立ち読み: 『みすがら 軽キャン、女ひとり旅』

『みすがら 軽キャン、女ひとり旅』
一人で生きる覚悟を求めて

岸田啓著
 
電子書籍版 定価1,350円(税込1,500円)
紙書籍版 四六判 301ページ 
定価2,200円(税込2,420円)
発行日:2025年11月10日
ISBN 978-4-908086-23-6

みすがら 軽キャン、女ひとり旅

一人で生きる覚悟を求めて 

                     岸田啓

初歩的な真理ほど理解するのがむずかしいのはどうしたわけだろう。

スザンナ・タマーロ    

『心のおもむくままに』(泉典子訳)

目次

プロローグ
一 龍神とポテチパン
二 山の神と樹海
三 点滴とビブリオなんちゃってバトル
四 文明開花と測量野帳
五 磯笛とポータラカ
六 ワッパとヤシの実
七 国際児童文学館とどんぶらこっこ
八 パンクと脱藩の道
九 てんとう虫とイカ刺し

プロローグ

 みすがらとは「身すがら」、つまり、荷物を持たず身体(からだ)ひとつ、係累(けいるい)のない独(ひと)り者という意味だそうです。
 だそうですっていうのは、あたし、はずかしながら、この言葉、ついこないだまで知らなかったんですよね。
 人は、身すがらで生まれ、身すがらで死んでいく――そういう存在だというんですけど、「うーん、そうかなあ?」って思うところもあって、だって、その昔、学校なんかで人間は社会的動物だとかって習ったじゃないですか。集団のなかで社会生活を営んでいてはじめてその存在が認められるっていう……アリやミツバチみたいにね。
 まあ、アリにたとえられても、あんまりピンとこないというか״
 たとえば、赤ちゃんて、生まれてくるまではお母さんのおなかの中にいて、そこで大きくなって、生まれるときは産科のお医者さまや助産婦さんがつきそってくれますよね。だから一人じゃないですよね、生まれるときって。まわりに何人も人がいますもん、ふつう。
 死ぬときだって、たとえ一人暮らしで死をみとってくれる家族がいないとしても、119番に電話してくれた近所の人とか救急車で運んだ救急救命士や死亡診断書を書いてくれたお医者さまとか、火葬場で焼却スイッチを押す職員さんとか、そういう人たちのお世話にならざるをえませんよね。
 絶海の孤島で一人ぐらしをしているのでないかぎり、そういう周囲(まわり)の人たちのご厄介にならないわけにはいきません。二十八年も孤島で暮らしたロビンソン・クルーソーにだって、フライデーがいたわけだし。
 でも、それは身すがらの意味とは関係がない――らしいんです。
 心というか自我というか、すぐ隣にいても、自分の意識とその人の、自分じゃない別の人の意識というか自我はやはり別物、同じではない……
 まあ、そういう人たちは、母親や近所の人をのぞけば、お仕事としてそういうことをやってくださってたりするわけですし、あたしたちは、あたしたちの社会の中で生きてるんですから、いやでもそうなってしまいます。
 大切なのは、そこに心のつながりがあるのかってことかなとも思うんですけど、でも、親子とか夫婦っていっても、心のつながりがあるかといえば、どうなんでしょう。
 うん、あるよって即答できる人がどれくらいいるんでしょう。
 こっちは心がつながってるって思っていても、相手がどうだかわかりませんしね。
 で、あたし、話がすぐに脇道にそれて申し訳ないんですけど、たとえ、すぐ近くに親しい人がいたとしても、その人は自分とは、少なくとも、あたしが自分と感じている心というか自分というか、そういう自我とは違う別の人なわけで、そう考えれば、一人で生まれて一人で死んでいくというのは、それはその通りかなとも思うんです。
 結局のところ、すぐそばに人はいるんだけど、近くにいてもその人と自分は心というか人格は別だから、やっぱり人は身すがらで生きているってわけなのかなって思ってます。

 どうして、こんな辛気(しんき)くさいことをあれこれ考えるようになったかというと、あたし、夫を亡くしたんですよ、旅の途中で。
 夫の定年退職を機に日本を車でぐるっとまわってみようというのは、ずいぶん前から二人で考えていて、日帰りのキャンプごっこから始めて、家の駐車場で車中泊の練習をしたり、大人二人が寝泊まりできるようにセダンから軽のワンボックスに乗り替えたり、ネットの動画を参考にして日曜大工で折りたたみ式の寝床をこしらえたり、ルーフキャリアにソーラーパネルを取りつけたり……
 で、夫が会社を定年になって嘱託の期間もすぎて完全な年金生活になったところで、あたしも仕事をやめて、軽のワンボックスで寝泊まりしながら日本をぐるっとまわる旅に出たってわけです。
 仕事をやめてっていうのは、あたし、夫とは一まわりちょっと年齢が離れているのでまだ現役で、それで会社勤めをやめてフリーランスになって、という意味です。ま、どうでもいいですよね、そんなこと。
 で、住んでるのが神奈川だったので、まず横須賀からフェリーに乗って北九州まで行き、九州を時計まわりに一周して福岡に戻ったところで関門海峡を渡って本州に移動し、今度は日本海ぞいをずっと北上して北海道まで。
 最北端の稚内(わっかない)と、日本で一番東にある根室(ねむろ)半島の納沙布(のさっぷ)岬で記念撮影してからまた本州に戻って、あ、写真はインスタに載(の)せてたんですけど、いつもは知り合いを含めて「いいね」は数個からせいぜい十個くらいなのに、ハッシュタグで最北端とか最東端って入れたら、そのときだけ千を超える「いいね」がついたりしてびっくりしました。
 やっぱり、アピールって大事なんだなって――SNSで炎上騒ぎを繰り返している人たちの気持ちがちょっとだけわかった気がしましたね。かぎりなく無名の人がかぎりなく普通のことを投稿したって、誰も反応してくれませんもん。
 で、あたし、それに味をしめて、できるだけ珍しい写真を撮ってアピールしようと、そういう「ネタ」ばかりキョロキョロ探すようになってしまって、夫に「それって楽しい?」て聞かれたんですけど、楽しいというより、反応が多いとうれしくてテンション上がるって感じですかね。
 でも、そういうネタが道ばたに毎日転がってるわけでもないので、そういうふわふわしたマイブームはまもなく終わりました。
 旅が日常になったんでしょうね。日常って、わざわざ写真に撮ったりしませんもんね。
 で、青森に戻ってから、あこがれの恐山(おそれざん)めぐりをした後、今度は太平洋岸を南下――できるだけ高速道路は使わず海岸に近い道路を通るっていうのが二人で決めたルールで――一日の終わりにビルじゃなく山や海に沈む夕日をビール片手に眺めるのが大好きだったんですよね――といっても、三陸(さんりく)海岸(かいがん)みたいな入り組んだところで、地元の道路の地形に合わせて東に出たり西に戻ったりを忠実になぞるのは想像以上に大変で、とうとう根をあげて高速を使ったりもしましたけど、まあ、楽しかったです。
 で、あんまりお金の余裕もないので、できるだけ車の中で寝泊まりして、食事は材料をスーパーや地元の市場で買ってカセットコンロで自炊って感じかな。
 まあ、畳の上で休みたいと感じたら旅館や民宿に泊まって二、三日のんびりしたりもしながらなんですけど、いろんなところに有名無名の温泉地があるし、温泉がないところでも日帰りの入浴施設はそこらじゅうにあって、毎日お風呂三昧(ざんまい)で、疲れる前に休むって感じでしょうか。
 そうやって鋭気を養いつつ、尺取虫(しゃくとりむし)みたいにマイペースで旅を続けていたんです。
 もっとも、なんやかんや準備に手間どってしまって、最初に家を出たのが夏の終わりごろだったので、九州をまわって山陰を走り、北陸に入った頃には、もう冬が迫っていました。
 タイヤのチェーンのつけ方も知らないし、まさか豪雪地帯で車中泊ってわけにもいかないので、現地で知りあった農家の人のご好意で冬の間は車を預かってもらうことができたので、いったん家に戻りました。
 福井から電車で京都に出て、清水(きよみず)の舞台とか苔寺(こけでら)とかウン十年前の高校の修学旅行を追体験しながら、自宅のある関東で冬をすごして翌春に旅を再開したわけです。
 なので、実際に北海道をまわったのは、旅に出た翌年の初夏の頃で、夏の終わりから秋にかけて東北の太平洋岸の入り組んだリアス式海岸を東に行ったり西に行ったりしながら、景色のいいところでは散歩したり砂浜で遊んだり、偶然に見つけた隠れ宿みたいな民宿に泊めていただいたり、そうやってカタツムリみたいに少しずつ少しずつ南下していったんです。高速道路を使えば一日足らずで着いちゃう距離なんですけどね。
 この調子だと、まあ、二度目の冬が来るまでには自宅に戻れるだろうから、冬の間は家でじっとして、また春になったら残りの旅を再開しようって話しあったりもしてたんです。
 そしたら、夫がコロッと逝(い)っちゃって……あっけないもんですね、人が死ぬときって。
 涙も出ませんでした、いきなりすぎて。
 山間の温泉郷で自然の川に作られている湯船に浸(つ)かりに行く夫を見送って、あたしの方は数日前から道連れになっていたご夫婦とお茶してたんですけど、そこに「ご主人が遊歩道の階段を踏み外して転落し救急搬送されました」って電話が警察からあって、夜には駆けつけた救急病院の若いお医者さまから「全力をつくしましたが残念ながら……」ってことで――
 病院の霊安室(れいあんしつ)でぼうぜんとしていると、係の人からいつまでもこちらに置いておくわけにもいかないので、と申し訳なさそうに切り出されて、葬儀会社の人を紹介していただいて、そちらでお通夜(つや)やお坊さんの手配から火葬場のことまでお世話してもらい、で、気がついたら、自宅のリビングで夫の遺骨と向かい合ってたってわけです。もう暗くなってるのに電灯もつけずに。
 でも、いきなり、お葬式どうしますかって聞かれても分かりませんよね。
「えっ、葬儀、火葬、納骨?」って言葉が頭の中をぐるぐるまわってて、自宅は川崎だし、「福島からどうやって運ぶの?」って思いながら、川崎には大きな火葬場が二つあるんですけど自宅に近い方に電話してみたら、「ただ今、大変混み合っておりまして、二週間ほどお待ちいただくことになります」ってことで、えー、どうしようって思っていたら、葬儀会社の人が「旅先で亡くなった場合は現地で火葬まですませて、遺骨だけお持ち帰りになります。みなさん、そうですよ」と助言してくださったんです。
 それで、あたしと、たまたまお茶してたご夫婦が「私らも他人事じゃないし、これも何かの縁だから」って立ち合って下さって、それでなんとか火葬まですませて川崎に戻ってきたわけです。高速を使ったので早かったですよ。朝出て、昼過ぎには家に着いてました。
 あたしたち、もう若くはない年齢で結婚したので子供はいないし、夫の両親は高齢で介護施設にお世話になってます。あたしの親はまだ健在ですけど遠方で付添いがないと電車とか乗れないし、で、自宅でのお葬式も、連絡がついて都合のついた親戚が何人かと、夫の手帳で連絡先のわかった元同僚、あとはあたしの友人とか――ほんとに内輪だけの、お葬式というよりは個人をしのぶささやかな会って感じでしたけど。
 みなさん、仕事の都合もあるので、初七日や四十九日も繰り上げ法要ってことにして葬儀当日に全部すませて――死んだ人間がまだ生きている人間に迷惑かけちゃいけないっていうのが夫の口癖で、それはあたしも同感でした。
 遺骨は狭いお墓じゃなく、見晴らしのいい山や広い海に撒(ま)いてもらった方がいいよねって二人とも前から本気で思ってて、樹木葬(じゅもくそう)とか散骨(さんこつ)してくれる会社とか調べたりもしてたんですけど、心の準備もないまま、いきなり喪主(もしゅ)とかになってしまうと、なんにも考えられなくて、葬儀会社の人に「一般にはこうです」「みなさん、こうされてます」って言われると、はいはいって感じで、すべておまかせになっちゃいましたね。
 長く寝たきりだったとか、余命何ヶ月って事前にわかってた場合は別かもしれないですけど、いきなり喪主になって葬儀の手配も自分でしなきゃってなったら、肩ならしもせずに東京ドームでいきなり始球式やれっていうくらいむずかしいですよね。まあ、始球式は事前に打診とかあって練習もちゃんとしてるんでしょうけど。
 で、ほら、あの、生前(せいぜん)葬(そう)ってあるじゃないですか。たまに聞きますよね。
 あれって有名人の話題づくりかなって思ってたんですけど、現実に自分がこうなってみると、あんがい賢いやり方かもって思うようになりました。少なくとも予定の調整はできるので、生きている人を不意打(ふいう)ちすることはありませんしね。
 とはいえ、あたしも生前葬やろうってわけじゃありませんよ。けど、死んで一週間も十日も発見されないっていうのが一番いやなので、そこは何かいい方法を考えなきゃなあ――とは思ってます。だけど、自分がいますぐ死ぬっていうのも実感わきませんしねぇ――ま、後で考えるかって、いつも先のばし……

 あたしもまあまあ長く生きてきた方でしょうね、半世紀こえちゃいましたもんね。
 心は女子高生の時分(じぶん)と何も変わってないつもりなんですけど、あらためて書類とか見ると、自分の年齢にびっくりです。
 まあ、現代は、鉄腕アトムが誕生した二〇〇三年をとっくにすぎた未来社会ですもんね。そんな時代に自分が生きてるなんて、それこそびっくりです。
 もっとも、老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんからすれば、あたしなんか、まだまだひよっこなんでしょうけど――
 で、ここまで生きてきて思うのは、毎日がんばって、ここまで必死に生きてきたあたしたちって、これから、どういう心の持ち方をすれば、心安らかに、おだやかに、できるだけ長く笑顔を浮かべたまま人生をまっとうできるのかなってこと。
 むずかしいことはわからないですし、どっかのあやしい新興宗教みたいになるのもいやなので、これくらいにしておきますけど、何を言いたいかというと、要するに、死ぬまでは元気で楽しく暮らしたいし、死ぬときは周囲(まわり)の人に大きな迷惑をかけないようにしておきたい――
 で、スーパーで魚を見ながら刺身にするか煮付けにするかで迷ってるときにひらめいたんです。そうだ、また旅に出よう、って。
 家に閉じこもって、あれこれ、うじうじ考えていてもしょうがない。少なくとも夫は喜ばない。だったら行動あるのみ。

うつせみの 花の色香(いろか)は 十六夜(いざよい)の 風に誘われ 旅せよ乙女(おとめ)――

 いま乙女(おとめ)ってところで失笑した人いるでしょ?
 五十だろうが七十だろうが九十だろうが、乙女(おとめ)は乙女(おとめ)、女子(じょし)は女子(じょし)――あたしと友だちとのお茶会は、はたから見たらアラフィフおばさんの井戸(いど)端(ばた)会議でしょうけど、立派な女子会(じょしかい)ですからね。
 で、その女子たる乙女(おとめ)として、乙女(おとめ)たる者、やりかけたことは最後までやり通さないと「男の腐ったような」と言われかねない――ってわけでもないんですけど、まあ、とりあえず旅の一筆(ひとふで)書きの線を最後までつないで、それからどうするか考えても遅くはないかなって、そう思って、また旅に出ようと思ったわけです。

 

一 龍神とポテチパン

「だから、危ないって」
「ギャーギャー、うるさい。助手席で大きな声出されると気が散るでしょ。かえって危ないんだから」
「怖いものは怖いのよ」
「だったら、目、つぶってれば」
「ドライブの意味、ないでしょ」
「じゃ、黙ってて。こんど騒いだらバス停で降ろすからね。現地集合にしよう」
「わかったわよ」
 その後も「ひっ!」みたいな声にならない恐怖の震えみたいなものは伝わってきたんですけど、それも一号線に出たらなくなりました。住宅地の細い路地や見通しの悪い交差点と違って、幹線道路はほぼ真っ直ぐだしカーブだってゆるやかだから、車間距離さえ注意しておけば、あんまり気を使わずに走れますもんね。
 あたし、冬の間、ずっと家に引きこもってたわけですけど、彼女のおかげで社会とつながりを保っていられたというか、その前の夫婦旅のときからも、それ以前からもずっとお世話になりっぱなしで、まあ、本音を言える唯一の友だちというか、あたし、仕事がら知り合いは多い方だと思うんですけど、友だちっていえるのは指で数えあげても片手であまるというか、まあ、ほとんどいないんですよね。
 同世代の女同士でも、以前は子育てだ受験だっていうのが話題の中心だったし、もうこの歳になると彼女たちも子育ては終えてるわけですけど、今度は子供の就職とか結婚だとか、初孫だって大騒ぎ――ま、うれしそうに話してるから、それはそれでいいんですけど、こちらとしては、なかなかついていけないんですよね、出産適齢期をとっくにすぎてから結婚した身としては。
 それに、いちおう社会人歴ウン十年で、仕事ではいろんな会社に派遣されてたので、セクハラ上司にもクソッタレのハゲ親父とか思いながら笑顔で相槌(あいづち)くらいはうてるようになりましたけど。
 で、助手席の彼女も、あ、鏡子っていうんですけど、お父さんが本好きで、獄門(ごくもん)島(とう)とか砂の器(うつわ)とかミステリー専門だったのが、当時できたてほやほやの明治村で、夏目漱石生誕百年とかなんとかって展示会を見たそうで、それから漱石にハマったらしいんですよ。
『吾輩は猫である』はてっきり子供向けの本だと思ってバカにしていたが、そうじゃない、あれは世の中の仕組みをようくわかった大人にこそ理解できる本だ、新発見だって、すっごい鼻息で、生まれきた自分の娘にも漱石の奥さんの名前をもらって鏡子ってつけちゃったんだとか。
 お母さんは反対だったらしいんですけど、姓名判断で字画も悪くないってなってからは納得されたみたい。鏡子本人は自分の名前が大嫌いで、キョウコって音はまあいいとして、なんで鏡の子なのよ、おばあさんみたいじゃない。せめて香る子とか響く子にしてほしかったって……。で、高校時代についたあだ名がミス・ミラー。
 英語のおじいさん先生に授業でそう呼ばれて、クラスじゅう大爆笑。
 先生もニヤニヤしながら「お父さんの名前はアーサーかい?」なんて言ったりしたもんだから、それが定着しちゃったんですけど、これは本人も気に入ってて、「アーサー・ミラーの隠し子です」っていうのが自己紹介のお気に入りになったんです。
 当時、ダスティン・ホフマンの『セールスマンの死』って映画が日本でも上映されてて、知ってます、アーサー・ミラー原作の?
 で、あるとき、アメリカから来た交換留学生に、アーサー・ミラーはエルだけど、あなたのミラーはアールでしょ、ぜんぜん違うよって言われてからは、それも禁句になっちゃいました。
 LとRの区別もつかない英語教師って、単なるダジャレ親父じゃないって、ぼやいてました――っていうような話は、社会人になって、仕事先で彼女と出会ってから聞いたことなんですけどね。
 あたし、彼女の会社にSEとして派遣されてたんです。
 SEってシステム・エンジニアのこと。会社の業務運営を効率化するためのシステム構築って名目でね。今はAIで大騒ぎですけど、そのころはITがブームで、仕事も大忙し。
 といっても、プログラムを作る以前の段階で、どの業務をどういう風に電子化しシステム化すれば効率がよくなるかってことをまず調べるところから始めるんですよね。
 そこを知ったかぶりして適当にやってしまうと、出来上がったシステムに業務を合わせるっておかしなことになって、後から問題噴出ってことになりかねないんです。
 で、派遣されたあたしたちは、社員の人とペアを組んで実際に業務をこなしながら、どこのどの作業をどういう風にデジタル化しシステム化できるのか、問題点を洗い出して確認するところから始めるわけです。会社の規模や仕事の内容にもよりますけど、それだけで半年や一年はかかりますよね。
 そこで鏡子と知り合って仲よくなったってわけです。
 年齢も近くて会社でも机を並べて仕事をしてたんですけど、妙に気があうというか、ランチも社員食堂で一緒に食べて、いろんな話をして、おまけに通勤で乗り降りする駅も一緒だってわかってからは、もう友だちになるしかないでしょって感じで。長く生きてれば、五年か十年に一人くらい、そういう人と出会ったりしますよね。
 で、システム化の話に戻ると、問題点を洗い出して、それを解消するためにどういうシステムを構築すればいいかが決まってしまえば、後はプログラムを書くだけですからね。
 そこが難しいって誤解している人も多いみたいですけど、これは決められた文法に従って書いていくだけなので、あんまり頭は使わないんですよ。今はいいエディタとかもあって、文法のミスを指摘したり自動で修正したりしてくれたりもしますしね。
 設計図さえしっかりしていれば、あとは人海戦術でなんとかなるんです。そういうレベル。
 旅に出ることになって、収納用に車のサイズに合わせてDIYでいろんなものを夫と二人で手作りしたんですけど、板にペンキを塗るんだって下地の処理が一番大事ですよね。それが仕上がりを決めてしまうって痛感しました。下地で手を抜いて板に凹凸が残っていたら、どんなに重ね塗りしてもダメですもんね。厚く塗ってごまかそうとしても、後からひび割れたりするし。これは仕事に限らず、なんでもそうかもしれませんけど。
 で、あたし、今は会社をやめてフリーランスでウェブデザイナーをやってるんです。早い話、ホームページを作るのが仕事。
 個人だと大きなとこは相手にしてもらえないし、こういう生活をしながらでは到底無理なので、レストランとかお店とかからの依頼がメインで、ネットやSNS経由でなんとか食べていけるくらいのお仕事はいただけてます。
 こういう仕事でも、まず依頼主がどういうサイトにしたいのかを知ることに時間をかけるんですよ。といっても、打ち合わせは電話とメールのみの「オンラインで完結――その分、お安くなってます」って感じなんですけど。
 サイトのコンセプトとイメージさえはっきりすれば、オンラインショップや予約、決済のシステムだって、そうむずかしいものじゃないです。
 ごく普通のブログサイトみたいなものからeコマースの複雑なものまで、予算に応じて大抵のことはできます。デザイン・センスとかはどうしようもないので、自分にできないことはできる専門家に頼むという、他力本願もありつつの自営業者ですけどね。
 だから大切なのは、自分にできない技術や知識を持った人たちをまわりに確保しておくこと。早い話が人脈ってことなんですけど、そんな大袈裟(おおげさ)なもんじゃなくて、フリーの同業者同士、お互いに苦手なところを補いあいましょって、フェイスブックの非公開の同業者だけのグループで情報交換して、忙しくて手がまわらなかったりすると助けたり助けられたりとか――今は便利になりましたよね、ダイレクト・メッセージですぐに連絡がつくし。
 で、なんの話してたんでしたっけ、あたし? 
 そうそう、鏡子でした。
 どうして鏡子とおばさん二人で車に乗ってるのかというと、開運半島詣(まい)りにいこうってなったんですよ。あたしを見送りがてら初日だけ鏡子もついてきて、半島にある三つの神社をめぐってお守りをいただいてから一人で旅を再開するってことになったんです。
 半島といっても神奈川の三浦半島です。東京湾の入り口のところに盲腸みたいに出てるちっちゃな半島があるでしょ。千葉の大きな房総半島の反対側。あそこにある三つの神社に龍神(りゅうじん)様が祀(まつ)ってあって、この時期はその三つで御朱印(ごしゅいん)をもらうと龍神の開運札がもらえるんですって。
 あの辺は鏡子の地元でもあるので、土地勘のある鏡子の案内で神社をまわった後、鏡子はそのまま実家に行き、あたしはそこから再出発するわけです。
 で、どういうルートにするか考えたんですけど、普通は川崎から東京湾ぞいに南下して横須賀まで行けばいいんですけど、鏡子が実家の近くは最後にしたいっていうんで、じゃあ反対側の相模湾に面した葉山の神社を先にまわって、半島の先っぽの神社、それから横須賀の神社ってことにして、となると一号線で藤沢まで行ってから海の方に出て、そこから後戻りする形で海沿いに葉山まで、ってなったわけです。
 ちょっと遠まわりになるんですけど、たいした距離じゃないし、あたし、正直に言うと、高速道路の合流って苦手なんですよ、ほんと。
 下の道から上がっていきながら振り向いて本線の車を確認して入るだけなんですけど、ほら、結構、スピード差があるじゃないですか。で、ちょっとためらってると加速車線で後ろにどんどん車がつかえちゃって、思い切って飛び出しても、軽ワゴンだからアクセル全開にしてもなかなかスピードが上がらない――というか、加速に時間がかかるんですよね。で、気がつくと本線を走ってた車がすぐ後ろに迫ってて、それがバックミラーから消えたと思ったら隣の追い越し車線に並んでて、すっと抜いていくわけです。
 チラッと目があったりすると、トロトロ走ってんじゃねえよ、チェ、おばはんか、しゃあねえなって舌打ちして――いや、そんなこと言ってないかも、ですけど、こっちはそう感じちゃうんですよね。それだけで汗びっしょり。
 といって、下の道でバイパスや近道を探しながら走るっていうのも、あんまり好きじゃないんです。というか運転するときって、キョロキョロせず、それに集中したいんです。
 というわけで、あたしみたいな者にとっては幹線道路を走るのが一番楽なんです。それなりに道幅はあるし、くねくねしてたりもないし、標識も大きいのがちゃんとついてるし。
 すると、横浜の中心街を抜けて少し行ったところで、鏡子が「ちょっととまって」て言うんですよ。
 そんなこと言われても急にはとまれないので、というかブレーキを踏めばとまるんですけど、後続車が使えちゃうし、で、少し先の、車をとめても影響なさそうな路肩の広いところに車をとめたんですけど、すると、鏡子はドアを開けて、後ろの方にすっ飛んで行きました。
 戻ってくるまでに五分くらいかかったかな。
 最初はバックミラーをチラチラ見て、後ろ姿を追ってたんですけど、それもやめて道路地図を眺めてたら、お待たせーって戻ってきて、また助手席に乗りこんできました。それと同時に後ろのスライドドアも開いて、「ちわーす。お世話になりまーす」って、野球帽をかぶった男の子のような女の子のような――声は女だけどボーイッシュな感じの子が乗りこんできてニコニコしてるんですよね。
 え、だれって思いましたけど、道端でヒッチハイクしてたんですって。道路脇で、大きなスケッチブックに目的地を書いて通りかかる車に見せてたそうなんです。あたし、まったく気がつきませんでした。
 でも、その目的地というのが小田原だったんですよ。太い黒のマジックで小田原って。
「小田原には行かないよ」って言ったんですけど、すると鏡子が「大丈夫、藤沢でオーケーだって。そうよ、ね」
「はい、ぜんぜん大丈夫っす。そっからまた車を拾えばいいんで」
「すごいよねえ、ワイルドだよね、ヒッチハイクだよ。しかも女の子」と、鏡子はなぜかすごく興奮してて、一気にしゃべりまくるんです。「私、ヒッチハイクしてる人を見たの、初めてかも。ああいうのって映画なんかで見たりはしてるんだけど、実際にはねえ、なかなか。人生初体験。長く生きてればいろんなことあるよねぇ、うん、ていうか、私なんか家と会社を電車で往復してるだけだから、そういうのを目撃する機会もないからだけど、どう、あんた、ある?」
 まあ、鏡子には同じ年頃の娘がいるし、母親として見過ごせなかったんでしょうねえ。
 ヒッチハイクって、あたし、九州で一度ありました、二年前に、この旅に出てからですけど。それまでは経験なしです。
 外国人の親子連れが道端で手を挙げてたのでなんだろうと思って車をとめたら、どこどこまで乗せてってくれませんかって、英語で。それが、めちゃめちゃ聞きとりやすい英語なんですよ。
 あたし、仕事で外資系の会社に派遣されてたこともあるんですけど、アメリカの人ってすごい早口で、何言ってるか、さっぱりわかんなかったりもしたんですけど、そのバックパック背負った男性は物腰が丁寧で、口調もゆっくりだったので、イギリス人かなと思ってたら、ドイツの方でした。
 こっちはカタコトの英語ですけど、向こうも英語は外国語ということで、お互いに母国語じゃなかったから、わかりやすかったのかな。
 あたし、こんなに英語できたっけって、こっちがびっくりするくらい話が通じました。
 といっても、中学一年か二年の英語に、地名を織りまぜながら、後は身振り手振りで、たいしたことは話してないんですけどね。特急のとまる駅まで送っただけだから時間も短かったんですけど、小学三年くらいの女の子がいたので、その子にお菓子あげたりして、すぐに仲良くなりました。
 で、そのヒッチハイクの女の子に話を戻しますけど、大学生で、箱根駅伝のコースをヒッチハイクでどこまでたどれるか実験してるんですって、一人で。そう、動画を撮影しながら。今、多いですよね、あちこちで写真や動画とってる人。
 よく見ると、その子も帽子のつばには小さなカメラみたいなのがクリップでとめてあるし、首からもネックレスみたいにアクションカメラを吊るしてました。リュック背負って、手には自撮り棒とスマホって格好。
 今朝、スタート地点の大手町から来たんですって。
 あそこってビジネス街でしょ、ビルばっかじゃない、あんなとこでヒッチハイクできるのって聞いたら、皇居の外苑前を駅伝コースと反対方向の北に向かって少し歩くと神田の問屋街の近くに出るんだそうです。配送の車がそこらじゅうにとまってるので、片っ端から「蒲田(かまた)方面に行きませんか? 乗せてほしいんですけど」って聞いてまわったら、十台目くらいで見つかったそうです。
「乗せてってもいいけど、会社にばれるとやばいから、お前、そこの角をまわったところで待ってろ。白タクってことでお縄になるのもいやだし、缶コーヒーのブラックにまけとく、そこに自販機あるだろ」って、向こうも慣れたものだったそうですよ。
 長距離のトラックは部外者の同乗禁止だったりもするらしいんですけど、近場だったらそこまで厳しくないというか、人手不足の業界ですからね、下手にうるさく言って辞められたら会社も困るというか――ま、そんなこんなで、乗せてくれる車は結構見つかるって言ってました。十台や二十台は断られるのが当たり前らしいですけど、なれてくれば乗せてくれそうな車の見当もつくようになるんですって
 で、蒲田(かまた)からは乗用車を二台乗り継いで横浜まで来て、二台目の車は静岡まで行くらしかったんですけど、中心街をすぎて権(ごん)太坂(たざか)まで来たところで降りたんですって。
「なんでよ。ずっと乗せてってもらったらよかったじゃない」
「いやいや、権(ごん)太坂(たざか)っていったら花の二区じゃないですか。最近はそうじゃないかもですけど、小学生のときにテレビで駅伝見てた頃は、最長のエース区間でハイライト。疲れの出てくる後半の上り坂での抜きつ抜かれつのデッドヒートって、もうハラハラドキドキじゃないですか。そこを車でピューッと通るって、そんな失礼なことできません」
「平成生まれなのに、昭和のおじさんみたいなこと言うのね」と鏡子。
「だって、私が見てたの、小学生のときですよ。お正月でおじいちゃんおばあちゃんの家に行って、家族でコタツに入って見てましたからね。おじいちゃんなんか、自分の母校が映るたびにすっごく興奮して、思わずコタツたたいたりして、おばあちゃんに叱られてました。中学とか高校になると友だちと遊ぶ方が面白いから、ずっと見てなかったんですけど」
 というわけで、権太坂の途中で車を降り、てくてく歩いて坂を登ったんだとか。
「で、どうだった?」と鏡子。
「なんか普通でした、だらだらしたゆるーい、どこにでもあるような上り坂で、なんか拍子抜けしました」
「本当の権太坂って、あそこじゃないのよ」と鏡子。「本物もあの近くではあるんだけどね」
 え、そうなのって、その子とあたしは思わず叫びましたね。
 すると、鏡子は鼻をひくひくさせて――横目でチラッと見ただけなので、たぶん、そういう得意げな顔してるだろうなって思っただけなんですけど――国道に並行して走ってる旧東海道の方が本物の権太坂で、道が狭い上にずっと急勾配なんですって。江戸時代の難所だったそうです。
 あたしみたいに大人になってから移り住んだ、なんちゃって県民じゃなくて、生まれも育ちも地元って人はさすがに詳しい。
 今は一号線の道路標識も権太坂ってなってるし、毎年、あれだけテレビで権太坂、権太坂って叫んでいたら、そっちが本家になっちゃいますよね。
 ところで、実はその子は車に乗ってからもずっとカメラ回してたらしいんです。
 助手席から後ろを向いて話をしていた鏡子が、胸元のペンダント風のカメラに目をやったんです。
「それ、ひょっとして生きてる?」
「はい、ずっと回してます」
 その返事に、キャーッておばさん二人、もう大騒ぎ。
 その子に言わせると、カメラを回すのは、ある意味、自分を守るためでもあるんだそうです。車って、密室じゃないですか。その子に教えてもらったんですけど、ヒッチハイクの本場ってイメージがあるアメリカでは、危険だからって禁止されてる州もあるんですって。
 で、女の子が一人で初対面の車に乗るっていうのは、結構、勇気のいることで、しかも何かあっても弁解できませんしね。それで、ライブ配信してまーすって、最初からカメラを見せておくと、変なことされにくいんですって。実際にはライブじゃなくて、ただ録画してるだけらしいんですけどね。
「そうなんだ」と、あたし。
「やだ、どうしよう。私、今日はお化粧ののりが悪くって。きれいに撮ってね」
 あたし、ちらっと鏡子の顔を見て、いつもの顔だよって言ったら、肘で小突いてきました。
「痛い」
「そっちがへんなこと、言うからでしょ」
「こっちは運転してんだよ。危ないでしょ」
 女の子の方は、あたしが一人旅に出るところだって知ると、むしろ、そっちの方に興味津々(きょうみしんしん)で、いろいろ聞いてきたんですけど、夫の話とかするのもちょっと面倒なので、「ま、行き当たりばったりよ」とだけ言っておきました。
「そう、足の向くまま気の向くままってね」と鏡子。
 すると、そういうのって最高じゃないですか、あこがれるなあって、彼女も乗ってきて話がどんどん盛り上がったんですけど、そういうときって時間の経つのが早いでしょ、すぐに藤沢に着いてしまって――そしたら、鏡子が「このまま小田原までどれくらいで行ける」って聞くんです。
「渋滞がなければ一時間もかからないんじゃない?」
「じゃあ小田原まで足を伸ばすって手もあるよね」
「お昼、お店に予約してるって言わなかった? 二時間近くずれるんだよ」
「神社にいる時間を減らすって手もあるし」
 すると彼女が「ここで大丈夫です。降ろしてください」って――ニコニコ笑ったままね。
 ヒッチハイクでは、乗せてもらう車の行き先を変えないのが自分で決めたルールなんですって。人の善意につけこんじゃいけないってことらしいんですけど、ヒッチハイク自体が相手の善意をあてにしてますよね。そう言うと、「あてにしてるんですけど、あてにしすぎてはいけない、ほどほどにしておきなさいって、いつも言われてました」って。
「だれに?」と鏡子。
「おばあちゃんに」
 買い物についていってお菓子が欲しいっておねだりすると、おじいちゃんは何でも買ってくれるので、あれも欲しい、これも欲しいって言ってたら、「調子に乗るんじゃないの、ほどほどにしときなさい」ってよく叱られたそうなんです、おばあちゃんに。
 そのおばあちゃんの口癖が「ほどほどに」。で、小学校で友だちと遊んでいるときについ「ほどほどに」って口に出したら、みんな意味がわからなくてポカンとしてたそうです。
 道路沿いに車をとめるところが見つからなかったので、交差点を曲がったところの立派な鳥居のある神社の前で降ろしたんですけど、その鳥居、石じゃなくてグラスファイバー製なんですって。ほら、釣竿とかに使われてるでしょ、グラスファイバーって。言われなきゃ絶対分かりませんよね。鏡子にそう教えられて、彼女は夢中で大鳥居の写真を撮ってました。ネタが増えたって大喜びで――想定外のハプニングが一番うれしいらしいです。
 その後は海が見えるところまで進んでから、海岸沿いに葉山まで戻る形になりました。まあ、途中の鎌倉にも寄りたかったんですけど、あそこは道が狭くて入り組んでて車で観光するところじゃないし、旅が終わったらいつでも行けるので、今回はパス――
 でも、海はいいですね。
 パッと視界が開けて――青い空に、広い海――こっちの気持ちも明るくなっちゃう。
 水平線がずっとどこまでも続いてて、自分の知らない世界がいっぱいあるんだろうなあ、そのうちのほんの少ししか知らないんだろうなあって思ったり。なんか悩みとかあっても、ちいせえ、ちいせえって笑い飛ばせるって感じ――わかります?
 葉山の大明神のあたりもそうでしたね。
 すごくきれいなところで、すぐそばに砂浜があって、その近くに車をとめました。駐車場も広くて、神社の方は旗が立てられてて縁日とか村祭りみたいな感じでしたけど、そっちには背を向けて、おばさん二人、しばらくうっとりと海を眺めてました。
 なんか目尻のシワが伸びていくような――どこか癒(いや)される、そんな気がするんですよね、海の香りって。
 お参りした後、鏡子がハンドバックからおニューの御朱印帳をとり出して渡してくれたんですけど、それって本革だったんですよ。
 後で聞いたら、市販されてる御朱印帳の製作キットに革のカバーをつけた鏡子の手作りだったんですけど、それだけですごく豊かな感じというか、手ざわりがね、すっごくいいんです。それにありがたく御朱印をいただいて、お守りも求めさせていただきました。
 神社を出るときは、なんかもう、吹っ切れたみたいないい気分でね、ドライブを楽しもうって気になってました。
 急ぐ旅ではないので、海を見ながら道なりにずっと海岸の方を進んでいったんですけど、ヨットもちらほら見えたりして、いつも見慣れてる川崎付近の東京湾とはえらい違いだって思いましたけど、あっちはあっちで夜は工場もライトアップされてるし、すごく幻想的ではありますよね。
 この国は小さな島国だってよくいいますけど、自分の足でというか、実際はちっちゃな車ですけど、えっちらおっちら歩いてまわると、結構、大きいし、いろんな顔を持ってますよね。やっぱり「うつせみの 花の色香(いろか)は 十六夜(いざよい)の 風に誘われ 旅せよ乙女(おとめ)」ですよ。
「乙女(おとめ)なんて言ったら神様、怒るんじゃない?」と鏡子。
「何歳になっても乙女(おとめ)は乙女(おとめ)でしょうよ。三十過ぎたら乙女(おとめ)じゃないってほざいてる神様がいたら蹴飛(けと)ばしてやる」
 そんなこと言って大笑いしているうちに、いつの間にか海が見えなくなって、そしたらもう三崎港に着いてました。目の前に城ヶ島があるので、太平洋は見えなかったんですけど。
 神社に専用の駐車場はないらしいので、とりあえず港付近で有料駐車場を探して、予約してあるお店の場所を確認してから、神社に向かいました。
 パンフレットを見ると三浦半島の総鎮守で源頼朝が何たらかんたらって、いろいろ書いてあって、なんか由緒正しくて恐れ多いのかなと思ってましたけど、神社自体は普通でしたね。街並みも――というか街という感じでもなくて小さな港町というか集落というか、地方に行けばよく見かける風景って感じかな。
 で、お参りをすませて御朱印をいただいて、お守(まも)りはどうしようかちょっと迷ったんですけど、ほら、お守(まも)りをいくつも持ってると神様同士がケンカするって聞いたことがあるような――で、社務所のかわいい巫女(みこ)さんに聞いてみたら――あたし、子供のころ、神社の巫女(みこ)さんの白い衣に赤い袴(はかま)姿(すがた)ってあこがれだったんですよ。高校のとき実家の近所の神社でバイト募集があって友だちと応募したんですけど競争率が高くて挫折したという、苦いというか懐かしい思い出があって、採用された同級生は、お正月だったからとにかく寒くて、使い捨てカイロがなきゃ凍死してたって言ってました――で、その中学生くらいにしか見えないけど、バイトしてるからには高校生だろうと思われる巫女(みこ)さんは「神様はケンカするほどちっちゃくありませんから大丈夫ですよ」って笑ってたので、ありがたく受けさせていただいて、車につけさせていただきました。
 いただいて、いただきましたって、慣れない言葉を使うと、なんか舌がもつれそうになって疲れますけど、といって、「イェーイ、お守(まも)りゲットだぜ」とか言っちゃうと、ご利益(りやく)がなくなってしまいそうですもんね。
 この神社、なんと、食の神様も祀(まつ)ってあるんだそうです。それでなんでしょうか、お昼に食べたマグロ丼のおいしかったこと。上にのせてあるマグロが多すぎてご飯が見えないんですよ。銀座じゃありえない――って、あたし、銀座でお寿司とか食べたことないし、そもそもお寿司屋さんにマグロ丼があるのかも知らないんですけど……
 とにかく、えー、こんなにたっぷりあって、この値段でいいのって、思わず言いたくなっちゃうくらい。魚とか海産物なんかは特にそうですけど、現地で食べると、おいしいのはもちろんなんですけど、とにかく安かったりしますよね。夫と一緒に旅してるときも、函館の朝市とか経験しちゃうと、もう本州には戻りたくなーいって感じでした。でも、あたし、寒いのは苦手なので向こうに住むのも無理なんですけどね。
 まあ、そんなこんなで、女二人、わいわい楽しくやってたんですけど、お昼頃からなんか鏡子が元気ないんですよね、ときどき遠くを見るようにボーとしてたり。
 どうかしたって聞いても、別に何でもないよって笑顔を浮かべるんですけど、なんか変なんですよね。昨日今日の付き合いじゃないし、何でもないことはないとは思ったんですけど、あんまりうるさく聞くのもなんだしって――そしたら鏡子が「お昼食べたらちゃんと話すけど、今はこのマグロに集中しよう」って言って、二人とも無言で食べました。というか、それくらいおいしかったってことなんですけどね。

 離婚するって聞いたのは車の中でした。
 ダンナさん、去年の夏に家を出ていって、それきりなんですって。
 かなり前になりますけど、ダンナが部下の女性とできちゃって、すったもんだあったって話は聞いてたんですよ。そのときは、土下座して二度としないって誓ったから許したのよって、笑い話として聞いてたんですけど、実はそれがまだ続いてたってわかってから、ずっとギクシャクしてたみたい。
 あたし、鏡子や娘のはるかちゃんとはよく会ってましたけど、ダンナさんの方は年に一、二回、顔を合わせるかどうかってくらいなので、浮気って聞いたときはびっくりしました。
 だって、そんなタイプにはぜんぜん見えなかったんですよ。正直、見た目も地味だし口数も少なくて、鏡子には悪いんですけど、まあ、およそ女にモテるって感じではなくて、その点、うちの夫といい勝負――ごめんね、和夫さん――それはともかく、ダンナさんの方は彼女と、相手の女性と別れる気はなくて、だいぶ前から離婚話が出てたらしいんです。
 鏡子の方も心は決めていたそうなんですけど、それでもずっと夫婦を続けていたのは子供の親権をどうするかで揉(も)めてズルズルと先のばしになってて、結局、子供が成人したら親権とか関係なくなるわけだから、成人式をすませるか卒業して就職が決まるまでは夫婦でいて、後は子供の判断にまかせようということになってたらしいんですよ。
 あたし、だめですねえ、鏡子がそんな風だったって、まったく気がつきませんでした。会社をやめてどうしよう、夫が死んでどうしようって、あたし、自分のことばっかり考えてて、鏡子があれこれ言ってきても、お節介でうるさいなあって感じたりもしてたんですから、ほんと、鈍くて間抜けでドジで……
 離婚となると、気持ちだけじゃなくて、子供の学費や仕送りをどうするかとか、マイホームの所有権はどうしようとか、いろいろ決めなきゃなんないこと、たくさんありますよね。
 はるかちゃんが大学を卒業して就職が決まるまでは今まで通りの金額を親が分担して仕送りすることになったようなんですけど、問題は家のローン。所有権は、持分二分の一の共有になってたのをダンナが慰謝料代わりに鏡子に自分の持分を譲るってことで話がついたらしいんですけど、ローンがまだあと何年か残ってて、といって、ダンナの方も彼女との生活があるから、さすがに残債の支払いまではできないってことで――やっぱり鏡子一人じゃきついらしいんですよね、仕送りもローンも両方って。
 それで最終決着する前に、ダンナの方がしびれを切らして家を出て署名した離婚届を送ってきたので、鏡子、頭にきてその場で自分の名前も書いてその日のうちに区役所まで持って行ったらしいんです。けど、やっぱり娘の就職が決まるまでは片親にしたくないって思い直して、今もバッグに入れたままだそうです。気持ちの上では届けを出して離婚したつもりだって言ってますけど……
「そうやって、ずっと持ち歩くわけ?」
「はるかが内定もらえたら、すぐに出すよ。もう顔も見たくないしね」
 鏡子は後悔は全然ないって言ってましたけど、やっぱり問題は家のローンですよね。お金の問題はシビアだし、気持ちでどうにかなるもんじゃないし。
 はるかちゃんは下宿を引き払って家から通うって言ってくれたらしいんですけど、大学は東京の先の埼玉ですからね。電車の乗り継ぎを考えると、そう簡単に「それでお願い」とは言えないって。で、卒業まであと二年だから、何とかお金を工面してしのぐか、いっそのこと家を売って鏡子だけ実家に戻るか――まだ実家のご両親には話してないらしいんですよ、離婚のこと。それで、家が近づくにつれて気が重くなってきたってことらしいんです。
「あんたの出発に便乗して、私も心機一転、新しい生活に踏み出そうって虫のいいこと考えてたんだけど、なんかね、実家が近づいてくると、今から母親の泣く顔が思い浮かんじゃって――」
 急にしんみりしてしまいました。
 あたし、何も言えずに黙って運転していたんですけど、すると鏡子が「やだ、そんな顔しないでよ」って、柏手みたいに両手をパンッと鳴らして、「はい、景気の悪い話はこれでおしまい。すんだことは忘れて、先のことを考えよ。未来志向で明るく前向きにいきますよ、いいですね」
 それで、車中泊ではどこに泊まるのかとか、夜中にトイレにいきたくなったらどうするのかとか、矢継ぎ早に質問してくるんです。
「泊まるのは、夜もトイレが明るい道の駅が便利だけど、車中泊できるところとできないところがあるしね」
「そうなの?」
「うん。それに東京や神奈川って道の駅の過疎地なんだよ。全国に千カ所以上もあるのに、東京にはたった一つしかなくて、神奈川だって山の方にちょっとあるだけ。海の方にもできるらしいって噂は聞いてるけど、その程度」
「そうなんだ」
「うん。ああいうのって広い土地が必要だから、東京とか地価の高いところでは採算がとれないんじゃないの」
「ショッピングモールとかアウトレット作った方が儲(もう)かりそうだもんね。で、今日はどうするの?」
 だいたい、どこでお風呂に入るかを決めてから、泊まるところを探すって感じなので、とりあえず日帰り温泉とか銭湯とか、お風呂に入れるところを見つけて、そこで汗を流してスッキリしてから、どこか探すつもりです。ま、当てにしてるところはあるんですけど予約入れてないし、なかったらなかったで、有料駐車場にお泊まり――かな。そう説明すると、鏡子は「駐車場で車中泊できるの?」って驚いてました。
「できるよ。というかできるところもあるよってことね」
「道の駅と同じだ」
「そう」
「車から出なければ、仮眠してるのか車中泊してるのか外からはわからないもんね」
「一応、前もって確かめてから車をとめるけどね。そうはいっても管理人のいない駐車場も多いし、そういうときネットの口コミって便利よね。SNSでどこどこあたりで車中泊できるとこありますかって聞くと、いろんな人がいろんな情報を提供してくれるもの」
「こわくない? そういうネットの情報って」
「匿名でアカウントいくつも作れるところは怖いよね。だれがどんなこと考えてそういう情報流してるかわからないし」
「だよね」
「だから、実名主義のサイトの同じ趣味のグループで聞くんだけど、人間って、基本、教えたがりだってよくわかるよ。自慢もできるし、お礼を言われると気持ちいいし」
「車、のぞかれたりしない?」
「ロックしてるし、ぐるっとカーテンで囲ってしまうから平気」
「暗くなってから、お巡(まわ)りさんが窓をコンコンってない?」
「公園とかならあるかもだけど、ちゃんとお金払って駐車場にとめてる車にはしないんじゃないの。というか、そういうこと一度もないけど」
「トイレは?」
「携帯トイレ積んでる。一晩くらいなら楽勝」
 ま、地方だと道の駅で地元の名産品を買ってキャンプ場に泊まるっていうのがおすすめかな。シーズンオフの海水浴場なんかも車中泊やテント泊の穴場なんですけど、さすがに湘南では無理でしょうから、日帰り温泉と大きな有料駐車場の場所もいくつか前もって確認しておきました。
 そうこうしているうちに、もう横須賀市内に入ってて、あちこちで黒船だ、ペリーだって文字が踊ってる看板が目につくようになりました。
 おお、ここが日本史で習った浦賀かって感激したんですけど、海は見えませんでした。神社のそばまで行かないと見えないらしいです。ちなみに行き先と同じ名前の神社が海をはさんで東西に二つあるそうです。
 鏡子が「あっ、そこの駐車場に入れて」って指さしたので、そこに車をとめたんですけど、目当ての神社は駐車場が狭いらしいんですよ。鳥居の前に路地を隔てて駐車場があるんだけど、歯科医院と同じ敷地で五、六台しかとめられないんだそうです。空きがなかったら車をとめるところを探してうろうろしなきゃなんないからって。その駐車場から歩いても十分かそこらで着くそうです。
「さすがに詳しいね」
「通学路だったから。毎日歩いてたし。車や自転車は無理だけど、ネコと子供は通れるって近道も知ってるけど」
「教えてくれなくていい」
 すると、鏡子が「あっ」って言って駆け出しながら「ちょっと待ってて」って十字路を曲がって路地に消えてしまいました。しばらくして戻ってきたんですけど、手に袋を二つ持ってて、一つをあたしにハイって渡して、さっさと歩き出すんです。
「何、これ?」
「ポ・テ・チ・パン、ジャスト・イット」
 鏡子が妙なアクセントの英語だか日本語だかわかんない言葉を口にしたので、もらった袋を開けてみると、パンにお惣菜(そうざい)というか野菜サラダみたいなのをハンバーガー風に挟んでラップで包んだものが二つ入ってました。
「あ、ポテチパンだ。なつかしい。はるかちゃん、よく作ってたよね」
「そう。夜食とか朝ごはんにどうぞ。明日の朝までだったら余裕で持つから。ウチ、親子三代、これにお世話になってるのよね」
 鏡子が小学校から帰ってきたときのおやつがこのポテチパンだったらしいんです。
 両親は共働きで家に帰ってもだれもいないし、いわゆるカギっ子ですよね。そのころは学童保育なんて制度もなかったし、親としてはおやつにお菓子を置いとくわけですけど、仕事で帰りが遅くなったりすると、子供は「お腹すいた、ご飯まだ?」って矢の催促だし、といって、これで何か買いなさいってお金なんか与えたら、どうしても甘いものとかジャンクフードとか、そっちに行っちゃいますもんね。
 で、あるとき炊飯器の調子が悪くてご飯がうまく炊けなかったことがあって、お父さんが自転車で近くのパン屋さんまで行って買ってきたのがポテチパン。それを鏡子、ぜんぶたいらげちゃったらしいんですよ。
 キャベツとかにんじんとか野菜が入っているし、いつもならそういうのは残すのに、おいしいおいしいって、ぜーんぶ食べちゃったって。それで、お母さん、「これだ」ってひらめいたらしいんですね。
 まあ、ポテトチップスの嫌いな子って、ほとんどいませんよね。油物だしジャンクフードではあるんですけど、ポテチパンならキャベツとか野菜も入ってて栄養もありそうだし、パンだから帰りが遅くなっても早めの夕飯の代わりにもなるしで一石二鳥、というか、お腹をすかせた子供を待たせてるって後ろめたさも減って、何より安いからお財布にも優しくて――それからはほぼ毎日、おやつはポテチパンだったそうです。
 で、鏡子が大人になってはるかちゃんが生まれたときも、夜泣きする時期くらいまではお母さんが泊まりがけで世話をしにきてたらしいんですけど、幼稚園とか小学校にあがるころになると、娘のおやつはやっぱりポテチパン――川崎でも何軒かパン屋を見てまわったそうなんですけど売ってなくて、パンを買ってきて、鏡子、自分で作ってたそうです。見よう見まねでね。
 そのはるかちゃんも中学になると自分で作るようになって、サラダの種類もいろいろ変化を加えて、味付けもマヨネーズだったりタルタルソースにしたり、ポテチも塩味、しょうゆ味、わさび味ってバリエーションがあるし、ちぎったり割ったりしただけの大きな形のままだったり、こまかくつぶしたりとか、いろいろ工夫して――高校のときには友だちを呼んで、どれがおいしいか味の品評会までやったらしいんですよ。そのころかな、あたしも休みの日に鏡子の家に行くたびにポテチパンのご相伴(しょうばん)に預かったのは。
 友だちがおいしいおいしいって褒(ほ)めるもんだから、はるかちゃん、お店だして独立しようかなってその気になって、パン屋にアルバイトにも行ったそうなんですけど、お店の手伝いをしているうちに商売の厳しさも知ったみたいで、作るのは好きだけど、安定したお給料のもらえる仕事がいいって、管理栄養士の資格がとれる食物栄養学科のある大学を選んだんだそうです。
「神奈川にもそういう大学あるでしょ」って聞いたら、「うん。でも、親元から離れて一人暮らししてみたかったんじゃないの。親はずっといがみ合ってるし」
「子供の前でケンカとかしてたの」
「してないよ。それが同居を続ける条件だったし。けど、女の子だし、中学、高校になると、何となくわかるんじゃない、そういうのって。申し訳ないって思ってはいるのよね」
 とはいえ、そんな話は鳥居の前でおしまいにしました。
 というか、そんな話をしながら境内に入るわけには行かないので、鳥居の手前で足踏みしながら無理やり話し終えたんですけどね。鏡子もあたしも気持ちの切り替えは早いんです。
 この神社で御朱印が三つそろったので、三体の龍が描かれている開運札をいただきました。しかも、お守(まも)りを三つ並べて入れられる専用のケースまであるんですよ。最初の二つは車のルームミラーから吊るしたんですけど、三つ横に並べるとなるとちょっと大きいので、どうしようかな……
 鏡子は、結構、長く手を合わせてました。お守りは両親と娘の分も買ったようです。
「ウチ、この近くだけど、寄ってく?」
「また今度ね。ご両親には、旅が終わってから、お土産持ってご挨拶(あいさつ)にうかがうから」
 そう言って鳥居の前で別れました。


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