スナーク号の航海 (60) ― ジャック・ロンドン著

少し帆走してスナーク号に戻ると、彼は身振り手振りでスナーク号の目的地を聞いてきた。サモア、フィジー、ニューギニア、フランス、イギリス、カリフォルニアと、航海予定の順に言うと、彼は「サモア」と口にし、自分も行きたいと身振りで示した。船には君を乗せるだけのスペースがないと説明するのはむずかしかった。「舟が小さいから」という理由をフランス語で言って納得してもらった。彼は微笑したが、その後に失望した表情を浮かべた。とはいえ、すぐにタハアに来るようまた招待してくれた。

チャーミアンとぼくは互いに顔を見合わせた。セイリングして高揚した気分がまだ残っていたぼくらは、ライアテア宛の手紙や訪ねる予定だった役人のことはすっかり忘れてしまった。靴にシャツ、ズボン、たばこ、マッチ、読むべき本をあわててビスケットの缶に詰めてゴム生地の布で包み、カヌーに乗った。

「いつごろ迎えに行こうか?」と、ウォレンが声をかけた。帆に風をはらんでタヘイに向かいかけていたので、ぼくはすでにアウトリガーに身を乗り出していた。
「わからない」と、ぼくは答えた。「戻るときにはできるだけ近くまで来るよ」

そうして、ぼくらはスナーク号を離れた。風は強くなっていた。追い風を受けて帆走した。カヌーの乾舷は二インチ半(約七~八センチ)しかないので、小さな波でも舷側をこえて入ってくる。水くみが必要だった。水くみはバヒネの仕事だ。バヒネとはタヒチ語で女性を指すが、カヌーに女性はチャーミアンしかいないので、彼女の役割になった。タイハイイとぼくは二人ともアウトリガーに乗り出していて、カヌー本体の水くみはできなかったし、カヌーがひっくり返らないようにするだけで手一杯なのだった。それで、チャーミアンが単純な形の木椀で海水をすくいだしたのだが、見事な手際でかいだしてしまうので、航程のほぼ半分は手を休めてのんびりしていた。

ライアテアとタハアは、周囲をサンゴ礁に囲まれた同じ海域にあるユニークな島だ。どちらも火山島で、山稜には凹凸があり、山頂は尖塔(せんとう)のように屹立(きつりつ)していた。ライアテア島は周囲三十マイル、タハア島は十五マイルある。となれば、それをぐるりと取り囲んでいるサンゴ礁の大きさも想像できるだろう。二つの島の間には一、二マイルの砂州が伸びていて、美しい礁湖となっていた。広大な太平洋からの波が、長さ一マイルか半マイルも一直線になってサンゴ礁に押し寄せてくる。サンゴ礁を乗りこえ、無数の水しぶきとなって降り注いでいる。もろいサンゴでできた岩礁はその衝撃に耐えて島を守っていた。その外側には頑丈な船が難破して浮かんでいた。サンゴ礁の内側は波もなく穏やかで、ぼくらが乗っているような乾舷が二インチほどのカヌーでも帆走できるのだ。

上がタハア(タアア)島で、下がライアテア島。
島を取り囲むようにサンゴ礁が形成されているのがよくわかる。この両島から南東百数十キロのところ(神奈川・三浦半島から伊豆七島・御蔵島ほどの距離)にタヒチ島がある。

ぼくらは海面をすべるように飛んでいった。しかも、なんという海だ! わき水のように透明で、最高級の水晶のように透き通っている。しかも、さまざまな色の壮大なショーが展開され、どこの虹よりもすばらしい見事な虹がかかっていた。カヌーはいまや赤紫の海面を飛ぶように走っていたが、ヒスイを思わせる深緑色はトルコ石の色に変わり、その深い青緑は鮮やかなエメラルド色に変化した。海底がまた白いサンゴ砂になると、まばゆいばかりに白く輝き、奇怪なウミウシも出現した。あるときは、すばらしいサンゴの庭の上にいた。そこでは、色とりどりの魚が遊び、海のチョウチョがひらひら飛んでいるようだ。と思うまもなく、次の瞬間には、ぼくらはサンゴの魔法の庭にいた。その次の瞬間には、ぼくらは深い海峡の濃い海面を突っ走っていた。トビウオの群れが銀色に輝きながら飛翔している。さらにまた次の瞬間には、ぼくらはまた生きているサンゴの庭の上にいて、それぞれがさっき見たばかりのサンゴよりすばらしいのだ。頭上には熱帯の空がひろがり、ふわふわした雲が貿易風に流されながら浮かんでいる。柔らかいかたまりの雲は水平線のはるか上方まで積み重なっていた。

ふと気がつくとタハア島の近くまで来ていた。タハアはター、ハー、アーと同じ強勢で発音する。タイハイイはチャーミアンの水くみの達者なことに満足し微笑を浮かべていた。岸から二十フィートほど離れたところでカヌーが浅い海底につかえたので、ぼくらはカヌーから海に降りた。足の下が妙にやわらかだった。大きなウミウシがまるまり、ぼくらの足の下で身をよじっていた。小さなタコを踏みつけたときは、それにましてグニャッという感じがして、すぐにわかった。浜辺に近づいてみると、ココナツとバナナの林の中に、竹でできた草葺きの屋根を持つ高床式のタイハイイの家があった。家から奥さんが出てきた。やせた小柄な女性で、親切そうな目をしていた。北米のインディアンの血筋でないとすれば、蒙古系かなと思える特徴があった。「ビハウラだよ」と、タイハイイが紹介した。ビハウラと呼んだが、英語のスペルがどうかなんて考えて発音したのではない。ビハウラは一音節ごとに鋭く強調され、ビー・アー・ウー・ラーと聞こえた。

彼女はチャーミアンの手をとり、家の中へ導いた。後に残されたタイハイイとぼくもその後についていった。そこで、彼らが所有しているものはすべてぼくらのものだと伝えられた。身振り手振りだったが、それは間違いない。与えるという行為について言えば、ヒダルゴウと呼ばれるスペインの下級貴族ほど気前のよいものはない。とはいうものの実際には、ぼくは本当に気前のいいヒダルゴウにおめにかかったことは、ほとんどない。ぼくとチャーミアンはすぐに、彼らの所有物をあえてほめないようにしようと心がけた。というのは、ぼくらが特定のものをほめると、それはすぐにぼくらへの贈り物になってしまうからだ。二人の女性は女同士で服について話をしたり互いの服を手にとったりしていた。タイハイイとぼくは男同士というわけで、ダブルカヌーに乗って四十フィートの竿でカツオを釣る仕掛けは言うまでもなく、釣りの道具や野生化したブタの狩猟について話をした。チャーミアンが編み籠をほめた――ポリネシアで見た最高の籠だ。すると、それは彼女のものになった。ぼくは真珠貝で作ったカツオ釣りの針をほめたが、それはぼくのものになった。チャーミアンはワラを編んだヒモの編み目に魅了された。一巻きで三十フィートはあり、どんなデザインの帽子も思いのままに作れる量だ。するとそのヒモ一巻が彼女に進呈された。ぼくは昔の石器時代にまで起源をさかのぼれるようなポイを作る臼をじっと見つめていたが、それはぼくに進呈された。チャーミアンはポイ用のカヌーのような形をした木椀を感心して眺めていた。木に四本の脚まで彫りこんである。それも彼女のものになった。ぼくはひょうたんで作った大きな置物をつい二度見してしまったが、それもぼくのものになった。それで、チャーミアンとぼくは相談し、もう何もほめないようにしようと決めたのだ。その価値がないというのではなく、ぼくらがもらってしまうにはもったいなさすぎるからだ。そして、スナーク号に積んであるもので何かお返しになるものはないか頭をひねった。こうしたポリネシアの贈り物をする風習に比べれば、クリスマスの贈り物なんて頭をなやますほどの問題ではない。

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