立ち読み:『六分儀と天文航法入門』

六分儀と天文航法入門

海洋冒険文庫 編著

はじめに

道に迷ったらカーナビやスマホのナビ・アプリが道案内してくれる時代に、六分儀を使った天文航法による航海術や位置の測定は「旧世紀の遺物」というか、ほこりにまみれた骨董の世界のように思える。
それはそうだ。
だれだって、そう思う。
それを百パーセント認めた上で、正直にいうと、大航海時代の探検家や帆船に乗った海賊、ヨットの冒険家が六分儀で太陽を観測して位置を調べたりしている姿は、ちょっとかっこよかったり――しないか?
実際問題として、二十一世紀もほぼ四半世紀が過ぎた現在、大海原で自分の乗っている船の現在地を正確に知るには、人工衛星を使って位置を測定して電子海図上に表示してくれるGPSプロッター(海版のカーナビ)があれば十分だし、それさえあれば日本一周や太平洋横断どころか、世界一周も可能になる。
念のため急いでつけ加えると、帆船やヨットの操船技術や危機対応能力はそれとはまた別の話で、天測で位置を知ることに加えて、地道に自分のシーマンとしての知識や技量(シーマンシップ)を身につけ、さらに高める努力は必要だ。
勘違いしている人もいるかもしれないが、シーマンシップという言葉にはフレンドシップのような精神的要素はなく、純粋に船を安全に目的地まで運ぶ技術や技量を指し、精神論とは関係ない。
で、GPS(グローバル・ポジショニング・システム)をはじめとするハイテクの電子航海機器の利便性については、異論の入りこむ余地はない。
ただ、こういう電子機器は電源がなければ無用の長物になってしまうため、「バックアップとして旧来の道具や手法も必要だ」という人もいる。
それはその通りだ。
とはいえ、紙の海図やコンパス(方位磁石)は現在でも必需品に入れてよいだろうが、正直にいうと、六分儀まではいらないと思う。
なぜかというと、今どきのヨットや帆船は電子化が進んでいて、個人のヨットでもソーラーパネルを積んでいるのは普通だし、搭載した小さな航海計器の消費電力を確保できず充電もできないという状態は、何らかの理由で転覆でもしないかぎり考えにくいからだ。
最悪の事態に備えてバックアップが必要だとしても、予備のGPS受信機と充電可能な電池を防水バッグなどの容器に密封して積んでおけば用は足りる。
そう、そういうこと。
それで話はおわり……
――なのだが、しかし、そういうことすべてを認めた上で、そうはいっても、利便性とか効率だけで測れないのが人間というやつで、そもそも帆船やヨットなどというもの自体が効率とはかけはなれたものだ。
エアコンやラジオもないヴィンテージのクラシックカーに大金をつぎこんでいる趣味人や、オートマ免許のドライバーが大半でコンピューター制御の自動運転車が現実に道路を走ろうかという時代に、マニュアルのクラッチ操作にこだわる物好きがいるのも事実だ。
そうした人々をマニアやおたくと呼び、ひとくくりにして片づけたとしても、どこかそっちの方が楽しそうだったり、かっこよく見えたりするのはなぜだろう?
コンピューターは突き詰めると「オンかオフか」「○か×か」の二者択一の世界だ。
そういう世界にどっぷりつかっていては見えてこない「何か」がそこにあるのではないか?
すでに人類は半世紀も前にロケットで月に行っているというのに、人はなぜ地球という小さな惑星のちっぽけな山に登ろうとするのか?
なぜ海を見ていると、水平線の向こうに行ってみたくなるのか?
散歩の途中で小さな路地を見つけたら、なぜ迷いこんでみたくなるのか――こういう無駄が人生をおもしろくする……のかもしれない。
損か得か、効率がいいか悪いか、利口か馬鹿かの二者択一ができないところに人生の妙味がある──のかもしれない。
というわけで、本書は究極のアナログの航海術、天体を観測して自分の位置を知る天文航法についての解説書である。
「天文航法に海のロマンを感じる」でも、「単なる道楽」でも、「うんちくを自慢したい」でも、動機は何でもよいが、ルールや戦術や選手の特徴を知っていた方がサッカーやバスケットがより楽しめるように、六分儀と天文航法を含む航海術の基本を知っていれば、少なくとも帆船やヨットの航海記や冒険物語を読む楽しさが倍増するはずだ。
* * * * * *
と、ここで、いきなり、クイズ

今この本を手にしているあなたに、この本が自分に向いているか、お金を出して買う前に確かめる方法があるので紹介しておこう。
次の場面で、あなたはAだろうか、それとも、Bだろうか。

ケース1
ショッピングモールで鉄道模型のジオラマの展示会が開催されています。
蒸気機関車が渡る谷にかかった鉄橋など、見事な出来栄えです。
あなたは、どちらのタイプですか?

A.よくできてる。ほしいな。いくらで買えるんだろう?
B.よくできてる。ほしいな。どうやって作るんだろう?

ケース2
お金持ちの友人の別荘に招待されました。
最寄り駅に着くと、駅前に二台の車が用意されています。
どちらも利用可能で無料です。あなたは、どちらを選びますか?

A.運転手付きの高級リムジン
B.運転手はいないが、キーと道順のメモが添えてある四駆

ケース3
週末に友人たちとキャンプに行くことになりました。
担当を決めて役割分担します。
あなたは、どちらを選びますか?

A.食事の献立のメモをもらって、買い出しに行く
B.キャンプ場を選定し、現地までの足を考える

ケース4
セレブ系の合コンの幹事になった友人に、会場の手配で助言を求められました。
お礼として会費無料で参加させてくれるそうです。
あなたは、どちらを企画しますか?

A.高級レストランのコース料理
B.ビュッフェ形式の立食パーティー

ケース5
天測/天文航法では、ちょっとした計算が必要になります。
足し算と引き算だけでも可能ですが、電卓や表計算ソフトを使うという手もあります。
あなたは、どちら?

A.算数や数学なんて見るのもイヤ、大嫌い
B.数学は得意、あるいは得意というほどではないが苦手でもない

すべてAという人は、この本、向いていないかもしれない。
Bはいくつかあるが「質問5はA」という人も向いていないかも。
それ以外の人は、この本、意外に楽しめる――かもしれない。
* * * * * *
本書の、とくに第一部では、できるだけ専門用語の使用を減らし、計算も単純な足し算と引き算(と時差の計算などで必要になる簡単なかけ算と割り算)でできるものに限定している。
天文航法といえば「位置の線航法」が定番で、これができないと海技士の試験に合格できないかもしれないが、目的は試験ではなく大海原を渡って目的地に到着することなので、対数やサインコサインなどの三角関数の計算も含めて、第一部では、そういうものを用いなくても可能な、しかしヨットの世界では信頼できると認められている方法についてのみ取り上げている。
理由は単純だ。
ゆれている小さな船で三角関数の計算などで頭を悩ませたくはない。
関数電卓やパソコンの表計算ソフトを使えば楽勝という人もいるが、だったら最初からGPSを使えよ、という話。
位置の線航法も、実際の手順を書き出してみれば、A4用紙一枚におさまる程度のシンプルなものである。それについては本書の第二部で取り上げるが、ここでも仕組みだけ簡単にふれておくと――
つねに陸が見えている沿岸航海では、コンパス(方位磁石)で山や岬など複数の目標物が見える方角を調べ、それぞれの方位を示す線を海図に引く。で、引いた線の交点が船の位置を示している。
これはクロスベアリングという、海で陸が見えているときに船の位置を求める基本のやり方だが、位置の線航法もこれと同じだ。
島や岬が太陽や星になるだけで、つまり二次元の平面から三次元の立体になるだけで、理屈は変わらない。
第二部で示す図をみてもらえば一目瞭然で、ある意味、目からウロコの斬新な方法ではあるものの、これが六分儀と天測に対するハードルを高めている理由の一つにも思われるので(筆者の個人的な感想?)、本書の第一部では取り上げず、もっと詳しく知りたいという人向けに第二部「知の迷宮への招待」で説明している。
まあ実際にやってみれば、考え方も手順もシンプルだし、三角関数の計算ができなくても天測計算表(日本ではいわゆる米村表)に計算した結果が整然と記載されていて、自艇での条件にあう数字を選んで足すか引くかするだけで結果(方位角など)が得られるようになっている。あとは作図用紙に線を引いて交点を確認するだけだ。
なれるより慣れろで、イメージされるほど面倒な作業ではないのだが、いろんな専門用語や略語が飛びかい、作図も必要だったりするため、なんとなく「むずかしそう」というイメージが先行している。
で、本書の第一部では、太陽が真南にきたときにその高さを測定し、あとは、小学生でもできるような足し算引き算で緯度と経度が出せる方法について説明している。
そんなものでいいのかと疑問を抱く人もあるかもしれないが、十五世紀後半から十六世紀にかけてのコロンブスやマゼランの時代(日本では戦国時代のまっただなか)には、そもそも六分儀自体が存在していなかった。貴重なデータが詰まった天測暦や天測計算表もなかった。正確な位置(とくに経度)を割り出すのに必須の精密な時計(クロノメーター)にいたっては、影も形もなかった。
時計職人のジョン・ハリソンが作った時計の精度が正式に認められて賞金が与えられたのは1773年のことだ。位置の線航法が発見されたのは、それからはるか後、いわゆる大航海時代もとっくに過ぎ去った十九世紀中頃(1837年)なのだ。
というわけで、本書では、これだけ知っていれば、GPSに頼らなくても、とりあえず「現代のヨットで太陽高度を観測しながら日本を出発して太平洋を横断し北米大陸に到着する」ことが可能な程度の、最低限の基礎知識の習得をめざしている。
最低限とはいっても、六分儀はむろんのこと、精度の高い時計(クロノメーター)が存在すらしていない時代の偉大な航海者、コロンブスやマゼランが用いた航海術より、はるかに正確で確実な方法ではある。
ここで取り上げる内容を理解すれば、大海原を航海するための具体的かつ実践的な方法、つまり六十年前に独学で航法を学んだ二十三歳の堀江謙一青年が日本人としてはじめて太平洋を単独横断して世間をあっといわせたときと、少なくとも同程度の、六分儀を使った位置測定の基本が身につく――はずである。
目 次

はじめに
第一部 これだけは押さえておきたい基本
第一章 船の位置を知る方法と手順(緯度と経度を求める)
第二章 六分儀の操作と実際の手順
第三章 観測した値を改正する意味と手順
第四章 太陽が見えないときの推測航法
第二部 知の迷宮への招待
第一章 子午線高度緯度法
第二章 六分儀の使い方のヒント
第三章 北極星緯度法
第四章 航海術の基礎知識
第五章 位置の線航法
第六章 天文航法に必要なもの
天文航法の用語の英和対照表
あとがき

第一部 これだけは押さえておきたい基本

まず、これだけは確認しておこう。
「天測」とは、空に見えている太陽や星を観測すること。
「観測」とは、目的の星(本書では太陽)が、一定の時間(本書では正午)に、どの方向に、どの高さ(水平線から見上げる角度)に見えたかを調べること。
「天測/天文航法」とは、空を動いている天体(太陽や月、恒星、惑星)の方角(方位)と高さを測定することで、地球上で自分のいる位置を知り、それに基づいて航海すること。
地球が完全な球で、自転の軸(地軸)が地球と太陽を結んだ線に対して垂直で、地球がきっちり24時間に一回自転し、太陽のまわりを正確に365日かけて円軌道を描いて公転し、さらに北を示す北極星が地軸の延長線上に存在しているのであれば話は簡単だ。
まず、これを前提にして、第一章では、太陽が真南に来たときの水平線からの高さ(角度)と、そのときの時刻を知ることで、なぜ自分の位置(つまり、緯度と経度)がわかるのかについて説明する。
第二章では、六分儀の具体的な使い方について取り上げる。
得られた観測値の修正の仕方(改正という)については第三章で説明する。
第四章以下では、六分儀による天文航法を補う方法など、最低限知っておくべき基礎知識と、天文航法に必要な道具や資料について説明する。
実際に六分儀を操作して太陽の高さを測定する作業はあっけないくらいに単純だ。
座学で六分儀の取り扱いについて一時間学び、南に水平線の見える開けた場所で実地研修を一時間も体験すれば、なんとか太陽高度を測定することはできるようになる。
本当にむずかしいのは、波にゆれて少しもじっとしていない小さな船で、六分儀のレンズや鏡の中に太陽と水平線の両方を同時にとらえること。こればかりは経験をつむしかない。
実際にやってみればわかるが、動かない陸上や、数千トン数万トンある大型の本船で行うのとはまったく勝手が違う。
足場がしっかりしているところでは簡単にできることが、小型船ではなかなかうまくいかない。砂浜に置いたサーフボードの上に立つのは簡単だが、海に浮かべたサーフボードに立とうとすると、初めのうちはなかなかうまくいかない――みたいなものと思えばよい。
とはいえ、慣れればコツはつかめるので、そうむずかしく考えることはない。習うより慣れろで、車の運転免許に合格できるくらいの理解力と運動神経があれば乗りこえられる。
また、原理や理屈がわかっていれば、測定結果が大きく間違っていたときに気がつきやすくなるので、理論を知らないよりは知っていた方がよいのはいうまでもない。そのための手がかりを第二部で示してある。
もっとも、車のエンジンの仕組みは知らなくても車を運転できるのと同じで、所定の手順に従って作業をすれば、一定の測定結果は確実に得られるし、航海科や海技士の試験とは異なり、理屈がわからなくても、結果として船を目的地の方に進めていければ、それで問題はない。
問題ないというのは語弊があるかも知れないが(きびしい教官だと青筋をたてて怒るところ?)、実際のところ、一人でなんでもこなさなければならないヨットにおける六分儀による測定の精度はその程度のもの、という意味である。
なお、原理とか理論といっても、直角は90度、平行線の同位角は等しいという程度のことを知っていれば、そうむずかしくはない。海員学校や商船学校/大学で使われている天文航法の本を開くと、高校の数学で習う対数やサイン、コサインなどの三角関数を用いた面倒そうな計算式がずらっと並んでいたりするが、ここ(本書の第一部)で紹介する天測方法の計算では、そういうものは、まったく必要ない。
厳密で厳格な方法を習得するのにこしたことはないので、航海科の授業をかろんじる意図はまったくないが、外国航路の航海士とヨットや遠洋漁船の乗員とでは、知識や技術のレベルが違って当たり前(プロとアマでは求められる精度が根本的に違う)ということを、まず理解しておこう。
そもそも船を予定通りに安全かつ正確に運航するのが本業の航海士と、甲板での漁労作業に追われる漁船員や、一人で風を読んで帆を調節しつつ操船する一方で位置を知ろうとするヨット乗りとでは、求められるレベル(精度といってもよい)が違うのだ。
次の写真を見てほしい。

天文航法の教科書(テキスト)を並べてみた。
左端の厚い本は定評のある天文航法の教科書、中央が英語版のヨット乗り向けのテキスト、右端が漁船員向けの本である。大きさと厚さの違いに注目してほしい。
『天文航法』(長谷川健二著)と『誰にもわかる漁船天測法』(佐藤新一著)はどちらも同じ年に同じ出版社(海文堂)から数十年前に出たもので、真ん中のヨット乗り向けの本(Celestial Navigation for Yachtsmen)はそのさらに数年前に英国で出たものの改訂版で米国から出ている比較的新しい本だ。
『天文航法』は教科書によくあるA5版で、『誰にもわかる漁船天測法』はそれより一まわり小さく、単行本で一般的な四六版になっている。ページ数は前者が418ページ、後者は214ページとほぼ半分。ヨットマン向けの英書の判型はA5版に近い(幅が少し狭い)が、もっと薄くて69ページしかない。
漁船天測法では理論の説明やさまざまな航法の紹介は少なく、ページの多くが例題とその解説で占められているし、『天文航法』では割愛されている六分儀の使い方については、逆に十数ページをついやして詳しく説明してある。
つまり、授業や試験用ではなく、あくまでも用途に応じた実用という面が重視されているわけだ。
位置の線航法だろうが子午線高度緯度法だろうが、どれを用いるにしても、作業の手順を書き出せばA4の用紙一枚、大学ノートであれば一ページでおさまるし、実際の測定や計算にかかる時間も数分からせいぜい十分程度で大差ない。
とはいえ、位置の測定に関しては、コロンブスやマゼランが用いた航海術よりはるかに高度で精度も高いことには間違いない。

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