スナーク号の航海(81) - ジャック・ロンドン著

もう一つの人工島のスアヴァで、チャーミアンは二度目の災難にあった。スアヴァで一番の大物だという男(つまり、スアヴァで最高の偉い人)が船に乗ってきたのだ。だが、そいつは最初、ヤンセン船長に自分の高貴な身を包みかくす布が必要だと使者を送ってきた。その間、船に横づけしたカヌーから出ようとはしなかった。この高貴な人の胸には垢が半インチほどの厚さでこびりついていた。その下の層の汚れは十年から二十年は経っていそうだった。貴人はまた使者を船によこした。使者はスアヴァの大君の意向として、ヤンセン船長やぼくに握手する栄誉を与え、ステッキや取引用のたばこをもらってやってもよいが、名門たる自分の立場では女ふぜいと握手をすることは、とうていできることではない、というのだった。かわいそうなチャーミアン! マライタ島での女性蔑視の体験から、彼女はすっかり生まれ変わっていた。表向きはおそろしく従順で謙虚になっていた。ぼくらが文明世界に戻って歩道を歩くときに、彼女が一ヤードほど後ろからうつむいてついてきても驚きはしないほどだ。

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ソロモン諸島のカヌー

スアヴァでは、そうたいしたことは起きなかった。地元出身のコックのビチュが職務放棄して逃げた。ミノタ号は走錨した。激しい風雨に襲われた。航海士のヤコブセンとワダが発熱して病に倒れた。ぼくらの潰瘍はひどくなり拡大した。船にいたゴキブリが七月四日の独立記念日と戴冠式のパレードを一緒にしたような賑わいで歩きまわっていた。きまって深夜に狭い船室に出没した。長さは二、三インチあった。何百匹もいて、それがぼくらの体の上をはいまわるのだ。捕まえようとすると、固い床からパッと飛び上がり、ハチドリのように羽ばたいて移動した。スナーク号にいるゴキブリよりも、ずっと大きかった。スナーク号のゴキブリはまだ幼くて、成長しきれていないのかもしれない。また、スナーク号にはムカデもいた。長さが六インチもある大きなやつだ。ときどき見かけて殺したが、たいていはチャーミアンの寝床にいた。ぼくは二度かまれた。卑怯にも、どちらも眠っているときだった。とはいえ、かわいそうなのはマーチンで、運に見放されていた。病気で三週間も寝ていたのだが、やっと起き上がれるようになったものの、一日で元に戻ってしまった。冒険航海に出てみようなんて夢にも思わない人は賢明だと、ときどき思ったりもする。

この後、ぼくらはマルに戻り、七人の労働者を集めた。錨を上げて、出口に向かった。ここは危険な場所だ。風が急変し、荒々しい岩礁に押し寄せている流れも強くなった。そこをかわして外海に出ようというまぎわに、風向が四十五度も変化した。ミノタ号はそれに合わせてタッキングしようとしたが失敗した。ツラギで錨を二個も失っていたので、残った一つを投錨した。チェーンが出て行き、サンゴにしっかり食いこんだ。ミノタ号の細長いキールが海底に当たった。メインのトップマストが大きく揺れ、それから激しく振動した。頭上に落ちてくるんじゃないかと思うほどだった。急に停止してチェーンがゆるんだところに、大波が押し寄せてきて船にぶつかった。チェーンが切れた。それが残った唯一の錨だった。ミノタ号はぐるりと向きを変えると、そのまま船首から砕け散る波に突進していった。

ひどい混乱が起きた。農園の労働者として採用された連中は甲板の下にいたが全員が陸の民で海をおそれていたので、パニックになって甲板に飛び出してきて、てんでに駆けだした。と同時に、船の乗組員もライフルを取りに走った。彼らはマライタの海岸で起きたことを知っていた。片手は船のために、片手は原住民と戦うために、というわけだ。実際には彼らが片手で何につかまっていたのか、ぼくは知らない。ミノタ号は波に持ち上げられ、転がされ、サンゴにぶつけられるので、ともかく振り落とされないよう何かにつかまっている必要があった。陸の民は索具にぶらさがっていた。トップマストをしっかり見張っておくという発想はないようだった。乗組員たちは上陸用ボートで漕ぎ出し、ミノタ号がさらに岩礁の方に流されないよう、無駄と知りつつ懸命に曳航しようとした。その一方、ヤンセン船長と航海士、彼は発熱で青白い顔をして衰弱していたのだが、バラスト代わりに船底に放り込んであった壊れた錨をまた使えるようにしようと、ストックを取りつけていた。コールフェイルド氏が仲間の少年たちとボートで駆けつけてくれた。

ミノタ号が座礁した当初、周囲にカヌーはいなかった。しかし、青い空を旋回するコンドルのように、あらゆるところからカヌーがやってきた。乗組員たちはいつでもライフルを撃てるよう構え、それ以上近づくと殺すぞと警告した。連中は百フィート(約三十メートル)の距離を保っている。波が打ち寄せる危険な場所だが、黒っぽく不気味な姿で列をなし、パドルを漕ぎつつカヌーの位置を維持している。浜辺の方も、山から降りてきた陸の民ですし詰め状態だった。手に手に槍やスナイドル銃、弓やこん棒で武装している。事態を複雑にしたのは、農園の労働者募集に応じた十人以上の連中が、たばこや交易品、船上のすべてを略奪しようと浜辺で待ち構えている、まさにその陸の民の出身者だったということだ。

スナーク号の航海(80) - ジャック・ロンドン著

「どの殺人について話をしてるんですか?」と、ふいにクライフィールド氏がヤンセン船長に聞いた。どうも会話がちぐはぐだった。
ヤンセン船長は説明した。
「ああ、それは私が話しているのとちがいます」と、クライフィールド氏が言った。「昔の話ですよ、二週間も前のね」

チャーミアンにもとうとうランガランガでソロモン病の潰瘍ができてしまい、そのことで自分だけ無事ってのは許せないと思って、ぼくはひそかににんまりしていたのだが、そういう自分の性格を後悔するはめになったのが、ここマルでだった。それについては、クライフィールド氏にも間接的な責任があるのだ。氏はぼくらにニワトリをくれたので、ぼくはライフルを持って茂みに入っていった。そこでニワトリの首を落とすつもりだった。それはうまくいったのだが、ぼくは木につまづき、むこうずねをすりむいてしまった。その結果、ソロモン病の潰瘍が三カ所できてしまったのだ。これでぼくの潰瘍は五カ所になった。ヤンセン船長とナカタはガリガリにもかかった。ガリガリとは、文字通り、かゆいかゆいという意味だ。だが、残りのぼくらにしてみれば、それを訳す必要もなかった。船長とナカタが体をくねくねとくねらせる仕草を見ていれば、それだけでわかるからだ。

(いや、ソロモン諸島は昔ほど健康的なところではなくなっている。ぼくはイザベル島でこの原稿を書いているのだが、なぜこの島に来たのかというと、潮の干満を利用してスナーク号の船底を露出させて船底の銅板の汚れを落とすためだ。今朝、ぼくは何度目かの発熱が終わったところだ。とはいえ、また一日すれば熱が出るだろう。チャーミアンの発熱の間隔は二週間だった。ワダの体も熱でぼろぼろだった。昨夜、彼は肺炎の症状がすべて出た。タヒチ出身の頑丈な大男、ヘンリーはこの前の発熱から回復したばかりで、去年の小さくて酸っぱいリンゴのように甲板をごろごろしていた。ヘンリーもタイヘイイもソロモン病の潰瘍が広がっていた。連中はそれに加えてガリガリも併発した。これは有毒オークやツタウルシのような植物によるかぶれだ。それだけじゃない。何日も前に、チャーミアンとマーティン、それにぼくとで小さな島での鳩撃ちに出かけたのだが、それ以来ずっと苦しみが続いている。その小島では、マーチンもサメを追いかけていてサンゴの縁で足裏を切った――少なくとも、本人はそう言っているのだが、ぼくの見るところ理由は別にある。とはいえ、そのサンゴによる傷もすべて潰瘍になった。前回の発熱の前に、ぼくの潰瘍は消えたのだが、また新しいのが三つできている。それにしても、かわいそうなのはナカタだ! 三週間もの間、座ることもできなかった。昨日はじめて座ったのだが、ほんの十五分がやっとだった。あと一カ月もすればガリガリも直りますよと、カラ元気を出している。ガリガリはひどくかきむしったものだから、そこからさらに潰瘍が広がっていた。さらにさらに、彼は七度目の発熱で寝こんでしまった。ぼくが王様だったら、敵に対する最も残虐な処罰としてソロモン病に罹患させるよう命じるだろう。とはいえ、王様であってもなくても、そんな残酷なことはしてはいけないと思い直した)。

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女だけの市場

港内での帆走用に建造された小型の細長いヨットで農園の労働者を募集するのはお勧めできない。甲板には募集した労働者とその家族があふれている。メインキャビンでは連中がすし詰めになっている。夜になると、そこで眠るからだ。ぼくらの小さな船室への唯一の入口がこのメインキャビンを通っているので、ぼくらは連中を押しのけるか、またいで出入りした。それだけじゃない。全員が悪性の皮膚病にかかっているのだ。白癬にかかっている者もいれば、ブクアにかかっている者もいた。ブクアは野菜に寄生し皮膚から侵入して食い荒らす虫が原因だ。このかゆさは、とてもがまんできない。これにかかるとかきむしるので、こまかな乾いた皮膚片が空中に飛び散ってしまう。さらに、イチゴ腫もいれば他の皮膚病をわずらっている者も大勢いる。乗船してくる男たちは足にソロモン病の潰瘍があり、それがとても大きいので、つま先立ちしなければ歩けなかったり、足に穴があき、拳が骨のところまですっぽりと入ってしまいそうなくらいひどいのもいた。敗血症もよくある病気で、ヤンセン船長も鞘(さや)入りのナイフと帆を縫う針でどんどん手術していた。症状がどんなに絶望的であっても、切り開いて洗浄した後、彼は堅パンを水にひたして湿布し、その上からたたいていた。ぼくらは特にひどい場合には隅の方にに引っこんで昇汞(しょうこう)をふりかけた。ミノタ号の船上では、そうやって機をのがさず「快適なふりをして」生活しつつ、食べて眠った。

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造成中の人工島

スナーク号の航海(79) - ジャック・ロンドン著

ぼくらはランガランガから礁湖をさらに進んだ。マングローブの生い茂った沼沢地で、航路はミノタ号よりちょっとだけ幅があるかなというくらいだ。海沿いのカロカ村とアウキ村を通り過ぎた。ベニスを作った人々と同じように、ここの海の民はもともと本土から避難してきた連中だ。虐殺を逃れてきたのだが、森で生活するには弱すぎるので、砂州を島にしてしまったのだった。食料は海の幸に頼らざるをえず、しだいに海の民になっていく。やがて魚や貝を捕る方法を覚え、針や釣り糸、網や漁労用の仕掛けも作り出した。体つきもカヌーに適したものに変わっていった。歩きまわるのが苦手だが、いつもカヌーに乗っているので、腕は太くなり、肩幅も広かった。一方、腰まわりは小さく、足はかぼそかった。海の恵みを受けて豊かになり、岸辺で森の奥の連中とも交易を行っていた。とはいえ、この海の民と森の民との間には、はてしない反目があった。実際には取引の市が開かれる日だけ停戦になるのだが、普通は週に二回だ。森の民と海の民の女たちが物々交換を行うのだが、その間、森では百ヤードほど離れたところに武装した森の男たちが隠れていたし、海の方でも男たちがカヌーに乗って待機していた。市のある日に停戦協定が破られることはめったになかった。森の民も魚が好きだし、海の民も土地が狭い人工島では育てられない野菜をほしがっていた。

ランガランガから三十マイルほど進んだところで、ハッサカンナ島と本土の間にある航路に出た。ここで夜になり風も落ちたので、ボートを漕いでミノタ号を曳航した。懸命に漕いだが、潮の流れが逆だった。真夜中に、航路のど真ん中でユージニー号と遭遇した。大型のスクーナーで、この船も同じように人集めをしていたが、やはりボートで曳航されていた。指揮をとっているのはケラー船長で、二十二歳のがっしりした若いドイツ人だった。親睦を深めようとミノタ号に乗船してきたので、マライタ島の最新情報を交換しあった。船長の方は運にも恵まれ、フィウ村で二十人も集めていた。そこに滞在しているときに、いつものように殺し合いがあった。殺された少年は、いわゆる海で生きるようになった森の民だった。つまり、半分は森の民で海育ちだが、島には住んでいないという連中だ。彼が働いている農園に、三人の森の民がやってきた。彼らは友好的にふるまっていたが、しばらくして、カイカイをくれと言った。カイカイとは食い物のことである。それで、彼は火をおこし、タロイモを煮た。鍋をのぞきこんだとき、森の民の一人が銃で頭を撃った。男は火の中に倒れた。三人組はすかさず槍で腹を突き、切り裂いた。

「ひどいもんだよ」、とケラー船長はいった。「オレが殺されるとしたら、スナイドル銃で撃たれるのだけはごめんだね。パッと広がってさ! 頭に馬車が通り抜けられるくらいの穴が開いちまうんだから」

マライタ島に関してぼくが聞いた別の人殺しは、老人の殺害だった。森の民の重鎮がなくなったのだが、自然死だった。森の民で、自然死を信じる者なんていない。いままで自然死というのが存在しなかったからだ。死ぬというのは、銃で撃たれるか、斧でなぐり殺されるか、槍で突かれるかしかないのだ。それ以外の方法で誰かが死んだとなると、呪い殺されたということになる。ボスが自然死したとき、部族の連中はある家族にその罪をきせた。罰としてその一族の誰を殺すかは重要ではなかったので、一人暮らしの老人が選ばれた。その人なら簡単に殺せるだろうからだ。その老人はスナイドル銃を持っていなかったし、盲目だった。老人は自分がどんな目に遭うかを悟ると、矢を大量に集めた。スナイドル銃を手にした三人の勇敢な戦士が彼を夜襲した。戦いは一晩中続いた。森を何かが移動する音や何か鳴る音がすると、老人はすかさずそっちの方向に矢を射たのだ。朝になり、最後の矢がつきたところで、この三人の英雄は老人に忍び寄って頭を吹き飛ばした。

夜が明けても、ぼくらはまだ航路でうろうろしていた。へとへとに疲れてしまったので、この航路はあきらめて、広い海に出た。バッサカンナ経由で目的地のマルに向かって帆走した。マルの泊地は非常によかったが、陸とむき出しの岩礁との間にあるため、入るのは簡単、出るのは厄介という場所だった。風上に進むには南東の貿易風が必要だった。砂州のところは幅が広かったが、水深は浅く、常に潮が流れていた。

マルに住んでいる伝道者のクライフィールド氏が自分のボートで岸ぞいをやってきた。細身の繊細そうな人で、職務には情熱を抱いていた。分別があり実際家でもあって、神にとっては本物の二十世紀の使者といったところである。マライタ島のこの地にやってきたとき、約束の任期は六ヶ月だったんですよ、と彼は言った。その期間をぶじに生き延びると、氏は期間延長に同意した。それから六年が経過していたが、まだ滞在を続けているのだ。とはいえ、氏は自分がまだこれから六ヶ月以上も住むのかについては確信を持っていなかった。マライタ島で、氏の前任の布教者は三人いたが、そのうちの二人は任期満了前に熱病で死んだし、三人目は帰国の途中で難破していた。

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海の民が作った人工島のアウキ島。

スナーク号の航海(78) - ジャック・ロンドン著

ソロモン諸島ではよくあることだが、船上でのジョニーの仕事は、たばこと交換で、上陸用ボートの帆柱やメインスル、ジブを取り戻すことだった。その日も遅くなって、村長(むらおさ)のビリーが船にやってきて、マストとブームを返し、たばこを受け取った。こうした道具はヤンセン船長がミノタ号での前の航海で取り戻したボートの備品だった。この上陸用ボートはイザベル島のメリンゲ農園の所有物だった。十一人の契約労働者とマライタ島の男たち、森の住人たちが農園からの逃走をはかった時に盗んだものだ。連中は森の民だったので、海についても海に浮かぶボートについても何も知らなかった。それで海の民であるサン・クリストバルの出身者二人を誘い、一緒に逃げようと説得したのだ。サン・クリストバルの住人にとっても渡りに船だった。とはいえ、彼らはもっとよく知っておくべきだった。盗んだボートを無事にマライタまで導いてやったところで、用済みになった二人は殺された。ヤンセン船長が取り戻したボートと道具が、そのときのものなのだ。

ソロモン諸島まではるばる航海してきたというのに、いろんな問題があった。ついに、チャーミアンの誇り高き精神も失墜し、ほこりにまみれてしまった。それは、ランガランガの人工島の、家も見えない浜辺で起きた。ここで、ぼくらは何百人もの物怖じしない裸の男女や子供たちに囲まれていた。あちらこちらと歩きまわり、いろんな景色を眺めた。ぼくらは銃を携帯し、いつでも出発できるよう船尾を浜に着け、オールをこぐばかりにした状態で、完全武装の乗組員をボートに待機させていた。とはいえ、問題を起こしたらどうなるかという教訓を軍艦が示していった直後だったので、トラブルは生じなかった。ぼくらはいろんなところを歩きまわり、何でも見てまわったが、最後に浅い河口を渡る橋の役目をしている、大木の切り株のところに出た。黒人たちはぼくらの前で壁を作り、通行を阻止した。ぼくらは制止される理由を知ろうとした。黒人たちは、ぼくらには渡ってよいと言った。そこに誤解があったのだが、ぼくらはその通りに進んだ。すると、事情が明白になった。ヤンセン船長とぼくは男なので進んでもよいが、メアリーがその橋を渡ることは認められない、というのだ。「メアリー」はピジン英語で女性を指す。メアリーとはチャーミアンのことだった。女は橋にとってのタンボ、つまり現地の言葉でタブーとされていた。ぼくはむかついた! ついに、ぼくが自分の男らしさを証明するときがきたのだと思ったほどだ。とはいえ、ぼくは優遇される側にいるので文句は言えない。チャーミアンは歩きまわることは認められたものの、橋を渡るのを許されたのはぼくら男だけで、彼女はボートに戻るしかなかった。

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海の民が作りあげたランガランガの人工島

その後に起きたことについても、あえて言っておくと、ショックのあまり熱が出るというのは、ソロモン諸島ではよくあることで、チャーミアンは通行を拒否されてから半時間もたたないうちに発熱してミノタ号へと大急ぎで運ばれたのだった。毛布にくるまり、キニーネを処方された。ワダとナカタがどういうショックで発熱を引き起こしたのかは知らないが、彼らも熱でダウンしていた。ソロモン諸島がもっと健康的な場所になるよう祈るばかりだ。

さらに、この発熱のさなかに、チャーミアンはソロモン痛にも襲われた*1。通行拒否は、すでに限界に達していた彼女を倒した最後のワラ、最後の一撃だったのだ。スナーク号では、彼女をのぞいて皆がこの病気にかかっていた。ぼくは潰瘍がひどくて、くるぶしのところから足を切らなきゃならないのではないかと思っていたほどだ。ヘンリーとタイヘイイ、それにタヒチの船乗りたちも、その多くがひどい潰瘍に悩んでいた。ワダは自分にできた潰瘍の数を二十個単位で数えることができた。ナカタの数は少なかったが、大きさが三インチもあった。マーチンは潰瘍の根が伸びていって脛骨が壊死しはじめていると思いこんでいた。だが、チャーミアンは、そういうものと無縁だったのだ。彼女はずっと無事だったので、ぼくらの間ではむしろ小馬鹿にされていたくらいだった。ある日、彼女は、やっぱり根が純粋無垢だと病気もよりつかないのねと、ぼくにささやいたものだ。ぼくらは彼女をのぞいて全員が病気にかかっていて、彼女だけがそうではなかったのだが――ともかくも、その彼女も罹患した。潰瘍は一ドル銀貨ほどの大きさだったが、純粋無垢な血液のおかげか、数週間の苦しみをへて治癒した。彼女は昇汞(しょうこう)*2が効くと信じていた。マーチンはヨードホルムだと言い張った。ヘンリーは薄めていないライムジュースを使った。ぼくはといえば、昇汞がなかなか効いてこないときには、包帯を過酸化水素水に浸して代用した。ホウ酸をくれたソロモン諸島の白人もいたし、ライゾールという消毒剤がいいという者もいた。万能薬と称するものも持っていたが、あまり効き目はなかった。効くのはカリフォルニアでの話だ。ぼくは、ソロモン諸島のこの病気にカリフォルニアでかかってみろよと言いたい。効くわけないんだから。

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人工島

脚注
*1: 症状からすると、いわゆる「風土性トレポネーマ症」(イチゴ腫)という細菌感染症かもしれない。

*2: 昇汞(しょうこう)は塩化第二水銀または塩化水銀(II)とも呼ばれ、殺菌力があるものの毒性も強いため、現在は使用されていない。

スナーク号の航海(77) - ジャック・ロンドン著

スウでは成果がないまま三日がすぎた。ミノタ号から呼びかけた求人に応じる者はなく、ミノタ号の乗組員で森の連中の犠牲になる者もなかった。本当のことを言うと、一人だけ犠牲になっといえるかもしれない。ワダが熱で寝こんでしまったのだ。ぼくらはボートに乗ってランガランガの海岸に沿って進んでみた。ここは海辺の大きな村で、礁湖に作られた――文字通り途方もない努力によって作り上げられた砂州、好戦的な連中から逃れるために作られた人工島なのだ。ミノタ号が半年前にこの礁湖の海岸で襲撃され、当時の船長が野蛮な連中に殺されていた。狭い入口から進入すると、一隻のカヌーがやってきて、軍艦が三つの村を焼き払い、ブタを三十匹ほど殺し、赤ん坊一人を溺れさせ、この日の朝、立ち去ったばかりだと知らせた。ルイス艦長が指揮をとるカンブリアン号だった。艦長とは日露戦争のときに朝鮮で会ったことがある。それ以来、ぼくらは何度かすれ違ってはいるのだが、実際に会う機会はなかった。スナーク号でフィジーのスバに入港したとき、カンブリアン号は入れ替わりに出港していくところだったし、ニューヘブリディーズ諸島のヴィラでは、一日違いで行き違いになった。サント島の沖では夜間にすれちがった。カンブリアン号がツラギ島に到着した日、ぼくらは十二マイル離れたペンデュフリンを出たところだった。そして、このランガランガでも数時間差ですれ違ったわけだ。

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ウル島――人工の島――マライタ

カンブリアン号はミノタ号の船長殺害の容疑者を処罰するために来たのだったが、目的を達したか否かは、後で伝道者のアボット氏がぼくらのボートにやって来たときにわかった。村々は焼き払われ、ブタが殺されたが、村人は逃げて無事だった。ミノタ号から奪われた旗や道具は取り戻せたものの、殺した連中は捕まらなかった。赤ん坊の溺死は誤解から生じたものだった。ビヌのジョニー村長は軍の上陸部隊を森の連中のところに案内するのを断わり、村人に道案内させることもしなかった。ルイス艦長は当然のごとく立腹し、ジョニー村長に、拒否すれば村を焼き払う、それだけの罪に値すると言った。ジョニーのピジン英語*1に「値する」という語彙は含まれていなかった。村長は、道案内すれば焼き払われずにすむとは思わず、いずれにしても村が焼かれてしまうと思いこんでしまったのだ。住民たちが大慌てで逃げ出したため、赤ん坊が海に落ちてしまった。一方、ジョニー村長はアボット氏のところへ駆けつけた。伝道師にソブリン金貨十四枚を握らせ、カンブリア号に行ってルイス艦長をその金で説得してほしいと頼んだのだ。ジョニー村長の村は焼かれなかったし、ルイス艦長がソブリン金貨を受けとることもなかった。というのは、村長は後になってミノタ号に乗船してきたのだが、ぼくは村長がその金貨をちゃんと持っているのを目にしたからだ。ジョニー村長は、上陸部隊を案内しなかったのは大きな腫れ物ができていたからだと釈明しつつ、それを見せてくれた。だが、当人は認めようとはしなかったが、本当の理由は、森の野蛮な連中の仕返しを恐れたのだ。村長でも村人でも案内してしまえば、カンブリアン号が抜錨したとたん、すぐに血なまぐさい報復を受けると思ったのだ。

 

脚注
*1:ピジン英語(pidgin English)は、南太平洋の西側一帯で話される現地語なまりの英語全般を指す。
地域ごとに呼び方が違っていて、ここでは beche-de-mer というフランス語(ナマコという意味)が使われている。ナマコ漁が行われているニューギニア周辺のピジン英語は特にこう呼ばれる。
「値する(deserve to)」という英語の意味がわからなかったために悲劇が起きたという話は、二十一世紀になった現在でもまだ記憶に新しい事件、一九九二年に米留学中の日本の高校生がハロウィンでパーティ会場を間違えて民家の敷地に入ってしまい、「動くな (freeze、フリーズ)」をプリーズ(どうぞ、いらっしゃい)と聞き違えて射殺された悲劇を想起させる。

世界一わかりやすい(?)天測航法-1

はじめに

カーナビはいうまでもなく、道に迷ったらスマホに内蔵されているGPSを使ったナビ・アプリで道案内してもらえばいい時代には、六分儀を使った天文航法による位置測定は、旧世紀の遺物、ほこりまみれの骨董の世界のように思える。とはいえ、大航海時代の探検家や帆船に乗った海賊、ヨットの冒険家が六分儀で太陽を観測して自分の位置を調べたりするのは、ちょっとかっこよかったりする。

実際問題として、二十一世紀の現在、大海原で自分が乗っている船の現在位置を正確に知るには、人工衛星を使って位置を表示するGPS受信機と紙の海図か電子海図があれば十分だし、そうしたものを丸ごと一台に組み込んだGPSプロッターも普及しているので、それがあれば世界一周でも用は足りる──

筆者も実際のヨット遊びでは、GPS内蔵のスマホやタブレットで電子海図に現在位置を重ねて表示させて、カーナビ・アプリのように使っているので、利便性について異論はない。

こういう電子機器は電源がなくなれば無用の長物になってしまうため、「バックアップとして旧来の道具や手法も必要」という人もいる。それはその通りだ。

とはいえ、紙の海図とコンパス(方位磁石)は現在でも必需品だとは思うが、率直に言って、六分儀まではいらない気もする。

今どきのヨットで、こういう小さな電子機器の消費電力も確保できないという状態は、転覆でもしない限り考えにくいので、バックアップが必要ならば、予備の携帯用GPS受信機と電池をタッパーウェアなど水の入らない容器に密封して積んでおけば足りるだろう。

しかし、利便性とか効率だけで測れないのが人間というやつで、そもそもヨットなんてもの自体が効率とはかけはなれたものだし、エアコンやラジオもないビンテージのクラシックカーに大金をつぎこんでいる人や、オートマ全盛で、コンピューター制御の自動運転車が現実に道路を走る時代にも、マニュアルのクラッチ操作にこだわる人がいるのも事実だし、そうした人々をマニアと呼んで、ひとくくりにして片付けたとしても、どこかそっちの方が楽しげだったりするのはなぜだろう──そういう功利的な発想をしている限り見えてこない「もの」があるのではないか?

損か得か、効率がいいか悪いか、利口か馬鹿かの二者択一ができないところに人生の妙味がある──ばかのやることを馬鹿だと思ってバカにしていると、自分自身が物事の本質が見えない馬鹿になる──のかもしれない。

すでに人類は何十年も前にロケットで月に行っているというのに、人はなぜちっぽけな山に登ろうとするのか? なぜ海を見ていると、水平線の向こうに行ってみたくなるのか。散歩の途中で路地を見つけたら、なぜ迷いこんでみたくなるのか――こういう無駄が人生をおもしろくする……のかもしれない。

というわけで、これから六分儀を使った天文航法についての話をしよう。

「天測には海のロマンを感じる」でも、「単なる道楽」でも、「うんちく自慢したい」でも、動機は何でもよいが、ルールや戦術や選手の特徴を知っていた方がサッカーがより楽しめるように、天測の基本を知っていれば、少なくとも帆船やヨットの航海記や冒険物語を読む楽しさは倍増するはずだ。

これだけ知っていれば、とりあえず現代の外洋ヨットでGPSを持たずに天測しながら日本から太平洋を渡ってアメリカに到着することは可能だという程度の、具体的かつ実践的な内容になる、はず……

目次

1.天測とか天文航法って何?
1-1 なぜ太陽の高さを観測すると自分の位置(緯度)がわかるのか
1-2 なぜ太陽が真南にきた時間を知ると自分の位置(経度)がわかるのか
1-3 必要なもの

2. 実践編 緯度
2-1 子午線高度緯度法
2-2 北極星高度緯度法

3.実践編 経度

4.太陽や月、星が観測できないときの推測航法

5.陸が見えるときの六分儀の使い道(地文航法)

6.六分儀の機能と操作

7.位置の線航法って何?

8.うんちくを語りたい人のための天測用語集(英和対照表)

スナーク号の航海(76) - ジャック・ロンドン著

最初に入港したのはマライタ島の西岸にあるスウーだった。ソロモン諸島は縁海(えんかい)*1で、島々や環礁に囲まれた閉ざされた海域にある。暗い夜には灯火もなく、暗礁が牙をむく。潮流も複雑に変化する海峡を航海していくのは非常にむずかしい。ソロモン諸島の北西端から南東端までの海岸線は一千マイルもあるのに、灯台が一つもない。その上、海図に描かれている陸地が正確ではないのだ。スウーがその例だ。マライタ島の海図では、この地点の海岸はまっすぐの連続した線として描かれている。だが、ミノタ号はこの連続した直線を超えて進み、深さ二十尋(ひろ)の湾に浮かんでいる。陸地があるとされたところは深い入り江になっていた。ここまで帆走してきて、丸い鏡のような湾に投錨したのだった。マングローブが近くまで迫っている。ヤンセン船長はこの泊地が好きではなかった。彼が初めてここに来たころ、スウーは危険な場所として悪名をはせていた。攻撃されて逃げようとしても、風がなければどうしようもないし、上陸用のボートで沖に漕ぎ出そうとしても奇襲されてしまう。ひと悶着あれば、罠(わな)にかかったも同然だ。

この地図でマライタ島の下(南西)側中央の幅が広くなっているところのすぐ下(南)がスウーの港。

「ミノタ号で上陸するとして──どうしますか」と、ぼくは聞いてみた。
「上陸なんかしないよ」というのが、ヤンセン船長の答えだった。
「だけど、万一そうなったら?」と、ぼくも簡単にはあきらめない。
彼はしばらく考えてから、視線を拳銃を腰につけようとしている航海士から上陸用ボートに乗りこもうとしているクルーに移した。それぞれライフルを所持している。
「ボートに乗り移って、とっとと逃げ出すさ」と、船長はたっぷり時間をかけてから答えた。
しまいに、いざというときにマライタ島出身のクルーは信用しきれないのだと説明した。ここの連中は船が難破でもしたら自分の財産になると思ってるし、連中はスナイダーのライフルも持っている。おまけに、ミノタ号にはスウーに「帰省する」一ダースもの少年たちが乗っているのだ。攻撃を受けたら、彼らが故郷の友人や親戚に味方するのは間違いない、と。

上陸用ボートの最初の仕事は、帰省客と交易品を詰めた箱を海岸まで運ぶことだった。これで危険要素の一つが取りのぞかれるはずだ。この作業中に一隻のカヌーがやってきた。三人の裸の男が乗っている。裸と言ったが、事実そのままだ。服らしきものは何も身に着けていない。鼻の輪や耳飾り、貝殻の腕輪を服として数えなければ、だが。カヌーに乗っているボスは高齢の村長(むらおさ)で隻眼(せきがん)だった。友好的という噂だが、とても汚くて、船底の付着物を落とすために使うスクレーパーでこすっても、その垢(あか)を削り落とすことはできないだろう。彼が何をしに来たかというと、船長に対し、誰も上陸させるなと警告するためだった。この老人は夜にもまた同じ警告を繰り返した。

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ソロモン諸島のイケメン二人

働き手を募集するため、ボートが浜との間を往復したが、成果はなかった。森には武装した現地人がたくさんいて、求人担当の者と話をしたそうにしていたが、年俸六ポンドでプランテーションの三年間の労働に応じる者はいなかった。島の連中はぼくらが上陸するのではないかということを懸念していた。二日目には、湾の先端の浜で火をたいて煙を立ちのぼらせた。これは慣例となった求人の合図で、そのためにボートが派遣された。だが、徒労に終わった。浜には誰もやってこなかったし、こっちの船の者も誰も上陸しなかった。その少し後で、ぼくらは大勢の現地人が浜辺をうろついているのを目撃した。

こうやって姿を見せている連中の他に、森の中にどれだけの人間が隠れているのかはわからない。原始の姿をとどめている密林の奥まで見通すことはできないからだ。午後になると、ヤンセン船長、チャーミアンとぼくは、ダイナマイトを使う漁*2に出かけた。ボートに乗った者はそれぞれリー・エンフィールド銃*3を持っていた。求人担当の現地人の「ジョニー」は一斉攻撃に備えてウィンチェスターライフルも所持していた。ぼくらはボートを漕ぎ、無人に見える海岸に向かった。手前で向きを変え、船尾を先にして近づく。万一の攻撃に備えて、すぐに陸から遠ざかれるようにするためだ。マライタ島に滞在している間、ぼくはボートが船首から上陸するのを一度も見なかった。実際問題として、求人で寄港する船の場合、ボートを二隻積載し、上陸するのはそのうちの一隻だけだ。むろん武装して、だ。もう一隻は数十メートル離れたところにいて、一隻目を「援護」するのだ。とはいえ、ミノタ号は小さかったので、上陸用ボートは一隻しかなかった。

ぼくらは浜に近づいた。さらに船尾から接近したとき、魚の群れが見えた。ダイナマイトに火をつけて投げ入れる。爆発が起き、大量の魚が海面から飛び出してきた。同時に、森も方もさわがしくなった。現地の裸の連中が二十人ほども、弓矢や槍(やり)、スナイドル銃*4を抱えて飛び出してきた。同時に、ぼくらのボートの乗組員もライフルを構えた。こうして両者がにらみあった状態で対峙し、ぼくらの側の手のすいた少年たちが魚を取ろうと海に飛びこんだ。

脚注
*1:縁海(えんかい):大陸の周辺にあり、島などで不完全に閉ざされた海域。日本海などもそれにあたる。ちなみに大陸だけに囲まれている海域は地中海と呼ばれる。固有名詞化しているヨーロッパとアフリカにはさまれた海以外に、カリブ海や北極海も「地中海」に分類される。地球の海は、地理学的には、太平洋/大西洋/インド洋の三大洋と、縁海と地中海を合わせた付属海からなる。

*2:ダイナマイトを使う漁 - かつて日本を含む世界各地で実際に行われていた。現在は環境保護、生態系破壊防止のため、日本はもちろん世界のほとんどの地域で禁止されている。

*3:リー・エンフィールド銃 - 十九世紀末に英国で開発された軍用小銃。

*4:スナイドル銃 - 十九世紀後半に英国軍で採用された銃で、リー・エンフィールド銃より古いタイプ。明治時代の日本陸軍でも使用されていた時期がある。

ジャック・ロンドンの処女作 「日本の沖での台風の話」

年の初めということで、ジャック・ロンドンの幻の処女作(初めて活字になった作品)をご紹介します。

『野生の呼び声』や『海の狼』など数多くのベストセラーを書いたアメリカの作家ジャック・ロンドンは、複雑な家庭環境で育ち、家も貧しかったため、小学校は出たものの進学することはできず、缶詰工場で働いたりカキの密漁を行ったりしたあげく、北太平洋でアザラシ漁に従事する遠洋漁船に乗り組みました。このとき、日本の土も踏んでいます。
そのときの体験をエッセイにまとめ、サンフランシスコ・モーニングコール紙のコンテストに応募したのがこの作品で、みごと一等になりました。十七歳のときです。
これが後に時代の寵児ともてはやされることになる作家の、初めて活字になり金を稼いだ作品です。小説ではありませんが、言葉の本当の意味での処女作といってよいでしょう。
ゴールドラッシュの波に乗ってアラスカまで出かけて行ったものの辛酸をなめた経験をもとに描いた『野生の呼び声』がベストセラーになるのは、それから十年後ですが、過酷な自然と人間とのかかわりを描いたもので、将来の人気作家の片鱗を十分に感じさせてくれます。

日本の沖での台風の話

ジャック・ロンドン著
明瀬和弘訳

朝直の四点鍾だから午前六時だった。ちょうど朝食を終えたころ、甲板で当直していた者には停船の準備、他の者は全員、実際に漁猟を行うボートのそばで待機せよという命令があった。

「取り舵! 取り舵いっぱい!」と、航海士が叫んだ。「トップスル、展開! フライングジブ、取りこみ! ジブは風上で裏帆。フォアスル、下ろせ!」 ぼくらの乗ったスクーナー型帆船*1のソフィーサザランド号は日本の北海道・襟裳岬の沖でヒーブツー(停船)した。一八九三年四月十日のことだ。

それから喧噪と混乱があった。六隻のボートに対して十八人の男たちが配置されていた。ボートを吊り下げるためのフックをかける者もいれば、固縛してあるロープをほどく者もいた。操舵手は方位磁石と波よけを持ってきた。漕ぎ手は弁当箱を手にしている。射手は二、三丁の散弾銃、一丁のライフル、それに重い弾薬箱をかつぎ、足元がふらついていた。そうした荷物はすべてすぐにオイルスキン*2や手袋と一緒にボートに収納された。

航海士が最後の号令を発し、ぼくらは出発した。いい猟場を確保するため、三人で三対のオールを漕いで進んだ。ぼくらのボートは風上側にいたので、他のボートより長い距離を漕がなければならなかった。まもなく風下側から順に一番目、二番目、三番目のボートが帆を上げ、追い風を受けて南下するか、横風を受けて西に向かった。母船のスクーナーは散っていくボートの風下へと移動する。万一のトラブルに備えて、ボートが風を受けて母船に戻れるようにするためだ。

美しい朝だったが、ぼくらのボートの操舵手は昇ってくる太陽を眺め、不吉なものを目にしたように頭を振り、予言するようにつぶやいた。「朝焼けか。こりゃ荒れてくるな」 太陽は怒っているように見えたし、斜め後方の明るい「縮れっ毛」のような雲も赤く染まって不気味だった。が、それも間もなく消えた。

ずっと北の方には、襟裳岬が深海から立ち上がった巨大な怪物の恐ろしい頭のように黒い影となって見えていた。まだ溶けきっていない冬の雪が、陽光をあびて白くきらきら輝き、そこから軽風が海の方に向かって吹きおろしてくる。巨大なカモメが羽ばたきしながら海面をバタバタと半マイルほども走り、風を受けてゆっくり上昇していった。バタバタする足音が聞こえなくなるとすぐに、キョウジョシギの群れが飛び立った。ヒューヒューと風切り音を鳴らして風上方向へと飛び去った。そっちの方向ではクジラの大きな群れが遊んでいた。潮を吹く音が蒸気機関の煙を吐く音のように伝わってくる。ツノメドリの鋭く切り裂くような鳴き声が耳をつんざく。ぼくらの前方にいた半ダースほどのアザラシの群れにとってはそれが警告になった。ブリーチングで完全に海面から宙に飛び出したりしながら、アザラシたちは遠ざかっていった。ぼくらの頭上を一羽のカモメがゆっくり大きな円を描いて飛んでいた。母船の船首楼では、故郷の家を思い出させるように、イエスズメが屋根にとまり、おびえたりもせず、頭を一方にかしげて楽しそうにさえずっていた。漁猟用のボートはやがてアザラシの群れに侵入した。バン! バン! 風下の方から銃声が聞こえてくる。

風は少しずつ強くなってきた。午後三時までに、ぼくらのボートは半ダースのアザラシを捕まえた。まだ続けるか戻るか相談していると、本船に戻れという合図の旗がスクーナーのミズンマスト*3に揚がった。風が強くなって気圧も下がり、航海士はボートの安全を懸念したのだろう。

ぼくらはワンポイントリーフ(一段だけ縮帆)し、追い風を受けて戻った。操舵手は歯を食いしばり、舵柄を両手でしっかり握っていた。目には警戒の色が浮かんでいる──波の頂点まで上がると前方にスクーナーが見えた。別の波のときはメインシートが見えた。ぼくらの後方の海面は波立って黒っぽくなっていた。突風かボートを転覆させるような大きな崩れ波が迫っているのだ。波はお祭り騒ぎのようにはしゃいだり踊ったりしながらも高さを維持して次々に迫ってきた。あちらでもこちらでも、いたるところ延々と大きな波が続いていた。緑の海面が脈打つように盛り上がっては、牛乳をこぼしたように白濁した波しぶきをあげて崩れ、他は見えなくなる。だが、それも一瞬のことで、すぐに次の波が出現する。波は太陽から伸びた光の道をたどり、見渡す限り大きい波や小さい波が立ち、溶けた銀のような飛沫やしぶきが飛び散った。濃い緑色だった海は色を失い、まぶしいほどの銀色の洪水となり何も見えなくなった。大しけだ。前方の暗い海面が盛り上がっては砕け落ち、また押し寄せてくる。差しこんでいたきらめく銀の光は太陽とともに姿を消した。西や北西の方からすごい勢いでわき上がった黒雲にさえぎられてしまったのだ。嵐の前ぶれだった。

ぼくらはまもなく母船のスクーナーまでたどり着いた。船に戻ったのは、ぼくらが最後だった。大急ぎでアザラシの皮をはぎ、ボートと甲板を洗い流し、船首楼の船室に降りていって暖をとった。体を拭(ふ)き、服を着替えた。熱い夕食がたっぷり用意されていた。スクーナーは帆を張りっぱなしでアザラシの群れを追い、朝までに七十五海里*4ほども南下していたので、この二日間の狩りで自分たちの居場所もよくわからなくなっていた。

船では午後八時から真夜中までが最初の見張り当番だ。まもなく風はゲール*5ほどにも強くなってきた。航海士は船尾甲板で行きつ戻りつしながら今夜はろくに眠れないだろうと予想していた。トップスルはすぐに下ろして固縛した。フライングジブも下ろしてぐるぐる巻きにした。そのころまでには、うねりもさらに大きくなって、ときどき甲板に波が崩れ落ちては積載したボートに激しくぶつかった。六点鍾(午後十一時)には、全員起きて荒天対策をするよう号令が出た。この作業に八点鍾(深夜十二時)までかかった。深夜当直と交代し、役目から解放された。下の船室に戻ったのはぼくが一番遅かった。スパンカーを巻きとっていたからだ。下の船室では新米の「レンガ積みくん」を除いて全員寝ていた。この新米くんは肺の病気で死にかけていた。海がひどく荒れ、船首楼でもランプの淡い光がちらついたり揺れ動いたりして、黄色のオイルスキンについた水滴に光が当たると黄金のはちみつのように見えた。いたるところで黒い影が駆けまわっていた。船の上方では、棺桶のような船橋のかなたから降下してきた影が甲板から甲板へと走りまわり、洞窟の入口で待ち伏せしているドラゴンのようにも見えた。エレボス*6のような闇だった。たまに一瞬さっと光が差し、スクーナーがいつもよりひどく傾斜しているのが照らしだされたりもした。その光が消えると、それまでよりもっと闇が濃くなり漆黒となった。策具を通り抜ける風がうなりをあげ、列車が鉄橋を渡るときの轟音のようでもあり、浜に寄せる波のようでもあった。波が船首右舷に大きな音をたてて激突し、梁を引き裂かんばかりの勢いで砕け散った。船首楼では木の柱や厚板がバラバラになるんじゃないかと思うほどだった。柱や支柱、隔壁がギーギーときしみ、ミシミシと音を立て、揺れ動く寝床で死にかけている男のうめき声をかき消した。フォアマストが動くたびにマストと甲板ビームがこすれて木の粉が降り注ぎ、その音が荒れ狂う嵐の音に混じって聞こえてくる。海水がちょっとした滝のように船橋や船首楼から流れ落ち、濡れたオイルスキンの継ぎ目から入ってきては床に流れ落ち、船尾の排水口に消えていった。

深夜当直の二点鍾、陸の言葉で言えば午前一時に、船首楼に命令が響いた。「総員甲板に集合。縮帆せよ!」

寝ぼけ眼の船乗り連中は寝床から転がり出て服を着、オイルスキンをはおり、長靴をはいて甲板に出た。こんな命令が出るのは寒くて荒れ狂った嵐の夜だと決まっている。ぼくは顔をゆがめて自分に文句を言う。「ジャックよ、農場を売って船乗りになるなんて狂気の沙汰だったろ?」

風の力を痛感させられるのは甲板にいるときだ。とくに船首楼から出てきた後は身にしみてそれがわかる。風が壁のように立ちふさがり、揺れ動く甲板では動くこともできず、突風に息をすることすらままならない。スクーナーはジブとフォアスル、メインスルだけを張って停船し、漂泊していた。ぼくらは前に進んでフォアスルを下ろし、しっかり縛りつけた。闇夜で、きつい作業だった。嵐の分厚い黒雲が空を覆っているので星も月も見えなかったが、自然の慈悲とでもいうのか、海面の動きに合わせて柔らかい光が発せられていた。強大な波それぞれがすべて、無数の微小生物の発する燐光で輝き、その炎の大洪水にぼくらは圧倒された。波の頂きはますます高く、ますます薄くなり、曲線を描いて高くそびえると、やがて崩れていく。轟音とともに舷墻(げんしょう)*7に落ちてくだけ、柔らかな光の塊と何トンもの海水が船乗りたちをあらゆる方向に押し流し、くぼんだ場所などに残ったものは割れた光の小さな点となって揺れ動いているが、また次の波で押し流され、新しいものと入れ替わっていく。ときどき、いくつかの波が次々に音を立てて船に崩れ落ちてきて舷墻まで水浸しになったが、やがて風下側の排水口から流れ出ていった。

メインスルを縮帆するため、ぼくらは一段リーフしたジブで強風を受けて風下に走らざるを得なかった。その時までには海はとんでもない大荒れになっていたので、もはやヒーブツーすらできる状態ではなかった。ぼくらはゴミや水しぶきの集中砲火をあびながら飛ぶように走った。風は左右に振れ、船尾からの巨大な波に横倒しになりかけたりした。夜が明けてくると、ジブを取りこみ、帆は一枚残らず巻き取った。船はかなり速く流れていたが、船首が波の背に突っこむことはなかった。が、船体中央部では波がくだけて荒れ狂っていた。雨について言えば、降雨はほとんどなかったものの、風が強くて大気には水しぶきが充満し、飛沫が交差した道路を突っ走るように、ナイフで顔を切り裂くように飛び交っているため、百ヤード先も見えなかった。海は暗い鉛色で、長くゆっくりした壮大な巻き波となり、風によって泡が積み重なってできた流体の山のようになった。スクーナーの動きは吐き気をもよおすほど激しかった。山にでも登るように波に当たると船はほとんど行き足を止め、巨大なうねりの頂点に達すると、そこからいきなり左右に傾くのだ。息をのみ、口を開けている断崖におびえたように、一瞬、動きをとめる。それから、いきなり雪崩のように前方に滑り落ちていく。波の背で千個もの破壊槌で打ち砕かれるような衝撃を受け、船首の揚錨架は白濁した泡の海に突っこみ、海水が錨鎖孔を通ったり手すりを乗りこえたりして、あらゆる方向から──前方からも後方からも、右からも左からも甲板に流れこんでくる。

風が落ち始めた。十時までには、船をまたヒーブツーに戻そうかというまでになった。一隻の汽船、二隻のスクーナー、最小限の帆だけ張った四本マストのバーケンティン型帆船*8とすれ違い、十一時には、スパンカーとジブを揚げてヒーブツーした。さらに一時間もすると、はるか西のアザラシの猟場に戻るため、全帆を展開し、風上へと向かった。

甲板下の船室では、二人の男が「レンガ積みくん」の体を布で包んで縫っていた。水葬の準備である。嵐とともに「レンガ積みくん」の魂も消え去った。

<了>

脚注

*1:スクーナー型帆船 - 二本以上のマストを持ち、後方のマストが前側のマストと同じかそれより高いタイプの縦帆を持つ帆船。
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これは漁船ではないが、カナダの50セント切手に描かれたスクーナー(ブルーノーズ号)。

*2:オイルスキン - いわゆるカッパのこと。布地に油を塗って防水性を高めたことから、特に海で使われるカッパはいまでもこう呼ばれることがある。

*3:ミズンマスト - メインマストの後ろ側にあるマスト。

*4:七十五海里 - 約140キロメートル(1海里は1,852m)。

*5:ゲール - 風力は風速に応じて階級化されており、現在でも、約二百年前に提唱されたビューフォート風力階級がほぼそのまま使われている(気象庁の風力階級も同じ)。ゲール(疾強風)は風速17.2m~20.7m。むろん、この作品ではそれほど厳密な意味で使われてはいないが、気象庁の台風の基準が風速17mなので、どれくらいの風なのかを知る目安にはなる。

*6:エレボス - ギリシャ神話の地下の闇を意味する原初の神。

*7:舷墻 - ブルワーク。舷側の波よけ/転落防止用の低い柵のようなもの。

*8:バーケンティン型帆船 - マストが三本以上の大型帆船で、フォアマストに横帆を落ち、他のマストには縦帆を持つ。横帆はごく単純化すると日本の千石船のような横向きの帆桁をつけた四角形の帆で、縦帆はいわゆるヨットの三角形の帆のように前縁を固定したもの。

帆船用語について

点鍾は船の当直(ワッチ)で時間を知らせるために鳴らされる鐘。時代や地域によって異なる場合があるが、一般には、一回の当直が四時間続き、鐘は三十分毎に鳴らされる。
この鐘(時鐘、タイムベル)は、一点鍾(カーン)、二点鍾(カンカーン)から八点鍾(カンカーンを四回)まであり、四時間ごとに繰り返される。
ファーストワッチ(初夜直、午後八時~午後十二時)、ミドルワッチ(夜半直、零時~午後四時)、モーニングワッチ(朝直、午前四時~午前八時)、、、と続いていくので、単に四点鍾というだけでは、前後の文脈がわからないと午後十時なのか、午前二時なのか、午前六時なのかは決まらない。

ヒーブツーとは船を止めることを意味するが、帆船やヨットの荒天対策としては最も確実で一般的な方法でもある。
具体的には、マストより前の帆(ジブ)を風上側に張って(裏帆にして)前進する力を止める。船は風に対して斜め前を向いた格好で停船し、ゆっくり風下に流れていく。
ヨットではちょうどタッキングでジブを返すのが早すぎて失敗し船足が止まった状態で、メインセールから風を抜き、舵を風下側に切っておく。風上に向かっているときはすぐにその状態に入れるが、帆船ではマストや帆の数も多く、艤装も多岐にわたるため、縮帆や荒天対策の手順や方法もバリエーションが多い。
風力がさらに強くなると、ヒーブツーでは対処できなくなる。
その段階になると、すべての帆を下ろして漂泊するか、マストなどに当たる風だけか、小さな帆だけを揚げて風下に走ることになる。

時代背景

ゼニガタアザラシのウォッチングが北海道の観光資源になっているくらいで、襟裳岬はこの海域では有数のアザラシの生息地として知られる。
二十一世紀の現代では、捕鯨やアザラシ漁は資源保護や動物保護の観点から批判されることが多いが、当時はアメリカやカナダの重要な産業の一つでもあった。

スナーク号の航海(75) - ジャック・ロンドン著

第十五章

ソロモン諸島の航海

「一緒に来ないか」と、ヤンセン船長がガダルカナル島*1のペンドュフリンで、ぼくらを誘ってくれた。

チャーミアンとぼくは互いに顔を見合わせ、三十秒ほど無言で話し合った。それから二人同時にうなづいた。これが、ぼくらが物事を決めるやり方だ。最後のコンデンスミルクの缶をひっくり返したときに泣かずにすむ、うまい方法だと思っている(ぼくらはこのところ缶詰ばかり食べている。心は物質に左右されるというが、ぼくらは当然いろんな缶詰に左右されている。

「拳銃一丁とライフル二丁も持ってきたほうがいいぜ」とヤンセン船長が言った。「俺は船に五丁のライフルを積んでいる。モーゼル銃一丁には弾が入れてないけどな。予備はあるかい?」

ぼくらも船にはライフルを積んでいた。モーゼル銃の薬包もだ。スナーク号でコックと給仕をしてくれているワダとナカタもそれぞれ持っている。ワダとナカタはちょっとおじけづいている。控えめに言っても乗り気ではなく、ナカタは臆病風に吹かれているのが顔色にも見てとれた。ソロモン諸島で彼らはきつい洗礼を受けていたのだった。最初の地ではソロモン病とでもいうべき痛みに苦しめられた。ぼくらも苦しんだのだが、この二人の日本人の場合はとくにひどかった。二人には昇汞(しょうこう)*2で手当てをしたが、この痛みはやっかいだった。ひどい潰瘍になってしまうのだ。蚊に刺されただけだが、傷口や掻(か)いたところに毒がたまり、ふくれてくる。この潰瘍はすぐに拡大する。すごい早さで皮膚や筋肉をむしばんでいく。一日目は針の先ほどだった傷が二日目には十セント硬貨ほどになり、一週間後には一ドル硬貨でも隠せないほどの大きさになった。

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ソロモン諸島でよく見かける海岸風景

この痛みよりひどいのは、この二人の日本人が熱帯性マラリアにかかったことだ。それぞれ何度も倒れたし、身体も衰弱した。多少は回復してくると、スナーク号の端の方で身を寄せ合い、はるかかなたの日本の方角を望郷の念をこめて眺めていた。

とはいえ、最悪なのは、彼らが今は、マライタ島の原始の海岸沿いに人を運ぶミノタ号の船上にいるということだった。二人のうちでもワダの方がおじけづいていたが、自分は二度と日本を見ることはできないと思いこみ、暗く希望のない目をして、ぼくらのライフルと弾薬がミノタ号に積みこまれるのを見ていた。彼はミノタ号とマライタ島への航海がどんなものなのか知っていたのだ。この船が六ヵ月前にマライタ島の海岸で捕らえられたこと、船長が斧で切り殺されたこと、を。そのすてきな未開の島では、それ以前にも二人の船長が犠牲になったこと、ペンデュフリン農園で働いていたマライタ島の少年が赤痢で死んだこと、さらにペンドュフリンでは別の船長もマライタ島で犠牲になったことについても、彼は知っていた。しかも、ぼくらの荷物は狭い船長室にしまいこんであったのだが、意気揚々と乗りこんできた野蛮な連中が武器の斧でドアにつけた傷跡も彼は見てしまった。最後につけ加えると、調理室のコンロには配管すらなかった。略奪されたのだ。

ミノタ号はチーク材で作られたオーストラリアのヨットだった。二本マストの後ろのマストが低いケッチで、長く細身で、深いフィンキールを持ち、未開の地を航海するというよりは港内でレースをするのに適した設計だった。チャーミアンとぼくが乗船すると、船には人があふれていた。船の乗組員は代理を含めて十五人。それに二十人以上の「帰省する」少年たちがいた。農園で働いていて自分の村に戻るのだ。見た目からすると、連中は確かに首狩り族だった。鉛筆ほどの大きさの骨と木製の千枚通しのようなもので鼻に穴を開けていた。多くは鼻柱に穴を開け、亀の甲羅や固い針金に通したビーズを吊していた。さらに唇から鼻にかけての曲線に沿って穴をいくつも開けた者までいた。連中の耳には、それぞれ二つから一ダースほどの穴が開いていた。直径三インチの木栓でも通るくらいの大きさがあり、土で作ったパイプやそれに類するものをつけている。実際に穴が多すぎて、飾りの数が不足していた。翌日、マライタ島に接近すると、ぼくらはライフルを取り出し、ちゃんと使えるか確かめたのだが、空になった薬莢(やっきょう)をめぐる争奪戦が展開され、こうした乗客の耳の穴の飾りになった。

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ガダルカナル島マラボボの海岸

ライフルを実際に使うような場面に備えて、ぼくらは有刺鉄線の柵を設置した。ミノタ号は甲板はドッグハウス*3がなく平らで、外周を六インチの高さの手すりで囲ってあるので、乗りこみにくくなっている。その手すりの上に真鍮製の支柱をねじ止めし、二列の鉄条網を船尾からぐるっと一周させて船尾まで張り巡らせた。野蛮な連中から保護するという点では非常にうまくいったが、船に乗っている側の立場としては、およそ快適とはいえなかった。航海中にミノタ号が波の上下に合わせて大きく揺れるからだ。有刺鉄線を張った風下側の手すりまで滑り落ちるのは好きになれないし、滑り落ちたくないと風上側の手すりにつかまろうとしても、そっちにも有刺鉄線があるのだ。どっちも嫌だし、船の傾きもさまざまで、滑りやすい平らな甲板上にいるときに船が四十五度傾いたりするのだ。ソロモン諸島の航海の楽しさがわかってもらえるだろうか。おまけに、有刺鉄線まですべり落ちることで受ける罰は、単なるひっかき傷ではすまないということも忘れてはならない。そうした傷は必ずやひどい潰瘍になってしまう。注意していても有刺鉄線からは逃れられないということの証拠がある。ある晴れた朝、ぼくらは斜め後ろからの風を受けてマライタ島の海岸沿いに進んでいた。風はやや強く、海は安定していたが波が立ちはじめた。一人の黒人の少年が舵をとっていた。ヤンセン船長とヤコブセン航海士、チャーミアンとぼくは甲板で朝食をとっていた。三つの異常に大きい波がおそってきた。舵を握っていた少年は頭が真っ白になってしまった。その三度とも、ミノタ号の甲板は波に洗われた。ぼくらの朝食は風下側の手すりを乗りこえて流れ去った。ナイフやフォークも排水口に消えた。船尾にいた少年の一人が落水し、引き上げられた。ぼくらの勇猛な艇長は有刺鉄線にはさまれ、体の半分が船外に落ちかけていた。その後の航海では、ぼくらは原始共産制よろしく、残っていた食器を使いまわした。ユージニー号ではもっとひどい目にあった。というのも、ぼくら四人にスプーンが一つしかなかったからだ──とはいえ、ユージニー号については別の機会に譲ろう。

脚注
*1: ガダルカナル島はソロモン諸島で最大の島。第二次大戦中に日本軍と連合国軍の激戦の舞台だったことでも知られる。

*2: 昇汞(しょうこう)は、塩化第二水銀ともいう。かつては消毒液などとしても使用されたが、毒性が強いので、現在は治療には使用されていない。

*3: ドッグハウスは、甲板下の船室の高さを確保するため甲板に突き出た部分。犬小屋に見立ててこう呼ぶ。

スナーク号の航海(74) - ジャック・ロンドン著

それから、南にはアトナム島が海から突き出し、北にはアニワ島、正面にはタンナ島があった。タンナ島を見誤る可能性はなかった。火山の煙が空高く立ち上っていたからだ。四十海里離れていたが、ずっと六ノットの速度を維持していたので、午後にはさらに接近した。山ばかりで、もやもかかっていたし、海岸線に進入できそうな開口部があるとは思えなかった。ぼくはポート・レゾリューションを探した。港として機能しなくなったとは聞いていたが、泊地にできればと準備をしていたのだ。火山性の地震のため、過去四十年間で海底が隆起し、かつて大型船が錨泊していたあたりは、最近の報告では、スナーク号くらいの船でやっと停泊できるくらいの広さと水深しかないという。最後の報告以降に、港が完全に封鎖されてしまうような天変地異でもあったのだろうか。

海岸に切れ目はない。接近してみると、貿易風を受けて押し寄せた波が岩場に砕け散っていた。双眼鏡で遠くまで調べてみたが、進入口は見つからない。ぼくはフトゥナ島とアニワ島の方位をとって海図に記入した。二本の方位を示す線の交わるところがスナーク号の位置になる。そこから、平行定規*1を使い、スナーク号の位置からポート・レゾリューションまでを結ぶ線を引いてみた。この線の方位角を偏差と自差で補正して甲板へ出た。が、その針路が示す方向に目をやっても、海岸に打ち寄せる波はどこまでも続いていて、切れ目は見えなかった。船を海岸から二百メートルまで近づけたので、ラパ島出身のクルーが不安がっている。

「ここに港はないよ」と、彼は頭を振りながら言った。

しかし、ぼくはコースを変え、海岸と平行に走らせた。舵はチャーミアンが握っている。マーティンはエンジンのところで、いつでも始動できるよう待機していた。いきなり狭い開口部が見えた。双眼鏡で調べると、そこにだけ波が入りこんでいる。ラパ島出身のヘンリーは当惑しているようだった。タハア出身のタイヘイイも同様だ。

「通路なんてないよ」と、ヘンリーが言った。「あそこまで行ったら座礁するよ、必ず」

白状すると、ぼくもそう思った。だが、進入口のところで白波が切れていないか探しながら、そのまま走らせた。すると、そこにあった。狭いが、そこだけ海面が平らだった。チャーミアンは舵を切り、進入口に向けた。マーティンはエンジンを始動させた。他の全員で帆をとりこんだ。

湾曲部に一軒の交易商人の家が見えた。百ヤードほど離れた海岸では間欠泉が海水を噴き出している。小さな岬をまわると、左手に伝道所が見えてきた。

「三尋(ひろ)」*3と、測鉛線で水深を測っていたワダが言った。

「三尋」「二尋」と、すぐに続いた。

チャーミアンが舵を切り、マーチンはエンジンを止め、スナーク号は投錨した。錨はがらがら音を立てて三尋の海底に落ちた。ほっとするまもなく、大勢の黒人が姿を見せ、船に乗りこんできた。ニコニコした野性味丸出しの連中で、髪は縮れ、困惑したような目をし、切り込みを入れた耳にはピンや粘土の輪をつけている。それ以外は素っ裸だ。その夜、全員が寝ているときに、ぼくはそっと甲板に出た。そして静かな風景を満足して眺めた──そう、満足して、だ──自分の航海術に。

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大挙して乗りこんできた連中
脚注
*1:平行定規は海図に引いた線を、角度を維持したまま平行移動させるためのもの。日本では大きな三角定規を二枚使って平行線を引くことが多い。
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*2:尋は水深の測定単位で六フィート(大人が両手を広げた長さ)。尋は英語のfathomの訳として使われるが、どちらも人体の部位に基づく単位なので、語源は違うのに結果として長さがほぼ等しくなるのが面白いところ。似た例として、船の大きさ(長さ)を示す単位の尺とフィート、さらに寸とインチも手指や足の大きさに由来し、洋の東西を問わず、ほぼ同じ長さになっている(国や時代によって正確な長さは変化してはいる)。

*3:測鉛線は長いヒモの先端に錘をつけたもので、長さの目印として途中に色をつけたり布片を結んだりしてある。これを海中に投じて水深を測る。錘の先端に凹みがつけてあり、ラードなどの獣脂を詰めておくと、海底の様子(砂か泥かなど)がわかる。
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