スナーク号の航海 (49) - ジャック・ロンドン著

朝になって目がさめると、ぼくらはおとぎ話の世界にいた。スナーク号は、巨大な円形競技場のようになった、外洋から切り離された穏やかな港に浮かんでいた。見上げるように高い岩壁はツタにおおわれ、海からそのままそそりたっていた。はるか東には、壁面をこえて続いている踏みかためられた小道が見えた。
「トビーがタイピーから逃げ出すときに通った道だ!」と、ぼくらは叫んだ。

ぼくらはまもなく上陸した。が、長旅を終えるには、それから丸一日も馬に乗っていなければならなかった。二ヶ月も海にいて、その間はずっとはだしだったし、船は運動できほど広くもなかったため、革靴をはいて歩く練習などはしていなかった。おまけに、陸に上がったとたんに足もとが揺れて吐き気がしてくるしまつで、それに慣れるまで待ってから、目もくらむような崖ぞいの道を山羊のような馬に乗って進んだ。ぼくらはちょっと行っては休憩し、植物が繁茂したジャングルをはって進み、そうやって緑のコケにおおわれた人らしき像を見た。そこには、ドイツ人の貿易商人とノルウェー人の船長がいて、像の重さをはかり、半分に切ったら価値がどれくらい落ちるかなどと思案していた。彼らは罰当たりにもその古い像にナイフを当てて、どれくらい固いのか、コケの厚みがどれくらいなのかを調べようとしていた。やがて、像を立てるよう命じた。自分で船まで苦労して運ばなくてすむようにしたのだ。つまり、十九人の先住民に木枠をこしらえさせ、その枠の中に像をつるした状態で船まで運ばせたのだ。いまごろは、南太平洋のハッチをきつく締めた船の中にあって、波を切り裂きながらホーン岬に向かって進んでいることだろう。こういった像はアメリカにも少し持ちこまれるのだが、ぼくがこの原稿を書いているそばでほほえんでいる像をのぞいては、異教徒のすぐれた偶像はすべての安住の地となるヨーロッパに向かっていた。スナーク号が難破しなければ、今ぼくの手元にあるこの像は死ぬまでぼくの身のまわりにあってほほえんでいるだろう。つまり、勝利を収めるのは、この像なのだ。ぼくが死んで塵になるときも、この像はほほえんでいるはずだ。

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水辺の女神

話を元にもどすと、ぼくらはある儀式に参加することになった。それは、捕鯨船から逃げ出したハワイ人の船乗りの息子が、十四匹のブタをすべて焼いて村人を招待するというもので、マルケサス諸島生まれの母親の死をいたむものだった。そこに、ぼくらがやってきたので、神の使者となっている原住民の少女が歓迎してくれたのだ。彼女は大きな岩の上に立ち、ぼくらがやってきたことで儀式が完璧なものになったと、歌うように語った。その情報は、船が到着するごとに決まって示されることではあった。とはいえ、彼女が声音を変えると、座っているものはほとんどいなくなった。一同ははげしく興奮しつづけている。彼女の叫び声は激しく甲高くなり、遠くの方からも、それに応じる男たちの声が聞こえてきた。その声は風の音にまざり、信じられないほど凶暴になって、血と戦闘のにおいがする、荒々しくも野蛮な詠唱となっていった。それから、熱帯の樹木の陰から、ふんどし以外は裸の人々が登場し、たけだけしい行進を見せてくれた。連中は、テンポの遅い深いしわがれ声で勝利と高揚した叫び声を発しつつ、ゆっくり進んだ。若者たちは肩に何かわからないものをのせて運んでいた。かなり重そうだったが、緑の葉で包んであるため、中身は見えなかった。

包みの中には、丸々と太ったブタを焼いて入ってあったのだが、男たちは昔の風習をなぞって「のびたブタ」を宿営地まで運んでいるのだった。のびたブタとは、人肉に対するポリネシア語の婉曲的表現で、彼らはこの人食い人種の子孫であり、村長(むらおさ)は王の息子なのだ。祖父たちがかつて殺した敵の死体を運んでいた頃と同じように、戦利品にみたてたブタを食卓に運んでいるのだ。運搬している連中は、ときおり勝利の雄叫びをあげ、敵をののしり、食ってやると大声を発したりしたので、そのたびに行列はとまった。今から二世代前、メルヴィルは実際に殺されたハッパー族の戦士たちの死体がヤシの葉に包まれて宴(うたげ)に運ばれていくのを目撃した。またそれとは別の機会に、やはり宴の地で「奇妙な木彫りの容器を目撃」している。よく見ると、「人骨が散乱していた。骨にはまだ肉が残っていて、ぬるぬるとし、肉片もあちこちにこびりついて」いた。

カニバリズム(食人の風習)は、自分たちは高度に文明化されたと信じている人々からは信じがたい作り話とみなされることが多いが、それは自分にも野蛮な祖先がいて、かつて同じような行為をしていたのだという考えを嫌悪しているためなのかもしれない。キャプテン・クック*1も、そうしたことには懐疑的だった――ある日、ニュージーランドの港で実際に自分の目で見るまでは。一人の原住民がたまたま物売りのため彼の船に上がってきたのだが、見事に日に焼けた人間の頭を持ちこんだのだ。クックの命令で肉片が切りとられた。それを原住民に手渡すと、そいつはそれをがつがつ食ったのだ。控えめに言っても、キャプテン・クックは徹底した経験主義者だった。ともかく、その行為により、彼は科学がぜひともつきとめるべき一つの事実を提供したことになる。というのも、後年、マウイの一人の族長が、自分の体内にはキャプテン・クックの偉大な足先が入っていると言い張ったため名誉毀損の罪に問われるという奇妙な訴訟が起きることになるのだが、その当時のキャプテン・クックは、数千海里も離れたその島々にそうした人々が存在しているとは夢想だにしていなかった。原告は、その老族長の肉体がキャプテン・クックという偉大な航海者の墓になっているわけではないとは立証できず、訴えは棄却されたそうだ。
訳注
*1: キャプテン・クック(1728年~1779年)。十八世紀イギリスの海軍士官(最終的に勅任艦長)にして希代の探検家。英国・王立協会から「金星が太陽の表面を通過する様子を観測」するために派遣されたことを手はじめに、計三度の航海で、北はベーリング海峡から南は南極海まで、広大な太平洋のほとんど(特に南太平洋)を走破した。ニュージーランドやタスマニア島、グレートバリアリーフを含む数多くの地理的発見を行い、測量や海図製作でも多大な功績を残した。三度目の航海中、ハワイ諸島において原住民とのトラブルで殺害された。

おことわり
本文には現代の倫理基準に照らして適切とはいいがたい表現が出てきますが、その点を現代風(あいまい)にすると、それが通奏低音として重要な意味を持っているハーマン・メルヴィルの『タイピー』の理解をさまたげ、同作に対するオマージュでもある本章の意味が薄れてしまうと判断し、著者の意図を尊重し、できるだけ忠実に訳出してあります。

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