スナーク号の航海(28) - ジャック・ロンドン著

ぼくは知識を前にすると、いつも謙虚になる。フォードには知識があった。彼はぼくにボードの正しい乗り方の手本を見せてくれた。それから、いい波が来るまで待ち、いまだというときに、ぼくを押し出してくれた。波に乗って宙を飛んでいるように感じるのは、すばらしい瞬間だった。そう、ぼくは百五十フィート(約三十メートル)も突っ走って浜辺にまで達したのだ。ボードを持って、フォードのところに戻る。このサーフボードは大きくて、厚さ数インチ、重さは七十五ポンド(三十四キロ)もあった。彼はいろいろ教えてくれた。彼自身は誰にも教わっていなかった。数週間かけて自分で苦労しながら学んだことを、ぼくに一時間足らずで教えてくれたのだ。ぼくの代わりに練習してくれていたようなものだ。そして、この半時間ほどの間に、ぼくも波に乗ることができるようになった。何度も何度もやってみたが、フォードはそのたびに褒めてくれ、助言してくれた。たとえば、ボードのもっと前の方に乗れ、ただし、あまり前すぎないようにしろ、といったことだ。だが、ぼくはそれよりずっと前の方まで行ってしまった。というのは、陸に近づいたとき、ボードが海底に突き刺さって急停止してしまってトンボ返りしたのだが、と同時に自分の体も投げ出されてしまった。ぼくの体は木くずのように宙に舞い、あわれにも崩れ落ちてくる波の下敷きになってしまったのだ。フォードがいなかったら、脳天をたたきわられていただろう。こういう危険も、このスポーツの一部なんだと、フォードは言った。ワイキキを去るまでに彼自身もそういう目に会うかもしれないし、そうなれば、スリルを追い求めている彼の思いも満たされることになる。

人殺しは自殺より悪いと、ぼくは固く信じているのだが、相手が女性の場合は特にそうだ。ぼくはあやうく人を殺しかけたが、フォードが救ってくれた。「自分の足を舵だと思ってみろよ」と、彼は言った。「両足をよせて、それで方向を決めるんだ」 数分後、ぼくは砕け波に突っこんでいった。そのまま波に乗ってビーチの方へ接近していくと、いきなり真正面に、仰向けになって浮かんでいる女性が出現した。乗っている波をどうやって止めろというのか? その女性はじっと動かなかった。サーフボードの重さは七十五ポンドあるし、ぼくの体重は百六十五ポンド(約七十五キロ)だ。両方を合計した重量の物体が時速十五マイルで突進していくのだ。ボードとぼくはミサイルのように突っこんでいく。この気の毒な女性の柔らかい肉体に加わる衝撃の大きさを計算するのは物理学にまかせるしかない。そのとき、ぼくは保護者たるフォードの「足で舵を切れ」という言葉を思い出した。足で向きを変えてみようと思った。両足を踏ん張って全力で向きを変えようとした。ボードは波の頂点で横向きになると同時に切り立った崖のように垂直にもなった。いろんなことが同時に起きた。波はぼくをひっくり返すと、軽くポンポンとたたくようにして行ってしまったが、その軽くたたかれただけで、ぼくはボードからはじき落とされ、波でもみくちゃになり、海に引きづりこまれて海底に激突し、何度も横転した。やっとのことで海面に顔を突き出して息をし、なんとか歩けるようになったのだが、目の前にその女性が立っていた。ぼくは自分がヒーローになったような気がした。彼女の命を救ったのだ。すると、彼女はぼくを見てげらげら笑った。恐怖にかられたヒステリックな笑いというのではなかった。自分が危機一髪だったなどとは、夢にも思っていないのだ。ともかく、彼女を救ったのは自分ではなくフォードだし、ヒーローのような気になる必要はないと、ぼくは自分で自分をなぐさめた。それに、なによりも足でボードをあやつれるというのに感激した。ぼくはさらに練習し、自分でコースを選び、泳いでいる人を避けながら進めるようになっていった。くずれる波の下ではなくて、波の上に乗り続けることができるようになったのだ。

「明日」と、フォードが言った。「もっと大きな波が立つところに連れてってやるよ」

ぼくは彼が指さした沖に目をやった。さっきまで乗っていた波がさざ波にしかみえないような、水けむりをあげている大波が見えた。この最高のスポーツをやる資格が自分にもあると思っていなかったら、どう返事をしていたのかわからないが、ぼくはさりげなくこう答えた。「いいぜ、明日、挑戦してみよう」

ワイキキビーチに押し寄せる波は、ハワイ諸島すべての岸辺を洗っている波と同じだ。とくに水泳には最高だ。寒さで歯をがちがちいわせることもなく、一日中でも泳いでいられるほど暖かいし、適度な冷たさもある。太陽や星々の下で、つまり、昼でも夜でも、真冬でも真夏でも、暖かすぎず冷たすぎず、常に一定のちょうどいい温度なのだ。すばらしい太古の海そのものであり、けがれもなく水晶のように澄みきっている。こういう海だということを思えば、カナカの人々が水泳競技で優秀なのも当然だ。

翌朝、やってきたフォードと一緒に、ぼくはこのすばらしい海に飛びこんだ。サーフボードにまたがるか、その上に腹ばいになり、カナカの年少の子たちが遊んでいるサーフィンの幼稚園を抜けて、さらに沖へと漕ぎだした。まもなく、大きな波しぶきがあがっている沖に出た。次々と押し寄せる波と格闘し、沖に向けて漕いでいくだけでも一苦労だ。波のパワーは強烈だし、それに負けないためには自分をよく知っている必要がある。つまり、押しつぶそうとする波との闘いで、相手のスキをつく狡猾さも必要になるということだ ── つまり、冷酷で無慈悲なパワーと知性との闘いでもある。少しだがコツはつかめた。波が頭上におおいかぶさってくる瞬間、エメラルド色の波の膜を通して日光が見える。そこで、頭を下げてボードを全力でつかむ。と、波の一撃がくる。浜辺にいる見物人には、ぼくが消えたように見えるだろう。実際には、ボードとぼくは巻き波のなかをくぐって反対側の波の谷間に出るのだ。体の弱い人や気が小さな人には、ちょっと勧められない。波は重くて、押し寄せてくる波の衝撃は砂あらしに巻きこまれたようだ。ときには次々と間をおかずに襲ってくる半ダースもの大波に四苦八苦することもある。じっとおとなしく陸にいたらよかったなと思えたり、新たに陸にとどまっているべき理由が身にしみてわかることにもなる。

沖で水しぶきとともに波が襲ってくるところで、第三の男、フリースがぼくらに加わった。一つの波をやりすごして海面に出て、頭をふって海水を振り払い、次にどんな波が来るかと前方に目を凝らすと、フリースが波に乗り、ボード上に立ったのが見えた。この若者はさりげなくバランスをとっていたが、たくましく日焼けしていた。ぼくらは彼の乗った波をやりすごした。フォードが彼に声をかけた。彼は乗っていた波から降りて、ボードが波にのみこまれないようにして、ぼくらの方に漕いできた。フォードと一緒になって、ぼくに手本を示してくれた。ぼくがとくにフリースから学んだことの一つは、たまにやってくる例外的に大きな波への対処の仕方だ。そういう波は本当に強烈なので、ボードの上にいてぶつかったら無事ではすまない。だが、フリースはぼくに手本を示してくれた。そういう波が自分の方にやってくるのが見えたときはいつでも、ボードの後ろから海中にすべりおり、両手を頭上にあげてボードをつかむのだ。こういう波ではよくあることだが、波は手からボードをもぎとってサーファーをぶんなぐろうとする。ところが、こうしておくと、波の一撃と自分の頭の間には一フィートの水のクッションができる。波をやりすごしたら、ボードによじのぼってまた漕ぐのだ。ぼくは、ボードが当たってひどいケガをした人を何人も知っている。

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波に乗る

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沖でのサーフィン

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