「博物館の目的は、革新には失敗がつきものだということを示すことだ」と、心理学者のサミュエル・ウェスト博士は言った。「失敗をおそれていれば、革新はできない」
ニューヨークタイムズのコラム『レンズ』から
失敗は成功の母といったり、失敗学という学問もあったりしますが、失敗をおそれていては何も新しいことはできないし、失敗に学ぶという姿勢は大事なんでしょうね。
第十七章
しろうと医師
スナーク号に乗ってサンフランシスコから出帆したとき、ぼくは病気については山国スイスに海軍があるとしてその司令長官が海について知っているのと同じくらいの知識しかなかった。というわけで、ここで、これから熱帯地方に出かけようと思っている人に助言させてほしい。一流の薬局――なんでも知っている専門家を雇っている薬局に行って、事情を説明するのだ。相手の言うことを注意深くメモし、お勧めのものの一覧表を書いてもらい、代価全額分の小切手を切って渡す、だ。
ぼくは自分もそうすべきだったと痛感している。ぼくはもっと賢明であるべきだったし、いまとなっては、小型船の船長がよく使う、できあいの、自分で処置できる、誰でも使える救急箱を買っておけばよかったとつくづく思う。そういう救急箱に入っているビンにはそれぞれ番号が振ってあって、救急箱のふたの内側には簡単な指示が書いてある。整理番号と歯痛、天然痘、胃痛、コレラ、リウマチといった具合に、病気のリストに応じた薬がそろえてあるのだ。そうなれば、尊敬すべき船長がするように、ぼくもそれを使うことができたかもしれない。3番が空になったら1番や2番をまぜるとか、7番がすべてなくなったら、乗組員には4番と3番を処方し、3番がなくなったら5番と2番を使うといった具合にだ。
これまでは、昇こう(塩化第二水銀。これは外科手術での消毒薬としておすすめできるが、まだその目的で使ったことはない)を例外として、実際に持参した薬箱は役に立たなかった。役に立たないどころか、もっと悪かった。というのは場所だけはとるからだ。
手術器具があれば話は別だ。まだ本格的に使ったことはないが、場所を占めるからといって後悔なんかしない。それがあると思うだけで安心する。生命保険みたいなもので、生きるか死ぬかという土壇場では役に立つ。むろん医療器具があっても、ぼくは使い方を知らないし、外科手術についても無知なので、直りそうな症例でも一ダースものインチキ療法を行ったりもすることになるだろう。だが、悪魔が来ているときにはそうせざるを得ないし、陸から千海里も離れていて、一番近い港まで二十日もかかるところまで悪魔がやって来たとしても、スナーク号のぼくらはそれについて誰かから警告を受けることもないのだ。
ぼくは歯の処置については何も知らなかったが、友人が鉗子(かんし)や似たような道具を持たせてくれた。ホノルルでは、歯科の本も手に入れた。また、この亜熱帯の島で、頭を押さえておいて痛みを生じさせずにすばやく抜歯したこともある。こうした備えがあったので、ぼくは自分から望んでということはないものの、自分なりのやり方で歯の問題に取り組む用意はできていた。あれはマルケサス諸島のヌクヒバでのことだった。ぼくが最初に治療したのは、小柄な中国人の老人だった。ぼくは武者ぶるいに震えた。ベテランのふりをしようとしたが、心臓はどきどきするし、腕も震えた。そうなって当然ではあった。中国人の老人はぼくの嘘にだまされなかった。彼もぼくと同じくらい驚いていて、震えはもっとひどかった。彼の恐怖がぼくに伝染し、忘れていた畏怖の念というものを思い出させた。だが、老人が逃げだそうとしたら、落ち着きと理性が戻ってくるまで彼を押さえつけただろう。
ぼくは彼の歯を抜こうとしていた。また、マーチンもぼくが抜歯するところを写真に撮りたがっていた。同様に、チャーミアンもカメラを持っていた。それでぼくらは連れだって歩きだした。ぼくらはスティーヴンソンがカスコ号でマルケサスに来たときのクラブハウスだったところで止まった。彼が何時間も過ごしていたベランダは、光線の具合があまりよくなかった。写真撮影には、という意味だ。ぼくは庭に入りこんだ。片手に椅子を持ち、もう片手にはいろんな鉗子を携えて。みっともないが、膝はがたがた震えていた。かわいそうな中国人の老人もついてきた。彼も震えていた。チャーミアンとマーティンはぼくらの背後で、コダックのカメラを構えている。ココヤシの間を縫って進み、アボカドの木の下までやってきた。マーティンによれば、写真の撮影にはうってつけの場所ということだった。
ぼくは老人の歯を診て、自分が五ヶ月前に引っこ抜いた歯について何も覚えていないことを再認識した。歯根は一本だっけ? 二本、あるいは三本だったっけ? ひどく傷んでいるように見えるほうに残っているのを何と言うんだっけ? 歯ぐきの奥深くまで歯をがっちりはさまなければならないということだけは覚えていたので、歯には歯根がいくつあるのかを知っておく必要があった。ぼくは建物に戻って本で歯のことを調べた。中国人の犯罪者がひざまづいて首をはねられるのを待っている写真を見たことがあるが、このかわいそうな年老いた犠牲者も同じように見えた。
「逃げないよう押さえてろよ」と、ぼくはマーティンに言った。「この歯を抜きたいんだ」
「わかってるさ」と、彼はカメラを抱えたまま自信ありげに答えた。「オレもその写真を撮りたいんだ」
ここにきて、ぼくはこの中国人が気の毒になった。本に抜歯方法は載っていなかったが、あるページにすべての歯を示した図があり、それには歯根やアゴにどう並んでいるかが描かれていた。鉗子が手渡された。七対あった。が、どれを使えばよいのかわからない。ぼくはミスはしたくなかった。鉗子をひっくりかえすときガチャガチャ鳴った。哀れな犠牲者から力が抜け、ぼんやりと峡谷が黄緑色になるのを眺めている。老人は太陽について苦情を言った。しかし、写真を撮影するには必要だし、それくらいは我慢してもらわなければならない。ぼくは鉗子を歯に当てた。患者はガタガタ震え、気力もなえたようだった。
最初の抜歯
脚注
*1: ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894年):『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などの著作で知られる一九世紀英国の作家。自身の健康問題などもあり、四十歳で家族とともに南太平洋のサモア諸島に移り住み、その四年後に同地で没した。
「ワッツネイム(名前は?)」は、ピジン語で最もやっかいだ。意味はすべて、言い方で変わってくる。「何の商売?」の場合もあれば、「こんな無礼なことをして、どういうつもりだ?」となることもある。何がほしいんだ? 何を探してるんだ? ちゃんと見張ってろ、説明してくれ、など数百通りもある。夜中に原住民を家の外に呼び出すと、相手は「ワッツネイム、ユーシングアウト、アロングミー?(なんでそんな大声でオレを呼ぶんだ?)」と詰問することだろう。
ブーゲンビル島の農園にいるドイツ人たちは苦労しているらしい。現地の労働者を働かせるためにピジン英語を学ばざるをえないのだが、ドイツ人にとって、ピジン語は非科学的である上に、数カ国語が混在しているし、勉強しようにも教科書なんて存在しないのだ。他の白人農園主や交易商人にとっては、きまじめなドイツ人たちが、まわりくどくて文法や辞書もない言語の習得に真剣に取り組んでいる様子はおかしくもある。
数年前、ソロモン諸島の非常に多くの住民がクイーンズランドの砂糖農園での労働に雇われたことがある。宣教師はキリスト教に改宗した労働者の一人に、立ち上がって、到着したばかりのソロモン諸島人たちに教えを垂れるよう勧めた。すると、その男は話のテーマとして人類の堕落を取り上げたのだが、その講話はいまでは南太平洋の島々で古典となっている。こんな感じだ。
「きみたちソロモン諸島人たち、白人ではないきみたち、わたしの仲間たちよ、これから白人について話をしよう。
「はるかな昔、白人には住むところがなかった。ボスである神様も白人で、その人が白人をつくりだしたんだ。このボスの神様は、大きな楽園をつくった。とてもいいことをした。その楽園では、たくさんのヤムイモがとれた。たくさんのココナツ、たくさんのタロイモ、たくさんのクマラ(サツマイモ)。どれもこれもとてもおいしい。
「このボスの神様は白人で、仲間の男を一人つくり、自分の楽園にすまわせた。その男をアダムと呼ぶと、その名前になった。そのアダムを楽園につれていって、こう言った。「この楽園はおまえのものだ」と。そうして、この男アダムが歩きまわるのを見ていた。その男アダムはずっと同じ病気にかかっていた。何も食べないのだ。ただ歩きまわるばかりなので、ボスの神様にはわけがわからなかった。偉大なボスは白人で、頭をかき、こう言った。「なんだ? この男アダムが何をしたいのか、さっぱりわからない」
「そうして神様は頭をかきむしり、また言った。「わかったぞ。こいつはメアリーがほしいんだ」と。それで、神様はアダムを眠らせておいて骨を一本とり、それからメアリーをつくった。その人間メアリーをイブと呼んだ。イブをアダムのところに連れて行き、「仲よくしなさい。この楽園はきみたち二人のものだ」と言った。この木はきみたちには悪さをするから避けなさい。この木にはリンゴがなるんだ」
「アダムとイブの二人は楽園でくらした。とても楽しくすごしていた。ところが、ある日、イブがアダムのところに来て、こう言った。「ねえ、二人でこのリンゴを食べましょうよ」 アダムは言った。「だめだ」 するとイブは「あんた、なんであたしにいじわるするのよ?」と言った。アダムは「おれ、おまえは大好きだけど、神様はこわいよ」 すると、イブが言った。「嘘ばっかり! それがどうしたってのさ? 神様だって、いつもあたしたちを見張ってるわけじゃない、神様はあんたをだましたんだ」 だが、アダムは言った。「いやだ」 だけど、イブは語り続けた――このメアリーはこのクイーンズランドの男にずっと話しかけ、彼をこまらせた。アダムはもううんざりだった。それで「わかったよ」と答えた。そうして、この二人はリンゴを食べた。食べ終わると、なんとまあ、おそろしい地獄が出現し、二人は森に隠れた。
「すると、神様が楽園にやってきて「アダム!」と呼んだ。アダムは返事をしなかった。ひどくこわかった。すると、なんと! 神様は「アダム!」と怒鳴った。アダムは言った。「お呼びですか?」 神様は言った。「何度も呼んだんだぞ」 アダムは言った。「ぐっすり寝こんでたので」 すると、神様は言った。「おまえ、このリンゴを食べただろ」 アダムは言った。「いいえ、めっそうもない」 神様は言った。「なぜ私に嘘をつく? おまえは食べたんだ」 すると、アダムは言った。「はい、食べました」
「すると、ボスの神様は、アダムとイブの二人をひどく叱って、こう言った。「お前たち二人はもう私とは縁がきれた。このボッキス(箱)を持って森へ行き地獄に落ちろ」
「それで、アダムとイブの二人は森に入っていった。神様は楽園をぐるっと取りかこむ柵をこしらえた。その柵を仲間の一人にゆだねて、マスケット銃を与えて、こう言った。「この二人、アダムとイブを見つけたら、ぶっぱなしてやれ」
今回は陸が見えるときの航法について
沿岸航海での位置の確認は地文航法となり、天文航法とは別物。とはいえ、方位線とか位置の線といった概念は二次元か三次元かの違いがあるだけで考え方そのものは同じなので、最低限必要な地文航法の知識があれば、天文航法の位置の線の概念もわかりやすくなる。
●海図で確認できる陸の目標(物標)が複数ある場合
海図を見ると、水深など海の情報は豊富に記入されているが、陸上はすかすか(白紙の部分が多い)。これは海上から見て目立つ目標物(山頂、灯台など一目でわかるもの)だけを示すためである。
で、それが二つ以上確認できる場合、クロスベアリングという方法で船の位置を知ることができる。
●クロスベアリング
図を見れば一目瞭然だが、方位磁石で山頂Aが50度の方角に見え、灯台Bが100度の方角に見えたとする(ここで角度はすべて、方位磁石の偏差と自差分を加減したものとする)。
海図でコンパスローズの50度の線に定規を当て、それを山頂Aまで平行移動させて線を引く。これを方位線という。船はこの方位線上のどこかにあるはずだ。
次に、同じ手順で灯台Bの方位線を引く。
船はこの方位線上のどこかにあるはずだ。
つまり、船は、この二本の方位線が交わったところにある。
これを交叉方位法(クロスベアリング)という。
物標と物標はある程度は離れていたほうが精度があがる(少なくとも30度)。
さらに第三の物標Cがあり、その方位がわかればさらに精度がよくなる。その場合、三本の方位線は一点で交わるはずだが、実際にはなかなかそううまくいかない。
こんな感じで、三本の線で三角形(誤差三角形)ができてしまうことが多い。この三角形は、作業になれるにつれて、だんだん小さくなる(精度が高くなる)。この三角形の中央が船の位置になる。
この方法で六分儀を使うこともできる。六分儀を水平に構えて、AとBの角度、BとCの角度を測定する。
その角度を海図とは別の薄い紙(トレーシングペーパー)に描き、それを海図に重ね、それぞれの線をA、B、Cに合わせると、交点が船の位置になる。
※方位を測定する際の注意点
2カ所または3カ所の方位を測定する場合、船の前方と後方(船首尾方向)にある物標の方位を先に測定し、横方向の物標を後にする。
船が動いていれば後者(横方向)の変化が早いためだ。
●陸の目標が一つしかない場合
四点方位法、船首倍角法、両側方位法(ランニングフィックス)などがあり、それぞれ基本的な考え方はほぼ同じ。
四点方位法と船首倍角法について簡単に説明し、その後で実用性が高いランニングフィックスの手順を説明しよう。
いずれも二等辺三角形の性質を使ったもので、船は同じ進路、同じ速度を維持するのが前提になる。
・四点方位法
船の進行方向(針路)から45度の位置にある物標を探し、時間と船の速度を記録しておく。
そのまま進んで、物標が真横に来たときの時間を記録する。
その間にかかった「時間×速度」で船が移動した距離がわかり、それはそのまま物標との距離にもなるので、船の位置が決まる。
・船首倍角法
手順は四点方位法と同じだが、角度が45度に限定されないので利用可能な状況が増す。
船の針路から物標までの角度を測り、時間と速度を記録しておく。
そのまま進んで、物標がさきほどの角度の2倍になる位置に来たところで時間を記録する。
その間の「時間×速度」が物標までの距離になるので、船の位置が決まる。
●ランニングフィックス
1.A点で、物標の方位と時間を記録する。
2.船の進行方向と方位の線を海図に線で引く。
方位線はコンパスローズを使って正確に引くが、
進行方向の線については物標からの距離はだいたいでよい。
3.そのままの方向と速度でしばらく進んでから、もう一度物標の方位を測定し、その方位の線を海図に記入する。
4.進んだ時間×速度で出た距離の分だけ、最初の点Aから測って進行方向の線に印(B)をつけ、Bが2番目の方位線と重なる位置まで線分ABを進行方向の線に対して平行移動させる。
その点が船の位置になる。
●六分儀を使って距離を知る
たとえば、船から見えるところに島や山がある場合、その高さを六分儀で測ることで船の位置を知ることもできる。
上図で、山頂直下までの距離を x m、山の高さを h m、仰角をΘとすると
Tan Θ = h / x
これを整理すると、距離 x =h / tanΘ
天測計算表には三角関数表も掲載されているので手計算でも可能だが、関数電卓を使うと手っとり早い。
山頂から方位の線を引き、計算した距離の分で印をつければ、それが船の位置になる。
数字はメートルなので、海図上でディバイダで距離を移す場合は、海里に直しておく。
1海里=1852m
ところで、ツーマッチは、元の英語と異なり、ピジン語では何か過剰なことを示すのではない。単に一番上だということを指す。ある村までの距離を原住民にたずねると、答えは「近い(クローズアップ)」「ちょっと遠い(ロングウェイ、リトルビット)」「だいぶ遠い(ロングウェイ、ビッグ」か「とても遠い(ロングウェイ、ツーマッチ)のどれかとなる。とても遠いは、村まで歩いては行けないというのではなく、村が「かなり遠い」場合よりもさらに歩かなければならない、という意味になる。
ガモンは嘘をつく、誇張する、冗談を言うという意味だ。メアリーは女性。女性はメアリー。女性はすべてメアリーという風に。このメアリーについてはっきりしているのは、かつてやってきた最初の白人の冒険者が現地の女性を気まぐれにメアリーと呼んだことによる。ピジン語には、似たような成り立ちを持つ語句は他にもたくさんある。白人の男たちはみな船乗りだったため、転覆(キャプサイズ)や叫ぶ(シングアウト)という言葉がもたらされた。メラネシア人のコックに食器を洗った後の水を捨てろと言っても通じない。そういう場合は、食器を転覆させろと言えばよい。シングアウトは叫ぶ、大声で呼ぶ、単に話すことを指す。原住民のキリスト教信者は神がエデンの園でアダムを呼んだのではなく、神はアダムに怒鳴ったのだ、となる。
フィン・ボリから――マライタ島
サヴイ(わかる)やキャッチイ(つかまえる)は、ピジン英語がそのまま持ちこまれた唯一の言葉だ。人々は色黒なのでピカニニイ(黒人の子供)という言葉もあるが、変わった使い方をする。カヌーに乗った原住民からニワトリを買おうとすると、その原住民はぼくに「ピカニニイ、仲間といるの、やめてほしいのか」と聞いてきた。そうして、ひとつかみの卵を見せてくれたのでやっと、ぼくにはその意味がわかった。マイワード(おやまあ)は、とても大事だということを示す感嘆の言葉として英本国から来たのだろう。パドル、櫂、オールはウォッシーと呼ばれる。ウォッシーも動詞として使う。
マライタ島の美女
ここに、サンタアンナで現地人の交易商人のピーターが口述した、雇用主宛の手紙がある。スクーナーの船長のハリーがその手紙を書いてやったのだが、ピーターは二文目が終わったところでやめさせた。手紙のそれから後は、ピーター自身の言う通りに筆記された。というのは、ピーターはハリーがひどいでたらめを書いているのではないかと疑い、自分が本社に行く必要性について率直に語ろうとしたのだ。
サンタアナにて
「交易業者のピーターは御社のために十二ヶ月間働いていますが、まだ支払いを受けておりません。彼は十二ポンドほしいと言っています」(ここで、ピーターの口述を筆記したものに変わる)。「ハリーはいつもでたらめをいう、ひどく。わたし、ほしい、ビスケット六缶、米四袋、ブラマカウ二十四缶。わたし、好き、ライフル二丁も。わたし、ボートで見張ってる。行く場所で悪いやつに会う。そいつは食べようとする、わたしを」
ピータ
ブラマカウは牛肉の缶詰だ。この言葉は、交易業者がメラネシアからもちこんだ英語をサモア流にくずしたものだ。クック船長や初期の航海者たちは種や植物、家畜を原住民にもたらした。そういう航海者の一人が雄牛と雌牛を上陸させたのがサモアだった。「これが雄牛(ブル)アンド雌牛(カウ)だ」と、彼はサモア人に言った。彼らは動物の種類を言ったのだろうと誤解し、それから現在まで、生きた肉牛や缶詰の牛肉はブルアマカウと呼ばれている。
ソロモン島民はフェンスと発音できない。それで、ピジン語ではフェニスとなる。ストアはシットアで、ボックスはボッキスだ。衣装箱もボックスで、ベルが取りつけられていて、開けると警戒音が鳴るものがある。そういう仕組みの箱は単なるボックスではなく、ボッキス・ビロング・ベル(ベルのついた箱)と呼ばれる。
彼は白檀の交易商人もナマコ猟師も知っていた
「フライト(恐怖)は、ピジン語でこわいだ。原住民がびくびくしているので、どうしたんだと聞くと、こういう返事が戻ってくる。「ミー、フライト、アロングユー、ツーマッチ(わたし、こわい、あなた、とても)」 嵐や原野、幽霊の出る場所をこわがることもある。クロスは、あらゆる形の怒りになる。男は不機嫌なときクロスとなる。また、君の頭を切り落とし、食っちまおうと狙っているときもクロスだ。プランテーションで三年も働いた出稼ぎ男が、マライタ島の自分の村にもどることになった。彼はあらゆる種類の派手でピカピカした服を着ていた。頭にはシルクハットをのせている。更紗やビーズ、ネズミイルカの歯、たばこを詰めた衣装箱も持っていた、投錨後すぐに村人たちが乗船してきた。この農園帰りの男は、不安げに親戚たちを探した。が、誰もいなかった。原住民の一人が彼の口からパイプを抜き取った。もう一人はビーズの首かざりを奪った。三人目は派手な腰巻きをはぎ取り、四人目はシルクハットを自分の頭にのせたまま返さなかった。最後に、連中の一人が三年間の労働の報酬である彼の衣装箱を抱え上げて、船に横づけしていたカヌーに放り投げた。「あいつはお前の仲間なのか?」と、船長が略奪している連中を指さし、出稼ぎ男にたずねた。「いや、ちがう」という返事。「じゃあ、なんでこんなところであの箱を下ろさせるんだ?」と、船長は憤然として言った。出稼ぎ男は「わたし、あいつに話しかけ、ボッキスをとるなというと、あいつ、わたしに怒る」と言った。つまり、そんなことをしたら、もう一人の男が自分を殺す、というのだ。クロスは、洪水を発生させた神は人間に対してクロスして(怒って)いた、という風に使う。
太陽などの天体は天候が悪ければ測定のしようがない。それに毎日正午に天測するにしても、その間の位置も可能であれば知っておく必要がある。
そのときに用いられるのが推測航法(Dead Reckoning navigation、略称は DR)である。
航海術としては最も単純かつ確実で、直感的にわかりやすい。
十五世紀にインドへの新しい航路を探るつもりで新大陸(の周辺の島々)を思いがけず発見してしまったクリストファー・コロンブスの航海術も、基本は推測航法だった。
古代からあるアストロラーベや当時最新の四分儀を用いて北極星の高度を観測したりはしたようだが、航海日誌を見ると、かなりの誤差が生じたりして、あまり信頼できなかったようだ。その時代、六分儀はまだ登場していない。
コロンブスは詳細な航海日誌を残した最初の大航海家だが、その航海の大半はこの方法によったらしい。
推測航法とは、「方位磁石(コンパス)で船が進んでいる方角を調べ、その方向に船が進んだ速度と時間から航海距離を算出し、それを海図上に作図」して、船の現在位置を知る方法である。
コロンブスの時代は砂時計とトラバースボードを用いて約30分おきに記録していたが、普通はそれを1時間ごとに繰り返す。
海図には必ず真方位と磁針方位を同心円で示したコンパスローズというものが印刷されている。
コンパスローズの方位に合わせ、前回に確認した船の位置と重なるまで平行移動させて、進行方向に線を引く。
直線の平行移動には日本では三角定規二枚を組み合わせて使うのが一般的だ。欧米のヨットでは、平行定規という小さな車輪がついたものを使うことが多い。どちらでもかまわないが、コンパスローズでは磁針方位を使うのか真方位を使うのかは明確に(意識して)区別しておくこと。
そして、所定の時間に進んだ距離(速度×時間)分の長さを二本足のディバイダ(作図用コンパスでもよい)で海図の左右の縁に印刷してある緯度の目盛りから取って、引いた線の上に印をつける。
それが現在位置になる。
距離は 1’(1分)=1海里(1852 m)
速度は 1ノット=時速1海里
経度はそのときの場所によって幅が変化するので、海図で距離を測るときは、必ず緯度の目盛りからとること。
進行方向、速度、時間について、注意点を順に説明する。
進行方向―偏差と自差
進行方向は方位磁石でわかるが、地球の回転軸(地軸、真北)と磁石の指す北(磁北)にはズレがある。このズレを偏差(Variation)と呼ぶ。
偏差は海図に記載されている(地域ごとに異なる)。
磁北は絶えず移動しているため、海図を作成したときから年数を経ていれば、その分の修正も必要になる。作成年と、1年でどれくらいズレていくかも海図には記載されているので、その分も加算して修正する必要がある。
また、方位磁石(コンパス)には、それぞれの船特有の自差(deviation)というものが存在する。これは磁石が船の金属などの影響を受けることによるズレだ。
船舶用の方位磁石にはこれを修正する方法が用意されていることが多い(補正用のネジや薄い金属片の挿入など)。それでも解消しきれないズレは、航海前にあらかじめ、船がどの方向を向いたときに何度くらいズレが生じるのかを確認して一覧表やグラフにしておき、方位磁石の示す値にその分を加減することになる。
コンパスの自差測定の手順
1.トランシット法
陸の見える場所では、海図に記入されていて同時に同じ方向に見える二つの目標物を探す。たとえば、港の灯台とその背後にある山の頂上などだ。
その二つを結んだ線の延長上(トランシットという)に船を移動させ、その線上から外れないようにして(たとえば、灯台と山頂が上下に重なる位置を維持しながら)船の向きを東西南北とその中間の八方位に順次向けていき、その都度、トランシットがどの方角になるかを記録する。
海図で測ったトランシットの方角と、八方位における測定値との差が自差になる。自差がなければ、すべて海図と同じ角度になるはずだ。
具体的には、トランシットが海図上では60度の方角になるはずなのに、南東の位置で測ったときに63度だったとすると、「船が南東を向いているときは、方位磁石は+3度ズレている」ことになる。これは船の方向によって少しずつ変わることが多い。
2.遠方物標法
陸の見えない外洋で自差を測定するには、太陽のような非常に遠い天体を選び、船を旋回させて順に上述の八方位に船首を向け、その都度、天体の方位を測定する。
8方位での測定値を合計し、また8で割って平均値を出す。
その平均値と各8方位での測定値の差が自差になる。
速度―対水速度と対地速度
ヨットなどで使用する速度計には、船尾から垂らし水の抵抗でくるくる回る回転数を調べる曳航式ログや、船体に取り付けた小さな水車のようなものなど各種ある。なれてくれば大体何ノットくらいで走っているかの検討はつくようになるが、計器を使った方が誤差は少ない。
重要なのは、速度には海面を何ノットで進んでいるのかという対水速度と、実際に地表面に対してどれくらいの速度で進んでいるのかという対地速度があり、それを明確に区別するということだ。
一般的な速度計は対水速度を示すもので、仮に速度が5ノットの表示だったとして、海流や潮流が同じ方向に2ノットで流れていれば、実際には(動かない地面からすれば)5+2=7ノットで走っていることになる。
潮の流れが正反対だとすると(逆潮)、5ノットの表示が出ていても、実際には5-2=3ノットでしか動いていないことになる。
海図に作図するときは対地速度で計算したものを使う。つまり、対水速度については、そのときの潮流や海流がどっちの方向にどれくらいの速さで流れているかも考慮しなければならない。
ちなみにGPSで示される速度は対地速度だ。
これを使えば簡単だが、だったら六分儀で天測するまでもないという最初の話に逆戻りしてしまう。
いずれにしても、この方法がだめなら、あの方法、それが無理ならこっち……と、いざというときの選択肢は多いほど安全係数は高くなるので、知っていて損はない。
六分儀を使った訓練を一度は中止した米国の沿岸警備隊が、最近になって六分儀の教育を再開したが、これもそうしたことの裏付けになるだろうか。
第十六章
ピジン語*1
白人の交易商人の数が多いこととエリアが広いこと、原住民の言語や方言が二十以上もあるということになれば、交易商人たちは、まったく新しい、科学的とはいえないものの、完全に実用に適した言葉を作り出す。そうやって実際に作り出された言葉の例が、ブリティッシュ・コロンビアやアラスカ、北米のノースウェスト地域で使われているチヌーク語だ。アフリカのクルメン族の言葉や極東のピジン英語、南太平洋西部のピジン語もそれに該当する。このピジン語というやつ、広い意味でピジン英語と呼ばれることが多いが、いわゆるピジン英語とははっきり違っている。どれくらい違っているかについては、中国語で伝統的な数に関係してピーシーを使うことがないという事実を指摘すれば十分だろう。
たとえば船長が現地人のボスを船室に呼ぶ必要があり、そのボスが甲板にいるとする。船長は中国人の接客係には、こう指示する。「ヘイ、ボーイ、ユー、ゴウトゥ、トップサイド、キャッチー、ワン・ピーシー・キング(おい、君、上まで行って大将をつかまえてきてくれ)」 接客係がニューヘブリディーズ諸島かソロモン諸島出身だったら、その指示はこうなる。「ヘイ、ユーフェラ、ボーイ、ゴウ、ルックン、アイ、ビロンギューアロングデッキ、ブリングン、ミーフェラ、ワン、ビッグフェラ、マースター、ビロング、ブラックマン(おい、そこの君、甲板まで探しに行って、この私のところに黒人の大将を連れてきてくれ)」
初期の開拓者たちの後にメラネシアを航海した最初の白人たち、ナマコ漁の漁師や白檀の売買商人、真珠取り、労働者を集めてまわる者たちがピジン語を発明したのだ。たとえば、ソロモン諸島では、二十もの言語や方言が話されている。交易商人たちがそうした方言を覚えようとしても無理である。というのも、行く先々で言葉が違うし、それが二十もあるのだ。共通の言語が必要だ――子供でもおぼえられる、単純で、実際に使う現地の連中のオツムの程度に合わせて語彙も制限された言語が。交易商人たちは理詰めでそういうものを案出したのではない。ピジン語は条件と状況の産物である。機能が組織に先行している。ピジン語が誕生する前から、まず統一されたメラネシアの言語の必要性があったのだ。ピジン語はまったく偶然の産物だった。しかも、言語は必要性から生まれるという事実に裏づけされたピジン語の由来は、エスペラント*2の信奉者にとっても大いに参考になるだろう。
語彙が限定されるため、一つ一つの言葉には多くの意味が割り当てられることになる。ピジン語でフェラ(やつ)は、一人を指す場合もあるし、可能なあらゆる結びつきで使用されることもある。よく使われるもう一つの言葉は「ビロング(属する)」である。単独では使わない。すべて関係性において使用される。ほしいものは、別のものとの関係で示される。未発達の語彙では表現も素朴になる。雨が降り続くことは、レイン、ヒー、ストップ(雨、やめ)と表現される。サン、ヒー、カムアップ(日が昇る)は誤解の余地がないが、語句の構造自体は変えず、一万通りもの異なる意味を伝えられる。たとえば現地の人が君に、海に魚がいるのを知らせようとする場合、「フィッシュ、ヒー、ストップ(魚、いる)」と言うのだ。イザベル島での取引の最中に、ぼくはこの用法の利便性を悟った。ぼくはペアの大きな(三フィートもある)クラムシェルを二つ三つほしかったのだが、内部の肉は別にいらなかった。もっと小さいクラムの肉でクラムチャウダーを作りたかった。それで、ぼくの原住民への頼は最終的にはこうなった。「ユーフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ノーストップ、ヒーウォークアバウト。ユーフェラ、ブリング、ミーフェラ、スモールフェラ、クラム――カイカイ、ヒー、ストップ(君、クラム――食べ物、いらない、肉はよそに行く。君、持ってくる、ぼくに、小さいクラム――食べるやつ、いる)」
カイカイとは、食い物、肉、食事を指すポリネシア語だ。だが、この言葉は白檀の交易商人によってメラネシアに持ちこまれたのか、ポリネシア人が西に流されて伝わったのかは、よくわからない。ウォークアバウト(歩きまわる)という表現は、ちょっと変わった使い方をされる。ソロモン諸島の船乗りにブームを扱うよう命じると、彼は「ザッツフェラ、ブーム、ヒー、ウォークアバウト、ツーマッチ(あいつ、ブーム、うごきまわる、ひどく)」と言うのだ。そしてその船乗りが海岸での自由を求めた場合、ウォークアバウトするのは自分だと述べるのだ。その船乗りが船酔いすると、彼は自分の状態について「ベリー、ビロング、ミー、ウォークアバウト、ツーマッチ(胃、オレの、むかむか、とても)」と説明するだろう。
訳注
*1: ピジン語(Bêche de Mer English)。Bêche de Merはフランス語でナマコを指す。ソロモン諸島付近はナマコの産地でもあるので、そう呼ばれる。
英語は世界のいたるところで話されているが、現地の言葉と組み合わされ、独特の方言として定着したものも多い。東南アジアから南太平洋にかけてのそれは特にピジン英語と呼ばれる。これは一説には中国語の business がなまってピジンと聞こえるためともされる。
たとえば、日本のテレビドラマで日本語のできる中国人という設定の登場人物が、語尾に「~あるね」という独特の表現を使ったりするが、こういう日本語はいわば「ピジン日本語」になる。その英語版がピジン英語だ。
*2: エスペラント。ポーランドの眼科医で言語学者のL.L.ザメンホフが世界共通の言語をめざして作った人工の言葉。文法は単純明快で、スナーク号の航海の二十年ほど前に発表されたばかりだった。二十一世紀の現代から見ると、なぜ当初予想されたように普及しなかったのかのヒントがここにあるかもしれない。つまり頭脳明晰な人が考え出した論理的で合理的な言語が必ずしも人間にとって現実に必要な言葉になるとは限らない、ということだ。
ここでは、六分儀の使い方について理解しよう。
六分儀は、船の航海で天体の位置(角度や高度)を観測して現在位置を知るために必須の道具で、帆船やヨットの外洋航海では、こんな光景がよく見られる。
観測しているのは『野生の呼び声』などの作品で知られる作家、ジャック・ロンドン (『スナーク号の航海』より)
ひとくちに六分儀といっても、時代やメーカーによってさまざまなので、一般に共通する部分の名称を示し、その仕組みについて説明する。
4-1 各部の名称
写真は、日本で六分儀の代名詞になっているTAMAYA製のMS-733。
わりと新しい、ごく標準的なもの。軽合金製で重さは二キロ弱。
これを重いと思うか軽いと思うかは、使う人の体力と体調によるだろう。
長期の航海で疲れているときは、これを構えるだけでも結構な重さに感じることもある。
(1) 望遠鏡 telescope (2) 動鏡 index mirror (3) シェードグラス index shades (4) 水平鏡 horizon mirror (5) シェードグラス horizon shades (6) 弧(アーク) arc |
(7) 儀面 body (8) マイクロメータ micrometer (9) バーニャ vernnie (10) 指標棹 index arm (12) ハンドル handle |
それぞれ役割
(1) 望遠鏡は、もちろん、ここに目を当ててのぞく。
(2) 動鏡(インデックスミラー)は天体をここに反射させて水平鏡に像を送る。
(3) シェードは濃淡が数段階あり、太陽を見るときは濃い色を使用する。
(4) 水平鏡は望遠鏡から素通しで水平線が見えるが、同時に動鏡からの映像を反射させて望遠鏡に送る働きもする。
(5)シェードは(3)と同じ。天候など周囲の状況によって適したものを選ぶ。
(6) 弧(アーク)はスケールともいい、1度ごとに目盛りが刻んである(-5o~+125o)。
(7) 扇形の儀面は鏡や望遠鏡を取り付ける本体部分。
(8) マイクロメータはアークの角度の微調整を行う。
(9) バーニャでは1度以下の角度を読む(0.2’)。
(10) 指標棹(インデックスアーム)を動かして角度を調整する。動鏡と一体。
(11) 指標棹の下にあるレバー二本を同時につまむと指標棹が動く。離すと固定される。
(12)ハンドルは写真に見えている側の裏側にあり、右手で持つ。
4-2.天体と水平線を見る仕組み
上図でわかるように、天体の映像は動鏡で反射して、水平鏡に送られ、そこからさらに反射されて望遠鏡に送られる。
と、同時に、望遠鏡の視界には水平線もそのまま見えている。
天体の映像と水平線の実像が一直線に並ぶように、指標棹(インデックスアームの角度を調節する。
レバーで大体合わせ、マイクロメータを回して微調整する。
4-3. 実際の観測手順
A.六分儀を調整する。
(1) 動鏡(インデックスミラー)と水平鏡(ホライゾンミラー)は儀面(本体)と直角になっていなければならない。
確認し調整する方法はメーカー/製品によって異なるので、それぞれの説明書を見て確認する必要があるが、たとえば、動鏡が直角かどうかは「鏡に映る弧と直接に目で見える弧が直線になっていれば直角、屈折していれば直角ではない」といったことでわかる。近くに調整ネジ(または類似の仕組み)があるはずなので、それで調節する。
水平鏡の直角は普通に縦にして持ったときの「水平線と映像が一直線になっている」状態で、そのまま六分儀を倒していって水平にしてもなお「一直線」であれば直角、そうでなければ直角ではないので、ネジ等で調整する。
(2)器差(インデックスエラー)の改正
指標棹(インデックスアーム)を弧の0o0’に合わせたときに、動鏡と水平鏡は平行になっていなければならない。
指標棹(インデックスアーム)を0o0’に合わせて、水平線を見る。
こうなっていればOK。
こうなっていれば調整ネジで一直線になるようにする。
さらに正確さを確認するには、そのままの状態で六分儀を傾けて、なおかつ一直線になっているかチェックする。必要に応じて調節する。
ただし、どう調節しても段差が消えない場合は、マイクロメータで指標棹を動かして一直線にし、その時の角度をメモしておき、後で計算により加減する。
B.調整終了後、実際に天体の角度を測る。
太陽を見る場合はかならず濃いシェードを使うことを忘れないように。
ヒント: 体がふらふらしない場所や体勢を確保し、天体のおよその高さを推測して、あらかじめ六分儀をその角度にしておくと、割と楽に天体と水平線の両方を捕らえることができる。
望遠鏡に水平線と太陽の両方が入ったら、マイクロメータで微調整して位置を合わせる。
普通はこのように太陽の下辺を合わせる。
C.目盛りを読む。弧(アーク)は度単位なので、それ以下はマイクロメータとバーニャで読む(0.2’単位)。目盛りの中間は比例させて読む。
4-4 人工の水平線を使う
実際に海に出ると、太陽などの天体は見えるのに水平線がはっきりしないことはよくある。代表的な例は海霧だが、それに限らない。
で、そういうときに便利なのが人工水平線 (アーティフィシャルホライゾン)だ。
専用の器具がある。
多少の差はあるが、大体はこんな形をしている。
ま、洗面器のような容器に水を入れて、水面を通して太陽を見ても測定可能だが、風などで水面が揺れると映った像も揺れるので、専用の方が使いやすい。
仕組みはこうだ。
六分儀と人工水平線に差しこむ太陽からの光線は平行とみなすことができる。
水面の入射角と反射角は等しいので、●はすべて同じ角度になる。
つまり、六分儀で測定した角度を2で割ると天体の高度になる。
これは水平線の見えない陸上で六分儀による天体の高度観測の練習にも使える。
この場合、高度改正で、眼高による改正は不要になる。
その夜、コールフェイルド氏は警告を発した。ぼくらが募集した労働者の一人に、貝の貨幣を五十ファザムとブタ四十匹の賞金がかかっているというのだ。船の略奪に失敗した森の民は、その男の首を狙うことにしたらしい。殺し合いが始まってしまうと、いつ終わるのかはわからない。それで、ヤンセン船長は武装したボートで浜辺まで行った。ウギというボートの乗組員の一人が立ち上がり、船長に代わって話をし、夜間にカヌーを見つけたら鉛弾を撃ちこんで沈めてしまうぞと警告した。ウギは宣戦布告したわけだ。そうして、次のように締めくくった。「おまえらがオレの船長を殺したら、オレは船長の血を飲んで一緒に死んでやる!」
森の民は腹いせに無人の宣教師館を燃やして森に引き上げていった。翌日、ユージニー号がやってきて投錨した。ミノタ号は三日と二晩の間、座礁していた。それからやっと離礁し、穏やかな海面に錨を降ろした。ぼくらは全員がそこでミノタ号に別れを告げてユージニー号に乗り移り、フロリダ島に向けて出発した*1。
原注1
スナーク号のぼくらだけに異常に病人が多かったわけではないと指摘しておくため、ここでユージニー号の航海日誌から、ソロモン諸島の航海の例とみなせるものを引用しておこう。
ウラバ、木曜、一九〇八年三月十二日
朝、ボートで上陸。2つの荷を入手。ゾウゲヤシの実とコプラ四千個。船長は熱病で寝こんでいる。
ウラバ、金曜、一九〇八年三月十三日
森の民から堅果1トン半を購入。航海士と船長が熱病で寝ている。
ウラバ、土曜、一九〇八年三月十四日
正午、揚錨し、東南東の微風でンゴランゴラへ向かう。水深八尋(ひろ)で錨泊――海底は貝とサンゴまじり。航海士、熱病で寝たまま。
ンゴランゴラ、日曜、一九〇八年三月十五日
夜明けに、ボーイのバグアが赤痢で死んでいると判明。罹患して約十四日目。日没時に、南西から激しいスコール。(二つ目の錨を用意した)。スコールは一時間三十分続いた。
海上、月曜、一九〇八年三月十六日
午前四時にシキアナに向けて針路を設定。風が落ちた。夜間、激しいスコール。船長ともう一人が赤痢に罹患。
海上、火曜、一九〇八年三月十七日
船長と二名の乗組員が赤痢で寝こむ。航海士は熱病。
海上、水曜、一九〇八年三月十八日
波が高い。風下側の舷はずっと海水に洗われている。縮帆したメインセールに、ステイスルとインナージブで帆走。船長ほか三名が赤痢。航海士は熱病。
海上、木曜、一九〇八年三月十四日
視界が悪く何も見えない。常に強風が吹いている。ポンプが詰まったのでバケツで排水。船長と五名のボーイが赤痢で寝こむ。
海上、金曜、一九〇八年三月二十日
夜にハリケーンなみのスコール。船長と六名が赤痢。
海上、土曜、一九〇八年三月二十一日
シキアナから戻る。終日、スコール。豪雨と高波。船長と元気だった乗組員が赤痢。航海士は熱病。
といった具合で、ユージニー号の航海日誌では来る日も来る日も、こんな調子で、船上のほとんどの者が病に倒れている。唯一の変化は三月三十一日で、この日には航海士が赤痢に倒れ、船長が熱病で寝こんだ。
ミノタ号は手を抜かずに建造されていた。こういうことは、船が岩礁に乗り上げたようなときにものを言う。船が何に耐えたかについては、座礁して最初の二十四時間に二本の錨鎖がちぎれ、八本の太いロープが切れたという事実でもわかるだろう。乗組員たちは海に飛びこんでは錨を探して新しいロープを結びつける作業に忙殺された。ロープで補強した鎖が切れたりもした。それでも、まだ耐えていた。キールや船底を守るため、海岸から三本の大木を運んで船の下に押しこんだが、太い幹もずたずたになって裂けてしまい、それを固縛していたロープもぼろぼろになった。船は何度もドシンドシンとぶつけられたが、持ちこたえた。だが、ぼくらはアイバンホー号より幸運だった。アイバンホー号は大型のスクーナーで労働者の募集に使われていたのだが、数カ月前にマライタ島の海岸に乗り上げてしまい、たちまち原住民による略奪にあったのだ。船長と乗組員はボートで脱出に成功したものの、陸の民と海の民が持ち運べるものをすべて運び出してしまった。
ケウムの人々――ソロモン諸島
土砂降りの雨が続き、眼もあけていられないほどの強風がミノタ号をおそっている。海は大荒れになってきた。五マイルほど風上にユージニー号が錨泊していた。が、途中に岬があって視界をさえぎっているため、ミノタ号のトラブルに気づくはずもなかった。ヤンセン船長の提案で、ぼくはケラー船長宛に、余分に錨があれば持ってきてもらえないかという手紙を書いた。しかし、その手紙を運んでやろうというカヌーは一隻もなかった。半ケースのタバコをやると言ったのだが、連中はニヤッと笑うだけで、またすぐ離れてしまうのだ。半ケースのタバコといえば三ポンドの価値がある。風や波は高かったが、その手紙を運ぶほんの二時間ほどの手間をかけるだけで、農園で半年汗水流してやっと手にする賃金に相当する価値のあるものを受けとれるのに。ぼくはコールフェイルド氏がボートで錨を運んでいるところまで、なんとかカヌーを漕いでいった。彼ならぼくらより原住民に対する影響力があるだろうと思ったのだ。氏は周囲のカヌーを自分のところに呼び集めた。二十人ぐらいが近づいてきて、半ケース分のタバコをやるという話に耳を傾けた。皆、無言だった。
「君たちが何を考えているのか、私にはわかる」と、伝道師は語りかけた。「座礁したあの船にはたくさんのタバコが積んであるはずだから、それをごっそりいただこうと思ってるんだろう。だがね、船にはライフルもたくさんあるんだよ。タバコどころか銃弾をくらうことになるぞ」
やっとのことで、小さなカヌーに乗った男がその手紙を運んでくれることになり、一人で出発した。救助を待つ間も、ミノタ号では作業が続けられた。水タンクを空にし、円材や帆、バラストを陸に運ぶ。ミノタ号が揺れるたびに船上には活気が戻った。交易品を詰めた箱やブーム、八十ポンドもある鉄のバラストが一方の舷からもう一方の舷まで飛び交うたびに、二十人もの男たちが押しつぶされないよう逃げまわるのだ。かわいそうに、この船はおだやかな港内での帆走用に建造された華奢なヨットだったのに! 甲板も動索もぼろぼろになっていた。甲板の下では、何もかもがひっくり返っていた。船室の床にはバラストを取り出すための穴が開けられていたし、錆の浮いたビルジが船底でびちゃびちゃはねていた。ライムを入れた樽が、調理中のシチューからこぼれた団子のように、小麦粉をぶちまけた海水にプカプカ浮かんでいた。奥の船室では、ナカタがライフルと弾薬を守っていた。
手紙を持って出発してから三時間がたった。激しい風雨をついて、一隻のボートが巨大な帆を揚げてやってきた。ケラー船長だった。雨と波しぶきでずぶ濡れになっていたが、ベルトには拳銃を差し、ボートの乗組員は完全武装していた。ボート中央には錨とロープが山のように積みこまれていた。突風も顔負けの迅速さだった――白人が白人の救助に来てくれたのだ。
ハゲタカのようにじっと待っていたカヌーの列が乱れ、来たときと同じようにあっという間に消えてしまった。結局、一人の死者も出なかった。これでボートは三隻になったので、二隻がミノタ号と海岸との間を往復し、もう一隻が錨を担当した。切れたロープを補修し、失った錨を回収した。その日の午後遅く、話し合いをし、船の乗組員の数と採用した地元の労働者が十人になったことを考慮して、ぼくらは乗組員の武装を解いた。それで、両手を自由に使って船の作業に専念できるようになった。ライフルはコールフェイルド氏の手伝い五人に預けた。壊れた船室では、伝道師と彼が改宗させた地元の少年たちがミノタ号を救ってくれるよう神に祈っていた。印象的な光景だった。一点の曇りもなく信じて祈っている丸腰の男の背後で、元は野蛮だった連中がライフルを持ち、アーメンと唱えているのだ。船室の壁が揺れた。船が持ち上がり、波が寄せるたびにサンゴにぶつかった。甲板からは吐いたり疲労困憊した声や、目的も腕力もある連中が別の流儀で祈ったりする大きな声が聞こえてきたりした。