人生の名言・迷言 46

不可能なことは何もありません。不可能 (impossible) という言葉自体が
「わたしはできる (I’m possible)と言ってるじゃありませんか。

オードリー・ヘップバーン

オードリー・ヘップバーン(1929年~1993年)といえば、映画『ローマの休日』で可憐で繊細な王女を魅力的に演じて大人気になった女優です。

ベルギー生まれのイギリス育ちで、第二次世界大戦中はドイツ軍におびえ、貧血や呼吸器障害なども経験しています。

バレリーナをめざしていたものの、成長期の栄養失調でプリマドンナは難しいかもしれないと言われたことから舞台に立つようになり、アメリカのブロードウェイで舞台女優として成功し、そこからさらにハリウッドでの世界的な大成功へとつながっていきました。

欧州は地理的関係から多言語に堪能な人が多く、オードリーも英語やオランダ語、フランス語など五カ国語を身につけていたそうです。

ちなみにこの ”I’m possible” は「学校英語」としては文法的におかしくて、”It is possible that…” “It is possible for me to …”という形にすべきなのでしょうが、いろんな意味で人気があって、現在のテレビコマーシャルなどでもよく使われています。
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I’m possible のヘップバーンのポスター

人生の名言・迷言 45

若い絵を描けるようになるには、とても時間がかかるんですよ。

パブロ・ピカソ

パブロ・ピカソ(1881年~1973年)は、いうまでもなく、二〇世紀で最も成功したスペイン出身の画家です。

美術教師の長男として生まれた彼は、子供の頃から才能を発揮し、十代で古典様式の絵画で次々と受賞を重ね、二十のときにパリではじめての個展を開いています。

その頃が青の時代で、それからバラ色の時代、キュビズム、新古典主義、シュルレアリズムなどなど、作風もめまぐるしく変化していきます。

ギネスブックに載るほどの多作家でもあり、作品の数は絵画だけで一万点を軽く超え、版画や挿絵や彫刻を含めると軽く十数万点になるそうです。

この発言は、フランスでのピカソ自身の回顧展で、年代順に展示された作品をみた人が「若い頃の作品ほどきちんとしていて几帳面なのに、後になるほど無頓着で大胆になっていますね」と声をかけたときのピカソの返事だそうです。

社会的な思惑などを考慮せず、子供のように自分の描きたいように描くのがむずかしいんですよ、ということでしょうか。

ちなみに、ピカソの実名は、落語の「じゅげむじゅげむ ごこうのすりきれ……ちょうきゅうめいのちょうすけ」なみに長いことでも知られています。

パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ

これは聖人の名前などを並べたもので、洗礼名はさらに長くなっています。

寿限無の場合もお寺の住職に思いつく限りのおめでたい名前をつけてもらったものなので、子の幸せを願う親心は洋の東西を問わず同じ、ということでしょうか。

人生の名言・迷言 44

ぼくは人類は好きだけど……人間にがまんできないんだ!!

チャーリー・ブラウン

チャーリー・ブラウンは、チャールズМ.シュルツ(1922年~2000年)の四コマ漫画『ピーナッツ』に出てくる世界一有名な犬、スヌーピーの飼い主としておなじみです。

このセリフが出てくるのは、チャーリーとルーシーが二人で話をしている場面

1コマ目   ルーシーが縄跳びしながら
「あんたが医者になるですって。はは、わらっちゃう!」
2コマ目   さらに上から目線で
「あんたは医者になんかなれないわ! どうしてかわかる?」
3コマ目   縄跳びで遠ざかりながら
「あんたには人類愛がないからよ、それが理由!」
4コマ目   チャーリーが言い返す。
「ぼくは人類は好きだけど…人間にがまんできないんだ!!」

人類愛とかヒューマニティとか、抽象的な言葉に共感するのは簡単ですが、身近にいる特定の「やな」人を具体的に思い浮かべてしまうと、なかなか「汝(なんじ)の隣人を愛せよ」とは言いきれなくなりますね。

ちなみに、マンガでは人類は “mankind” 、人間は “people”が使われています。

ちなみに、チャーリー・ブラウンは作者のシュルツが学校職員だったときの同僚の名前です。


ちなみに、チャーリー・ブラウンの父親は床屋さんです。


ちなみに、作者のチャールズ・シュルツの父親も床屋さんです。


ちなみに、ルーシーはチャーリー・ブラウンの同級生という設定になっていますが、最初のころの女の子でした。