スナーク号の航海(21) - ジャック・ロンドン著

自慢かって? ぼくは奇跡を行ったんだからな。本で独学するのがどんなに簡単だったか、もう忘れてしまった。すべての成果(すばらしい成果でもある)は、ぼくより前に先人たちが成し遂げたものだ。航海術を発見し、それを説明するために「天測表」としてまとめたのは、偉大な先人たち、つまり天文学者と数学者だったことも、もう忘れた。ぼくが覚えているのは、その奇跡がずっと続いたことだけだ──星の声に耳を傾けていると海上の道が指し示されたことしか覚えていない。チャーミアンは知らなかったし、マーチンも給仕のトチギも知らないことだった。だが、ぼくは連中に教えてやった。ぼくこそ神のメッセージを伝える者なのだ。ぼくは連中と無限の世界との間に立って、天体が告げていることを連中が理解できる普通の言葉に翻訳したのだ。ぼくらは天に導かれていたが、空の道標を読むことができるのはぼくだった! ぼくだ! ぼくなんだ!

そしていま、少し冷静になってみると、天測の仕組みの単純さをしゃべりすぎたようだ。ロスコウや他の航海士、神秘の衣をまとった人々についても言い過ぎてしまった。というのも、彼らが秘密主義で、自尊心で思いあがっているのではないかと懸念していたからだ。というわけで、いまはこう言いたい。人並みの頭があり普通の教育を受け、学ぼうという気持ちが少しでもある若者なら、解説書と海図、計器を手に入れて独学でマスターできる、と。とはいえ、誤解されないようにつけ加えておくと、シーマンシップはそれとはまったく別のことだ。一日や数日で覚えられるようなものではなく、何年もかかる。また、推定航法で航海するにも長く勉強し実地に訓練することが必要だ。だが、太陽や月、星を測定して航海することは、天文学者や数学者のおかげで、子供でもできる簡単なことになっている。平均的な若者であれば一週間で独習できるだろう。また誤解のないように言っておくと、一週間独学を続けたからといって、それですぐに一万五千トンの蒸気船の責任者として毎時二十ノットで大陸間を航海できるようになるというわけではない。航海には好天もあれば荒天もあるし、晴れの日もあれば曇りの日もある。スケジュールとにらめっこで羅針盤の針を見ながら舵をとり、驚くべき正確さで陸地を見つけなければならない。何が言いたいかというと、前述したように人並みの若者であれば、航海術について何も知らなくても、頑丈な帆船に乗りこんで大海原を横断することはできるし、一週間もあれば自分の現在位置を海図で示すくらいのことはできるようになるということだ。かなりの精度で子午線を観測し、その観測結果に基づき、十分もあれば簡単な計算をして緯度経度を出すことができる。貨物や乗客を運ぶ必要がなく、予定通りに目的地に到達しなければならないというプレッシャーがなければ、気持ちよくゆっくり進めるし、自分の航海術に自信が持てず近くに陸があるかもしれない不安にかられたときには一晩中ヒーブツーで停船させて朝を待てばいいわけだ。

数年前、ジョシュア・スローカムは一人で三十七フィートの自作のヨットに乗って世界をまわった。彼がそのときの航海について、若者には同じように小さな船に乗り、同じような航海をしてほしいと本気で述べていたことが忘れられない。ぼくは彼の言葉をすぐに実行に移すことにして女房も連れ出したというわけだ。小さなヨットの航海からすればキャプテン・クックの航海も安直に思えてくるが、それよりも何より、楽しみや喜びに加えて、若者にとってはすばらしい教育にもなるのだ──いや単に外の世界、土地、人々、気候についての教育ではなく、内なる世界の教育、自分自身の教育、自分というもの、自分の心を知る機会にもなるのだ。航海自体が訓練であり修行である。当然ながら、そうした若者はまず自分の限界を知ることになる。次に、これも避けられないが、そうした限界を打ち破っていこうとする。そうして、そのような航海から戻ってくると、ひとまわり大きな人間、もっとましな人間になっているというわけだ。スポーツとしては王のスポーツだといえる。どういう意味かというと、自分以外に誰も頼るものがなく、自分の手で船を動かし、世界をぐるりとまわって最後には出発点まで戻ってくるのだが、宇宙を好転する惑星について自問しつつ沈思黙考し、達成できればこう叫ぶことになる。「やった、自分の手でやりとげたぞ。自転する地球を航海したんだ。自分はもう導き手の助けも受けなくても航海することができる。他の星に飛んでいくことはできないかもしれないが、この地球では自分自身が主人だ」と。

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闖入者

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