スナーク号の航海(17) - ジャック・ロンドン著

さらに「五フィート(百五十センチ)ちょっと」の小柄な男からの手紙がこれだ。「あなたが夫人と一緒に小さな船で世界一周されるという勇敢な計画の記事を読み、自分自身が計画しているみたいでとてもうれしくなりました。それで、コックか給仕のどちらかになれないか手紙を書いてみようと思ったのですが、ある事情があって、そうしませんでした。それから友人の事業を手伝うため、先月、オークランドからデンバーにやってきたのですが、状態は悪化し、まずいことになっています。でも幸いなことに、あなたは大地震のため出発を延期されました。それで、ついにどちらかの職につけないか申しこむ決心をしたというわけです。身長百五十センチの小男で非常に頑健というのではありませんが、とても健康だし、いろいろなことができます」

「私はあなたのお仲間に風の力をさらに活用する方法を伝授できると思うのですが」と、ある志望者は書いた。「軽風では普通の帆の邪魔にならず、強風のときにはそのすべての力を利用することが可能です。風が非常に強いときには通常の方法で使用される帆は取りこまなければならないかもしれませんが、私の方法ではフルセールを展開しておけます。この装置を取りつけておけば、船が転覆することはありません」

前記の手紙は一九〇六年四月十六日付で、サンフランシスコで書かれていた。二日後の四月十八日に大地震が起きた。それがこの大地震が嫌いになった理由だ。というのも、この手紙を書いてきた人は被災してしまい、一緒に行けなくなったからだ。

同志たる社会主義者たちの多くは、ぼくの航海に反対した。その典型的な理由は「社会主義の目的、さらに資本主義に抑圧された何百万もの同胞は、貴殿が生命をかけて奉仕することを要求する権利を持っている。とはいえ、貴殿が航海に固執するのであれば、溺死する寸前、口いっぱいに海水が入ってきたとき、少なくとも我々は反対したということを忘れないでもらいたい」というものだった。

一人の放浪者は「機会があれば異常な光景について、いくらでも話をすることができるのだが」と、何ページも費やして核心をつこうと努力した最後に次のようにしたためた。「これでもまだ自分があなたに手紙を書いている核心には触れていないのですが、あなたが二、三人で五、六十フィートの小舟で世界周航に出かけられるという記事を目にしたので、とりあえずご忠告しておきます。あなたのような才能や経験を持つ人がそのような方法で死を招くことにしかならないようなことをされるとは思いもよりませんでした。一時しのぎはできたとしても、そんな大きさの舟は絶えず揺れているし、あなたやご一緒の人たちはあちこちぶつけてケガをすることでしょう。クッションを当てていたとしても、海では想定外のことが起こるんですよ」 ご厚意には感謝するしかない。ありがとう、親切な人。この人には「想定外のこと」を語る資格がある。彼は自分自身について「自分は新米の船員ではなく、あらゆる海や大洋を航海した」と言っているのだ。そして、手紙を次のように締めくくっていた。「人を怒らせるつもりはないのだが、女性をそんな小舟で湾の外に連れ出そうとするだけでも狂気の沙汰だ」と。

だが、この原稿を書いている時点で、チャーミアンは自室でタイプライターに向かっている。マーチンは夕食をこしらえているし、トチギは食卓を整え、ロスコウとバートはデッキで作業している。スナーク号は誰も舵を持っていないが、波音を立てて時速五ノットで進んでいる。スナーク号にはクッションは積んでいない。

「予定されている旅行についての新聞記事を拝見しました。私どもには六名の優秀な若い船乗りがおりますが、そちらで腕ききの乗組員を必要とされているのか知りたいと存じます。全員アメリカ国籍を持ち、海軍を除隊するか商船を降りたばかりの二十歳から二十二歳の若者で、現在はユニオン・アイアン・ワークス社で艤装担当として雇用されていますが、あなたと航海したがっております」──自分の船がもっと大きかったらと後悔させるような、こんな手紙もあった。

そして、チャーミアン以外に、世界でただ一人、航海志願の成人女性がいた。「もし最適なコックが見つからなかったら私が志願します。私は五十歳で健康ですし料理も得意なので、スナーク号の乗組員のみなさんのお役に立てます。料理にはとても自信があり、帆船の経験も旅行の経験もあります。一年きりの航海よりは、十年も続くような航海の方が私にはぴったりくるのです。参考までに……」

いつかお金を稼いだあかつきには、志願者が一千人いても乗れるような大型船を建造しよう。そうした志願者は船で世界中を航海するための作業すべてをこなさなければならない。でなければ家にいることだ。そうした連中は持っている技術を駆使して船で世界中をまわるだろうと確信している。というのも、冒険は死にたえていないからだ。冒険についての一連のやり取りを通して、ぼくは冒険心は死に絶えていないと知ったのだ。

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赤道無風帯にて

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