立ち読み:『スナーク号の航海』(ジャック・ロンドン著) 4/5

『日本沖で遭遇した台風の話』を読む

『野生の呼び声』や『海の狼』など数多くのベストセラーを書いたアメリカの作家ジャック・ロンドンは、複雑な家庭環境で育ち、家も貧しかったため、日本の小中学校にあたる公立学校(八年制)は出たものの、上の学校に進学することはできず、缶詰工場で働いたりカキの密漁を行ったりしたあげく、北太平洋でアザラシ漁に従事する遠洋漁船に乗り組んだ。このとき、日本の土(小笠原諸島と横浜)も踏んでいる。
そのときの体験をエッセイにまとめ、サンフランシスコの地方新聞(コール紙、後のエグザミナー紙)のコンテストに応募したのがこの作品で、みごと一等を射止めた。十七歳のときである。
これが十年後には時代の寵児ともてはやされることになる作家の、初めて活字になり金を稼いだ作品である。小説ではないが、言葉の本当の意味で、ジャック・ロンドンの処女作といってよい。
過酷な自然と人間とのかかわりを描き、将来の人気作家の片鱗を十分に感じさせてくれる。


日本沖で遭遇した台風の話

朝直の四点鍾だから午前六時だった。ちょうど朝食を終えたころ、甲板で当直していた者には停船の準備、他の者は全員、実際に漁猟を行うボートのそばで待機せよという命令がなされた。
「取り舵! 取り舵いっぱい!」と、航海士が叫んだ。「トップスル、展開! フライングジブ、取りこみ! ジブは風上で裏帆。フォアスル、下ろせ!」
ぼくらの乗ったスクーナー型帆船のソフィー・サザランド号は日本の北海道・襟裳(えりも)岬の沖でヒーブツー(停船)した。一八九三年四月十日のことだ。
それから喧噪と混乱があった。六隻のボートに対し十八人の男たちが配置されていた。ボートを吊り下げるためのフックをかける者もいれば、固縛してあるロープをほどく者もいた。操舵手は方位磁石と波よけを持ってきた。漕ぎ手は弁当箱を手にしている。射手は二、三丁の散弾銃、一丁のライフル、それに重い弾薬箱をかつぎ、足元がふらついていた。そうした荷物はすべてすぐにオイルスキンや手袋と一緒にボートに収納された。
航海士が最後の号令を発し、ぼくらは出発した。いい猟場を確保するため、三人で三対のオールを漕いで進む。ぼくらのボートは風上側にいたので、他のボートより長い距離を漕がなければならなかった。まもなく風下側から順に一番目、二番目、三番目のボートが帆を上げ、追い風を受けて南下するか、横風を受けて西に向かった。母船のスクーナーは散っていくボートの風下へと移動する。万一のトラブルに備え、ボートが風を受ける状態で母船に戻れるようにするためだ。
美しい朝だった。
だが、ぼくらのボートの操舵手は昇ってくる太陽を眺め、不吉なものを目にしたように頭を振り、予言するようにつぶやいた。
「朝焼けか。こりゃ荒れてくるな」
太陽は怒っているように見えたし、斜め後方の明るい「縮れっ毛」のような雲も赤く染まって不気味だった。が、それも間もなく消えた。
ずっと北の方には、襟裳(えりも)岬が深海から立ち上がった巨大な怪物の恐ろしい頭のように黒い影となって見えている。まだ溶けきっていない冬の雪が、陽光をあびて白くきらきらと輝き、そこから軽風が海の方に吹きおろしてくる。巨大なカモメが羽ばたきしながら海面をバタバタと半マイルほども走り、風を受けてゆっくり上昇していく。バタバタする足音が聞こえなくなるとすぐに、キョウジョシギの群れが飛び立った。ヒューヒューと風切り音を鳴らして風上方向へと飛び去っていく。そっちの方向ではクジラの大きな群れが遊んでいた。潮を吹く音が蒸気機関の煙を吐く音のように伝わってくる。ツノメドリの鋭く切り裂くような鳴き声が耳をつんざく。
ぼくらの前方にいた半ダースほどのアザラシの群れにとってはそれが警告になった。ブリーチングで完全に海面から宙に飛び出したりしながら、アザラシたちは遠ざかっていった。
ぼくらの頭上を一羽のカモメがゆっくり大きな円を描いて飛んでいた。母船の船首楼では、故郷の家を思い出させるように、イエスズメが屋根にとまり、おびえたりもせず、頭を一方にかしげて楽しそうにさえずっていた。漁猟用のボートはやがてアザラシの群れに侵入した。バン! バン! 風下の方から銃声が聞こえてくる。
風は少しずつ強くなってくる。午後三時までに、ぼくらのボートは半ダースのアザラシを捕まえた。まだ猟を続けるか母船に戻るか相談していると、本船に戻れという合図の旗がスクーナーのミズンマストに揚がった。風が強くなり、気圧も下がってきたので、航海士はボートの安全を懸念したのだろう。
ぼくらはワンポイントリーフ(一段目の縮帆)をして、追い風を受けて戻った。操舵手は歯を食いしばるように舵柄を両手でしっかり握っている。目には警戒の色が浮かんでいた──ボートが波の頂点まで持ち上がると、前方にスクーナーが見えた。別の波のときはメインシート越しに見えた。ぼくらの後方の海面は波立って黒っぽくなっている。突風かボートを転覆させるような大きな崩れ波が迫っているのだ。
波はお祭り騒ぎのようにはしゃいだり踊ったりしながらも高さを維持して次々に迫ってくる。あっちでもこっちでも、いたるところ延々と大きな波が続いていた。緑の海面が脈打つように盛り上がっては、牛乳をこぼしたように白濁した波しぶきをあげて崩れ、他には何も見えなくなる。だが、それも一瞬のことで、すぐに次の波が出現した。波は太陽から伸びた光の道をたどってくる。見渡す限り大きい波や小さい波が立っていて、溶けた銀のような飛沫やしぶきが飛び散った。濃い緑色だった海は色を失い、まぶしいほどの銀色の洪水が押し寄せ、何も見えなくなった。大しけだ。前方の暗い海面が盛り上がっては砕け落ち、また押し寄せてくる。差しこんでいたきらめく銀の光は太陽とともに姿を消した。西や北西の方からすごい勢いでわき上がった黒雲にさえぎられてしまったのだ。嵐の前ぶれだった。
ぼくらはまもなく母船のスクーナーにたどり着いた。船に戻ったのは、ぼくらが最後だった。大急ぎでアザラシの皮をはぎ、ボートと甲板を洗い流し、船首楼の船室に降りていって暖をとった。体を拭(ふ)き、服を着替えた。熱い夕食がたっぷり用意されていた。スクーナーは帆を張りっぱなしでアザラシの群れを追い、朝までに七十五海里ほども南下していたので、この二日間の狩りで自分たちの居場所もよくわからなくなっていた。
船では午後八時から真夜中までが最初の見張り当番だ。
まもなく風はゲールほどにも強くなってきた。航海士は船尾甲板で行きつ戻りつしながら、今夜はろくに眠れないだろうと予想していた。トップスルはすぐに下ろして固縛された。フライングジブも下ろしてぐるぐる巻きにした。そのころまでには、うねりはさらに大きくなり、ときどき波が甲板に崩れ落ちては積載したボートに激しくぶつかった。
六点鍾(午後十一時)には、全員起きて荒天対策をするよう号令が出た。この作業に八点鍾(深夜十二時)までかかった。
ぼくは深夜当直と交代し、役目から解放された。下の船室に戻ったのはぼくが一番遅かった。スパンカーを巻きとっていたからだ。下の船室では新米の「レンガ積みくん」を除いて全員寝ていた。この新米くんは肺の病気で死にかけていた。海がひどく荒れ、船首楼でもランプの淡い光がちらついたり揺れ動いたりして、黄色のオイルスキンについた水滴に光が当たると黄金のはちみつのように見えた。いたるところでランプの作り出す黒い影が駆けまわっている。船の上方では、棺桶のような船橋のかなたから降下してきた影が甲板から甲板へと走りまわり、洞窟の入口で待ち伏せしているドラゴンのようにも見えた。エレボス*のような闇だった。

  • エレボス: ギリシャ神話の地下の闇を意味する原初の神。

たまに一瞬さっと光が差し、スクーナーがいつもよりひどく傾斜しているのが照らしだされたりもした。その光が消えると、それまでよりもっと闇が濃くなり漆黒となった。索具を通り抜ける風がうなりをあげ、列車が鉄橋を渡るときの轟音のようでもあり、浜に寄せる波のようでもあった。波が船首右舷に大きな音をたてて激突し、梁(はり)を引き裂かんばかりの勢いで砕け散った。船首楼では木の柱や厚板がバラバラになるんじゃないかと思うほどだった。柱や支柱、隔壁がギーギーときしみ、ミシミシと音を立て、揺れ動く寝床で死にかけている男のうめき声をかき消した。
フォアマストが動くたびにマストと甲板の張り板がこすれて木の粉が降り注ぎ、その音が荒れ狂う嵐の音に混じって聞こえてくる。海水がちょっとした滝のように船橋や船首楼から流れ落ち、濡れたオイルスキンの継ぎ目から入ってきては床に流れ落ち、船尾の排水口に消えていった。
深夜当直の二点鍾、陸の言葉で言えば午前一時に、船首楼に命令が響いた。「総員甲板に集合。縮帆せよ!」
寝ぼけ眼の船乗り連中は寝床から転がり出て服を着てオイルスキンをはおり、長靴をはいて甲板に出た。こんな命令が出るのは寒くて荒れ狂った嵐の夜だと決まっている。ぼくは顔をゆがめて自分に文句を言う。「ジャックよ、農場を売って船乗りになるなんて狂気の沙汰だったろ?」
風の力を痛感させられるのは甲板にいるときだ。とくに船首楼から出てきた後は身にしみてそれがわかる。風が壁のように立ちふさがり、揺れ動く甲板では動くこともできず、突風に息をすることすらままならない。スクーナーはジブとフォアスル、メインスルだけを張って停船し、漂泊していた。ぼくらは前に進んでフォアスルを下ろし、しっかり縛りつけた。
闇夜で、きつい作業だった。
嵐の分厚い黒雲が空を覆っているので星も月も見えなかったが、自然の慈悲とでもいうのか、海面の動きに合わせて柔らかい光が発せられていた。強大な波それぞれがすべて、無数の微小生物の発する燐光で輝き、その炎の大洪水にぼくらは圧倒された。波の頂きはますます高く、ますます薄くなり、曲線を描いて高くそびえると、やがて崩れていく。轟音とともに舷墻(げんしょう)*に落ちてくだけ散り、柔らかな光の塊と何トンもの海水が船乗りたちをあらゆる方向に押し流し、くぼんだ場所などに残ったものは割れた光の小さな点となって揺れ動いているが、また次の波で押し流され、新しいものと入れ替わっていく。ときどき、いくつかの波が次々に音を立てて船に崩れ落ちてきて舷墻(げんしょう)まで水浸しになるが、やがて風下側の排水口から流れ出ていく。

  • 舷墻(げんしょう): ブルワーク。舷側の波よけ/転落防止用の低い柵の ようなもの。

メインスルを縮帆するため、ぼくらは一段リーフしたジブで強風を受けて風下に走らざるを得なかった。その時までには海はとんでもない大荒れになっていたので、もはやヒーブツーすらできる状態ではなかった。ぼくらはゴミや水しぶきの集中砲火をあびながら飛ぶように走った。風は左右に振れ、船尾からの巨大な波に横倒しになりかけたりした。
夜が明けてくると、ジブを取りこみ、帆は一枚残らず巻き取った。船はかなり速く流れていたが、船首が波の背に突っこむことはなかった。が、船体中央部では波がくだけて荒れ狂っていた。雨について言えば、降雨はほとんどなかったものの、風が強くて大気には水しぶきが充満し、飛沫が交差した道路を突っ走るように、そしてナイフで顔を切り裂くように飛び交っているため、百ヤード先も見えなかった。
海は暗い鉛色で、長くゆっくりした壮大な巻き波となり、風によって泡が積み重なってできた流体の山のようになった。スクーナーの動きは吐き気をもよおすほど激しかった。山にでも登るように波に当たると船はほとんど行き足を止め、巨大なうねりの頂点に達すると、そこからいきなり左右に傾くのだ。息をのみ、口を開けている断崖におびえたように、一瞬、動きをとめる。それから、いきなり雪崩のように前方に滑り落ちていく。波の背で千個もの破壊槌で打ち砕かれるような衝撃を受け、船首の揚錨架は白濁した泡の海に突っこみ、海水が錨鎖孔を通ったり手すりを乗りこえたりして、あらゆる方向から──前方からも後方からも、右からも左からも甲板に流れこんでくる。
風が落ち始めた。
十時までには、船をまたヒーブツーに戻そうかというまでになった。
一隻の汽船、二隻のスクーナー、最小限の帆だけ張った四本マストのバーケンティン型帆船とすれ違い、十一時には、スパンカーとジブを揚げてヒーブツーした。さらに一時間もすると、はるか西のアザラシの猟場に戻るため、全帆を展開し、風上へと向かった。
甲板下の船室では、二人の男が「レンガ積みくん」の体を布で包んで縫っていた。水葬の準備である。嵐とともに「レンガ積みくん」の魂も消え去った。

(了)


帆船用語について

スクーナー型帆船: 二本以上のマストを持ち、後方のマストが前側のマストと同じかそれより高いタイプの縦帆を持つ帆船。

オイルスキン: いわゆるカッパのこと。布地に油を塗って防水性を高めたことから、特に海で使われるカッパはいまでもこう呼ばれることがある。

ミズンマスト: メインマストの後ろ側にあるマスト。

七十五海里: 約百四十キロメートル(一海里は一八五二メートル)。

ゲール: 風力は風速に応じて階級化されており、現在でも、約二百年前に提唱されたビューフォート風力階級がほぼそのまま使われている(気象庁の風力階級も同じ)。
ゲール(疾強風)は風速一七・二メートル~二○・七メートル。
むろん、この作品ではそれほど厳密な意味で使われてはいないが、気象庁の台風の基準が風速十七メートルなので、どれくらいの風なのかを知る目安にはなる。

バーケンティン型帆船: マストが三本以上の大型帆船で、フォアマストに横帆を持ち、他のマストには縦帆を持つ。
横帆は、ごく単純化すると、日本の千石船のような横向きの帆桁をつけた四角形の帆で、縦帆はいわゆるヨットの三角形の帆のように前縁を固定されたものをいう。

点鍾: 船の当直(ワッチ)で時間を知らせるために鳴らされる鐘。時代や地域によって異なるが、一般には、一回の当直が四時間続き、鐘は三十分毎に鳴らされる。
この鐘(時鐘、タイムベル)は、一点鍾(カーン)、二点鍾(カンカーン)から八点鍾(カンカーンを四回)まであり、四時間ごとに繰り返される。
ファーストワッチ(初夜直: 午後八時~午後十二時)、
ミドルワッチ(夜半直: 深夜零時~午前四時)、
モーニングワッチ(朝直: 午前四時~午前八時)、
と続いていくので、単に四点鍾というだけでは、前後の文脈がわからないと午後十時なのか、午前二時なのか、午前六時なのか判断できない。

ヒーブツー: 船を止めることを意味するが、帆船やヨットの荒天対策としては最も確実で一般的な方法でもある。
具体的には、マストより前の帆(ジブ)を風上側に張って(裏帆にして)前進する力を止める。船は風に対して斜め前を向いた格好で停船し、ゆっくり風下に流れていく。
一般的なヨットではちょうどタッキングでジブを返すのが早すぎて失敗し船足が止まった状態を意図的に作り出し、メインシートを緩めてセイルから風を抜き、舵を風下側に切っておく。
風上に向かっているときはすぐにその状態に入れるが、帆船ではマストや帆の数も多く、艤装も多岐にわたるため、縮帆や荒天対策の手順や方法もバリエーションが多い。
風力がさらに強くなると、ヒーブツーでは対処できなくなる。
その段階になると、すべての帆を下ろして漂泊するか、マストなどに当たる風だけか、小さな帆だけを揚げて風下に走ることになる。

時代背景

現在でもゼニガタアザラシのウォッチングは北海道の観光資源になっているほどで、襟裳岬周辺は世界有数のアザラシの生息地として知られていた。
二十一世紀の現代では、捕鯨やアザラシ漁は資源保護や動物保護の観点から批判されることも多いが、当時はアメリカやカナダの重要な産業の一つでもあった。


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