スナーク号の航海(8) ジャック・ロンドン著

スナーク号の美点と長所については、もっと続けることができるのだが、やめておく。もう自慢たらたらになっているし、この話を最後まで読む前に、読者はうんざりしてしまうだろう? だが「信じられない、ひどい話」というタイトルを思い出してほしい。スナーク号は一九〇六年十月一日に出帆する予定だった。それができなかった事情というのが「信じられない、ひどい話」というわけなのだ。出帆しなかった理由は、まだ出来上がっていなかったからだ。確たる原因があったわけではない。十一月一日には完成するという約束も、それが十一月十五日になり、十二月一日になった。そう、いつまでたっても完成しないのだ。十二月一日に、チャーミアンとぼくは居心地がよくて清潔なソノマ郡を出て、謀略渦巻く都会で暮らすようになった──だが、そんなに長居するつもりはなかった。せいぜい二週間だ。というのは、十二月十五日には出帆するつもりだったのだ。それに、ロスコウが言ったように、ぼくらは出発前に船のことを知っておくべきだと思ったし、奴の助言で都会に出てきて二週間生活することにしたのだ。悲しいかな、二週間が過ぎても、四週間が過ぎても、六週間が過ぎても、八週間が過ぎても、出帆するにはほど遠い状態にあった。どういうことかって? 誰のせいだ? ぼくのせいか? わからない。ぼくの人生で一度きりの前言取り消しだ。説明はできない。できるくらいなら自分でとっくにやっている。ぼくは言葉をあやつる職人だが、なぜスナーク号の準備が整わなかったのか、説明する能力がないことを告白しておく。すでに述べたように、そしてそれを繰り返すしかないのだが、これが「信じられない、ひどい話」というわけだ。

八週間が十六週間になったある日、ロスコウが元気づけようと言ったものだ。
「四月一日前に出帆しないとなったら、俺の頭をボールに見立ててサッカーをやっていいぜ」
二週間後、奴は「その試合用に頭をきたえておかなきゃ」と言った。
「気にしないようにしよう」と、チャーミアンとぼくは互いに言い合った。「完成したら出帆する、すばらしい船のことを考えていよう」と。

それで、互いにスナーク号のさまざまな美点や長所を言いあってリハーサルをやったものだ。それに、また金を借りることになった。机に向かっても、だんだん書くのが億劫になってくるし、日曜は休んで友人たちとの山歩きするのも、いさぎよく断念した。ぼくは船を建造しているのだ。いつかは船になるはずだ。大文字でつづると、B・O・A・Tだ。BOATである限り、いくら費用がかかっても、ぼくは気にしない。

おまけに、スナーク号にはもう一つ、自慢せずにはいられない長所があるのだ。船首だ。どんな波も船首をこえてくることはできない。船首が音を立てて海を切り裂いていくのだ。海にいどみ、軽々と波をこえていく。しかも美しい。夢のようなラインだ。これほど美しく祝福されていると同時にすぐれた機能の船首を持つ船があったろうか。嵐だって平気だ。この船首に触れるというのは、すべての頂点に手が届くということだ。ここを見れば、経費節減なんて思いもよらない。出帆が延期になるたびに、また追加経費が生じるたびに、ぼくらはこのすばらしい船首のことを思って満足した。

スナーク号は小さな船だ。高くても七千ドルだろうと踏んでいたが、その時点では金額も余裕をみていて正確だった。ぼくは納屋や家も何軒も建てた経験があるし、見積もった経費が超過することがあるのもわかっていた。自分で経験して知っていた。だから、スナーク号の建造費を七千ドルと見積もったのだが、なんと三万ドルもかかってしまった。質問なんか、してくれるな。本当の話なんだから。ぼくは小切手に署名し、金を工面した。むろん、それについては何も説明しない。何度も言ったように「信じられない、ひどい話」ということで、納得してほしい。

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