PDFファイルをキンドル (Kindle)で読めるようにする手順

PDFファイルは、ビジネスでの書類の受け渡しでごく普通に使われていますが、キンドルで読めるようにしておくと、パソコンがなくてもタブレットやスマホで電子ブックを読む感覚で普通に読めるので、なにかと重宝します。

pdfファイルをキンドル本としてタブレットやスマホでも読めるようにするのは簡単な手順でできるので、ご紹介します。

準備

  1. まず Amazon にログインします。
  2. ブラウザ上部のメニューから、[アカウント&リスト][コンテンツと端末の管理]

    [設定]

    [パーソナル・ドキュメント設定]

    を順にクリックします。

すると、

次のように、ログインした人の
Send-to-Kindle Eメールアドレス と
承認済みメールアドレス
が表示されるので、このメールアドレスをメモしておきましょう。

screenshot-Send-to-Kindle_03

ファイルの送信

  1. 承認済みメールから、Send-to-Kindle Eメールアドレス宛
    に pdf ファイルを添付してメールを送信します。

このとき、メールのタイトルや本文は不要です(何も書かなくて大丈夫)。

これだけです。

後は、自分の Kindle や Kindle アプリで普通の本と同じように閲覧可能です。

人生の名言・迷言 70 人生には二つの生き方しかない。一つは奇跡なんて何もないと思うこと。もう一つは、、、

quotes-070_Einstein

人生には二つの生き方しかない。一つは奇跡なんて何もないと思うこと。もう一つは、すべてが奇跡だと思うこと。


アルベルト・アインシュタイン

アインシュタイン(1879年~1955年)は相対性理論で知られるドイツの理論物理学者ですが、奇跡といえば、彼が26歳だった1905年は、特殊相対性理論や光量子仮説など、現代物理学で重要な論文を五編も立て続けに書いた「奇跡の年」と呼ばれています。

特殊相対性理論は博士号の論文として提出されたものの、大学には拒否され、別の論文で博士号を取得したということもありました。

アインシュタインは親日家としても有名で、夫婦で日本に招待されたとき、日本に向かう船中でノーベル賞受賞が決定しました。

アインシュタインは離婚した前妻との間でワイドショーが飛びつきそうな泥沼の離婚劇を展開し、慰謝料を払うだけの金がないので「将来ノーベル賞をもらったらその賞金を前妻に渡す」と約束していて、それが実現したという、なんとも波乱万丈で奇跡のような人生を送ったひとでした。

人生の名言・迷言 59 高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終わるすべなきか 啄木


高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終わるすべなきか

啄木

一瞬一瞬を、こういう緊張感を持って、極度に集中して生きることができれば、人生はもっと充実したものになることでしょう。

もっとも、それが長く続けば、人の神経がそのストレスに耐えられるかという問題は出てきますが……

石川啄木(1986年〜1912年)ほど、誰もがすぐに口ずさめる短歌を数多く作った歌人は他にいないですね。

しかも、短歌を三行に分けて書くというのも斬新でした。

この三行分かち書きは、土岐善麿(読売新聞記者で歌人)が発案し、啄木がそれに共感して自分の歌にも取り入れたことによるようです。土岐は啄木の葬式の手配もしています。

啄木といえば

たはむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
散歩あゆまず

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる

など、

親しみやすい名歌を数多く残し、26歳で夭折した天才ですが、この啄木ほど、文学の才能について改めて考えさせる作家もありません。

というのは、短歌では若くして知る人ぞ知る存在となったものの、詩や短歌では食べていけないので、代用教員や新聞社の校正係などの職を転々としながら、必死に小説も書いていました。

しかも、それはかなりの数にのぼります。

が、

ほとんどが未完で、最後まで書き終えて発表されたのは中編の「我等の一団と彼」のみで、これも小説としてはちょっと中途半端な作品です(発表も刊行も死後)。

作家には、二つのタイプがあるようです。

作品を着想したら、イメージの湧くまま一気呵成に書きあげる人(たとえば、音楽でいえば、モーツァルト)と、

推敲に推敲を重ね、複雑かつ精緻で巨大な構築物を作りあげる人(たとえば、ベートーベン)。

啄木はおそらくモーツァルト・タイプの天才で、それが五七五七七という短詩形ではうまくいったものの、小説では……

彼には構成力が決定的に欠けていたために、途中で行き詰まっては次の作品に移り、それも途中で挫折し、また次の作品を……という感じだったようです。

人生の名言・迷言 68 これは奇妙だ──だが、真実だ。真実は常に奇であって、小説より奇なるものだ

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これは奇妙だ──だが、真実だ。
真実は常に奇であって、小説より奇なるものだ。

ジョージ・ゴードン・バイロン

「事実は小説より奇なり」という言葉は、よく知られていますね。

これは、イギリスの詩人バイロン(1788年~1824年)の長編叙事詩『ジョン・ジュアン』(未完)の一節に由来するとされています。

ドン・ジュアンは、日本では、ドン・ファンといった方がピンとくるでしょうか。
スペインの伝説の人物で、好色・放蕩の代名詞となった女たらしです。

バイロンの原文では「事実 (fact)」ではなく「真実 (truth)」という言葉が使われています。

正確には、こうです。

これは奇妙だ──だが真実だ。
というのは、真実というものは常に奇であって、小説より奇なるものであるからだ。
真実が語られうるとすれば、小説はそれと引き換えにいかほどの恩恵を得るであろうか。
世の中を見る人の目が、いかほど違ってくるであろうか。
悪徳と美徳がその位置を入れ替わることがいかに多くあるだろうか。

と続きます。

事実は目に見えるもの、真実はそこに隠されている本当の意味を指すとすれば、この言葉はさらに理解しやすくなるのではないでしょうか。

たとえば、今、男女が道路を急ぎ足で渡っているとします。

男が女の手を引き、荷物を抱えています。

これが客観的な「事実」

二人は駆け落ちをするところかもしれません。

あるいは、

荷物が重くて立ち往生した女性を偶然通りかかった男性が手助けしているだけなのかもしれません。

つまり、外から見ただけ(事実)では、本当のこと(真実)はわからないというわけです。

ドン・ジュアンをめぐっては、色恋沙汰のだましあいから殺人が生じ、道徳と不道徳、美徳と悪徳といった、互いに相反する理念が入り乱れることから、バイロンだけでなく、数多くの作家や音楽家が、たとえば、フランスの作家モリエールが喜劇『ドン・ジュアン、あるいは石像の宴』で、またモーツァルトがオペラ『ドン・ジョバンニ』で、このなんとも憎みきれない悪人を取り上げています。

人生の名言・迷言 67:私は自分が行こうと思ったところには行けていないのかもしれないが、結局は自分が必要とされるところに来たと思う

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私は自分が行こうと思ったところには行けていないのかもしれないが、結局は自分が必要とされるところにきたと思う。

ダグラス・アダムス

ダグラス・アダムス(1952年~2001年)はイギリスの作家。

ラジオドラマから発展したコメディタッチのSF小説『銀河ヒッチハイク・ガイド』などの作品があります。この作品はゲームや映画にもなっています。

彼が49歳という若さで亡くなったとき、生物学者のリチャード・ドーキンスは「 科学は友人を失い、文学は先覚者をなくし、マウンテンゴリラとクロサイは勇気ある庇護者を失った」と追悼しました。

作家や芸術家に限らず、周囲から成功したと見られなくても、自分が必要とされているところで精いっぱい輝くというのは、立派な人生のありかたの一つでしょうね。