人生の名言・迷言 56 どこかで何か信じられないものが発見されるのを待っている

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どこかで何か信じられないものが発見されるのを待っている。

カール・セーガン

カール・エドワード・セーガン(1934年~1996年)はアメリカの天文学者。

コーネル大学教授として教鞭をとるかたわら、無人惑星探査機計画に参加したり、宇宙や科学に関連する啓蒙書を執筆してベストセラーになるなど、二十世紀で最も著名な宇宙科学者の一人。

全米科学アカデミーの会員に推薦されたものの入会が認められないなど、科学者としての学界での評価はそれほど高くなかったようですが、二十世紀後半の地球外生命体の存在をめぐる議論の中心には常に彼がいました。

科学についての「悪霊がさまよう闇の世界を照らすローソクの光」というセーガンの比喩は、似非(えせ)科学や迷信に対する姿勢をよく示しています。

ところで、「どこかで何か信じられないものが発見されるのを待っている」という言葉はオバマ大統領がスピーチで引用するなど、非常によく知られているものなのですが、実は、これはカール・セーガン本人が口にした言葉ではないという説もあります。

というのは、この言葉は彼の著作のどこにも見つからないからです。

歴史的経緯を探ると、米国の有力ニュース週刊誌ニューズウィークが「地球外の世界を探る」という特集でカール・セーガンを取り上げた際(1977年8月15日号)、記事の最後がこの言葉で締めくくられていたため、これがカール・セーガンの発言として流布していったということのようです。

その記事の執筆者の一人であったシャロン・ベグリーが、一連の取材のまとめとして、自分がそのように表現したということを認めています。

人生の名言・迷言55 悲観主義者は風が出てきたと不満をもらし、、、

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現実主義者は風が出てきたと不満を漏らし、楽観主義者はそのうち変わるだろうと期待し、現実主義者は帆を調整する。

ウィリアム・アーサー・ウォード

ウィリアム・アーサー・ウォード(1921年~1994年)はアメリカのキリスト教メソジスト派の指導者で、リーダーズダイジェスト誌のような一般雑誌に、わかりやすい言葉で人生訓のようなものを書いて人気を博していた作家でもあります。

キリスト教は宗教改革以降はカトリックとプロテスタントに二分されますが、メソジスト派というのは後者で、日本では青山学院や関西学院が該当します。

教育現場では「凡庸な教師はただ教える(ただしゃべる)。よい教師は説明する。すぐれた教師は手本を示す。偉大な教師は相手をその気にさせる(心に火をともす)」というウォードの言葉も有名で、いろんな学校の校長先生の「お話」にもよく出てきますので、一度くらい聞いたことのある人もあるのではないでしょうか。

日本で一口にミッション系の学校といっても、カトリックからプロテスタントまであり、さらにそれぞれが長老派だとかルーテル派だとか、母体となる教派や教団で(?)で細分化されていますので、なかなか簡単にはいきませんね。

たとえば、誰でも知っている十字架ひとつとっても、カトリックでは、イエス・キリストが磔(はりつけ)になっていますが、プロテスタントの十字架にはキリストの姿はなくて、単なる十字のみだったりします。

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