ウォークアバウトするのは自分だと述べるのだ。その船乗りが船酔いすると、彼は自分の状態について「ベリー、ビロング、ミー、ウォークアバウト、ツーマッチ(胃、オレの、むかむか、とても)」と説明するだろう。

訳注
*1: ピジン語(Bêche de Mer English)。Bêche de Merはフランス語でナマコを指す。ソロモン諸島付近はナマコの産地でもあるので、そう呼ばれる。
英語は世界のいたるところで話されているが、現地の言葉と組み合わされ、独特の方言として定着したものも多い。東南アジアから南太平洋にかけてのそれは特にピジン英語と呼ばれる。これは一説には中国語の business がなまってピジンと聞こえるためともされる。
たとえば、日本のテレビドラマで日本語のできる中国人という設定の登場人物が、語尾に「~あるね」という独特の表現を使ったりするが、こういう日本語はいわば「ピジン日本語」になる。その英語版がピジン英語だ。

*2: エスペラント。ポーランドの眼科医で言語学者のL.L.ザメンホフが世界共通の言語をめざして作った人工の言葉。文法は単純明快で、スナーク号の航海の二十年ほど前に発表されたばかりだった。二十一世紀の現代から見ると、なぜ当初予想されたように普及しなかったのかのヒントがここにあるかもしれない。つまり頭脳明晰な人が考え出した論理的で合理的な言語が必ずしも人間にとって現実に必要な言葉になるとは限らない、ということだ。

4. 六分儀の使い方

ここでは、六分儀の使い方について理解しよう。

六分儀は、船の航海で天体の位置(角度や高度)を観測して現在位置を知るために必須の道具で、帆船やヨットの外洋航海では、こんな光景がよく見られる。
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観測しているのは『野生の呼び声』などの作品で知られる作家、ジャック・ロンドン (『スナーク号の航海』より)

ひとくちに六分儀といっても、時代やメーカーによってさまざまなので、一般に共通する部分の名称を示し、その仕組みについて説明する。

4-1 各部の名称

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写真は、日本で六分儀の代名詞になっているTAMAYA製のMS-733。
わりと新しい、ごく標準的なもの。軽合金製で重さは二キロ弱。
これを重いと思うか軽いと思うかは、使う人の体力と体調によるだろう。
長期の航海で疲れているときは、これを構えるだけでも結構な重さに感じることもある。

(1) 望遠鏡 telescope
(2) 動鏡 index mirror
(3) シェードグラス index shades
(4) 水平鏡 horizon mirror
(5) シェードグラス horizon shades
(6) 弧(アーク) arc
(7) 儀面 body
(8) マイクロメータ micrometer
(9) バーニャ vernnie

(10) 指標棹 index arm
(11) レバー release levers

(12) ハンドル handle

それぞれ役割
(1) 望遠鏡は、もちろん、ここに目を当ててのぞく。
(2) 動鏡(インデックスミラー)は天体をここに反射させて水平鏡に像を送る。
(3) シェードは濃淡が数段階あり、太陽を見るときは濃い色を使用する。
(4) 水平鏡は望遠鏡から素通しで水平線が見えるが、同時に動鏡からの映像を反射させて望遠鏡に送る働きもする。
(5)シェードは(3)と同じ。天候など周囲の状況によって適したものを選ぶ。
(6) 弧(アーク)はスケールともいい、1度ごとに目盛りが刻んである(-5~+125)。
(7) 扇形の儀面は鏡や望遠鏡を取り付ける本体部分。
(8) マイクロメータはアークの角度の微調整を行う。
(9) バーニャでは1度以下の角度を読む(0.2’)。
(10) 指標棹(インデックスアーム)を動かして角度を調整する。動鏡と一体。
(11) 指標棹の下にあるレバー二本を同時につまむと指標棹が動く。離すと固定される。
(12)ハンドルは写真に見えている側の裏側にあり、右手で持つ。

4-2.天体と水平線を見る仕組み

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上図でわかるように、天体の映像は動鏡で反射して、水平鏡に送られ、そこからさらに反射されて望遠鏡に送られる。
と、同時に、望遠鏡の視界には水平線もそのまま見えている。
天体の映像と水平線の実像が一直線に並ぶように、指標棹(インデックスアームの角度を調節する。
レバーで大体合わせ、マイクロメータを回して微調整する。

4-3. 実際の観測手順
A.六分儀を調整する。
(1) 動鏡(インデックスミラー)と水平鏡(ホライゾンミラー)は儀面(本体)と直角になっていなければならない。

確認し調整する方法はメーカー/製品によって異なるので、それぞれの説明書を見て確認する必要があるが、たとえば、動鏡が直角かどうかは「鏡に映る弧と直接に目で見える弧が直線になっていれば直角、屈折していれば直角ではない」といったことでわかる。近くに調整ネジ(または類似の仕組み)があるはずなので、それで調節する。

水平鏡の直角は普通に縦にして持ったときの「水平線と映像が一直線になっている」状態で、そのまま六分儀を倒していって水平にしてもなお「一直線」であれば直角、そうでなければ直角ではないので、ネジ等で調整する。

(2)器差(インデックスエラー)の改正

指標棹(インデックスアーム)を弧の00’に合わせたときに、動鏡と水平鏡は平行になっていなければならない。

指標棹(インデックスアーム)を00’に合わせて、水平線を見る。
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こうなっていればOK。
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こうなっていれば調整ネジで一直線になるようにする。

さらに正確さを確認するには、そのままの状態で六分儀を傾けて、なおかつ一直線になっているかチェックする。必要に応じて調節する。
ただし、どう調節しても段差が消えない場合は、マイクロメータで指標棹を動かして一直線にし、その時の角度をメモしておき、後で計算により加減する。

B.調整終了後、実際に天体の角度を測る。
太陽を見る場合はかならず濃いシェードを使うことを忘れないように。

ヒント: 体がふらふらしない場所や体勢を確保し、天体のおよその高さを推測して、あらかじめ六分儀をその角度にしておくと、割と楽に天体と水平線の両方を捕らえることができる。
望遠鏡に水平線と太陽の両方が入ったら、マイクロメータで微調整して位置を合わせる。
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普通はこのように太陽の下辺を合わせる。

C.目盛りを読む。弧(アーク)は度単位なので、それ以下はマイクロメータとバーニャで読む(0.2’単位)。目盛りの中間は比例させて読む。

4-4 人工の水平線を使う

実際に海に出ると、太陽などの天体は見えるのに水平線がはっきりしないことはよくある。代表的な例は海霧だが、それに限らない。

で、そういうときに便利なのが人工水平線 (アーティフィシャルホライゾン)だ。
専用の器具がある。
多少の差はあるが、大体はこんな形をしている。
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ま、洗面器のような容器に水を入れて、水面を通して太陽を見ても測定可能だが、風などで水面が揺れると映った像も揺れるので、専用の方が使いやすい。

仕組みはこうだ。
artificialhorizon
六分儀と人工水平線に差しこむ太陽からの光線は平行とみなすことができる。
水面の入射角と反射角は等しいので、●はすべて同じ角度になる。
つまり、六分儀で測定した角度を2で割ると天体の高度になる。

これは水平線の見えない陸上で六分儀による天体の高度観測の練習にも使える。
この場合、高度改正で、眼高による改正は不要になる。

スナーク号の航海(83)

その夜、コールフェイルド氏は警告を発した。ぼくらが募集した労働者の一人に、貝の貨幣を五十ファザムとブタ四十匹の賞金がかかっているというのだ。船の略奪に失敗した森の民は、その男の首を狙うことにしたらしい。殺し合いが始まってしまうと、いつ終わるのかはわからない。それで、ヤンセン船長は武装したボートで浜辺まで行った。ウギというボートの乗組員の一人が立ち上がり、船長に代わって話をし、夜間にカヌーを見つけたら鉛弾を撃ちこんで沈めてしまうぞと警告した。ウギは宣戦布告したわけだ。そうして、次のように締めくくった。「おまえらがオレの船長を殺したら、オレは船長の血を飲んで一緒に死んでやる!」

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市場へ向かう海の民の女たち――マライタ島マル

森の民は腹いせに無人の宣教師館を燃やして森に引き上げていった。翌日、ユージニー号がやってきて投錨した。ミノタ号は三日と二晩の間、座礁していた。それからやっと離礁し、穏やかな海面に錨を降ろした。ぼくらは全員がそこでミノタ号に別れを告げてユージニー号に乗り移り、フロリダ島に向けて出発した*1。

原注1
スナーク号のぼくらだけに異常に病人が多かったわけではないと指摘しておくため、ここでユージニー号の航海日誌から、ソロモン諸島の航海の例とみなせるものを引用しておこう。

ウラバ、木曜、一九〇八年三月十二日
朝、ボートで上陸。2つの荷を入手。ゾウゲヤシの実とコプラ四千個。船長は熱病で寝こんでいる。

ウラバ、金曜、一九〇八年三月十三日
森の民から堅果1トン半を購入。航海士と船長が熱病で寝ている。

ウラバ、土曜、一九〇八年三月十四日
正午、揚錨し、東南東の微風でンゴランゴラへ向かう。水深八尋(ひろ)で錨泊――海底は貝とサンゴまじり。航海士、熱病で寝たまま。

ンゴランゴラ、日曜、一九〇八年三月十五日
夜明けに、ボーイのバグアが赤痢で死んでいると判明。罹患して約十四日目。日没時に、南西から激しいスコール。(二つ目の錨を用意した)。スコールは一時間三十分続いた。

海上、月曜、一九〇八年三月十六日
午前四時にシキアナに向けて針路を設定。風が落ちた。夜間、激しいスコール。船長ともう一人が赤痢に罹患。

海上、火曜、一九〇八年三月十七日
船長と二名の乗組員が赤痢で寝こむ。航海士は熱病。

海上、水曜、一九〇八年三月十八日
波が高い。風下側の舷はずっと海水に洗われている。縮帆したメインセールに、ステイスルとインナージブで帆走。船長ほか三名が赤痢。航海士は熱病。

海上、木曜、一九〇八年三月十四日
視界が悪く何も見えない。常に強風が吹いている。ポンプが詰まったのでバケツで排水。船長と五名のボーイが赤痢で寝こむ。

海上、金曜、一九〇八年三月二十日
夜にハリケーンなみのスコール。船長と六名が赤痢。

海上、土曜、一九〇八年三月二十一日
シキアナから戻る。終日、スコール。豪雨と高波。船長と元気だった乗組員が赤痢。航海士は熱病。

といった具合で、ユージニー号の航海日誌では来る日も来る日も、こんな調子で、船上のほとんどの者が病に倒れている。唯一の変化は三月三十一日で、この日には航海士が赤痢に倒れ、船長が熱病で寝こんだ。

スナーク号の航海 (82) - ジャック・ロンドン著

ミノタ号は手を抜かずに建造されていた。こういうことは、船が岩礁に乗り上げたようなときにものを言う。船が何に耐えたかについては、座礁して最初の二十四時間に二本の錨鎖がちぎれ、八本の太いロープが切れたという事実でもわかるだろう。乗組員たちは海に飛びこんでは錨を探して新しいロープを結びつける作業に忙殺された。ロープで補強した鎖が切れたりもした。それでも、まだ耐えていた。キールや船底を守るため、海岸から三本の大木を運んで船の下に押しこんだが、太い幹もずたずたになって裂けてしまい、それを固縛していたロープもぼろぼろになった。船は何度もドシンドシンとぶつけられたが、持ちこたえた。だが、ぼくらはアイバンホー号より幸運だった。アイバンホー号は大型のスクーナーで労働者の募集に使われていたのだが、数カ月前にマライタ島の海岸に乗り上げてしまい、たちまち原住民による略奪にあったのだ。船長と乗組員はボートで脱出に成功したものの、陸の民と海の民が持ち運べるものをすべて運び出してしまった。

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ケウムの人々――ソロモン諸島
土砂降りの雨が続き、眼もあけていられないほどの強風がミノタ号をおそっている。海は大荒れになってきた。五マイルほど風上にユージニー号が錨泊していた。が、途中に岬があって視界をさえぎっているため、ミノタ号のトラブルに気づくはずもなかった。ヤンセン船長の提案で、ぼくはケラー船長宛に、余分に錨があれば持ってきてもらえないかという手紙を書いた。しかし、その手紙を運んでやろうというカヌーは一隻もなかった。半ケースのタバコをやると言ったのだが、連中はニヤッと笑うだけで、またすぐ離れてしまうのだ。半ケースのタバコといえば三ポンドの価値がある。風や波は高かったが、その手紙を運ぶほんの二時間ほどの手間をかけるだけで、農園で半年汗水流してやっと手にする賃金に相当する価値のあるものを受けとれるのに。ぼくはコールフェイルド氏がボートで錨を運んでいるところまで、なんとかカヌーを漕いでいった。彼ならぼくらより原住民に対する影響力があるだろうと思ったのだ。氏は周囲のカヌーを自分のところに呼び集めた。二十人ぐらいが近づいてきて、半ケース分のタバコをやるという話に耳を傾けた。皆、無言だった。

「君たちが何を考えているのか、私にはわかる」と、伝道師は語りかけた。「座礁したあの船にはたくさんのタバコが積んであるはずだから、それをごっそりいただこうと思ってるんだろう。だがね、船にはライフルもたくさんあるんだよ。タバコどころか銃弾をくらうことになるぞ」

やっとのことで、小さなカヌーに乗った男がその手紙を運んでくれることになり、一人で出発した。救助を待つ間も、ミノタ号では作業が続けられた。水タンクを空にし、円材や帆、バラストを陸に運ぶ。ミノタ号が揺れるたびに船上には活気が戻った。交易品を詰めた箱やブーム、八十ポンドもある鉄のバラストが一方の舷からもう一方の舷まで飛び交うたびに、二十人もの男たちが押しつぶされないよう逃げまわるのだ。かわいそうに、この船はおだやかな港内での帆走用に建造された華奢なヨットだったのに! 甲板も動索もぼろぼろになっていた。甲板の下では、何もかもがひっくり返っていた。船室の床にはバラストを取り出すための穴が開けられていたし、錆の浮いたビルジが船底でびちゃびちゃはねていた。ライムを入れた樽が、調理中のシチューからこぼれた団子のように、小麦粉をぶちまけた海水にプカプカ浮かんでいた。奥の船室では、ナカタがライフルと弾薬を守っていた。

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市場に出かけてゆく森の民の女たち――マライタ島マル

手紙を持って出発してから三時間がたった。激しい風雨をついて、一隻のボートが巨大な帆を揚げてやってきた。ケラー船長だった。雨と波しぶきでずぶ濡れになっていたが、ベルトには拳銃を差し、ボートの乗組員は完全武装していた。ボート中央には錨とロープが山のように積みこまれていた。突風も顔負けの迅速さだった――白人が白人の救助に来てくれたのだ。

ハゲタカのようにじっと待っていたカヌーの列が乱れ、来たときと同じようにあっという間に消えてしまった。結局、一人の死者も出なかった。これでボートは三隻になったので、二隻がミノタ号と海岸との間を往復し、もう一隻が錨を担当した。切れたロープを補修し、失った錨を回収した。その日の午後遅く、話し合いをし、船の乗組員の数と採用した地元の労働者が十人になったことを考慮して、ぼくらは乗組員の武装を解いた。それで、両手を自由に使って船の作業に専念できるようになった。ライフルはコールフェイルド氏の手伝い五人に預けた。壊れた船室では、伝道師と彼が改宗させた地元の少年たちがミノタ号を救ってくれるよう神に祈っていた。印象的な光景だった。一点の曇りもなく信じて祈っている丸腰の男の背後で、元は野蛮だった連中がライフルを持ち、アーメンと唱えているのだ。船室の壁が揺れた。船が持ち上がり、波が寄せるたびにサンゴにぶつかった。甲板からは吐いたり疲労困憊した声や、目的も腕力もある連中が別の流儀で祈ったりする大きな声が聞こえてきたりした。

スナーク号の航海(81) - ジャック・ロンドン著

もう一つの人工島のスアヴァで、チャーミアンは二度目の災難にあった。スアヴァで一番の大物だという男(つまり、スアヴァで最高の偉い人)が船に乗ってきたのだ。だが、そいつは最初、ヤンセン船長に自分の高貴な身を包みかくす布が必要だと使者を送ってきた。その間、船に横づけしたカヌーから出ようとはしなかった。この高貴な人の胸には垢が半インチほどの厚さでこびりついていた。その下の層の汚れは十年から二十年は経っていそうだった。貴人はまた使者を船によこした。使者はスアヴァの大君の意向として、ヤンセン船長やぼくに握手する栄誉を与え、ステッキや取引用のたばこをもらってやってもよいが、名門たる自分の立場では女ふぜいと握手をすることは、とうていできることではない、というのだった。かわいそうなチャーミアン! マライタ島での女性蔑視の体験から、彼女はすっかり生まれ変わっていた。表向きはおそろしく従順で謙虚になっていた。ぼくらが文明世界に戻って歩道を歩くときに、彼女が一ヤードほど後ろからうつむいてついてきても驚きはしないほどだ。

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ソロモン諸島のカヌー

スアヴァでは、そうたいしたことは起きなかった。地元出身のコックのビチュが職務放棄して逃げた。ミノタ号は走錨した。激しい風雨に襲われた。航海士のヤコブセンとワダが発熱して病に倒れた。ぼくらの潰瘍はひどくなり拡大した。船にいたゴキブリが七月四日の独立記念日と戴冠式のパレードを一緒にしたような賑わいで歩きまわっていた。きまって深夜に狭い船室に出没した。長さは二、三インチあった。何百匹もいて、それがぼくらの体の上をはいまわるのだ。捕まえようとすると、固い床からパッと飛び上がり、ハチドリのように羽ばたいて移動した。スナーク号にいるゴキブリよりも、ずっと大きかった。スナーク号のゴキブリはまだ幼くて、成長しきれていないのかもしれない。また、スナーク号にはムカデもいた。長さが六インチもある大きなやつだ。ときどき見かけて殺したが、たいていはチャーミアンの寝床にいた。ぼくは二度かまれた。卑怯にも、どちらも眠っているときだった。とはいえ、かわいそうなのはマーチンで、運に見放されていた。病気で三週間も寝ていたのだが、やっと起き上がれるようになったものの、一日で元に戻ってしまった。冒険航海に出てみようなんて夢にも思わない人は賢明だと、ときどき思ったりもする。

この後、ぼくらはマルに戻り、七人の労働者を集めた。錨を上げて、出口に向かった。ここは危険な場所だ。風が急変し、荒々しい岩礁に押し寄せている流れも強くなった。そこをかわして外海に出ようというまぎわに、風向が四十五度も変化した。ミノタ号はそれに合わせてタッキングしようとしたが失敗した。ツラギで錨を二個も失っていたので、残った一つを投錨した。チェーンが出て行き、サンゴにしっかり食いこんだ。ミノタ号の細長いキールが海底に当たった。メインのトップマストが大きく揺れ、それから激しく振動した。頭上に落ちてくるんじゃないかと思うほどだった。急に停止してチェーンがゆるんだところに、大波が押し寄せてきて船にぶつかった。チェーンが切れた。それが残った唯一の錨だった。ミノタ号はぐるりと向きを変えると、そのまま船首から砕け散る波に突進していった。

ひどい混乱が起きた。農園の労働者として採用された連中は甲板の下にいたが全員が陸の民で海をおそれていたので、パニックになって甲板に飛び出してきて、てんでに駆けだした。と同時に、船の乗組員もライフルを取りに走った。彼らはマライタの海岸で起きたことを知っていた。片手は船のために、片手は原住民と戦うために、というわけだ。実際には彼らが片手で何につかまっていたのか、ぼくは知らない。ミノタ号は波に持ち上げられ、転がされ、サンゴにぶつけられるので、ともかく振り落とされないよう何かにつかまっている必要があった。陸の民は索具にぶらさがっていた。トップマストをしっかり見張っておくという発想はないようだった。乗組員たちは上陸用ボートで漕ぎ出し、ミノタ号がさらに岩礁の方に流されないよう、無駄と知りつつ懸命に曳航しようとした。その一方、ヤンセン船長と航海士、彼は発熱で青白い顔をして衰弱していたのだが、バラスト代わりに船底に放り込んであった壊れた錨をまた使えるようにしようと、ストックを取りつけていた。コールフェイルド氏が仲間の少年たちとボートで駆けつけてくれた。

ミノタ号が座礁した当初、周囲にカヌーはいなかった。しかし、青い空を旋回するコンドルのように、あらゆるところからカヌーがやってきた。乗組員たちはいつでもライフルを撃てるよう構え、それ以上近づくと殺すぞと警告した。連中は百フィート(約三十メートル)の距離を保っている。波が打ち寄せる危険な場所だが、黒っぽく不気味な姿で列をなし、パドルを漕ぎつつカヌーの位置を維持している。浜辺の方も、山から降りてきた陸の民ですし詰め状態だった。手に手に槍やスナイドル銃、弓やこん棒で武装している。事態を複雑にしたのは、農園の労働者募集に応じた十人以上の連中が、たばこや交易品、船上のすべてを略奪しようと浜辺で待ち構えている、まさにその陸の民の出身者だったということだ。

スナーク号の航海(80) - ジャック・ロンドン著

「どの殺人について話をしてるんですか?」と、ふいにクライフィールド氏がヤンセン船長に聞いた。どうも会話がちぐはぐだった。
ヤンセン船長は説明した。
「ああ、それは私が話しているのとちがいます」と、クライフィールド氏が言った。「昔の話ですよ、二週間も前のね」

チャーミアンにもとうとうランガランガでソロモン病の潰瘍ができてしまい、そのことで自分だけ無事ってのは許せないと思って、ぼくはひそかににんまりしていたのだが、そういう自分の性格を後悔するはめになったのが、ここマルでだった。それについては、クライフィールド氏にも間接的な責任があるのだ。氏はぼくらにニワトリをくれたので、ぼくはライフルを持って茂みに入っていった。そこでニワトリの首を落とすつもりだった。それはうまくいったのだが、ぼくは木につまづき、むこうずねをすりむいてしまった。その結果、ソロモン病の潰瘍が三カ所できてしまったのだ。これでぼくの潰瘍は五カ所になった。ヤンセン船長とナカタはガリガリにもかかった。ガリガリとは、文字通り、かゆいかゆいという意味だ。だが、残りのぼくらにしてみれば、それを訳す必要もなかった。船長とナカタが体をくねくねとくねらせる仕草を見ていれば、それだけでわかるからだ。

(いや、ソロモン諸島は昔ほど健康的なところではなくなっている。ぼくはイザベル島でこの原稿を書いているのだが、なぜこの島に来たのかというと、潮の干満を利用してスナーク号の船底を露出させて船底の銅板の汚れを落とすためだ。今朝、ぼくは何度目かの発熱が終わったところだ。とはいえ、また一日すれば熱が出るだろう。チャーミアンの発熱の間隔は二週間だった。ワダの体も熱でぼろぼろだった。昨夜、彼は肺炎の症状がすべて出た。タヒチ出身の頑丈な大男、ヘンリーはこの前の発熱から回復したばかりで、去年の小さくて酸っぱいリンゴのように甲板をごろごろしていた。ヘンリーもタイヘイイもソロモン病の潰瘍が広がっていた。連中はそれに加えてガリガリも併発した。これは有毒オークやツタウルシのような植物によるかぶれだ。それだけじゃない。何日も前に、チャーミアンとマーティン、それにぼくとで小さな島での鳩撃ちに出かけたのだが、それ以来ずっと苦しみが続いている。その小島では、マーチンもサメを追いかけていてサンゴの縁で足裏を切った――少なくとも、本人はそう言っているのだが、ぼくの見るところ理由は別にある。とはいえ、そのサンゴによる傷もすべて潰瘍になった。前回の発熱の前に、ぼくの潰瘍は消えたのだが、また新しいのが三つできている。それにしても、かわいそうなのはナカタだ! 三週間もの間、座ることもできなかった。昨日はじめて座ったのだが、ほんの十五分がやっとだった。あと一カ月もすればガリガリも直りますよと、カラ元気を出している。ガリガリはひどくかきむしったものだから、そこからさらに潰瘍が広がっていた。さらにさらに、彼は七度目の発熱で寝こんでしまった。ぼくが王様だったら、敵に対する最も残虐な処罰としてソロモン病に罹患させるよう命じるだろう。とはいえ、王様であってもなくても、そんな残酷なことはしてはいけないと思い直した)。

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女だけの市場

港内での帆走用に建造された小型の細長いヨットで農園の労働者を募集するのはお勧めできない。甲板には募集した労働者とその家族があふれている。メインキャビンでは連中がすし詰めになっている。夜になると、そこで眠るからだ。ぼくらの小さな船室への唯一の入口がこのメインキャビンを通っているので、ぼくらは連中を押しのけるか、またいで出入りした。それだけじゃない。全員が悪性の皮膚病にかかっているのだ。白癬にかかっている者もいれば、ブクアにかかっている者もいた。ブクアは野菜に寄生し皮膚から侵入して食い荒らす虫が原因だ。このかゆさは、とてもがまんできない。これにかかるとかきむしるので、こまかな乾いた皮膚片が空中に飛び散ってしまう。さらに、イチゴ腫もいれば他の皮膚病をわずらっている者も大勢いる。乗船してくる男たちは足にソロモン病の潰瘍があり、それがとても大きいので、つま先立ちしなければ歩けなかったり、足に穴があき、拳が骨のところまですっぽりと入ってしまいそうなくらいひどいのもいた。敗血症もよくある病気で、ヤンセン船長も鞘(さや)入りのナイフと帆を縫う針でどんどん手術していた。症状がどんなに絶望的であっても、切り開いて洗浄した後、彼は堅パンを水にひたして湿布し、その上からたたいていた。ぼくらは特にひどい場合には隅の方にに引っこんで昇汞(しょうこう)をふりかけた。ミノタ号の船上では、そうやって機をのがさず「快適なふりをして」生活しつつ、食べて眠った。

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造成中の人工島

スナーク号の航海(79) - ジャック・ロンドン著

ぼくらはランガランガから礁湖をさらに進んだ。マングローブの生い茂った沼沢地で、航路はミノタ号よりちょっとだけ幅があるかなというくらいだ。海沿いのカロカ村とアウキ村を通り過ぎた。ベニスを作った人々と同じように、ここの海の民はもともと本土から避難してきた連中だ。虐殺を逃れてきたのだが、森で生活するには弱すぎるので、砂州を島にしてしまったのだった。食料は海の幸に頼らざるをえず、しだいに海の民になっていく。やがて魚や貝を捕る方法を覚え、針や釣り糸、網や漁労用の仕掛けも作り出した。体つきもカヌーに適したものに変わっていった。歩きまわるのが苦手だが、いつもカヌーに乗っているので、腕は太くなり、肩幅も広かった。一方、腰まわりは小さく、足はかぼそかった。海の恵みを受けて豊かになり、岸辺で森の奥の連中とも交易を行っていた。とはいえ、この海の民と森の民との間には、はてしない反目があった。実際には取引の市が開かれる日だけ停戦になるのだが、普通は週に二回だ。森の民と海の民の女たちが物々交換を行うのだが、その間、森では百ヤードほど離れたところに武装した森の男たちが隠れていたし、海の方でも男たちがカヌーに乗って待機していた。市のある日に停戦協定が破られることはめったになかった。森の民も魚が好きだし、海の民も土地が狭い人工島では育てられない野菜をほしがっていた。

ランガランガから三十マイルほど進んだところで、ハッサカンナ島と本土の間にある航路に出た。ここで夜になり風も落ちたので、ボートを漕いでミノタ号を曳航した。懸命に漕いだが、潮の流れが逆だった。真夜中に、航路のど真ん中でユージニー号と遭遇した。大型のスクーナーで、この船も同じように人集めをしていたが、やはりボートで曳航されていた。指揮をとっているのはケラー船長で、二十二歳のがっしりした若いドイツ人だった。親睦を深めようとミノタ号に乗船してきたので、マライタ島の最新情報を交換しあった。船長の方は運にも恵まれ、フィウ村で二十人も集めていた。そこに滞在しているときに、いつものように殺し合いがあった。殺された少年は、いわゆる海で生きるようになった森の民だった。つまり、半分は森の民で海育ちだが、島には住んでいないという連中だ。彼が働いている農園に、三人の森の民がやってきた。彼らは友好的にふるまっていたが、しばらくして、カイカイをくれと言った。カイカイとは食い物のことである。それで、彼は火をおこし、タロイモを煮た。鍋をのぞきこんだとき、森の民の一人が銃で頭を撃った。男は火の中に倒れた。三人組はすかさず槍で腹を突き、切り裂いた。

「ひどいもんだよ」、とケラー船長はいった。「オレが殺されるとしたら、スナイドル銃で撃たれるのだけはごめんだね。パッと広がってさ! 頭に馬車が通り抜けられるくらいの穴が開いちまうんだから」

マライタ島に関してぼくが聞いた別の人殺しは、老人の殺害だった。森の民の重鎮がなくなったのだが、自然死だった。森の民で、自然死を信じる者なんていない。いままで自然死というのが存在しなかったからだ。死ぬというのは、銃で撃たれるか、斧でなぐり殺されるか、槍で突かれるかしかないのだ。それ以外の方法で誰かが死んだとなると、呪い殺されたということになる。ボスが自然死したとき、部族の連中はある家族にその罪をきせた。罰としてその一族の誰を殺すかは重要ではなかったので、一人暮らしの老人が選ばれた。その人なら簡単に殺せるだろうからだ。その老人はスナイドル銃を持っていなかったし、盲目だった。老人は自分がどんな目に遭うかを悟ると、矢を大量に集めた。スナイドル銃を手にした三人の勇敢な戦士が彼を夜襲した。戦いは一晩中続いた。森を何かが移動する音や何か鳴る音がすると、老人はすかさずそっちの方向に矢を射たのだ。朝になり、最後の矢がつきたところで、この三人の英雄は老人に忍び寄って頭を吹き飛ばした。

夜が明けても、ぼくらはまだ航路でうろうろしていた。へとへとに疲れてしまったので、この航路はあきらめて、広い海に出た。バッサカンナ経由で目的地のマルに向かって帆走した。マルの泊地は非常によかったが、陸とむき出しの岩礁との間にあるため、入るのは簡単、出るのは厄介という場所だった。風上に進むには南東の貿易風が必要だった。砂州のところは幅が広かったが、水深は浅く、常に潮が流れていた。

マルに住んでいる伝道者のクライフィールド氏が自分のボートで岸ぞいをやってきた。細身の繊細そうな人で、職務には情熱を抱いていた。分別があり実際家でもあって、神にとっては本物の二十世紀の使者といったところである。マライタ島のこの地にやってきたとき、約束の任期は六ヶ月だったんですよ、と彼は言った。その期間をぶじに生き延びると、氏は期間延長に同意した。それから六年が経過していたが、まだ滞在を続けているのだ。とはいえ、氏は自分がまだこれから六ヶ月以上も住むのかについては確信を持っていなかった。マライタ島で、氏の前任の布教者は三人いたが、そのうちの二人は任期満了前に熱病で死んだし、三人目は帰国の途中で難破していた。

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海の民が作った人工島のアウキ島。

スナーク号の航海(78) - ジャック・ロンドン著

ソロモン諸島ではよくあることだが、船上でのジョニーの仕事は、たばこと交換で、上陸用ボートの帆柱やメインスル、ジブを取り戻すことだった。その日も遅くなって、村長(むらおさ)のビリーが船にやってきて、マストとブームを返し、たばこを受け取った。こうした道具はヤンセン船長がミノタ号での前の航海で取り戻したボートの備品だった。この上陸用ボートはイザベル島のメリンゲ農園の所有物だった。十一人の契約労働者とマライタ島の男たち、森の住人たちが農園からの逃走をはかった時に盗んだものだ。連中は森の民だったので、海についても海に浮かぶボートについても何も知らなかった。それで海の民であるサン・クリストバルの出身者二人を誘い、一緒に逃げようと説得したのだ。サン・クリストバルの住人にとっても渡りに船だった。とはいえ、彼らはもっとよく知っておくべきだった。盗んだボートを無事にマライタまで導いてやったところで、用済みになった二人は殺された。ヤンセン船長が取り戻したボートと道具が、そのときのものなのだ。

ソロモン諸島まではるばる航海してきたというのに、いろんな問題があった。ついに、チャーミアンの誇り高き精神も失墜し、ほこりにまみれてしまった。それは、ランガランガの人工島の、家も見えない浜辺で起きた。ここで、ぼくらは何百人もの物怖じしない裸の男女や子供たちに囲まれていた。あちらこちらと歩きまわり、いろんな景色を眺めた。ぼくらは銃を携帯し、いつでも出発できるよう船尾を浜に着け、オールをこぐばかりにした状態で、完全武装の乗組員をボートに待機させていた。とはいえ、問題を起こしたらどうなるかという教訓を軍艦が示していった直後だったので、トラブルは生じなかった。ぼくらはいろんなところを歩きまわり、何でも見てまわったが、最後に浅い河口を渡る橋の役目をしている、大木の切り株のところに出た。黒人たちはぼくらの前で壁を作り、通行を阻止した。ぼくらは制止される理由を知ろうとした。黒人たちは、ぼくらには渡ってよいと言った。そこに誤解があったのだが、ぼくらはその通りに進んだ。すると、事情が明白になった。ヤンセン船長とぼくは男なので進んでもよいが、メアリーがその橋を渡ることは認められない、というのだ。「メアリー」はピジン英語で女性を指す。メアリーとはチャーミアンのことだった。女は橋にとってのタンボ、つまり現地の言葉でタブーとされていた。ぼくはむかついた! ついに、ぼくが自分の男らしさを証明するときがきたのだと思ったほどだ。とはいえ、ぼくは優遇される側にいるので文句は言えない。チャーミアンは歩きまわることは認められたものの、橋を渡るのを許されたのはぼくら男だけで、彼女はボートに戻るしかなかった。

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海の民が作りあげたランガランガの人工島

その後に起きたことについても、あえて言っておくと、ショックのあまり熱が出るというのは、ソロモン諸島ではよくあることで、チャーミアンは通行を拒否されてから半時間もたたないうちに発熱してミノタ号へと大急ぎで運ばれたのだった。毛布にくるまり、キニーネを処方された。ワダとナカタがどういうショックで発熱を引き起こしたのかは知らないが、彼らも熱でダウンしていた。ソロモン諸島がもっと健康的な場所になるよう祈るばかりだ。

さらに、この発熱のさなかに、チャーミアンはソロモン痛にも襲われた*1。通行拒否は、すでに限界に達していた彼女を倒した最後のワラ、最後の一撃だったのだ。スナーク号では、彼女をのぞいて皆がこの病気にかかっていた。ぼくは潰瘍がひどくて、くるぶしのところから足を切らなきゃならないのではないかと思っていたほどだ。ヘンリーとタイヘイイ、それにタヒチの船乗りたちも、その多くがひどい潰瘍に悩んでいた。ワダは自分にできた潰瘍の数を二十個単位で数えることができた。ナカタの数は少なかったが、大きさが三インチもあった。マーチンは潰瘍の根が伸びていって脛骨が壊死しはじめていると思いこんでいた。だが、チャーミアンは、そういうものと無縁だったのだ。彼女はずっと無事だったので、ぼくらの間ではむしろ小馬鹿にされていたくらいだった。ある日、彼女は、やっぱり根が純粋無垢だと病気もよりつかないのねと、ぼくにささやいたものだ。ぼくらは彼女をのぞいて全員が病気にかかっていて、彼女だけがそうではなかったのだが――ともかくも、その彼女も罹患した。潰瘍は一ドル銀貨ほどの大きさだったが、純粋無垢な血液のおかげか、数週間の苦しみをへて治癒した。彼女は昇汞(しょうこう)*2が効くと信じていた。マーチンはヨードホルムだと言い張った。ヘンリーは薄めていないライムジュースを使った。ぼくはといえば、昇汞がなかなか効いてこないときには、包帯を過酸化水素水に浸して代用した。ホウ酸をくれたソロモン諸島の白人もいたし、ライゾールという消毒剤がいいという者もいた。万能薬と称するものも持っていたが、あまり効き目はなかった。効くのはカリフォルニアでの話だ。ぼくは、ソロモン諸島のこの病気にカリフォルニアでかかってみろよと言いたい。効くわけないんだから。

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人工島

脚注
*1: 症状からすると、いわゆる「風土性トレポネーマ症」(イチゴ腫)という細菌感染症かもしれない。

*2: 昇汞(しょうこう)は塩化第二水銀または塩化水銀(II)とも呼ばれ、殺菌力があるものの毒性も強いため、現在は使用されていない。

スナーク号の航海(77) - ジャック・ロンドン著

スウでは成果がないまま三日がすぎた。ミノタ号から呼びかけた求人に応じる者はなく、ミノタ号の乗組員で森の連中の犠牲になる者もなかった。本当のことを言うと、一人だけ犠牲になっといえるかもしれない。ワダが熱で寝こんでしまったのだ。ぼくらはボートに乗ってランガランガの海岸に沿って進んでみた。ここは海辺の大きな村で、礁湖に作られた――文字通り途方もない努力によって作り上げられた砂州、好戦的な連中から逃れるために作られた人工島なのだ。ミノタ号が半年前にこの礁湖の海岸で襲撃され、当時の船長が野蛮な連中に殺されていた。狭い入口から進入すると、一隻のカヌーがやってきて、軍艦が三つの村を焼き払い、ブタを三十匹ほど殺し、赤ん坊一人を溺れさせ、この日の朝、立ち去ったばかりだと知らせた。ルイス艦長が指揮をとるカンブリアン号だった。艦長とは日露戦争のときに朝鮮で会ったことがある。それ以来、ぼくらは何度かすれ違ってはいるのだが、実際に会う機会はなかった。スナーク号でフィジーのスバに入港したとき、カンブリアン号は入れ替わりに出港していくところだったし、ニューヘブリディーズ諸島のヴィラでは、一日違いで行き違いになった。サント島の沖では夜間にすれちがった。カンブリアン号がツラギ島に到着した日、ぼくらは十二マイル離れたペンデュフリンを出たところだった。そして、このランガランガでも数時間差ですれ違ったわけだ。

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ウル島――人工の島――マライタ

カンブリアン号はミノタ号の船長殺害の容疑者を処罰するために来たのだったが、目的を達したか否かは、後で伝道者のアボット氏がぼくらのボートにやって来たときにわかった。村々は焼き払われ、ブタが殺されたが、村人は逃げて無事だった。ミノタ号から奪われた旗や道具は取り戻せたものの、殺した連中は捕まらなかった。赤ん坊の溺死は誤解から生じたものだった。ビヌのジョニー村長は軍の上陸部隊を森の連中のところに案内するのを断わり、村人に道案内させることもしなかった。ルイス艦長は当然のごとく立腹し、ジョニー村長に、拒否すれば村を焼き払う、それだけの罪に値すると言った。ジョニーのピジン英語*1に「値する」という語彙は含まれていなかった。村長は、道案内すれば焼き払われずにすむとは思わず、いずれにしても村が焼かれてしまうと思いこんでしまったのだ。住民たちが大慌てで逃げ出したため、赤ん坊が海に落ちてしまった。一方、ジョニー村長はアボット氏のところへ駆けつけた。伝道師にソブリン金貨十四枚を握らせ、カンブリア号に行ってルイス艦長をその金で説得してほしいと頼んだのだ。ジョニー村長の村は焼かれなかったし、ルイス艦長がソブリン金貨を受けとることもなかった。というのは、村長は後になってミノタ号に乗船してきたのだが、ぼくは村長がその金貨をちゃんと持っているのを目にしたからだ。ジョニー村長は、上陸部隊を案内しなかったのは大きな腫れ物ができていたからだと釈明しつつ、それを見せてくれた。だが、当人は認めようとはしなかったが、本当の理由は、森の野蛮な連中の仕返しを恐れたのだ。村長でも村人でも案内してしまえば、カンブリアン号が抜錨したとたん、すぐに血なまぐさい報復を受けると思ったのだ。

 

脚注
*1:ピジン英語(pidgin English)は、南太平洋の西側一帯で話される現地語なまりの英語全般を指す。
地域ごとに呼び方が違っていて、ここでは beche-de-mer というフランス語(ナマコという意味)が使われている。ナマコ漁が行われているニューギニア周辺のピジン英語は特にこう呼ばれる。
「値する(deserve to)」という英語の意味がわからなかったために悲劇が起きたという話は、二十一世紀になった現在でもまだ記憶に新しい事件、一九九二年に米留学中の日本の高校生がハロウィンでパーティ会場を間違えて民家の敷地に入ってしまい、「動くな (freeze、フリーズ)」をプリーズ(どうぞ、いらっしゃい)と聞き違えて射殺された悲劇を想起させる。

世界一わかりやすい(?)天測航法-1

はじめに

カーナビはいうまでもなく、道に迷ったらスマホに内蔵されているGPSを使ったナビ・アプリで道案内してもらえばいい時代には、六分儀を使った天文航法による位置測定は、旧世紀の遺物、ほこりまみれの骨董の世界のように思える。とはいえ、大航海時代の探検家や帆船に乗った海賊、ヨットの冒険家が六分儀で太陽を観測して自分の位置を調べたりするのは、ちょっとかっこよかったりする。

実際問題として、二十一世紀の現在、大海原で自分が乗っている船の現在位置を正確に知るには、人工衛星を使って位置を表示するGPS受信機と紙の海図か電子海図があれば十分だし、そうしたものを丸ごと一台に組み込んだGPSプロッターも普及しているので、それがあれば世界一周でも用は足りる──

筆者も実際のヨット遊びでは、GPS内蔵のスマホやタブレットで電子海図に現在位置を重ねて表示させて、カーナビ・アプリのように使っているので、利便性について異論はない。

こういう電子機器は電源がなくなれば無用の長物になってしまうため、「バックアップとして旧来の道具や手法も必要」という人もいる。それはその通りだ。

とはいえ、紙の海図とコンパス(方位磁石)は現在でも必需品だとは思うが、率直に言って、六分儀まではいらない気もする。

今どきのヨットで、こういう小さな電子機器の消費電力も確保できないという状態は、転覆でもしない限り考えにくいので、バックアップが必要ならば、予備の携帯用GPS受信機と電池をタッパーウェアなど水の入らない容器に密封して積んでおけば足りるだろう。

しかし、利便性とか効率だけで測れないのが人間というやつで、そもそもヨットなんてもの自体が効率とはかけはなれたものだし、エアコンやラジオもないビンテージのクラシックカーに大金をつぎこんでいる人や、オートマ全盛で、コンピューター制御の自動運転車が現実に道路を走る時代にも、マニュアルのクラッチ操作にこだわる人がいるのも事実だし、そうした人々をマニアと呼んで、ひとくくりにして片付けたとしても、どこかそっちの方が楽しげだったりするのはなぜだろう──そういう功利的な発想をしている限り見えてこない「もの」があるのではないか?

損か得か、効率がいいか悪いか、利口か馬鹿かの二者択一ができないところに人生の妙味がある──ばかのやることを馬鹿だと思ってバカにしていると、自分自身が物事の本質が見えない馬鹿になる──のかもしれない。

すでに人類は何十年も前にロケットで月に行っているというのに、人はなぜちっぽけな山に登ろうとするのか? なぜ海を見ていると、水平線の向こうに行ってみたくなるのか。散歩の途中で路地を見つけたら、なぜ迷いこんでみたくなるのか――こういう無駄が人生をおもしろくする……のかもしれない。

というわけで、これから六分儀を使った天文航法についての話をしよう。

「天測には海のロマンを感じる」でも、「単なる道楽」でも、「うんちく自慢したい」でも、動機は何でもよいが、ルールや戦術や選手の特徴を知っていた方がサッカーがより楽しめるように、天測の基本を知っていれば、少なくとも帆船やヨットの航海記や冒険物語を読む楽しさは倍増するはずだ。

これだけ知っていれば、とりあえず現代の外洋ヨットでGPSを持たずに天測しながら日本から太平洋を渡ってアメリカに到着することは可能だという程度の、具体的かつ実践的な内容になる、はず……

目次

1.天測とか天文航法って何?
1-1 なぜ太陽の高さを観測すると自分の位置(緯度)がわかるのか
1-2 なぜ太陽が真南にきた時間を知ると自分の位置(経度)がわかるのか
1-3 必要なもの

2. 実践編 緯度
2-1 子午線高度緯度法
2-2 北極星高度緯度法

3.実践編 経度

4.太陽や月、星が観測できないときの推測航法

5.陸が見えるときの六分儀の使い道(地文航法)

6.六分儀の機能と操作

7.位置の線航法って何?

8.うんちくを語りたい人のための天測用語集(英和対照表)