人生の名言・迷言 59 高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終わるすべなきか 啄木
高きより飛びおりるごとき心もて
この一生を
終わるすべなきか
啄木
一瞬一瞬を、こういう緊張感を持って、極度に集中して生きることができれば、人生はもっと充実したものになることでしょう。
もっとも、それが長く続けば、人の神経がそのストレスに耐えられるかという問題は出てきますが……
石川啄木(1986年〜1912年)ほど、誰もがすぐに口ずさめる短歌を数多く作った歌人は他にいないですね。
しかも、短歌を三行に分けて書くというのも斬新でした。
この三行分かち書きは、土岐善麿(読売新聞記者で歌人)が発案し、啄木がそれに共感して自分の歌にも取り入れたことによるようです。土岐は啄木の葬式の手配もしています。
啄木といえば
たはむれに母を背負いて
そのあまり軽きに泣きて
散歩あゆまず
や
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
など、
親しみやすい名歌を数多く残し、26歳で夭折した天才ですが、この啄木ほど、文学の才能について改めて考えさせる作家もありません。
というのは、短歌では若くして知る人ぞ知る存在となったものの、詩や短歌では食べていけないので、代用教員や新聞社の校正係などの職を転々としながら、必死に小説も書いていました。
しかも、それはかなりの数にのぼります。
が、
ほとんどが未完で、最後まで書き終えて発表されたのは中編の「我等の一団と彼」のみで、これも小説としてはちょっと中途半端な作品です(発表も刊行も死後)。
作家には、二つのタイプがあるようです。
作品を着想したら、イメージの湧くまま一気呵成に書きあげる人(たとえば、音楽でいえば、モーツァルト)と、
推敲に推敲を重ね、複雑かつ精緻で巨大な構築物を作りあげる人(たとえば、ベートーベン)。
啄木はおそらくモーツァルト・タイプの天才で、それが五七五七七という短詩形ではうまくいったものの、小説では……
彼には構成力が決定的に欠けていたために、途中で行き詰まっては次の作品に移り、それも途中で挫折し、また次の作品を……という感じだったようです。