スナーク号の航海 (57) - ジャック・ロンドン著

ハワイでは長期にわたり優良な移住者を必要としていた。多くの時間やアイディア、資金を投入して適した人材を移住させているが、まだ十分ではない。にもかかわらず、ハワイはこの自然人を追放した。チャンスを与えなかったのだ。というわけで、ハワイの誇り高き精神とやらに対抗し、ぼくとしては、この機会にハワイがこの自然人を追放したことで失ったものについて書いてみようと思う。彼はタヒチに到着すると、自分が食べる食い物を栽培するための土地を探した。しかし、そういう土地、つまり安く手に入る土地を見つけだすのはむずかしかった。金持ちというわけではなかったからだ。急峻な山岳地帯を何週間も歩きまわり、小さな谷がいくつか点在する山を見つけた。八十エーカー(約三十二ヘクタール)ほどの密林で、誰かの財産として登記されているのではないようだった。政府の役人は、土地について、彼が所有すると宣言して誰からも異議がなく三十年たてば、彼の所有物になると教えてくれた。

彼はすぐに作業に取りかかった。その場所は耕作に適してはいなかった。そんな高地で農業をしようという者などはいなかったのだ。密林で、野生化したブタや無数のネズミが走りまわっていた。パペーテや海の眺めはすばらしかったが、だからといって、それが何かの役に立つというわけでもない。まず、農園にする土地までの道を作るだけで何週間もかかった。植えた作物は、芽が出たとたんに、かたっぱしからブタやネズミに食われた。彼はブタを撃ち、ネズミには罠(わな)をしかけた。つかまえたネズミは二週間で千五百匹にもなった。必要な物資は何でも自分の背中にかついで運んだ。荷馬のように荷物を担ぎ上げる作業は、たいてい夜にやった。

徐々に成果がでてきた。草壁の家も建てた。火山性の肥沃な土壌でジャングルやジャングルの動物と闘い、五百本のココナツの木、五百本のパパイヤの木、三百本のマンゴーの木を植えた。野菜も作った。ツタや灌木もあれば、のパンノキやアボカドの木もたくさんあった。谷の源流から水を引き、効率のいい灌漑設備を考案した。谷から谷へとさまざまな高低差のある場所に水路を掘った。こうして細長い谷間は植物園になった。かつて灼熱の太陽が密林を干上がらせ裸の土がむき出しとなっていた尾根筋の不毛な峠には、樹木や灌木や生い茂り、花が咲き乱れた。この自然人は自給自足した上に、今ではパペーテの都市部の住民に作物を売る裕福な農業者となっていた。

その後、政府の役人が所有者はいないとしていた土地に、実際には所有者がいて証書類や登記も存在することが判明した。となれば、苦労して得たものを失うことになりかねない。入植したとき、その土地は価値がなかったし、大地主の所有者は、この自然人が開拓したことは知らなかった。適正価格で合意が成立し、ダーリングは正式に登記された権利証書を手にしたというわけだった。

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額に汗して働く

その後も痛烈な打撃があった。市場に出入りする道が封鎖されたのだ。彼がこしらえた道には三重の有刺鉄線の柵が張られて通れなくなった。これは社会制度の不条理としてよくある人間社会の混乱の一つだ。こうした背景には、ロサンゼルスの精神障害に関する委員会がこの自然人を引きずりだし、ハワイがこの自然人を追放したのと同じ、伝統を重んじる人々の意向が働いていた。自己満足している者たちが、自分とまったく違う価値観を持った男を理解するのは無理だった。役人連中が、こうした伝統主義者たちの行為を黙認していたことは明らかなようだ。というのは、今にいたるまで、この自然人が作った道は閉ざされたままだからだ。何も講じられていない。それについては何もしないという暗黙の、断固たる意思があちらこちらに存在している。だが、この自然人は踊ったり歌ったりして自分流を貫いている。夜も寝ずにどうしようかと悩んだりはせず、そういうことは邪魔したい者の好きにさせておいた。そんなことを恨んだりするほど暇ではないのだ。自分がこの世に存在するのは幸せになるためだと信じていた彼には、他人を訴えたりして無駄にする時間は一秒もなかった。

農園に向かう道は封鎖されている。地面に余裕がないため、新しい道を作ることもできない。政府は、彼が通ることができる道を、野生化したブタが山に登るための急峻な獣道(けものみち)に限定した。ぼくは彼と一緒にその獣道を登った。よじ登るために足だけでなく両手も使わなければならなかった。野生化したブタの獣道は、エンジニアが蒸気機関や鉄製ワイヤーで作る道ほど立派ではなかった。だが、この自然人は何も気にかけてはいなかった。この穏やかな男の道徳では、誰かに悪さをされたら、自分の方は善行でお返しするのだ。となれば、どっちが幸福なのか論じるまでもあるまい。

「うっとうしい連中の道のことなんか気にするな」と、彼はぼくに言った。岩棚によじ登ったところで息を切らし、休憩しようと腰をおろしていたときだ。「そのうち飛行機*1を手にいれて黙らせてやるよ。飛行場用に平らな場所を作ってるんだが、あんたが次に来るときには飛行機で俺の家のドアまで来れるぜ」

そう、この自然人は、アフリカのジャングルで胸をたたいているゴリラの真似をするだけじゃなくて、奇抜な発想もするのだ。この自然人は空中飛行についても一家言持っていた。「だからさ」と、彼は語を継ぐ。「空を飛ぶのは不可能じゃない。それができたとしたら、と想像して見ろよ。意思の力で地面から離れるんだ。考えても見ろよ。天文学者は俺たちの太陽系は死につつあると言っているだろ。とんでもないことが起きない限り、地球の温度はどんどん下がっていって生物は生きられなくなるんだ。でも、かまわないぜ。そうなる頃には人類すべてが空を飛べるようになっていて、この滅びゆく惑星を捨てて、どこか住みやすい世界を探しに行くんだ。どうすれば空中飛行できるのかって? 進歩は早いぜ。そうさ。俺は何度も跳び上がっているが、実際に自分が少しずつ身軽になってきている気がするよ」

狂ってるのか、こいつ、とぼくは思った。

「むろん」と、彼は続けた。「これは俺の理論にすぎなくて、人類の輝かしい未来をあれこれ考えるのが好きなんだ。空を飛ぶことはできないかもしれないが、できるかもしれないと思いたいんだよ」
訳注
*1 ライト兄弟が自作の飛行機で初めて空を飛んだのは一九〇三年。ジャック・ロンドンがスナーク号を建造して航海に出たのはそのわずか四年後の一九〇七年で、「機械が空を飛ぶはずがない」と主張する専門家も多くいた時代である。
 そうした時代に南太平洋の孤島の密林に住みながら自家用飛行機や宇宙旅行を論じているのだから、周囲から頭のおかしな変人扱いされるのも無理はない。
 それにしても、ジャック・ロンドンの行くところ、ユニークな人間に遭遇することが多い。これは単なる偶然ではなく、常にそういうアンテナを張りめぐらせていて、捉えたものを自分の色メガネで見ないようにしているためだろう。

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