スナーク号の航海(79) - ジャック・ロンドン著

ぼくらはランガランガから礁湖をさらに進んだ。マングローブの生い茂った沼沢地で、航路はミノタ号よりちょっとだけ幅があるかなというくらいだ。海沿いのカロカ村とアウキ村を通り過ぎた。ベニスを作った人々と同じように、ここの海の民はもともと本土から避難してきた連中だ。虐殺を逃れてきたのだが、森で生活するには弱すぎるので、砂州を島にしてしまったのだった。食料は海の幸に頼らざるをえず、しだいに海の民になっていく。やがて魚や貝を捕る方法を覚え、針や釣り糸、網や漁労用の仕掛けも作り出した。体つきもカヌーに適したものに変わっていった。歩きまわるのが苦手だが、いつもカヌーに乗っているので、腕は太くなり、肩幅も広かった。一方、腰まわりは小さく、足はかぼそかった。海の恵みを受けて豊かになり、岸辺で森の奥の連中とも交易を行っていた。とはいえ、この海の民と森の民との間には、はてしない反目があった。実際には取引の市が開かれる日だけ停戦になるのだが、普通は週に二回だ。森の民と海の民の女たちが物々交換を行うのだが、その間、森では百ヤードほど離れたところに武装した森の男たちが隠れていたし、海の方でも男たちがカヌーに乗って待機していた。市のある日に停戦協定が破られることはめったになかった。森の民も魚が好きだし、海の民も土地が狭い人工島では育てられない野菜をほしがっていた。

ランガランガから三十マイルほど進んだところで、ハッサカンナ島と本土の間にある航路に出た。ここで夜になり風も落ちたので、ボートを漕いでミノタ号を曳航した。懸命に漕いだが、潮の流れが逆だった。真夜中に、航路のど真ん中でユージニー号と遭遇した。大型のスクーナーで、この船も同じように人集めをしていたが、やはりボートで曳航されていた。指揮をとっているのはケラー船長で、二十二歳のがっしりした若いドイツ人だった。親睦を深めようとミノタ号に乗船してきたので、マライタ島の最新情報を交換しあった。船長の方は運にも恵まれ、フィウ村で二十人も集めていた。そこに滞在しているときに、いつものように殺し合いがあった。殺された少年は、いわゆる海で生きるようになった森の民だった。つまり、半分は森の民で海育ちだが、島には住んでいないという連中だ。彼が働いている農園に、三人の森の民がやってきた。彼らは友好的にふるまっていたが、しばらくして、カイカイをくれと言った。カイカイとは食い物のことである。それで、彼は火をおこし、タロイモを煮た。鍋をのぞきこんだとき、森の民の一人が銃で頭を撃った。男は火の中に倒れた。三人組はすかさず槍で腹を突き、切り裂いた。

「ひどいもんだよ」、とケラー船長はいった。「オレが殺されるとしたら、スナイドル銃で撃たれるのだけはごめんだね。パッと広がってさ! 頭に馬車が通り抜けられるくらいの穴が開いちまうんだから」

マライタ島に関してぼくが聞いた別の人殺しは、老人の殺害だった。森の民の重鎮がなくなったのだが、自然死だった。森の民で、自然死を信じる者なんていない。いままで自然死というのが存在しなかったからだ。死ぬというのは、銃で撃たれるか、斧でなぐり殺されるか、槍で突かれるかしかないのだ。それ以外の方法で誰かが死んだとなると、呪い殺されたということになる。ボスが自然死したとき、部族の連中はある家族にその罪をきせた。罰としてその一族の誰を殺すかは重要ではなかったので、一人暮らしの老人が選ばれた。その人なら簡単に殺せるだろうからだ。その老人はスナイドル銃を持っていなかったし、盲目だった。老人は自分がどんな目に遭うかを悟ると、矢を大量に集めた。スナイドル銃を手にした三人の勇敢な戦士が彼を夜襲した。戦いは一晩中続いた。森を何かが移動する音や何か鳴る音がすると、老人はすかさずそっちの方向に矢を射たのだ。朝になり、最後の矢がつきたところで、この三人の英雄は老人に忍び寄って頭を吹き飛ばした。

夜が明けても、ぼくらはまだ航路でうろうろしていた。へとへとに疲れてしまったので、この航路はあきらめて、広い海に出た。バッサカンナ経由で目的地のマルに向かって帆走した。マルの泊地は非常によかったが、陸とむき出しの岩礁との間にあるため、入るのは簡単、出るのは厄介という場所だった。風上に進むには南東の貿易風が必要だった。砂州のところは幅が広かったが、水深は浅く、常に潮が流れていた。

マルに住んでいる伝道者のクライフィールド氏が自分のボートで岸ぞいをやってきた。細身の繊細そうな人で、職務には情熱を抱いていた。分別があり実際家でもあって、神にとっては本物の二十世紀の使者といったところである。マライタ島のこの地にやってきたとき、約束の任期は六ヶ月だったんですよ、と彼は言った。その期間をぶじに生き延びると、氏は期間延長に同意した。それから六年が経過していたが、まだ滞在を続けているのだ。とはいえ、氏は自分がまだこれから六ヶ月以上も住むのかについては確信を持っていなかった。マライタ島で、氏の前任の布教者は三人いたが、そのうちの二人は任期満了前に熱病で死んだし、三人目は帰国の途中で難破していた。

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海の民が作った人工島のアウキ島。

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