人生の名言・迷言 78: 今日好きだったものを明日は憎むようになり、今日さがし求めていたものを明日は避けようになる。今日望んだことは明日の恐怖となる。
ロビンソン・クルーソー/ダニエル・デフォー
無人島に漂着したロビンソン・クルーソーが、住むところを確保し食用となる植物を育て、無人島でも十分生きていけると自信を持ち始めたところで、砂浜に人の足跡を見つけて驚愕(きょうがく)し、それまでの生活が一変する──という場面の心の動きです。
それまでの生活が、ある出来事をきっかけにして、価値観を含めて一変してしまう──今風にいうと、パラダイム・シフトでしょうか──こういうことは、個人にとっても社会にとっても、いつどこで起きるのか、それにどう対処するかについて判断がむずかしいものの一つですね。
現在の新型コロナウイルスの世界的なまん延もそれに近いものかもしれません。
ところで、ロビンソン・クルーソーの無人島漂流譚(ひょうりゅうたん)は、セルカークという実在する船乗りの救助と帰国のニュースを耳にしたダニエル・デフォーが、ノンフィクションの手記という体裁をとりつつ匿名で発表したものだということは広く知られています。
セルカークはスコットランドの船乗りで、南米チリの沖合数百キロの南太平洋にあるファン・フェルナンデス諸島に置き去りにされた後、四年四カ月後に水の補給のため立ち寄った船に救助されました。
それがロビンソン・クルーソーのモデルというわけですが、この話は古くから知られていて、今から百年以上前に限りなく廃船に近い漁船をもらって自力でヨットに改造したスプレー号で史上初の単独世界一周をなしとげたジョシュア・スローカムも、ロビンソン・クルーソーに敬意を表して、世界一周の途中でファン・フェルナンデス島に寄港しています。
また、チリ政府は1966年、ファン・フェルナンデス諸島でセルカークが暮らしていた一番大きな島をロビンソン・クルーソー島とし、その近くの小島をセルカーク島と命名(改名)しています。
そうした事実は「知る人ぞ知る」状態でしたが、日本で広く一般的になったのは、探検家(?)の高橋大輔さんがロビンソン・クルーソー島で住居跡を探した経緯がテレビ放送されたり、関係本(『ロビンソン・クルーソーを探して』)が出版されたりしたことからでしょうか。
とはいえ、現在では、セルカークとロビンソン・クルーソーを同一視する風潮に対し、文学の何たるかを理解していないという批判的な見方が一般的となっているのも事実です。
というのは、文学作品とモデルとされる実在の人物との関係はなかなかに微妙で奥が深く、そう単純に割り切れない「古くて新しい問題」でもあるからです。
ロビンソン・クルーソーとセルカークについて言えば、具体的には、外面的な違いとして、セルカークが無人島で暮らしたのは四年四カ月にすぎませんが、ロビンソン・クルーソーは二十八年の長きにわたります。
しかもこの無人島は南太平洋にあるのですが、南米大陸の反対側の、オリノコ川河口(大西洋側)へと移されています。
これは、フライデーや「食人種」が大陸からたびたび島を訪れていたという物語後半の山場となる設定が大陸から七百キロも離れた絶海の島では無理だったためでしょうね。
さらに、内面的なものとして、そもそもの無人島漂着のきっかけが乗っていた船の難破(ロビンソン・クルーソー)と、私掠船(しりゃくせん、国家公認の海賊)における内輪もめによる置き去り(セルカーク)というように、原因がまったく異なるのに加えて、ロビンソン・クルーソーは刊行された十八世紀当時の、市民階級の勃興を背景にした、作者デフォーの人生観や世界観が色濃く反映した物語でもあるからです。
つまり、実在の「人妻の自殺」に想を得て書かれた名作『ボヴァリー夫人』が風紀紊乱(ふうきびんらん)の嫌疑で裁判にかけられたとき、著者のフローベルがボヴァリー夫人は私だ」と言ったとされるのと同じで、登場人物には作者自身の想いや感情が投影されているためでもあります。
ちなみに、ロビンソン・クルーソーの原題は「船が難破して自分以外の全員が犠牲となったものの自分は岸辺に投げ出され、アメリカ大陸の浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後に奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議な驚くべき冒険」です。