スナーク号の航海(75) - ジャック・ロンドン著

第十五章

ソロモン諸島の航海

「一緒に来ないか」と、ヤンセン船長がガダルカナル島*1のペンドュフリンで、ぼくらを誘ってくれた。

チャーミアンとぼくは互いに顔を見合わせ、三十秒ほど無言で話し合った。それから二人同時にうなづいた。これが、ぼくらが物事を決めるやり方だ。最後のコンデンスミルクの缶をひっくり返したときに泣かずにすむ、うまい方法だと思っている(ぼくらはこのところ缶詰ばかり食べている。心は物質に左右されるというが、ぼくらは当然いろんな缶詰に左右されている。

「拳銃一丁とライフル二丁も持ってきたほうがいいぜ」とヤンセン船長が言った。「俺は船に五丁のライフルを積んでいる。モーゼル銃一丁には弾が入れてないけどな。予備はあるかい?」

ぼくらも船にはライフルを積んでいた。モーゼル銃の薬包もだ。スナーク号でコックと給仕をしてくれているワダとナカタもそれぞれ持っている。ワダとナカタはちょっとおじけづいている。控えめに言っても乗り気ではなく、ナカタは臆病風に吹かれているのが顔色にも見てとれた。ソロモン諸島で彼らはきつい洗礼を受けていたのだった。最初の地ではソロモン病とでもいうべき痛みに苦しめられた。ぼくらも苦しんだのだが、この二人の日本人の場合はとくにひどかった。二人には昇汞(しょうこう)*2で手当てをしたが、この痛みはやっかいだった。ひどい潰瘍になってしまうのだ。蚊に刺されただけだが、傷口や掻(か)いたところに毒がたまり、ふくれてくる。この潰瘍はすぐに拡大する。すごい早さで皮膚や筋肉をむしばんでいく。一日目は針の先ほどだった傷が二日目には十セント硬貨ほどになり、一週間後には一ドル硬貨でも隠せないほどの大きさになった。

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ソロモン諸島でよく見かける海岸風景

この痛みよりひどいのは、この二人の日本人が熱帯性マラリアにかかったことだ。それぞれ何度も倒れたし、身体も衰弱した。多少は回復してくると、スナーク号の端の方で身を寄せ合い、はるかかなたの日本の方角を望郷の念をこめて眺めていた。

とはいえ、最悪なのは、彼らが今は、マライタ島の原始の海岸沿いに人を運ぶミノタ号の船上にいるということだった。二人のうちでもワダの方がおじけづいていたが、自分は二度と日本を見ることはできないと思いこみ、暗く希望のない目をして、ぼくらのライフルと弾薬がミノタ号に積みこまれるのを見ていた。彼はミノタ号とマライタ島への航海がどんなものなのか知っていたのだ。この船が六ヵ月前にマライタ島の海岸で捕らえられたこと、船長が斧で切り殺されたこと、を。そのすてきな未開の島では、それ以前にも二人の船長が犠牲になったこと、ペンデュフリン農園で働いていたマライタ島の少年が赤痢で死んだこと、さらにペンドュフリンでは別の船長もマライタ島で犠牲になったことについても、彼は知っていた。しかも、ぼくらの荷物は狭い船長室にしまいこんであったのだが、意気揚々と乗りこんできた野蛮な連中が武器の斧でドアにつけた傷跡も彼は見てしまった。最後につけ加えると、調理室のコンロには配管すらなかった。略奪されたのだ。

ミノタ号はチーク材で作られたオーストラリアのヨットだった。二本マストの後ろのマストが低いケッチで、長く細身で、深いフィンキールを持ち、未開の地を航海するというよりは港内でレースをするのに適した設計だった。チャーミアンとぼくが乗船すると、船には人があふれていた。船の乗組員は代理を含めて十五人。それに二十人以上の「帰省する」少年たちがいた。農園で働いていて自分の村に戻るのだ。見た目からすると、連中は確かに首狩り族だった。鉛筆ほどの大きさの骨と木製の千枚通しのようなもので鼻に穴を開けていた。多くは鼻柱に穴を開け、亀の甲羅や固い針金に通したビーズを吊していた。さらに唇から鼻にかけての曲線に沿って穴をいくつも開けた者までいた。連中の耳には、それぞれ二つから一ダースほどの穴が開いていた。直径三インチの木栓でも通るくらいの大きさがあり、土で作ったパイプやそれに類するものをつけている。実際に穴が多すぎて、飾りの数が不足していた。翌日、マライタ島に接近すると、ぼくらはライフルを取り出し、ちゃんと使えるか確かめたのだが、空になった薬莢(やっきょう)をめぐる争奪戦が展開され、こうした乗客の耳の穴の飾りになった。

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ガダルカナル島マラボボの海岸

ライフルを実際に使うような場面に備えて、ぼくらは有刺鉄線の柵を設置した。ミノタ号は甲板はドッグハウス*3がなく平らで、外周を六インチの高さの手すりで囲ってあるので、乗りこみにくくなっている。その手すりの上に真鍮製の支柱をねじ止めし、二列の鉄条網を船尾からぐるっと一周させて船尾まで張り巡らせた。野蛮な連中から保護するという点では非常にうまくいったが、船に乗っている側の立場としては、およそ快適とはいえなかった。航海中にミノタ号が波の上下に合わせて大きく揺れるからだ。有刺鉄線を張った風下側の手すりまで滑り落ちるのは好きになれないし、滑り落ちたくないと風上側の手すりにつかまろうとしても、そっちにも有刺鉄線があるのだ。どっちも嫌だし、船の傾きもさまざまで、滑りやすい平らな甲板上にいるときに船が四十五度傾いたりするのだ。ソロモン諸島の航海の楽しさがわかってもらえるだろうか。おまけに、有刺鉄線まですべり落ちることで受ける罰は、単なるひっかき傷ではすまないということも忘れてはならない。そうした傷は必ずやひどい潰瘍になってしまう。注意していても有刺鉄線からは逃れられないということの証拠がある。ある晴れた朝、ぼくらは斜め後ろからの風を受けてマライタ島の海岸沿いに進んでいた。風はやや強く、海は安定していたが波が立ちはじめた。一人の黒人の少年が舵をとっていた。ヤンセン船長とヤコブセン航海士、チャーミアンとぼくは甲板で朝食をとっていた。三つの異常に大きい波がおそってきた。舵を握っていた少年は頭が真っ白になってしまった。その三度とも、ミノタ号の甲板は波に洗われた。ぼくらの朝食は風下側の手すりを乗りこえて流れ去った。ナイフやフォークも排水口に消えた。船尾にいた少年の一人が落水し、引き上げられた。ぼくらの勇猛な艇長は有刺鉄線にはさまれ、体の半分が船外に落ちかけていた。その後の航海では、ぼくらは原始共産制よろしく、残っていた食器を使いまわした。ユージニー号ではもっとひどい目にあった。というのも、ぼくら四人にスプーンが一つしかなかったからだ──とはいえ、ユージニー号については別の機会に譲ろう。

脚注
*1: ガダルカナル島はソロモン諸島で最大の島。第二次大戦中に日本軍と連合国軍の激戦の舞台だったことでも知られる。

*2: 昇汞(しょうこう)は、塩化第二水銀ともいう。かつては消毒液などとしても使用されたが、毒性が強いので、現在は治療には使用されていない。

*3: ドッグハウスは、甲板下の船室の高さを確保するため甲板に突き出た部分。犬小屋に見立ててこう呼ぶ。

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