スナーク号の航海 (54) - ジャック・ロンドン著

第十一章

自然人

ぼくがはじめて彼に会ったのはサンフランシスコのマーケット・ストリートだった。霧雨の降る午後、彼は膝までしかない丈の短いズボンをはき、シャツの袖をまくって、ぬかるんだ歩道を裸足ですたすた大股で歩いていた。足元は二十人もの浮浪児が興奮して飛び跳ねているようだった。この男が通ると、何千人もの人が好奇の目で振り返った。ぼくもその一人だった。これほど見事に日焼けした男は見たことがない。皮がむけていなければブロンドぽかったろうが、全身くまなく日焼けしていた。長く黄色い髪も日に焼けていたし、ヒゲもそうだ。カミソリをあてたこともないようだった。黄褐色、金色がかった黄褐色の肌が陽光をあびて輝いている。もう一人の予言者が世界を救うというメッセージをたずさえて街にやってきたのかと、ぼくは思った。

数週間後、ぼくは友人数人とサンフランシスコ湾を展望するパイドモントの丘にあるバンガローにいた。「あいつを見つけたぜ、あいつをさ」と連中が大声で言った。「木の上にいたんだ。ケガはしていない。手づかみで食うんだぜ。会いに来いよ」 それで、ぼくは一緒に丘の上まで行って、ユーカリの林の中にある掘っ立て小屋で、街で見かけた例の日焼けした予言者に会ったのだ。

彼はすぐにぼくらの方にやって来た。ぐるぐるまわったりトンボ返りしたりしながらだ。握手はしなかった。挨拶がわりに曲芸をやってのけた。さらに宙返りもやってみせてくれた。準備運動がわりに体がやわらかくなるまでヘビのように体をしなやかにひねらせてから、腰を折り、ひざはそろえたまま、足はまっすぐ伸ばし、両掌で刺青をたたく。体を回転させ、つま先立ちしてくるくるまわりながら踊り、酔っぱらったサルのように跳ねまわった。生きている喜びがあふれ、顔を輝かせていた。彼のうたう歌には歌詞がなかったが、ぼくはとても幸福な気分になった。

彼は体をずっと動かしながら、いろいろ変化をつけて一晩中歌っていた。「あきれたね! バカだよ! 森で変なやつに会っちまった!」と、ぼくは思った。とはいえ、尊敬すべきバカであることは、彼みずからが証明してみせた。トンボ返りしたりぐるぐる回転している間、彼は世界を救うことになるであろうメッセージを届けていたのだ。それは二つの意味があり、まず、苦しんでいる人々は、衣服を脱いで山や谷で自由気ままに振る舞わせよう。第二に、この救いようのない世界では表音式つづり*1を採用させよう、というのである。ぼくは、都会の人々が大挙して裸足で自然の中に入っていくことで大きな社会問題が解決されるのが見えるような気がした。散弾銃の音や牧場の犬たちの吠える声がひびき、怒った農夫が熊手をふりかざして威嚇する様子が目に浮かぶ。

それから何年か経ったある天気のよい朝、スナーク号は貿易風によるうねりが押し寄せて波しぶきがあがっている岩礁にできた狭い開口部からゆっくりとタヒチのパペーテ港に入っていった。一隻のボートがぼくらの方にやってくる。黄色い旗*2を掲げていた。医者が乗っているのだろう。しかし、そのボートの後方には小さなアウトリガーカヌーもいて、ぼくらを当惑させた。それは赤い旗*3を揚げていたのだ。何か船にとって危険なものが海中に隠れているのではないかと不安になったので、最近難破した船が沈んでいないか、航路を示すブイや標識が流されてしまってはいないかと、ぼくは双眼鏡片手に探したものだ。まもなく医者がスナーク号に乗りこんできた。ぼくらの健康状態を調べた後で、スナーク号に生きたネズミは一匹もいないことを保証してくれた*4。赤い旗についてたずねると、「ああ、あれはダーリングですよ」という答えだった。

ダーリングとは、アーネスト・ダーリングのことだ。赤い旗は兄弟の印で、ぼくらを歓迎してくれたのだった。「よお、ジャック」と、彼が叫んだ。「ようこそ、チャーミアン!」 すばやくカヌーで近づいてくる。あのパイドモントの丘で会った黄褐色の予言者がそこにいた。彼はスナーク号の舷側にカヌーを寄せた。この赤い腰巻き姿の太陽神は、桃源郷の贈り物を持ってきてくれたのだ。金色のハチミツの瓶、太陽と土壌のめぐみをたっぷり受けて黄金色に輝く大きなマンゴーやバナナ、パイナップルやライム、果汁たっぷりのオレンジを一杯詰めたカゴを両手に抱えていた。南太平洋の空の下で、ぼくはのこの自然人たるダーリングとこうして再会したのだった。

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スナーク号に乗った自然人

タヒチは世界で最も美しい地域の一つである。正直で信頼できる男女もいるが、泥棒も強盗も嘘つきも住んでいる。人間の闇の部分は感染力があって、タヒチのすばらしい美しさが台なしにされてしまうので、ぼくは、タヒチについてではなく、この自然人について書こうと思う。彼は少なくとも楽しませてくれるし健全だ。彼から発せられる生気はとても穏やかで甘美なものだし何も害はない。搾取する大金持ちの資本家を除けば、誰の気持ちも傷つけることはない。
「この赤い旗はどんな意味があるんだ?」と、ぼくは聞いた。
「社会主義さ、もちろん」
「そんなことは知ってる」と、ぼくは続けた。「それをお前が持っているということに、どんな意味があるんだ?」
「なぜって、ここにメッセージがあるとわかったからさ」
「アメリカからわざわざタヒチまで持ってきたのか?」と、ぼくはあきれながら言った。
「そうとも」と、彼は簡単に答えた。後でわかったことだが、彼の性格もその答えと同じように単純なのだった。
ぼくらは投錨し、足舟を海面に下ろして海岸に向かった。自然人も同行した。やれやれ、とぼくは思った。これから、こいつに死ぬほど質問攻めにあうのかな、と。
だが、それはぼくのとんでもない勘違いだった。ぼくは馬を手に入れ、あちこち乗りまわしたが、この自然人はぼくのそばに近寄っては来なかった。招待されるまでおとなしく待っていたのだ。その一方で、彼はスナーク号の書斎にある大量の科学の本に喜び、後で知ったことだが、大量の小説もあることにショックを受けていた。この自然人は小説を読んだりして時間を浪費したりはしないのだ。

一週間かそこら経ってから、気が引けたぼくは彼をダウンタウンのホテルでのディナーに招待した。不慣れなコットンの上着を窮屈そうに着てきたので、服を脱げよと言うと、にっこり笑い、喜び勇んで脱いだ。目の粗い漁網の切れ端をまとっているだけで、腰から肩にかけて黄金色の皮膚が露わになった。衣装といえば、赤い腰巻きだけだ。その夜とタヒチ滞在中に、彼がどういう人間かがわかって、ぼくらは友人になった。

訳注
*1: 表音式つづり(phonetic spelling)とは、発音と表記をできるだけ一致させようという英語表記の改革運動に伴うもので、長い歴史があり、主張も過激なものから穏やかなものまでさまざま存在する。米国の辞書の代名詞にもなっている辞書編纂家の(ノア・)ウェブスターもそうした英語改革を唱えた一人。

*2: 黄色い旗(国際信号旗のQ旗)は、検疫要請を意味している。通常は検疫を受ける船の方が指定された検疫錨地で所定の旗を掲揚する。船舶間での旗を使った通信は古くから用いられているが、十九世紀半ば(1857年)に国際信号旗としてまとめられ(国際信号書)、世界共通のものとして認められるようになった。

*3: 赤い旗は社会主義・共産主義のシンボルであると同時に、船舶では国際信号旗のB旗でもあり、危険物運搬中などの意味がある。この場面では思想的な意味はなく、旧知の仲間を歓迎するつもりで掲げてあった。
なお、B旗は通常の旗のように長方形ではなく独特の形状をしている。flag B

*4: 現在でも、ヨットなどの船舶で出入国する場合、ねずみ族駆除証明が必要になる。

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