スナーク号の航海(19) - ジャック・ロンドン著 

スナーク号の建造中、ロスコウとぼくとの間では、こんな合意ができていた。「教本や計器類を船に持ちこむから、今から航海術を勉強しておいてくれ。これから忙しくなるはずだから、ぼくに勉強する暇なんてないと思う。だから、海に出てから、お前が覚えたことをぼくに教えてくれ」と。ロスコウは喜んだ。前にも書いたように、ロスコウは率直で無邪気で謙虚なやつなのだ。だが、海に出ると、やつは聖なる儀式をつかさどる風を装うようになり、ぼくが感心するように見ていると、ちょっとした進路の変化をもったいぶって海図に書きこんだりしたものだ。正午に太陽の高さを測定するとき、やつの姿は神々しく光り輝いた。船室に降りて行って観察したデータに基づいて計算し、また甲板に戻ってきて現在地の緯度経度を教えてくれた。口調も一変して厳粛になっていた。とはいえ、問題なのはそういうことではない。やつは、ぼくらに伝えられない情報をいっぱい抱えるようになったのだ。つまり、スナーク号が海図上でいきなり瞬間移動する距離が大きくなるほど、やつの情報ではその理由を説明できず、位置情報が神聖で不可侵のものになっていったのだ。ぼくも自分で勉強すべきころあいかなと言ってみたのだが、気のない返事しかせず天測を教えようとはしなかった。最初に同意したことを守るつもりはさらさらないようだった。

だが、これはロスコウが悪いというのではない。どうしようもないことなのだ。やつは単に先人の航海士たちと同じ道をたどったにすぎない。天測で得られた数値が違っていたとしても、ま、それはわかるし許されもすることなのだが、やつは船の現在地を割り出して進むべき方向を決めるということの責任の重さを痛感しつつ、大海原で太陽や星を見て位置を判断する神のような力が自分に備わっているという体験を重ねていたのだ。ロスコウはそれまでの人生をずっと陸上で過ごしてきた。常に陸が見えていた。絶えず陸地が見えていて、目印となるものがあるため、たまに道に迷ったとしても、地上ではなんとか方向がわかったものだ。しかし、ここは果てしなく広がっている海の上だ。海の向こうには、どこまでも丸く広がる空があるだけだ。この丸い水平線はいつでも同じに見える。陸標などありはしない。太陽は東から上って西に沈み、夜には星々がずっとまわっていた。つまり、太陽や星を見て「いまいる場所はスミザースビルのジョーンズさんちの現金売りの店の西、四と四分の三マイルだ」とか「自分がいまどこにいるかわかっているさ。というのも、リトル・ディッパーがボストンは二番目の角を右に曲がって三マイル先だと教えているからね」などと、誰が言えようか。ロスコウが航海士としてやっていたのは、それと同じことなのだ。最初は自分がやってのけたことに驚いてもいたが、それにも少しずつ慣れてきて、畏敬の念を起こさせる仕草で奇跡のような妙技を披露するようになった。広い海面で自分の位置を割り出す行為は儀式となり、奥義を知らずやつに頼り切りのぼくら、大陸と大陸をつなぐ波だけで道標もない大海原で進路を教えて面倒を見てやっているぼくらよりも自分の方が優秀だと感じるようになっていったのだ。それで、やつは六分儀を用いて太陽神に敬意を表し、専門書と魔法のような符号表のページを繰り、目盛り誤差、視差、屈折といった呪文をつぶやき、聖杯と呼ばれる祈祷書──つまり海図のことだが──に神秘的な記号を書きつけ、追加し、移動させて、割り出した空白部分を指さして「現在地はここだ」と宣言するのだ。ぼくらがその空白部をのぞき「位置は?」と聞くと、彼は高貴なアラビア数字で答えるのだ「31─15─47北緯、133─5─30西経」と。そこで、ぼくは「ほう」感心することになる。

というわけで、はっきり言っておくが、これはロスコウが悪いのではない。やつは神の領域に近づき、ぼくらを掌に載せて海図上の空白のスペースを進ませてくれたのだ。ぼくはロスコウを尊敬した。この尊敬の念はますます大きくなり深くなっていったので、やつは「膝まづき、あがめよ」と命令するほどになった。ぼくは自分が甲板に座りこみ大声でそうたたえるべきだとわかってはいた。だが、ある日、ふと気づいたのだ。「こいつは神なんかじゃない、ロスコウだ」と。「ぼくと同じ人間だ。こいつにできたのなら、ぼくにもできるだろう。やつは誰に教わったんだっけ。独学だ。じゃあ、ぼくも同じようにすればいい──自分で勉強するんだ」と。そして、そこでロスコウと衝突したのだ。やつはもうスナーク号であがめられる司祭などではない。ぼくは聖域に侵入し、専門書と魔法の表と祭具、つまり六分儀を渡すよう命じたのだ。

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航海術の秘儀

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